第15話 祭り④

 貊氊ばくせんが舞台に上がっているぞ! どういうことだ!

 怒号が飛び交う。

 アキツキは眉を寄せ、不快感をあらわにした。


「祭りを汚しおって。誰か、あの貊氊ばくせんを捕らえよ」

「兄上、なにもそこまで……」


 ミズワケは兄が従者たちに命令を下すのを、困惑しながらも止められずにいた。


「ああ、私は……」


 衣を褒めた妃が、がっくりとくずおれる。

 アキツキは彼女の肩を抱き、慰めた。


貊氊ばくせんのような卑しい輩が、あのような衣を着られようはずもない。きっとどこか裕福な家から盗んだのであろう。衣に罪はない」


 ミリは舞台に上がり込んできた男たちに捕らえられ、引きずり下ろされた。


「いや! 助けて!」


 ミリはテルを探したが、興奮する群衆に飲まれてしまったのか、その姿は見えない。

 ミリは黒い牛車の前に連れてこられ、地面にひざまずかされる。


「あなたたちはいったい何? どうしてこんなことをするの!」


 ミリがきっと顔をあげて叫ぶと、男たちのひとりが傲然と言い放つ。


「決まっている、お前が貊氊ばくせんだからだ」


 群衆はこわごわと遠巻きに牛車を取り囲んでいたが、ひとりが声をあげる。


「そうだ! 貊氊ばくせんなど、打ちのめしてしまえ! 恐ろしい侵略者め!」


 ミリのそばに小石が落ちた。誰かが投げたのだ。幸い当たらなかったが、当たっていたら怪我は免れない。ミリはぞっとして身をすくめた。


「やめろ!」


 凜とした声が響いた。誰だ? 広場は水を打ったように静かになる。

 群衆を押しのけて、テルが姿を現した。ここに来るまでにもみくちゃにされたのか、衣服がやや乱れている。


「その子が何をした?」


 テルは怒りのにじむ声で、群衆と、ミリを捕らえている男たちに問うた。

 ミリはだめだと首を振った。このままではテルまでひどい目に遭わされてしまうかもしれない。

 そのとき、背後から再び石が投げられた。今度は、テルに向かって。

 危ない、と叫ぼうとしたミリだったが、テルは正面を向いたまま、飛んできた石をはっしと掴んだ。そしてそれはテルの手の中で粉々に砕かれる。

 テルがミリのもとへ駆け寄ろうとすると、男たちがそれを阻む。しかしテルはものともせず、腕を振ると彼らを弾き飛ばした。そしてミリを捉えていた男たちの腕を掴み上げて、ぎりぎりとねじ伏せる。

 牛車の中から御簾ごしにそれを見ていたアキツキはチッと舌打ちした。


「無礼者ひとり、どうにもならぬとは。無能どもめ。はやくその娘を手打ちにせぬか」

「兄上。落ち着いてください」


 ミズワケが言う。


「いかな皇族とはいえ、私刑は禁じられております。それに騒ぎが大きくなって帝の耳に入れば――」

「兄上がなんだというのだ?」


 アキツキは鼻息を荒くした。

 ミズワケは言葉を尽くしても無駄だと悟り、静かに首を振った。だが、この騒動はどうにか収めねばならない。ミズワケは貴人が顔を隠すために用いる薄布をつけ、牛車の外に出た。従者たちが一斉に膝をつこうとするのを制し、少女の前に立つ。


「娘よ。己が立場をわきまえず、舞台に上がったこと、悔いておるか?」

「私は――」


 ミズワケは従者をねじ伏せている青年を見やる。


「そのほうは、この娘の仲間か」

「親だ」


 青年が敢然と答える。その顔を見て、ミズワケはふと怪訝に思った。

 この顔、どこか違和感がある。それがなんなのか分からないが、どこか、気味が悪いというか――空気の塊が喉に詰まったときのような心地悪さを感じる。


「親ならば、娘を思いやるのは当然であるな。だがまずは、その者たちを離してもらおう」


 ミズワケがあくまでも落ち着いた様子で言うので、青年は表情に剣呑さを残しながら、男たちを解放した。


「今宵はめでたい祭りの日ゆえ、これ以上の騒ぎは天の神もお望みではない。その娘を連れて、どこへなりとも行くが良い」


 青年は無言でミズワケを見つめた。薄布ごしであれ、そこに敵意がないことを感じ取ったのだろう。少女の腕を引いて立たせると、群衆の輪の外に向かって歩き出した。青年が視線を前に向けると、その部分の人垣がさっと割れる。

 やがて二人の姿は見えなくなり、群がっていた人々も見世物は終わったとばかりに祭りの見物に戻っていく。


 牛車に戻ったミズワケは、アキツキが不機嫌な顔で睨んでくるのを微笑で返し、従者に一番街へ牛車を向けるよう指示した。

 ガタゴトと牛車に揺られながら、ミズワケは先ほどの青年のことを思い返していた。彼の顔を見たとき、心のどこかが引っかかったのだ。普段なら、どこにでもいる朱瑠アケル人のひとりやふたり、気にも留めなかっただろうが、なにか――。

 そのとき、ミズワケの脳裏にある光景が浮かび上がった。


 女の亡骸。


 叫んでいる子ども。


 血まみれの剣。


 ミズワケはじわじわと驚愕の表情を浮かべた。まさか。


 血まみれの剣を手に呆然と立ちすくむ――


 ミズワケは心の臓をわしづかみにされたように感じ、胸を押さえて苦しげに息を吐き出した。

 まさか、あの者が?

 だとしたら、あの場で彼らを行かせるべきではなかった。

 一瞬、いやただの見間違いに違いないという気も起きかけたが、そうではないという確信が胸に湧き上がった。

 あの者は一生を銀の谷で過ごすはずだった。しかし、三年前、銀の谷で何が起こった? そう、異民族による襲撃だ。そのどさくさで、谷を出て王都にやってきたのだとしたら。

 奴は危険だ。早急に手を打たなければ。

 ミズワケは賑やかな祭りのさなか、ひとり思案し続けた。


*   *   *


 テルとミリは、人通りの少ない道を選んで、広場から遠ざかっていた。ミリは衝撃のあまり口もきけず、テルに手を引かれるまま人形のように歩いていた。

 不意に、二人を数人の影が取り囲む。


「止まれ」


 しわがれ声の男が言う。二人は足を止めた。


「何の用だ」


 テルが問うと、男たちはにやにや笑いながら、武器をちらつかせた。いつのまにか周囲からはわずかにあった人気さえも消え失せていた。

 男たちはみな一様に、顔がかくれるような頭巾をかぶっている。ひと目で、堅気の人間でないことが分かった。


「……テル」


 ミリがかぼそい声で言った。


「この人たち、人買いだわ。見覚えがあるの」

「なるほど」


 テルは目つきを険しくした。


「兄ちゃんよ」


 男が言った。


「その貊氊ばくせんを渡せば、命は助けてやるが、どうするね?」

「無論断る」


 テルは短く言い放った。


「そちらこそ、ここで手を引かなければ、それなりに痛い目に遭ってもらうことになるが」


 その言葉に、男たちは一瞬顔を見合わせると、次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。


「はははは、こりゃ傑作だ」

「なんと男前じゃねえか、なあ」

「格好つけても、死ぬだけだってのによう!」


 男たちがじりじりとその輪を狭めてくる。だが、テルは不思議なほど落ち着き払っていた。


「テル」


 ミリが声を掛けたときには、すでにテルは動き出していた。 まずは一番近くにいた男。小刀を突き出してくる腕を掴み、足を払って転がす。続いて斬りかかってきた男の懐に飛び込むと、顎を殴って昏倒させる。すると背後から別の男がテルを羽交い締めにしようとするが、逆にテルに組み付かれ、そのまま投げ飛ばされた。

 しかし、やはり多勢に無勢である。テルの怪力をもってしても、徐々に押され始めた。

 男たちが鎖を投げる。テルをがんじがらめにし、まるで猛獣でも扱うかのように身動きを封じた。テルはその怪力でもって鎖を何本か引きちぎったが、とうていすべて手に負えるものではなかった。

 男が短刀を手ににやにやとテルの前に立った。


「やめて!」


 ミリが叫ぶのと同時に、短刀がテルの腹を切り裂いた。ミリは目を見開いて立ちすくむ。どうしよう、テルが死んでしまう。


「お困りかい、お嬢さん」


 不意に、隣で声がする。ミリがそちらを向くと、帽子を目深にかぶった男がひとり、立っていた。


「だれ」


 呆然とミリが問うと、男はにやっと笑って、帽子を取ってみせる。するとミリと同じ金髪が現れた。


「おいらは、あんたと同じ故郷の者さ」


 男はゾラと名乗って帽子を被り直す。


「はい、これ。拾ってきたぜ」


 ゾラはミリに何かを手渡した。広場に置いてきたままのドゥーランガと頭巾だった。


「どれ、助太刀しよう」


 彼はそう言うと、懐に手をやったかと思うと、ぱっと振り払った。次の瞬間、男たちは糸の切れた人形のように、次々とくずおれる。

 いったい何が起こったのか? ミリは目をみはった。

 地面に倒れてぴくりとも動かない彼らに、ゾラは悠々と近づき、その首筋から何かを抜き取る。


「麻痺させただけさ。死んじゃいない」


 ゾラは、抜き取ったものを掲げてみせた。きらりと光るのは、銀色に光る長い針。彼は目にもとまらぬ速さで、男たちの首筋に向かって針を投擲していたのだ。


「テル!」


 ミリはテルに駆け寄り、巻きついた鎖をほどきにかかった。テルは裂かれた腹をおさえながら、じっと立っていた。


「傷が――」

「大丈夫だ。たいしたことはない」


 テルは言ったが、呼吸が荒い。


「お二人さん」


 ゾラが声をかけた。


「この近くにおいらの隠れ家があるんだ。良かったら一緒に来るかい? 広場でのあの騒ぎの後じゃ、家にも帰れんだろう?」


 二人は顔を見合わせた。この男の言う通り、ミリが貊氊ばくせんだと知られた今となっては、長屋に戻ってカン老師に迷惑をかけるわけにはいかなかった。


「……分かった。厄介になる」

「なんの」


 ゾラは微笑んで、「こっちだ」と歩き出した。

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