第36話 敵襲①

「クァム草、あった」


 砦からほど近い林の中、生い茂る草の間に、白い花のつぼみを見つけ出したミリは、しゃがんでそれを根ごと掘り起こした。


「見つかりましたか、目当ての草は」


 そう言って布袋をミリに差し出すのは、女傭兵のレイミェンだ。ミリは布袋の中にクァム草を入れ、レイミェンにうなずいてみせた。

 彼女は、この少女のお目付役と護衛を、第一公子から仰せつかっていた。ミリが砦に滞在する間、行動を共にし、危険から遠ざける役目を担っている。


 イルファンではまれに女も傭兵として出稼ぎに出る。筋力では男に及ばないものの、男よりも女のほうが好まれる場面もあるからだ。例えば、貴族の令嬢の護衛であったり、密偵の役割などは、女がその任につくことが多い。

 ミリの場合も、男の傭兵と二人きりにするよりは、女のほうがよかろうと、レイミェンが選ばれたのであった。


 ミリが砦の外の、このような場所にいるのには、理由があった。

 さきほど採取したクァム草とは、傷の治りを速くする効能のある薬草である。丈が小さく、他の草の間にまぎれて見つけにくいが、ミリは難なくクァム草を探すことができた。


「便利なものですね、隠された小蛇ヴィカ・チャハリの能力というものは」


 次はあっち、その次はこっち、と導かれるようにクァム草を探し当てるミリに、レイミェンは感嘆する。

 ミリは振り返って言う。


「私も知らなかった。こんなことができるなんて……」


 そして、複雑そうな顔をする。

 身に宿る子蛇チャハリの力の使い方を教えてやる、と少女に持ちかけたのは、牢に囚われている例の男だ。主を裏切り、一族を壊滅に追い込んだ男、ゾラ。

 ゾラは、ミリが隠された小蛇ヴィカ・チャハリの能力を十分に発揮できていないと言った。自分なら、その使い方を教えられる、とも。

 隠された小蛇ヴィカ・チャハリは、必ず何かしらの特殊な能力を持つ。ミリの母であるアリィザは、人の心を魅了する類い稀な歌声を授かった。しかし、ミリの場合は、〝時折地面の声が聞こえる〟ということが分かっているだけで、具体的な能力については不明な点が多い。大公国としては、都にミリを送る前に、その能力について確かな情報を得ておきたかったので、あえてゾラとミリの接触を許したのだった。


 ゾラは、ミリが聞いている地面の声というものは、〝全知〟なる存在の声だと言った。

 古今東西、地面とは、生きとし生けるものが生まれ、やがて還っていく場所である。ゆえに、この世のあらゆる存在とつながり、そのすべてを知っている。


 ミリの小蛇チャハリは、大地の〝知〟の上澄み部分をくみ取ることができるのだ、と。


「頑張れば、偉大な預言者にだってなれるぜ。なにせ〝全知〟の加護を受けているんだからな」


 牢の中で、ゾラはにやりと笑って言った。


隠された小蛇ヴィカ・チャハリは、大地の女神ダーナ・ハリの子どもだ。その中でも、あんたの小蛇チャハリは、女神に近い性質を持つんだろうな」


 ミリは尋ねた。


「じゃあ、地面に訊けば、母さんや父さん、テルの居場所が分かる?」

「教えてはくれるだろう」


 ゾラは微妙な言い方をした。


「地面から生まれたもの、それらから作り出されたもの、人や動物、過去の事象、未来――すべてつながっているんだ。これは平原の民が無意識に共有する哲学ってやつさ。分かるかい?」

「……なんとなく」

「あんたは平原育ちじゃないからな。……まあ、小難しいことは、考えたくなきゃ、放っておくのもあんたの自由だ。でも、どのみちあんたは周りの大人たちに利用される立場にあるんだ。自分の小蛇チャハリのことをよく知り、よく使うってのは、ひとつの武器になると、おいらは思うね」


 ゾラはやや真面目な顔になり、「あんたに提案だ」と言った。


「あんたの知らないことを、おいらが教える。そのかわり、ちょいとおいらの頼みを聞いてくれないかい」


 ミリは胡乱な目でゾラを見た。


「私、あなたのこと、信用していないわ」


 ゾラは苦笑しながら言う。


「お嬢さんは、損得って言葉を少しは覚えた方がいいぜ。この場合、おいらから情報をできるだけ搾り取るってのが、今あんたにできる唯一かつ最上の方法なんだからな。おいらに騙されるかもしれないっていう心配が損なら、本当かもしれない情報が得ってやつさ」


 それでもミリが諾と言わないでいると、ゾラは「まあいいさ」と言った。


「まずは、おいらの言う通りに試してみな。おいらの頼み事はその後でいいからさ」


 そうして彼は、隠された小蛇ヴィカ・チャハリの力を使ってクァム草を探すように言ったのだった。


「もう充分集まったのでは?」


 レイミェンが言うと、ミリが袋の中をのぞき込んだ。袋いっぱいのクァム草。


 ミリがうなずくと、レイミェンは「砦に戻りましょう」と言った。


「少し外に長くいすぎました。身体が冷えたでしょう」


 レイミェンはミリの手を引いて、砦の方向に歩き出す。ミリは、この女傭兵の厚いたこに覆われた手に、テルを重ねた。


「レイミェンはどうして傭兵として働いているの?」

「突然ですね」


 そうですね、とレイミェンは言う。


「私には兄がいましたが、遠方の国で戦に参加し、命を落としました。傭兵として功を上げれば、沢山の褒美をもらえますが、死んでしまえばそれまでです。残ったきょうだいは私を含め全員女。働き手を失った家族を養っていくには、一番身体の丈夫だった私が、傭兵になるしかなかったのです」

「レイミェンは、傭兵にはなりたくなかったの?」

「やはり傭兵という稼業は、男の分野でしょう。ですが、女にもやりようはあるのだと、実際になってみて分かりました」


 レイミェンはこれまでに様々な戦場に出た。そこでは多くの男たちが戦いに身を投じ、女である自分の出番などないかのように思われた。だが、レイミェンは戦場のただなかにいながら、全体の動きを感じ取ることができたし、柔らかく細身の身体を生かし敵の攻撃をかいくぐることが得意だった。筋力は男のそれに及ばないけれど、それ以外の長所をうまく使って、数々の戦いを生き延びてきたのだ。


「レイミェンはすごいね」


 ミリがぽつりとつぶやいた。


「私は流されてばかり。せめて、自分のことは自分でけりをつけられるようになりたいのに」

「周囲の流れが速すぎて、思う方向に行けないことは誰だってあります」


 レイミェンは言った。


「でも、そこで諦めたら、きっと後悔する。私は家族を食わせていかなければならないし、私を評価してくれる上官の気持ちに応えたい。そのためには、ときに流れ自体を自力で変えなければならないこともあります」


 ミリはふと、〝銀の谷〟を訪れたときのことを思い出した。地震、横倒しの牛車、中に取り残された姫君、わめく近衛士たち……。あのとき、ミリは自分に課せられようとしていた運命にはじめて「否」と言った。 唯々諾々と従うしかなかった自分自身に異を唱えたのだ。


「……そうだね。私、きっともっと頑張れるはず」


 ミリが噛みしめるように言うと、レイミェンは前を向いたままうなずいた。


「私には、あなたの運命をどうにかしてあげられる力はありません。でも……どうか幸多からんことをと願います」

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