第37話 敵襲②

 ミリは牢に赴き、採取の成果をゾラに見せた。

 ゾラは袋の中からクァム草をひとつひとつ取り出し、じっと葉の模様を見つめたり匂いを嗅いだりして確かめていく。ミリはとても沢山のクァム草を採ったので、彼のその作業には時間がかかった。やがて最後のひとつになったとき、ゾラは口を開いた。


「これ、隠された子蛇ヴィカ・チャハリの力を使わずに、偶然見つけたやつだろ」


 言われたミリは「え」と言った。たしかに、地面の声が導かなかったところに、偶然クァム草が生えていたのを見つけ、それも袋に入れたのだった。


「どうして分かったの」

「これはよく似てるがクァム草じゃない。ファルタ草とおいらたちは呼んでるがね、こいつには毒がある。触ったぐらいじゃ害はないが、口に入れると腹を下すぜ」


 ゾラは、隠された子蛇ヴィカ・チャハリの力は、この草には反応しなかったはずだと言った。


「たしかに……」

「へえ」


 二人のやりとりを、レイミェンは興味深げに聞いている。

 ミリは浮かない顔になった。


隠された子蛇ヴィカ・チャハリが、すごい力を持っているってことは、分かった。でも……」

「でも、どうしたんだい?」


 ミリは二種類の草を見比べながら言う。


「先に答えだけ知ってても、まるで中身のないスカスカの果実みたい。それじゃあ意味が無いんじゃないかなって。毒草を見分けられなかったみたいに」

「ほう」


 ゾラの目がきらりと光った。


「つまり、お嬢さんは、実体のある知識が欲しいんだ」

「そう――なのかもしれない」


 ミリはゆっくりうなずいた。

 隠された子蛇ヴィカ・チャハリとは何か。自分とは何者か。これからどうすればよいか。それらを考え、決めるためには、なにしろ沢山のことを知らなければならないのだと、ミリは悟り始めていた。何でもいい。とにかく「知る」ことが必要なのだ。そこに近道はなく、正解の道もない。ただ霧の中を手探りで進むがごとく、やれることはなんでもやってみるほかないのだ。

 ミリはこの胡散臭い男を、ある意味において師と定め、教えを乞うことにした。


「おう、なんでも教えてやらあ。おいらの知ることならな」


 ゾラはにやりと笑って胸を叩く。

 レイミェンは、この少女が男に騙されたりしないかと心配になったが、彼女の役目は物理的な危険からミリを守ることであったので、まずは静観することにした。

 それからというもの、ミリはゾラの牢に通い、平原の民の常識や、彼の専門分野である薬草のことなどを教わった。ゾラには、欺かれ、肉親を裏切られ、苦い思いをさせられたけれども、彼の知識は感嘆に値する。それほどに様々なことを知っていた。

 ゾラは、教えた薬草のうち、この土地に自生するものは実際に採取に行かせた。ミリが言われた通りに採ってくると、今度は薬の作り方を伝授する。それらの方法は、かつてカン老師に教わったものと似通った部分もあったが、全く異なる手順を踏むこともあった。

 風邪薬の作り方で意見が割れたとき、ゾラはミリに問うた。


「お嬢さんは、薬を調合するとき、何を考える?」


 ミリは答えた。


「正しい薬草の種類、分量、それに手順を間違わないようにすること」

「ふむ。そうだろうなあ」


 ゾラはあごをさすった。


「それは間違いじゃない。だがそれだけだ。及第点はあげられないね」


 ミリはむっとしてゾラを見る。薬の調合は難しい。だからこそ正しいやり方で薬を作らねばならない。それ以上に大切なことがあるだろうか?


「たとえば、ここに同じ病気の人間が二人いるとする。一人は症状が重く、一人は軽い。お嬢さんならどうする?」


 ミリは少し考え、「症状の重い人に、多めに薬を処方する」と答えた。するとゾラはため息をついて首を振る。


「あんたが医者なら、その患者は助からねえぞ」

「……」


 黙り込んだミリに、ゾラは説明する。


「まず、症状の違いってのがある。頭痛の重さ軽さといった、程度の違いじゃなくな。症状の軽い方と重い方、片方は関節痛、片方は腹痛、なんてことがある。熱があるか、ないか。病人は大人か、子どもか。男か、女か。条件によって同じ病気でも全く違う症状を訴えることがあるんだ。同じ薬を調合したって仕方ねえ」


 言われてみれば当然のことだ。それはミリも分かっていた。だが、ゾラがあらかじめ「同じ病気」と言ったので、あのように答えただけだ。

 そう反駁すると、ゾラは「まあ聞け」と言う。


「そう、おいらはわざと『同じ病気』だと言った。ちょっとしたひっかけだな。だが、たとえば有名なカッサ熱。蚊が媒介する伝染病だな。これにはミカル草とスルム草が効くってのは広く知られてる。……じゃあその比率は?」


「ミカル草が一なら、スルム草が三、でしょ?」


「成人で、熱が高い場合は、そうだな。だが、病人が子どもで、熱が上がる前の段階なら、比率は逆になる。子どもにスルム草の成分は強すぎるんだ。だから逆にする。……だが、きっちり反対の量にすれば良いってもんでもない。同じように、症状が重い方に薬を多く処方すればいいかっていうと、そういうわけでもない。このへんは経験がものを言うな。言葉で教えるには限界がある。……だから面白い」


 ゾラは「お嬢さんは知識が先行しがちなんだ」と分析した。


「知識ってのは有用だが、それだけじゃあだめだ。試行錯誤、創意工夫、そうやって練り上げたもの――それが知恵ってやつだ。身の詰まった果実も、味や香り、美味い食い方を知らなきゃ、意味がない。お嬢さんが欲しいのは、そういうやつだろ?」


 ミリの隠された子蛇ヴィカ・チャハリは、〝知識〟を与えてはくれるが、〝知恵〟を練ってはくれない――そういうことだ。だが、知識は知恵の受け皿になる。ミリはゾラとの問答を繰り返し、物事を深く考えるようになった。まるで実った果実から、根の形を想像するように――それは隠された子蛇ヴィカ・チャハリの力を引き出す鍵のような役目を果たしていた。ミリが地面に問いかけるたびに、地面の返す答えがより具体を得たものとなっていったからだ。


 ある夜、レイミェンは目を覚ました。隣の部屋から声がする。レイミェンはミリの護衛のために隣室で寝泊まりしていたので、その声があの少女のものだと分かった。

 合鍵で部屋に入ると、ミリがうんうんと唸っていた。

 近寄り、声をかける。


「どうかしましたか。眠れませんか。どこか具合でも?」


 ミリはもぞもぞと身動きし、レイミェンを見上げた。


「……声がうるさいの。地面の声が」

「地面の」


 レイミェンは困惑した。ミリにしか聞こえない大地のささやきは、レイミェンには感じ取ることができない。


「どんなふうに聞こえるのですか」

「たくさんの声が重なり合って、とにかくうるさいの。わあわあって、人々がわめいているみたい。ずっと聞いてると……気持ちが悪くて」


 医者に診せてどうにかなるものでもあるまい。レイミェンは考えた。


「騒音に悩まされるときは、別の音を聴くといいと教わったことがあります。たとえば、兵舎では傭兵たちのいびきがうるさくて眠れないときがありますが、自分の心臓の音に耳を傾けていると、自然と気にならなくなり、眠れます。あるいは、頭の中で歌を歌ってみるのも案外いいものです。ですから、得意のドゥーランガでも弾いて少し気分を紛らわせてみては。ここは兵舎から離れていますから、気にする者もいないでしょう」


 ミリは寝台から起き上がり、壁に立てかけていたドゥーランガを手に取った。


 てん、ててん、ててん、ててん……


 ミリは『怒れる王子の伝説』を弾き始めた。イルファンや朱瑠アケルでは知られた曲ではない。レイミェンも幼い頃に、祖母が歌っているのを何度か聴いたことがあるだけだ。祖母は平原の生まれで、傭兵の祖父と結婚しイルファンに移り住んだのだ。だからこれは平原の曲だ。

『怒れる王子の伝説』は、有名な『蝶々姫』と同じように、物語になっている。



 さる王国の王子、カゼハヤは政争に敗れ、都落ちした。配下は皆殺され、生き延びたのは彼ひとり。カゼハヤは〝神々の峰〟の険しい山道を突破し、北方大平原へと至った。

 平原には自由と孤独の風が吹いていた。カゼハヤは背後を一瞬振り返り、心中で故郷に別れを告げると、馬を走らせる。風が彼に併走し、まるで導くかのように北へ北へと向かわせた。

 途中、遊牧の民の少女に出会った。

 カゼハヤは少女に尋ねる。


「私は国を追われた王子だ。この平原で、私の味方となる者はいるか」


 少女は答えた。


「あなたは弱い。あなたについていく者はいないでしょう」


 その答えを聞き、王子は問う。


「では、どうすれば強さを手に入れられるのか」

「〝精霊の胎ナアベ・モイ〟へ行き、力を願うと良いでしょう」


精霊の胎ナアベ・モイ〟とはどこにあるのかと訊くと、少女ははるか地平を指さす。その先には椀を伏せたような山がぽつんとそびえていた。


「あれが〝精霊の胎ナアベ・モイ〟、神々や精霊が生まれるところ」


 王子は礼を言い、再び馬を走らせた。

 やがて辿り着いた山の麓。空気に混ざる硫黄のにおい。馬がこれ以上近づくのを嫌がったので、王子は馬を降り、山の斜面を登り始めた。

 汗だくになって辿り着いた山頂は、すり鉢状に陥没しており、底のほうには溶岩がぐつぐつと煮えたぎっていた。


「これが〝精霊の胎ナアベ・モイ〟か」


 王子がつぶやくと、にわかに溶岩が大きく泡立ちはじめた。黒い瘴気がたちこめ、カゼハヤを包み込む。


「私は力を求めに来た!」


 王子は叫ぶ。


「どうか私の願いを聞き入れ、復讐を遂げるための力を与えたまえ!」


 すると瘴気が寄り集まり、カゼハヤの目の前で巨人の姿になった。


 では、覚悟を示せ。


 王子の脳内に声が響いた。王子は驚いたが、巨人に向かってはっきりと言った。


「覚悟ならある。私の願いを叶えることと引き換えに、私の身体、命、そして私の血を受け継ぐ者たちを、お前にくれてやろう」


 宣言するのと同時に、瘴気が王子に覆い被さり、体中の穴という穴から身体の中へ吸い込まれていった。

 王子は天空へ目を向けた。すると、彼の視界は大空を舞い、〝神々の峰〟を越え、王国へと舞い戻る。そして台地の上、光り輝く王城へと向いた。


「我が怨敵よ」


 王子が言うと、目の前に玉座が現れた。そしてそこに腰掛ける腹違いの弟の姿が。


「お前を滅ぼし、私が玉座を手に入れる。もし私がその前に死ねば、私の志を受け継ぐ者が、たとえ長い時を経ようとも、必ずやり遂げるだろう」


 王子は山を下り、少女のもとへ戻った。


「この平原に、私の味方となる者はいるか」


 王子は再び少女に問うた。


 少女は彼を見返し、「ええ」とうなずいた。


「あなたはこの平原を統べる存在となるでしょう。マゥタリヤ、今後はそう名乗られませ」

「マゥタリヤ」


 カゼハヤはつぶやく。


「それはどんな意味だ」

「目を隠し持つ、大いなる鷹の氏族という意味です。あなたはその〝鷹の頭タハン〟」

「分かった」


 王子は力強くうなずき、少女を見た。


「ならば、そなたを私の最初の仲間としよう」


 やがて、王子の持つ不思議な力と圧倒的な強さを聞きつけて、平原中から戦士が集まり、ひとつの大きな氏族をなした。マゥタリヤ氏族は、平原における覇者となったのである。

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