第18話 平原へ①

ミリが目覚めると、馬上であった。


「お目覚めかい」

「ここは!?」


 ミリは、みずからの身体が縛られていることに気がつき、ぞっとした。


「ちなみに、あれからまる一日以上経ってるぜ。よく眠ってたな」


 まあ眠らせたのはおいらだけど、とゾラは言う。ミリははっとした。あの苦いお茶。


「……あのお茶に、なにか入ってたのね。それで私を誘拐したってわけ!」


 ミリは暴れた。馬が驚いていななき、後足で立ち上がる。


「おっと!」


 ゾラは馬をなだめ、落馬しそうになったミリを引き寄せた。


「そう暴れなさんな。落ちたらどうする。まったく……」


 彼は言いながら、あっさり縄をほどく。どうやらミリが眠ったまま馬から落ちないように、彼の身体に固定していただけだったらしい。

 ミリの憤慨に満ちた表情を見て、ゾラは頬を掻く。


「いやあ、すまんすまん。返事を聞くとは言ったが、どちらにしろあんたのことは連れて行くつもりだったんだ」

「だとしても、急すぎる!」

「ちょいと予定が早まってな。急いであの宿を出ないといけなかったのさ」

「テルは?」

「勿論、置いてきたさ。あの怪我じゃあしばらくは動けない」

「きっと今頃、いなくなった私を心配しているわ」

「そうかもな。だが、どうにもならない。おいらとしちゃ、あんたを連れて行くのは予定通りだったから、いいんだけどさ。飯食う?」


 ゾラが差し出してくる包みから、ミリは顔を背けた。


「ここから急激に冷えてくるから、食わないときついぜ」


 そのとき、ミリの腹が情けない音を立てた。ゾラは笑わなかったが、無言で包みをほどいてみせた。


「食ったことあるだろ。ほら、ミヤム(小麦粉に発酵した乳を練り込んで羊の脂で揚げた携帯食)だ」


 ゾラはミヤムを半分に割り、片方を口にいれてみせた。


「これには怪しいものは入ってねえよ」


 手に押しつけられて、ミリは不承不承ながら一口かじった。発酵した乳の酸味と小麦の香ばしい香りが鼻孔をくすぐり、気付けばミヤムはすぐに胃袋の中に消えてしまった。

 屈辱である。ミリはきっとゾラを睨んだ。


「私を帰して。なんならここで下ろしてくれて構わない。歩いてでも帰る」

「帰って、どうするんだい」

「テルのところに戻るの」

「戻る? 向こうが再会を望んでいると思うのかい?」


 ミリは眉根を寄せた。


「どういう意味?」

「考えてもみるんだ」


 ゾラはミヤムを咀嚼しながら言う。


「やっこさんは、見ず知らずのあんたを引き取って、三年も育てた。人をひとり育てるってのは並大抵の苦労じゃない。それに、あんたを守ろうとして大怪我も負った。これ以上関わりたくないと思うんじゃないか?」


 ミリは腹を立て、馬から飛び降りた。


「あなたは何も知らないから、そんなことが言えるのよ」


 ゾラに背を向け、もと来た方向に歩き始めたミリは、あることに気がついた。

 平らな大地の向こうに見える、雄大な峰々。龍の背のような山頂は白雪の冠をかぶり、その下の岩肌は青くかすんでいる。天気が良いせいか、森林限界の境目までがくっきりと見えた。あれは。


「もしかして〝神々の峰〟……!?」


 朱瑠アケルと北方大平原を隔てる山脈である。それがはるか後方にあるということは、ここは既に平原なのだ。

「たった一日で、帝都からここまで」


 そんな馬鹿な。

 ゾラがパカパカと近づいてくる。


「ここから帝都に歩いて戻るのは、大変だと思うけどね。おいらの馬ならともかく、あんたの足で何日かかることやら」


 ゾラは馬上からミリを見下ろした。


「風が強くなってきたな」


 二人の金髪がたてがみのように巻き上げられる。


 その時、二人の脇に矢が突き立った。


「うわ」


 ゾラは後方に目をやり、まずいという顔をした。


「イルファンの奴らだ。参ったな」

「イルファン……イルファン大公国?」

「そうそう、それそれ」


 ゾラはミリを馬上に引き上げた。

朱瑠アケルとイルファンは同盟を結んでる。おいらを捕らえるために、国境の傭兵団に命令を出したんだろう」

「どういうこと?」

「とにかく逃げるぞ」

「ちょっと!」


 ゾラの馬は命令されるまでもなく、北にむかって駆け出した。ミリは鞍にしがみつく。

 走り始めてすぐに、この馬とその乗り手が只者ではないことを悟った。二人も騎乗しているにもかかわらず、まるで大地を吹き抜ける疾風のごとく、速い。どんな駿馬ならば、これほどの速度を出せるのか。一日で帝都を脱出しここまで至るのも、この男ならば不可能ではないのかもしれない。


 追っ手は騎乗した者たちが十名ほど。二人の後方に、黒い影のように見えている。


「イルファンの傭兵は練度が高いからなあ。流石のおいらでも振り切れるかな」


 この男は、馬の速度だけで彼らを引き離すつもりなのだ。相手は武器を持っている。追いつかれたら、ただではすまないだろう。

 ゾラは鞍の脇に固定してあった矢と弓を取り、つがえると、振り返って背後に牽制の矢を射た。

 ミリは口を開こうとしたが、舌を噛みそうなので、断念した。さきほどの「捕らえる」という発言の真意を問いただしたかったのだが。


 背後の集団から、一騎が素晴らしい速度で飛び出してきた。見事な体躯の黒鹿毛の馬で、乗り手は若者。ゾラは振り返り、「げっ」と眉を寄せる。


「イルファンの第二公子様だ。これはいよいよまずいぞ」


 大公国が第二公子、ユウジュンである。帝都にいるはずの彼が何故この場にいるのか、少し時を遡る必要があろう。

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