第19話 平原へ②

 夜、御所の片隅にある離れ。その一室で、ユウジュンは机に向かって筆を滑らせていた。無事に帝都ミハラに入ったことを城の父と、砦の兄に報せる手紙である。

 通信用の鷹を連れてきてはいたが、あくまでも非常用の手段であって、しかも内密に飛ばすためのものであったので、やましいことがあると疑われないためには、手紙は北へ向かう商人にでも託すしかない。朱瑠アケル側に検閲される可能性を考え、御所の内部のことを細かに書き記すのは控えた。よって、挨拶と報告だけの、実に手短な手紙となった。

 ユウジュンは手紙をくるくると筒状にまるめ、その上に蝋を垂らす。固まる前に指輪を外して押しつけ、しっかりと封印をほどこし、さらに固い革製の筒にいれた。

 そのとき、なにやら外が騒がしくなり、ややあって部屋の戸が叩かれる。


「ユウジュン殿下、いらっしゃいますか」


 その声は、たしか皇太子付きの秘書官のものだ。ユウジュンは立ち上がり、戸を開けた。


「夜分に申し訳ございません」


 秘書官は深々と頭を下げながら言う。その後ろではせわしなく下官が走り回っているのが見える。


「火急の用ですゆえ、今すぐ北斗宮ほくとのみやまでお越し願えますか」


 どうやらただならぬことが起こったらしい。こんな時間に呼び出すとは。ユウジュンは顔つきを引き締め、「分かった、すぐに向かう」とうなずいた。

 外套を羽織って外に出る。ここから北斗宮ほくとのみやまでは少し距離があるので、ユウジュンは早足で回廊を急いだ。途中、六の姫の住まいである花咲宮はなさきのみやの前を通りかかる。すると、その庭先にユズリハが佇んでいるのが目に入った。


 彼女の宮は、冬の季節でも花が絶えることがない。ちょうど姫の足下には、水仙が叢雲むらくものように咲き乱れている。加えて月明かりに照らされた少女の姿は、まるで天より舞い降りた仙女のように、幻想的であった。

 ユウジュンの足は止まっていた。姫が自分に気がつかないかと、あるいは声を掛けたいという思いがわき上がる。だが、ここで彼女と言葉を交わせば、北斗宮ほくとのみやに行くのが遅れてしまうことはわかりきっていた。

 ユウジュンは視線を六の姫から引き剥がし、再び道を急いだ。


 かくして北斗宮ほくとのみやに、対螞弖仆ばていふ同盟会議の主要な面々が集まった。すでに室内には明かりが灯されていたが、下官たちがまだ明るさが足りぬとばかりに、蝋燭をかき集めては火を灯している。ユウジュンはまぶしさに一瞬、目を細めた。

 一番最後に帝が玉座につき、皇太子タケルヒコは全員がそろったことを確認すると、「かような時間にお呼び立てし、申し訳ありません」と詫びた。


「短刀直入に申し上げますと、北原将軍鞍打柔志あんだじゅうし率いる嗎吧姈まはれい族が、螞弖仆ばていふ族の軍勢に破れ、壊滅したのです」


 皇太子の言葉にその場は一瞬静まりかえり、一拍後、騒然となった。平原の覇者、鞍打柔志あんだじゅうしが負けた?


「その知らせはどこから?」


 問うたのはミズワケである。タケルヒコは叔父のほうを向き、答えた。


「北の国境を守る砦に、戦場を落ち延びてきた嗎吧姈まはれい族の戦士が辿り着いたのです」


 砦と聞いて、ユウジュンはイルファン大公国と平原の間に築かれた大北壁のことかと思ったが、すぐにそうではないと思い直した。そうであれば真っ先に自分のもとに知らせがくるはずだからだ。皇太子が言っているのは、天然の要塞である〝神々の峰〟の切れ目を塞ぐようにして築かれた砦のことだ。三年前、銀の谷にバディブリヤ氏族が侵攻したとき、この砦は突破されている。イルファンの砦の堅牢さには遠く及ばないものであった。


「守備兵の中に平原の言葉が分かる者がおりましたので、聞き取りをしたところ、鞍打柔志あんだじゅうしは行方不明、戦士たちの多くが無残に殺されたとか」


 それを聞いた皆の視線が一箇所に集まる。

 嗎吧姈まはれい族の使者としてこの場にいるゾラは、にわかに注目を集めたことで、かすかにみじろぎした。主君が敵に敗れ、行方もようとして知れないとあり、彼の顔色はすでに失われている。

 彼が何を言うのか、皆が注目した。


「陛下、ならびに皇太子殿下にお願いしたい」


 ゾラが口を開く。


「我が氏族は長年にわたり、貴国と友好関係を築いてきた。北方の防衛に関しては、我々が果たしてきた役割は小さくないはず。言うなれば、貴国は我が氏族に借りがある」


 その場が一気にざわめきだした。ゾラは続ける。


「その見返りを今、求めたとしても、貴国には断る理由はない」


 彼はきっぱりと断言した。


「見返りに望むものとは」


 皇太子が問うと、ゾラはゆっくりと強調するように、その言葉を口にした。

「我が主君、鞍打柔志あんだじゅうしの捜索。そして、生き残った嗎吧姈まはれい族戦士の、朱瑠アケルへの亡命を」


 嗎吧姈族の戦士たちは、運良く生き残ったとしても、今や散り散りになり、軍としての機能を完全に失った。このままでは残党狩りによって、むざむざと殺されてしまうだろう。


「よかろう」


 応諾したのは帝だった。しかしゾラは「それだけでは足りません」と首を振った。


「陛下の真名にかけて、誓っていただきたい」


 その言葉に、場は騒然となった。「不敬な!」と口角から泡を飛ばし怒鳴る者もいる。皇族の真名は禁忌中の禁忌であり、魂そのものといってよいのだから、当然の反応といえた。だが、ゾラの目は揺らがなかった。

 帝はしばし沈黙し、玉座からじっとゾラを見つめていた。やがて短く息を吐くと、立ち上がる。


「分かった。朕の真名にかけて誓おう」


 まさに前代未聞であった。タケルヒコは、父帝の宣言に大きく目を見開き、思わず「父上!」と声を上げる。

 帝は皇太子を見返し、言った。


嗎吧姈まはれい族が、長年の間、盾となり矛となり、北方の脅威から我が国を守ってきたことは事実である」

「英明なる陛下に、感謝を」


 ゾラは帝に対しひざまずき、最大限の謝意を示した。その拍子に、襟元から何かがこぼれ落ち、カシャンと金属音を立てる。

 床の上できらりと光を反射しているそれは、銀製の首飾りのようだった。鎖が切れて落ちたらしい。ゾラは慌ててそれを拾おうとし、勢い余ってはじいてしまう。首飾りはユウジュンの足下にまで滑った。

 ユウジュンはそれを拾い上げ、なんとなしに眺める。


 変わった意匠だ。嗎吧姈まはれい――マハリリヤ氏族の守り神である蛇がとぐろを巻いた格好を模したものだが、ところどころに関節のようなものがついている。と、ユウジュンがその関節に触れた瞬間、そのつなぎ目がくるりと回転し、蛇が形そのものを変えた。

 ユウジュンの手の中に、獰猛に牙を剥く狼の像が現れた。


「これは」


 ユウジュンは硬直した。これは、あの氏族の紋章ではないか?


「なぜ、貴殿がこれを――バディブの紋章を?」

 思わずゾラを見返すと、彼はゆっくりと立ち上がったところだった。ユウジュンは狼を握りしめ、つかつかと詰め寄った。


「その首飾りが一体どうしたというのだ。たかが飾りであろう」


 不思議そうな顔で言うのはアキツキだった。恐らくこの場にいる者で、ユウジュンだけがことの重大さを理解していた。なぜなら、朱瑠アケル人は平原の民を正しい名で呼ばないのだから!


「やれやれ」


 ゾラが苦笑を浮かべ、ユウジュンに一歩近づいた。


「公子様にはかなわないな」


 ユウジュンの首筋にチクリとした痛みが走った。次の瞬間、足の力が抜け、がっくりと床に膝をつく。


「ゾラ殿! 一体なにをするのです!」


 タケルヒコの叫びが聞こえる。ユウジュンの身体はしびれて脱力していた。それでもかろうじて首に手をやると、細い針が突き立っているのが分かった。

 ユウジュンは口を開いた。だが、息が漏れるばかりで声が出ない。ゾラは無感情にこちらを見下ろしている。と、彼はいかにも自然な仕草で袖を振った。

 袖口から転がり出た小さな球が、いくつも床の上に散らばった。ひとつはユウジュンのすぐ側に転がってくる。そして、それが何なのか認識したときにはすでに遅かった。

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