第56話 呪いと妄執③

 タケルヒコの言葉に、ゼヌベクは面白いといった様子で眉を上げた。


「良いのか? 俺たちは仮にもきょうだいだ。朱瑠アケルを攻めるにしても、お前たちのことは助命してやろうと考えていたが。はるばるここまでやってきたことへの、見返りくらいはくれてやろうとな」


 タケルヒコは首を横に振った。


「情けは無用。私は死ぬ覚悟で平原へ足を踏み入れたのだ。ここが、命の賭けどころというものだろう」


 ゼヌベクは愉快そうに声を上げて笑った。


「いいだろう。俺を殺して、食い止めてみせろ」


 ゼヌベクの背後で、カゼハヤが怒気を発した。


『簒奪者の血を引く者よ、そなたが偽りの後継者であることを知るがいい』


 カゼハヤ王子は腹違いの弟に敗北し、国を追われた。その弟の血筋が、今の皇族である。

 セゥルがテルを見下ろして言った。


『カゼハヤ王子とその弟、両方の血を継ぐ君たちきょうだいの誰かが後継者となっていたら、王子の怒りも呪いも収まったことだろう。長く続いた呪いの系譜を断ち切る、和解と希望の象徴となったはずだ。だが、そうはならなかった。それもまた運命だったのだろうか』


 テルは目を伏せる。


「私はもう一の君でも皇族でもテルナミでもない。あのときの私はもう死んだんだ。過ぎたことはもうどうにもならない。だけど、これからの時代を作っていくのはタケルヒコでありハルギクだ。二人がぶつかり合うのなら、私はそれを見届けようと思う」

『……そうか』


 セゥルは静かにうなずくと、すうっとテルの中に戻っていった。同じくカゼハヤも、揺らめきながらゼヌベクの身体の中に帰っていった。


「さて」


 ゼヌベクが身を乗り出した。


「決闘だが、三日後の正午に行う」

「三日後?」


「そうだ。朱瑠アケルと平原の未来がかかっておるのだ。観客が必要だろう? 平原中から人を集めてやろう」


 ゼヌベクは無邪気に笑った。この男は、命がかかった決闘でさえも、愉快な催しのひとつとして捉えている。それだけ、己の勝利を確信しているということだ。


「分かった」


 タケルヒコはぐっと奥歯を噛みしめ、うなずいた。


「お前たちは見届け人だ」


 ゼヌベクはダーロゥとユウジュンを指さした。


「第二公子とは一度腕試しをしたかったが――まあそれはいずれ叶うだろう」


 二人に公子は顔つきを険しくする。タケルヒコとの決闘で、もしゼヌベクが勝利すれば、次はユウジュンに勝負を仕掛けるに違いない。

 タケルヒコが負け、ユウジュンも敗れれば。バディブリヤ氏族にとっては敵対するふたつの国の皇太子と公子を同時に屠ることができるだけでなく、その武勇が大陸中に広まることになる。まさにここで、時代の趨勢が決まろうとしているのだ。

 ユウジュンはちらりとタケルヒコを見た。この皇太子の武術の腕がいかほどなのか知らない。仮にも皇族、決して素人ではないだろうが、戦場の経験のあるユウジュンや、ゼヌベクと比べて、いったいどれほどのものか。


「決闘までの間、軍営でゆっくり英気を養うがよかろう」


 ゼヌベクは言った。


*   *   *


 三日後、軍営には決闘の見物に他氏族の戦士たちが詰めかけた。


 朱瑠アケルの皇太子が平原に来ているらしい。そして、バディブリヤ氏族の族長ゼヌベクと、未来を賭けた決闘をするそうだ。これを見ない手はない!と。


 決闘が行われる広場には観覧席が設けられ、テルやミリ、ナナクサ、アスマ、ダーロゥとユウジュンが腰掛けた。

 銅鑼が鳴り響き、広場に姿を現わすゼヌベクとタケルヒコ。両者は向かい合い、その間に審判を務めるゾラが立った。


「両者、一礼を」


 ゾラの言葉に、二人はすっと頭を下げる。


 顔を上げたとき、ゼヌベクの顔には薄く笑みが浮かんでいた。タケルヒコは唇を引き結び、真正面から彼を見据える。


「構え」


 二人は互いに剣を向け合った。タケルヒコは自身の意識が切っ先に集中するのを感じる。周囲から痛いほどの視線に晒されるなか、皇太子の脳内はしんと静まりかえっていた。まるで山奥に隠された一筋の細い滝のように、あるいは冬の凍てついた湖のように……。


「はじめっ!!」


 かけ声とともに、両者が動く。

 タケルヒコの目には、それは白い雷光のように見えた。ゼヌベクは一瞬の間に間合いを詰め、剣を突き出した。


 速い!


 刃が己の身に届く寸前に、剣で受け止めるタケルヒコ。腕に伝わってくる衝撃は尋常ではなく、ビリビリとしびれる。肩まで持っていかれそうだ。

 しかし、皇太子はひるまなかった。間合いを詰められたまま、今度は彼の方から剣を繰り出す。刃と刃のぶつかり合う甲高い音が広場に響いた。


 二人の剣が絡み合い、擦れ合い、弾き合う。周囲で見守る群衆は、「おお!」「そこだ!」「やれ!」などと言いながら熱狂した。

 タケルヒコはもはや思考を手放していた。次に相手がどのような攻撃をしてくるか、考えていたら動作が遅れる。ゼヌベクの動きはまったく予想がつかなかった。タケルヒコが皇族に伝わる由緒正しい剣術を用いるのに対し、ゼヌベクのそれは我流なのだろう。


「実に美しい剣技」


 ゼヌベクが言った。


「まるで、かつてのテルナミ兄上を見ているかのようだ」


 二人の剣の軌跡が、白い半月状に弧を描く。


「だが、兄上はもっと美しかった」


 タケルヒコの脳裏に、一の君が御所の庭園で舞う光景がひらめいた。幼い頃の記憶の断片。


 ごほっとタケルヒコは血を吐いた。気がつけば、胴のあたりを深く斬られていた。

 わあっと見物人たちが沸いた。そのあまりのうるささに、耳がキンとなる。タケルヒコは剣を取り落とし、仰向けに倒れ込んだ。


「兄上!」

「タケルちゃん!」


 ナナクサとアスマがタケルヒコに駆け寄る。

 テルも立ち上がり、弟たちの勝負の決着がついたことを見て取った。

 ゼヌベクの勝ちだ。


 そのとき、どんっと地面が揺れた。


「なんだ?」

「あれを見ろ!」


 ざわめき出す群衆が指さす先は、精霊の胎ナアベ・モイ。今、その山頂が赤く染まり、もくもくと黒煙が立ち上っていた。

 ミリは、地面がなにか言いたそうにしていることに気がついた。


「なに?」


 悪神の目覚め……


 悪神からの授かり物、還すとき……


 悪神の子、只人に戻りたくば……


 ミリははっと息を飲み、精霊の胎ナアベ・モイとテルを交互に見た。


「テル」


 ミリはテルの袖を引く。


「私たち、行かなきゃ」


 テルは怪訝な顔をした。


「行かなきゃって、どこに」


 ミリはテルの耳にそっとささやく。それを聞いたテルの顔色が変わった。


「分かった。行ってみよう」


 二人がその場をそっと抜け出したことに、誰も気づかない。ただひとり、ゼヌベクを除いて。

 ゼヌベクは馬で駆け去って行く二人を見て、すっと目を細めた。やがて、テルとミリの向かう先が、今まさに火を噴いている精霊の胎ナアベ・モイであることに気づくと、その瞳孔がぎゅっと収縮する。


「――まさか」

「ゼヌベク様?」


 ゾラは、主が今まで見せたことのない表情をしているのを見て、ごくりと息を飲んだ。

 ゼヌベクが広場を出ようとすると、わっと戦士たちが押し寄せる。みな興奮し、決闘の勝者と喋りたがっているのだ。


「ええい、どけ!」


 ゼヌベクの一喝に、みな戸惑ったように顔を見合わせた。ゼヌベクは意に介さず、己の馬を引き出すと、素早く騎乗した。


「ちょっと、どこに行くんです?」


 ゾラの問いも無視し、ゼヌベクは手綱を打つ。馬は甲高くいななくと、群がる戦士たちを蹴倒して駆け出した。


「……行っちまったよ。やれやれ」

 ゾラは首を振ると、朱瑠アケルの面々のほうを見やった。タケルヒコはぐったりと目を閉じ、動かない。かろうじて、まだ息はあるようだ。

 ゾラは歩み寄り、ナナクサの前に立った。


「あんたの兄貴は負けた。ゼヌベク様の勝ちだ」

「……ええ、分かっています」


 ナナクサは目元を袖でぬぐうと、懐から小刀を取り出した。自害用の刃物だ。アスマもそれにならう。

 すっと鞘から抜かれた刃は、冬空の光を冷え冷えと反射していた。ナナクサはそれを自らの喉にあてがい、すっと息を吸う。


「――待った」


 ゾラは思わず引き留めていた。今にも白い喉を切り裂かんとしていた刃を押さえ、ナナクサを見る。


「おいらと勝負をしないか」

「……勝負」

「将棋の勝負だ。あんたが勝てば、おいらが皇太子を治療してやる。負けたら、自害する。――それでどうだ」


 ナナクサがじっとゾラを見返した。その瞳には疑念が浮かんでいる。


「情けをかけるつもりですか?」

「いいや。条件はまだある」


 ゾラは続けた。


「あんたが勝ったら、皇太子は助かる。でもその代わり、あんたはおいらの妻になるんだ」


 ナナクサは瞬きした。ゾラの表情は凪いだ湖面のように静かだった。彼がいったいどんな感情で話しているのか、読み取ることはできない。


「――分かりました。受けましょう」


 ナナクサは肯んじた。するとゾラはかすかに笑みを浮かべて、戦士たちに「おおい!」と言う。


「卓と椅子を二脚! 持ってきてくれ」


 ゾラはナナクサを見、次いで倒れているタケルヒコを見た。


「この勝負には時間制限がある。皇太子が失血で死ぬ前に、あんたは勝たなきゃならない。つまり、早指しだ。いいな?」


 ナナクサはうなずく。

 椅子と卓が用意され、二人は向かい合って腰掛ける。


「おいらは将棋盤も駒も持ってないから、お馴染みのこいつを使う」


 ゾラが懐から取り出したのは、升目の引かれた紙と、駒を模した判だ。二人が手紙のやりとりで用いていたものである。


「先手はあんただ」


 ナナクサはうなずき、駒判を手に取った――

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