第38話 敵襲③
ミリの弾き語りを聴いているうちに、レイミェンは自然と引き込まれていた。マゥタリヤ氏族のタハンは、平原では伝説的存在として語り継がれている。祖母は言っていた。タハン率いる軍勢は、まるで鬼神のごとき強さを示したという。今となっては大昔のことだが、平原の人々は今でも憧れをもってマゥタリヤ氏族を語るのであった。
「少し楽になったみたい。ありがとう、レイミェン」
ミリがドゥーランガを置きながら言った。
「どういたしまして。私も、懐かしい曲が聴けて、うれしかったですよ」
「えへへ……」
ミリは照れ笑いをした。
「夜明けまであと少しあります。それまでおやすみなさい」
レイミェンが言うと、ミリはうなずいた。
「起こしてごめんなさい。でもありがとう。おやすみなさい」
ミリが布団に潜り込むのを確認し、レイミェンは部屋を出る。
夜明け。けたたましい警鐘の音で、レイミェンは目を覚ました。跳ね起き、窓に走り寄る。歩哨の傭兵たちが走り回っているのが見えた。
敵襲だ、とレイミェンは悟った。
すぐさまミリの部屋に向かう。ミリはおびえた様子で窓の外を凝視していた。
「レイミェン。これは……?」
「見張りの兵が敵を発見したようです。あるいはすでに攻撃を受けているのか」
レイミェンは冷静に答えた。
「とにかく、安全な場所に移動しましょう」
レイミェンの言葉に、ミリはこくんとうなずきながら、おずおずと尋ねる。
「……ドゥーランガも持って行って良い? 大事なものなの」
「良いですよ。邪魔にならないように気をつけて」
レイミェンは「こっちです」と廊下を早足で歩き出す。ミリは小走りで追いかけた。
途中、何人もの傭兵たちとすれ違いながら、二人が辿り着いたのはダーロゥ第一公子の執務室だった。
「失礼いたします、殿下」
「レイミェンか。入れ」
二人が中に入ると、ダーロゥは甲冑を身につけている最中だった。そばにユウジュンもいる。こちらはすでに武装していた。
「バディブリヤ氏族が攻めてきた」
ダーロゥが告げる。
「レイミェン。そなたは今回は戦闘に参加するな。そこの娘の護衛に徹せよ」
「はっ」
レイミェンが敬礼をすると、ダーロゥはうなずいて部屋を出た。あとにユウジュンも続く。
部屋を出る間際、ユウジュンがミリに視線を寄越した。それはほんの一瞬だったが、ミリはその瞳にぴんと張った意志を見て取った。戦いに赴く者の目だ。
――剣は己が誰を斬ることになるのかを知らないが、人を斬る道具であることは知っている――彼が教えてくれた言葉である。この第二公子はまさしく、己が戦いに生きる一本の剣であることを知っているのだろう。
ミリは二人の公子を見送る。
「さあ、こちらに」
レイミェンの案内で、ミリは砦の一番高い場所に移動した。
「ここなら敵の矢も届きませんし、安全です。私は戦況を確かめておく必要がありますので、ここに立って下を眺めますが、慣れていないあなたには怖い光景でしょう。しゃがんでいたほうがいいかもしれません」
「……そうする」
ミリは素直にしゃがんだ。戦いを見るのが怖いのもあったが、先ほどから地面の声がけたたましく聞こえはじめ、気分が悪かったのだ。
地面は何を伝えようとしているのだろう?
近頃は、地面が話してくれる事柄を、よく読み取れるようになった。しかし、このわめき声のような声は一体……。ミリは妙な胸騒ぎを覚えた。
「む」
レイミェンが眉を寄せる。
「どうしたの?」
ミリがそっと尋ねると、彼女は「いえ、なんでも」と答えなかった。不審に思ったミリは立ち上がり、思い切って下の様子に目をやった。
ミリは目を見開いた。
バディブリヤ氏族の戦士たちの攻撃を、傭兵たちはよく防いでいる。だが、ミリは目の前の光景が信じられなかった。
片腕を失った戦士。足の折れた戦士。首元から血を流している戦士。本来なら動けるはずもないであろう怪我を負った戦士が、まるで何も感じていないかのように戦っている。
ミリは眼前で繰り広げられている戦いの凄惨さに、こみ上げてくる吐き気をこらえ、口元をおさえた。
「レイミェン、戦いってこんな、なの……?」
「まさか」
レイミェンは冷静だったが、困惑を隠しきれていない。
「あれほどの怪我を負ったなら、常人ならば動けない」
「でも」
「何かがおかしい。まるで彼らは痛みなど感じていないかのようです」
ミリは、大地全体が叫びを上げていることに気がついた。言葉にならない悲鳴――それはとても禍々しく、いてもたってもいられない気持ちになる。
ミリとレイミェンが固唾を飲んで戦況を見守っている間、傭兵たちを指揮している二人の公子も、この異常な事態に気がついていた。
「兄上」
「分かっている」
今しがた傭兵のひとりが斬り、倒れたはずの戦士がむくりと起き上がり、何事もなかったかのように再び襲いかかってきた。同様に、胴を貫かれたはずの戦士も、同じように動き回っている。
「不気味だ」
ダーロゥは目尻を険しくした。
「いったい何が起こっている? 奴らは人間なのか?」
文字通り死ぬまで戦っている。普通、平原の民は一族の存亡が懸かっていない限り、命がけで戦うことはしない。略奪を働くにしても、そこそこのところで引き上げるのが常だ。
以前にもバディブリヤ氏族は、何度かこの大北壁に攻撃を仕掛けてきたことがある。たいていは砦の内側に広がる市場で略奪を働くことが目的で、イルファンの傭兵たちはその攻撃をすべて防いできた。だが今回は別の目的があるように思える。
熟練の傭兵団を打ち負かし、仮に砦を落とすには、命をいくらかけても足りないだろう。それほど無謀な戦いを、バディブリヤ氏族は挑んでいるのだ。
無謀。そう、無謀だ。――無謀なはずだ。
「兄上、どうも嫌な予感がします。俺を前戦に行かせてください」
「分かった。くれぐれも油断するな」
ダーロゥはうなずき、弟を送り出した。
ユウジュンは身軽に駆け去って行く。
そばに誰もいなくなったとき、ダーロゥは背中に強い衝撃を感じた。たたらを踏み、後ろに視線を向けると、自らの背から突き立っている小刀の柄と、それを握る人物の顔が見えた。
小刀が抜かれると、傷口から血が噴き出した。ダーロゥは身体から力が抜けていくのを気力で持ちこたえる。そして己を刺した人物をにらみ据え、「貴様!」と叫んだ。
ゾラは小刀についた血を振り払うと、背後に立っている傭兵たちに指示を出した。
「お前たち、なぜ……」
ダーロゥが彼らを当惑の表情で見ると、ゾラが答える。
「こいつらは、以前から傭兵団に潜入させていた、おいらの仲間なのさ」
それは衝撃的な言葉だった。
ダーロゥは彼らのことを覚えている。家族の、この国の役に立ちたいと言って、傭兵に志願した者。強い男になりたいのだと、剣術の指南を乞うてきた者。立派な剣士に憧れたのだと、目を輝かせながら語っていた者。
「悪く思わないでくださいね、第一公子殿下」
「我らバディブリヤ氏族が天下を取るための足がかりとなっていただく」
彼らのひんやりとした視線に、力が抜けた。ぽたぽたと血が流れていく。身体から熱が失われていく。
しかし、ダーロゥは力を振り絞り、抜刀して彼らに斬りかかった。
ゾラが小刀の柄でダーロゥの額を強く打つ。脳がぐらりと揺れ、ダーロゥは体勢を崩した。
抱え上げられ、運ばれながら、ダーロゥは意識を失った。
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