第55話 呪いと妄執②

 その言葉に、その場はざわめいた。テルは皆が静まるのを待つと、続ける。


「どうしてアカサギ家の血を引く者が、マゥタリヤ氏族の子孫になるのかという話に戻すと――都を落としたセゥルが、王家によって討たれたときに、その子どもがアカサギ家によって密かに保護され、マゥタリヤの血筋がアカサギ家に継承されたからなんだ。呪いごとね」


 タケルヒコは瞠目してテルの話を聞いていたが、暗黒年間においてアカサギ家とマゥタリヤ氏族の血が交わったことをいち早く察していたナナクサは、得心したようにうなずいた。

 テルは続ける。


「マゥタリヤ氏族の、そして呪いの始祖となったカゼハヤは、国を追われた王子だった。彼の望みは、自身が正当な王として玉座に座ること。そのためにすべてを捧げた。もし彼が望みを達成できないときは、子孫がその役割を果たすようにと」


 ナナクサが言う。


「そして、子孫であるセゥルは、あと一歩というところまでいったのですね。都を落とし、王位を簒奪すれば……」

「恐らく、玉座につくことが、呪いを解く方法なんだ。だがセゥルは失敗した。だから、呪いを受け継いだ子どもは、違う方法を選んだ。有力貴族のアカサギ家の一員となり、呪いを受け継いだ子孫を宮中に送って妃とする。そしてそのまた子どもが呪いを受け継ぎ、玉座も受け継げば……」

「呪いが解ける」


 ゼヌベクが言った。


「つまり、母上から俺たちきょうだいの誰かが呪いを受け継ぎ、皇太子となって、いずれ帝となれば、呪いは終わるはずだったのだ」

「それを台無しにしたのが、ミズワケ叔父上の陰謀――彼は知っていたのだろうか」

「奴は知らん」


 ゾラが断言する。


「千里眼だなんて、いかにも奴が興味を持ちそうなものだ。あわよくばその力を奪おうとしたか、呪いを三きょうだいの誰かに受け継がせたあとで傀儡にしただろうよ。だがそうなっていない」

「俺は、テルナミ兄上が、母上から呪いを受け継いだことを知っていた」


 おもむろにゼヌベクが言った。


「母上が死んだとき、その亡骸から黒いもやが出て、兄上の身体に吸い込まれるのを見た。そして、そのもやの欠片が、俺の身体の中にも入っている」


 するとゼヌベクの身体から黒い煙が立ち上り、彼の背後で人型になった。突然の出来事に、他の者は椅子から腰を浮かす。

 その黒い影は、男だった。品のある顔立ちにはどこか悲愴な雰囲気が漂い、しかしながら彼から漂ってくるのは猛烈な怒りの気配だった。

 影はぐるりと視線を巡らし、その目をテルに留めた。途端に、テルの身体がかっと熱くなり、その身から分離するようにセゥルが現れる。


「ええ? なんなの、これは」


 天幕の中に佇む二体の影。アスマが怯えたようにタケルヒコの後ろに隠れ、ナナクサもまた兄の袖をにぎった。ダーロゥは顔つきを険しくし、ユウジュンはひそかに剣の柄を握った。ゾラは軽く眉を上げ、ミリはテルに寄り添った。


『我が先祖、カゼハヤよ』


 セゥルが口を開いた。


『すでに呪いに食われた身でありながら、その妄執ゆえに思念を別の器に移すとは』


 カゼハヤは口の端に歪んだ笑みを浮かべ、答えた。


『私の願いをついぞ遂げられぬ、不肖の子孫セゥルよ。そなたの器は不完全だ。祝福されし精霊との契約を、あろうことか呪いだと断じ、身を明け渡すことを拒んでいる』


 セゥルはカゼハヤを正面から見据える。


『破壊と死をもたらす祝福など、呪いと変わらぬ。我々一族は、あなたの呪いに苦しみ、その恨みに取り憑かれ、人々に数多くの悲しみを振りまいてきた』


 カゼハヤは『ふっ』と短く冷たい息を吐いた。


『破壊と死こそ、人間の本質。私は国を追われたときに、そのことを思い知らされた。そなたこそ、破壊がもたらす快楽に溺れ、死の運び手となることに喜びを見いだしていたではないか』


 セゥルは苦しげな表情を浮かべた。


『私は確かに、破滅を至上の喜びとした。だが私の子が、希望の糸を子孫に繋いだのだ。争いなく、あなたの願いを聞き届けられるようにと』

『それも失敗したがな』


 その言葉にテルはぐっと唇を噛んだ。

 カゼハヤはゼヌベクの肩に手を置く。


『そこなテルナミが器としてふさわしくないことは分かっていた。だから私は、新たな器を選んだのだ』


 セゥルはぐっと顎を引いた。


『カゼハヤよ、あなたはただの思念に過ぎない。呪いの核は、変わらずこのテルナミが持っている。あなたにはどうすることもできないだろう』


 すると、カゼハヤは余裕のある表情で告げる。


『その者は、今や精霊が与えた力を、ほとんど使うことができるのだろう。怪力に千里眼……だが、未だにひとつ、使えぬ力があるはずだ』


 言われ、セゥルはテルに目を向けた。


『なるほど……恐怖を消し去る力か……』


 セゥルは沈痛な面持ちで言った。


『よりにもよって、その能力が思念ごと分離していたとは』


 ミリは思い出した。大北壁を襲った戦士たちの異様な戦いぶりを。同じことを思ったのか、二人の公子も剣呑な表情になる。


「そうだ、俺がその力を使い、死をも恐れぬ戦士たちを作り上げた」


 ゼヌベクが言った。テルは弟を見つめ、「なぜそんなことを」とつぶやいた。


「俺は、この平原を統一する。そして、朱瑠アケルを滅ぼす」


 ゼヌベクは、それが使命であるかのように言った。


「呪いを解くためではない。俺や、兄上たちを陥れた者どもの国など、滅べば良いと思うだけだ。そのためなら、呪いだろうが祝福だろうが利用する」


朱瑠アケルは滅びぬ」


 立ち上がったのはタケルヒコだった。


「私はあなたと話がしたいと思っていた。ハルギク兄上――いや、族長ゼヌベクよ。平原の民と朱瑠アケルがなぜ解り合えぬのか、両者がともに平和に過ごしていく術はないのか――。だが、もしあなたの私怨だけが理由だというのなら……」


 タケルヒコの両手はきつくにぎられていた。ゼヌベクは幼子を見るような表情を浮かべて言う。


「俺の私怨は、いわばたき火をつくるための火種のようなもので、きっかけに過ぎん。朱瑠アケルという大国を攻めることは、太古の時代から、平原の民の憧れであり、名を挙げる手段なのだ。朱瑠アケルは昔から、平原を未開の地と蔑み、民たちを化外の者として貶めてきた。奴隷商は平原の民をさらい、朱瑠アケルに売る。ゆえに平原の民の憎悪は深く、朱瑠アケルを倒すことは、平原においては正義に等しいのだ。俺は平原の期待を背負っている。逆に、マハリリヤ氏族のアンダム・ジュスルは、平原では蛇蝎のごとく嫌われていた。『北原将軍』という称号を得る代わりに朱瑠アケルに膝を折ったからな」


 その言葉に、ミリが顔を上げてゾラを見た。


「だから、裏切ったの? 父さんを」


 ゾラは首を振る。


「別に、それが理由じゃねえよ。おいらは個人主義だから、民族だの国だのに興味はねえし。……理由なんかきいてどうする。おいらがわけを話したところで、奴が平原のどこかに骸を晒していることには変わりねえ。どうしても知りたきゃ、地面にでも訊いてみな」


 ゾラはやや冷たく突き放した。彼にとって、裏切りの理由は触れられたくない話題のようだ。

 タケルヒコは、ゾラが間諜だと判明する直前、帝にアンダム・ジュスルの捜索を誓わせたことを思い出していた。だが、今の彼の言い様からして、そのときにはすでに北原将軍は落命している。つまり、元主君の安否など本当は眼中になく、マハリリヤ氏族の使者を装う上での演出に過ぎなかったということだ。


 一族を裏切ったゾラといい、人の心から感情の一種を奪うゼヌベクといい、己が対峙する者たちの冷徹さに、タケルヒコは唖然とするほかなかった。彼らは人というものを信じていないのだ。タケルヒコは、妹のナナクサやユズリハ、腹心の部下で親友でもあるアスマ、それに宮中で彼をとりまく者たちを心の底から信じ、彼らの支えがあっての自分だと思っていた。彼は裏切りにあったことがなかったゆえに――このたびミズワケの陰謀が判明したものの――今までは真綿でくるまれていたのだということを今更ながら思い知った。世界には暗く冷たい場所があり、そこを歩く者たちの強さは、タケルヒコには持ち得ないものであった。 だが、彼には祖国を守るという使命がある。和解ができないのであれば。


「族長ゼヌベク。私はあなたに決闘を申し込む」

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