第54話 呪いと妄執①

「その後、俺は人知れず人買いに引き渡され、あちこちを転々としたが、最終的にバディブリヤ氏族の族長に買われ、息子として育てられた」


 ゼヌベクはふうと息をついた。


「ミズワケは狙い通り、テルナミ兄上を失脚させ、ツキヒナ兄上を傀儡にし、俺を厄介払いした。だが誤算もあった。ひとつは〝神子返し〟されたはずの一の君が、帝によって生かされたこと。そして、俺が実は〝白痴〟ではなく、ただの成長がゆっくりな子どもで、当時のことを説明できるだけの記憶力を持ち合わせていたということだ」


 しんとその場は静まりかえった。


「待ってください」


 声を上げたのはナナクサだった。


「ミズワケ叔父上が、恐ろしい策略によって、テルナミ様やツキヒナ様、ハルギク様を陥れたことは分かりました。ですが、ハルギク様が居合わせていない現場の状況――つまりツキヒナ様が傀儡にされたときのことがどうして分かるのですか?」

「調べた」


 ゾラが口を開いた。


「ミズワケは、ゼヌベク様の正体がハルギクだとは思いも寄らない。だからバディブリヤ氏族と手を組めた。アンダム・ジュスルの使者、そしてバディブリヤ氏族の間諜として御所にいたおいらは、ミズワケと取引をするついでに、これ幸いと奴のことを探らせてもらったのさ。すると出てくる出てくる、真名と、魂を縛る方法について調べた形跡がな」

「……テル、大丈夫?」


 心配そうな表情でのぞき込まれたテルは、「大丈夫だよ」と答える余裕すら失っていた。心臓がさっきから嫌な音をたてているし、脂汗が止まらない。そして、身体の内側が燃えるように熱い。テルの感情の高ぶりに呼応して、呪いが暴走しようとしているのだ。

 ミズワケがテルの本当の性別を知るはずもない。だが、彼にとって、テルが男だろうが女だろうが関係ないのだ。ツキヒナをそそのかすために、「テルナミは男だ」と言ったところで、誰にも正解は分からないのだから。そうやってツキヒナの心の隙を突いたのだ!


 テルは、今すぐ誰かが自分を縛りあげてくれないかと願った。そうでもしなければ、怒りのままに、周囲を破壊しつくそうとするだろう。

 動けず、口もきけないでいるテルを見たミリは、一度席を立ち、ドゥーランガを手に戻ってきた。さらわれたときに一緒に持ってきて、天幕に置き去りにされたままになっていたのだ。


 てん、ててん、ててん、ててん……


 弦をつま弾きながら、ミリは『怒れる王子の伝説』を歌い始めた……。


 ゼヌベクとゾラはこの曲になじみがある。平原には、かつて存在した勇猛果敢にして最強の氏族の言い伝えとともに、『怒れる王子の伝説』が戯曲として口伝されているからだ。だが、ダーロゥやユウジュン、朱瑠アケルの面々は初めて聞く曲である。


「――少女、王子に言いにけり。名をば、マゥタリヤと名乗りたまえと――」


「マゥタリヤ? マゥタリヤだって?」


 テルがようやく口を開いた。ミリは弾くのをやめ、「どうかしたの」と首をかしげる。

 テルはすー……っと息を吸い、はー……っと長く吐く。いくぶん落ち着いたようだ。


「マゥタリヤ氏族は、私たちの先祖だ」


 テルの言葉に、一同は驚愕して顔を見合わせた。ただ一人冷静な表情のゼヌベクは、「私たち、というのは、ここにいる、皇室の血を引く者たちのことか?」と問う。


「いや」


 テルは首を振った。


「正しくは、アカサギ家の血を引く者だ」

「ええっ」


 のけぞったのはアスマだった。


「ということは、私も? どういうことなの?」

「〝暗黒年間〟……アカサギ家……マゥタリヤ……」


 ナナクサがつぶやく。


「もしかして、かつて朱瑠アケルを攻め、都を支配したのは、マゥタリヤ氏族なのではありませんか?」

「そうだ」


 ゾラがうなずいた。


「平原じゃあ、そのへんは常識だな。いわゆる暗黒年間のときの族長、セゥル・タハン・マゥタリヤは英雄としてあがめられているぜ。その強さにあやかりたくて、子にセルって名前をつける奴もいる」

「セル? セゥルではなく?」


 ナナクサの疑問ももっともだと、ゾラはうなずき、ミリを見た。


「お嬢さん、さっきの歌の続きを歌っておくれよ」


 ドゥーランガを構え直したミリは、言われるがままに歌い出した。


「――マゥタリヤ。そは何を意味するものぞ、と王子が問えば、少女答えにけり。マゥタリヤ。そは大いなる目を隠し持つ鷹の氏族なり、と。王子、されば汝を我がともがらとせん、とのたまいて、少女の手をとり、この地を平らげんとす――」


 てん……と最後の余韻が消えたとき、ナナクサは「分かりました」と神妙にうなずいた。


「古代平原語の独特な文法です」


 ナナクサが「書くものを」と言うと、ゾラがさっと羊皮紙とペンを差し出す。受け取ったナナクサはさらさらと流麗な筆致で、平原語を書き出した。


「『大いなる目を隠し持つ鷹の氏族』をごく普通に記せば、『マヴァイカウタリヤ』となります。『大いなる』が『マ』、『隠す』が『ヴァイカ』――『隠された』を意味する『ヴィカ』を動詞に変形したものですね――そして『目』が『ウ』、『鷹』が『タ』、『氏族』は『リヤ』。ですが、ここでは『隠された目』が『ヴァイカウ』ではなく、『ゥ』という一音になっています。」


「さらに、『セゥル』という名にも『ゥ』という音が入っている。しかし『セゥル』も『セル」も、発音したところで、音はほとんど一緒です。『ゥ』の部分がほとんど主張しない。つまり、『隠された』という意味の部分が、そのまま発音に反映されている。隠すべきものだから、声に出すことをはばかって、ほとんど発音しないのです。そして、主となる単語の中に隠すように配されるという、他の言語には見られない用法を持ちます」


「『セゥル』は人名ですが、意味するところは『目を隠し持つセル』……人名の中に人名が入っているという入れ子式になっていますね。恐らく『セゥル』は、もともとの名を『セル』というのではないでしょうか」


 滔々と語ったナナクサは、ぐるりと一同を見渡した。


「その用法はあまりにも不便だ」


 言ったのはダーロゥだ。ダーロゥは癒えていない傷の痛みに顔をしかめながら、意見した。


「『目』……つまり『ウ』という単語が短く、しかも母音であるから、その用法が通用する。しかし、仮に『隠された子蛇ヴィカ・チャハリ』を同じように言い換えるとどうなる。小声で『チャハリ』と言うのか?」


「そう、とても不便なのです」


 ナナクサは同意した。


「この用法は限られた単語にしか使えないでしょう。だから『隠すヴァイカ』『隠されたヴィカ』といった単語が生まれ、使用されるようになった」

「それまで平原の民は『隠す』という単語を使わなかったと?」

「同じ『隠す』という意味を持つ『コンス』という単語があります。一般的にはこちらが使われるはずです。『隠すヴァイカ』はどちらかというと、隠蔽するだとか、守り隠す、そういう意味合いが強いのでは」


 ダーロゥは「ふむ」とうなずいた。


「たしかに、言われてみればそうかもしれない。我々は古代平原語にはそこまで詳しくはないが、平原の民と交流するときに使うのは『隠すコンス』のほうだな」

「いやはや、お見事だね」


 ゾラがパチパチと拍手した。


「『セゥル』にあやかって『セル』という名前がつけられる理由は、単純な話だ。そいつらは『目』を持っていないからさ」


 タケルヒコが「さきほどから気になっていたのだが」と声を上げる。


「その『目』とは、いったい何なのだ」

「千里眼のことさ」


 さらりとゾラは言った。テルが弾かれたように顔を上げる。


「言い伝えだけどな、セゥル・タハン・マゥタリヤは、その千里眼で、敵の陣地もなにもかも、丸見えだったっていうぜ。だから、朱瑠アケルの都を攻め落とすことができた。そして、その力は、セゥルの時代からまた遡り、『怒れる王子カゼハヤ』から受け継がれたものだ。カゼハヤ王子は、マゥタリヤ氏族の始祖だからな。さっきの歌にあっただろ、王子は精霊と契約して力を得たと」


 そのとき、不意にテルがくっくっく……と肩をふるわせて笑い出した。周囲の者はみなびっくりして目を丸くする。


「こんなところに、答えがあったなんて――」


 テルはつぶやくと、天を仰いだ。ミリがはっとしたように言う。


「もしかして、分かったの? 呪いを解く方法が!」

「呪い?」


 タケルヒコとナナクサはきょとんとした。

 テルはひとしきり笑ったあと、きょうだいたちを見た。


「カゼハヤ王子が交わし、セゥルが受け継いだ、精霊との契約のことだよ。――あれは、この私にも受け継がれている」

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