第32話 狙われた姫④

 すると、馬を御していたアスマが言った。


「私から説明するわ。タケルちゃん、手綱をお願いね」

「分かった」


 アスマはそろそろと荷台へ移ってくると、ナナクサの向かいに腰を下ろした。


「まず、身体の調子はどうかしら。眠っている間に薬を飲んでもらったから、少しは楽になっているはずだけれど」


 ナナクサは自らの両手を顔の前に持ち上げた。痙攣はおさまっている。倦怠感はあるものの、めまいも吐き気も、いまのところはない。


「大丈夫のようです」

「そう、なら良かったわ、本当に」


 アスマは心底ほっとしたように微笑んだ。ナナクサもつられて口角を上げる。敬語を使わない彼はなんだか親しみやすい。


「一の姫、あなたは暗殺されかけた。ここまでは分かっているわね?」

「ええ……」


 脳裏に、自分を殺しにきた男の姿が蘇る。ナナクサは身震いした。あのときは抵抗するのに必死だったが、あとになって恐怖がわき上がってくる。

 ナナクサは頭をひとつ振り、気持ちを切り替えた。


「どうしてあの瞬間に、兄上は私を救うことができたのですか?」

「順を追って話すわ。まず最初の異変は後宮からよ。皇后の侍女がひとり死んだの。毒を飲まされてね」

「毒……もしかして」


 ナナクサがはっとすると、アスマはうなずいた。


「そう、あなたも同じ毒を飲まされていた。それと気づかないうちに」


 あのとき突然襲ってきためまいと吐き気、指先のけいれん。なにかの発作のようにも思えたが、違ったのだ。ナナクサは無意識に胸をおさえた。

 アスマは「ここからは私とタケルちゃんの推理よ」と前置きしてから、話を続ける。


「微量な毒だったはず。でも何度も繰り返し服用すると、身体に蓄積され、そのうち体調を崩す。致死性の毒ではないけれど、身体の弱いあなたを殺すなら、そのほうが疑われずに済む」

「ですが、その侍女は命を落としたのでしょう。それなら、私も今頃死んでいるのでは?」

「彼女は、実験台にされていたのよ。あなたと同じ時期に、同じ量の毒を飲ませることで、いつ効果が現れるかを知るためにね。でも、最終的に彼女を殺したのは別の毒で、犯人も違う」


 アスマはすうっと息を吸い、言った。


「侍女を殺したのは皇后。でもそれまであなたに毒を飲ませていた人間は不明」


 少なくとも、実の母が娘の毒殺を企てたわけではないというのが、二人の見解のようだった。

 ナナクサは考える。

 皇后は外聞を非常に気にする性格で、実の娘が反逆者ともなれば、直情的に自ら手を下しそうなものだが、逆にいえば罪が確定しない間はむやみに動かないはずだ。なぜなら、タケルヒコやユズリハと並んで、民草の間でナナクサの人気は非常に高いと言えるからだ。温厚で慈悲深い皇太子に、美貌の六の姫、そして才知に富みあらゆる物事に知悉している一の姫。この三人の子が欠けるような事態は、皇后にとっては好ましくないのだ。


 アスマによれば、皇后が厨に立っているときに側にいたのがくだんの侍女だという。彼女は手伝うふりをし、皇后の目を盗んで汁物に毒を混ぜていた。だが、すでに毒に冒されて弱っていた彼女が、任務を無事に遂行できるはずもなく。

 誰かが自分の侍女を使って、一の姫の暗殺を企てていると知った皇后は、その侍女を問い詰めた。侍女は口を割らない。家族を人質にでも取られていたのかもしれない。結果、皇后は侍女を責め殺してしまった。裏で糸を引いていた誰かは、分からずじまいだ。


 タケルヒコはこの事件を知ってすぐ、ナナクサのもとへ走った。黒幕はみずからの正体の暴露を免れたが、ナナクサの毒殺に失敗したことになる。となれば、直接的に命を奪うことも考えるかもしれない。

 タケルヒコの勘は当たった。黒幕の行動は速く、すでに刺客をナナクサのもとに差し向けていた。寸前で助けられたから良かったものの、あと一歩でも遅ければ、タケルヒコが目にしたのは妹の亡骸であっただろう。

 もはや御所に安全な場所はない。そう判断したタケルヒコは、妹を連れて御所を出るという思い切った行動をとったのであった。


「皇太子である兄上が姿を消せば、御所は大騒ぎになります。私のせいで――」


 ナナクサの言葉に、アスマとタケルヒコは「そうではないわ」「違うぞ」とそろって首を振った。


「そなたを危険な御所から遠ざけたいというのは勿論ある。だがそれだけではない。たしかに、父上を支えねばならない時期に、私がいなくなることは、無責任だとなじられても仕方のないこと。非難は甘んじて受けよう」


 タケルヒコは一拍おき、「私は、北方大平原に赴こうと思う」と告げた。

 御者台にいる彼の顔は見えない。

 ナナクサははじめて、この兄のことが理解できないと思った。朱瑠アケルの皇太子が平原へ向かうなど、狼のすみかに羊が迷い込むようなものではないか。

 タケルヒコは続ける。


「私がこの国のために、御所でなしえたことはなんだろうか? 思い返してみると、あまりにも少ない。私の代わりなど、誰にでも務まるものなのだ」


 それに、と彼は言う。


「私は外の世界をよく知らぬ。いったい北方大平原で何が起き、何が北の民たちを駆り立てるのか……それを見極めねばならぬ」


 ナナクサはアスマを見た。彼は止めなかったのだろうか。彼の仕える皇太子が御所を出るということ、そしてその皇太子と行動をともにするということは、彼がこれまでに築き上げてきた地位をかなぐり捨てるに等しい。皇太子付き秘書官の官位は相当に高い。アスマの年齢を考えれば――彼の実家が力ある貴族であることを鑑みても――異例の出世と言えるだろう。仮に皇太子が姿を消したとしても、彼ならば別の役職に就くこともできるはずだ。


「タケルちゃんあっての私なのよ」


 アスマは微笑んだ。


「タケルちゃんは、私の個性を認めて、受け入れてくれる人なの。でも私は普段は堅苦しい、いかにも役人ですっていうかんじで過ごしている。それは世間を生き抜くための仮面でしかないわ。本当の私はもっと型破りで、自由なの。タケルちゃんと一緒に、御所を出てもいいと思えるくらいには。地位も大事だけど、もっと大事なものがあるってだけ。それを傲慢と言われたら、高笑いして認めてやるわ」


「ね?」とアスマはタケルヒコのほうを向く。タケルヒコも振り返り、にっこりと笑った。

 ナナクサは二人を交互に見比べる。ナナクサは、自分こそが兄の理解者だと思っていたが、兄が御所を飛び出すような思い切りの良さを発揮するとは思っていなかったし、まして平原に行こうと考えていることなど、思いも寄らなかった。

 それが少し悔しくもあったが、どこか清々しい気持ちにもなった。兄は、皇太子としては申し分ないが、無機質で固められた御所よりも、どちらかといえば人々が足をつけて生きる大地の上が似合う人だ。

 やがて馬車はある屋敷の前で止まった。

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