第14話 祭り③

 翌朝。


「この着物を、私に?」


 ミリの目は大きく見開かれ、衣桁にかけられた衣に向けられていた。

 薄青竹色の着物。袖はたっぷりと広がり、襟元には胡蝶の刺繍。帯は着物の余った布で縫い、飾りボタンをつけたもの。決して派手ではないが、落ち着いて品のある衣に見える。

 テルが言う。


「見知らぬ誰かからのお下がりに、少し手を入れてみたんだ。祭りに着て行くといいよ」


 納屋には、カン老師の言葉通り、誰にも着られず放置された一着の晴れ着が置いてあった。状態もよく、すぐにでも着られそうだった。テルはミリが寝てから、夜のうちに寸法を合わせ、刺繍まで施したのだった。

 ミリはそっと指先で衣に触れる。柔らかな生地はとても着心地が良さそうだ。飾りボタンと刺繍がきらきらと光る様は、とても綺麗に見える。これを身にまとった自分は、いったいどんな風かしら?


「私と、老師せんせいからだよ。うちのかわいい子に、たまにはご褒美をあげないとね、って思ったんだけど……おっと」


 テルは、少女に抱きつかれた勢いでよろめいた。


「ありがとう」


 テルはミリを抱き返した。少女の体温はとても温かい。


「私、まだテルの呪いを解けてない」


 おもむろにミリが言う。


「それなのに、私、テルからはもらってばかりだわ」

「そんなことないよ。私も、ミリからはたくさんのものをもらっている」


 テルの言葉に、ミリは顔を上げる。


「本当?」

「ああ」


 テルはうなずいて、微笑んだ。


「だから、心配しないで。それに、呪われているとはいっても、すぐにどうにかなるわけじゃない」


 言いつつ、テルは心に暗い影を落としていた。母やきょうだいを手に掛けたときのように、ミリのことも傷つけてしまうときが来るのではないか。だが、それをどうしても口に出すことはできなかった。すでに、ミリはテルにとって離れがたい存在となっていたのだ。

 そして、それはミリも同じだった。しかも、この少女のほうがその思いが複雑で、奇妙な形をとっていた。言葉にしがたいそれは、赤い柘榴ざくろ石のようにチラチラと誘惑的な光を発するのだった。


*   *   *


 祭りの日には、皇族がお忍びで街に出かけることがある。

 帝弟アキツキは、お気に入りの妃を連れて、牛車の中から祭りを堪能していた。


「あなた、あれはなんですの?」


 かわいらしい妃は、屋台できらきら光っている光り物を指さした。

 アキツキはどれと視線を向けると、妃の無邪気な問いに答えた。


「あれは竹に塗料を塗り、鼈甲べっこうのように見せたくしだ。見よ、庶民の娘どもが群がっておるであろう」

「まあ、竹で……」


 妃は興味をなくした様子だ。彼女の髪には本物の鼈甲べっこうくしがささっている。


「義姉上のお気に召すようなものを売る店は、下町にはないでしょう」


 そう穏やかに言うのは、同乗していたミズワケだった。


「一番街のほうへ牛車を向かわせましょうか。そこなら良い店もあります。祭りももっと落ち着いて見られるでしょう」


 ミズワケの提案に、アキツキは「いや」と首を振った。


「こたびの祭りに際し、この町では美人番付なるものが出されたそうでな。しかも、選ばれた美人たちが舞を披露するそうだ。思わず一枚、番付表というものを手に入れさせたわ。なかなかに面白きものぞ」


 すると妃がむっと頬をふくらませてみせる。


「あなたったら、他の娘に目移りされたら、嫌でございますよ」

「安心するといい。どの娘もそなたより劣る」


 番付表はどうやら途中で順位が変わったらしい。十人の美人のうち、一人の名前が墨で消され、代わりに別の名前が書かれていた。


「あの舞台で、十人の美人が舞うのだな」


 町の中心にある広場。そこに設えられた円形の舞台は、すでに整えられている。その上で頭巾を被った伴奏者が楽器の調整をしているようだ。

 しばらく経つと、広場に人が集まり始めた。人々は美人娘たちが踊る『蝶々姫』を楽しみにしていたのだ。

 ざわざわとしていた広場は、伴奏者が楽器の弦に指を掛けると同時に静まった。


 てん、ててん、てん、ててん……


「なんと、まろやかでみやびな音色だ。なんだ、あの楽器は」


 音に合わせて娘たちが舞台に上がる。彼女らが、この日のためにあつらえたであろう特別な衣が、実に色とりどりだ。祭りの見所のひとつでもある。


「ふむ、あの強気な踊りをする娘の衣、良いではないか。青と赤、正反対の色をうまく取り合わせたな」

「あら、わたくしは、舞姫ではなく、楽器を弾いている娘の衣が気に入りましたわ。清廉でかわいらしいこと」


 広場にいる人々も、口々にあの娘が一番美人だ、いやあの娘が一等踊りがうまい、などと話している。

 一方、舞台の片隅で伴奏をしているミリは、必死で頭の中の楽譜を追いかけていた。曲を演奏するのが久しぶりなうえに、大勢の人間の前だ。みな舞姫たちに夢中で自分など見ていないだろうが、もし伴奏を失敗したらどうしよう?

 そんなことを考えているうちに、次の音が分からなくなった。緊張のあまり、楽譜を忘れてしまったのである。


 どうしよう!


 演奏の手を止めるわけにはいかない。

 ミリは震える指で、弦を弾いた。


「む、『蝶々姫』はこんな曲ではなかったはずだが」


 アキツキは身を乗り出した。音楽が途中から聞き覚えのないものに変わったのである。


「そうだよな、ミズワケ?」

「ええ、たしかに、違うようです」


 それもそのはず、正しい楽譜を忘れてしまったミリが、その場で即興の曲を弾いていたのだ。


「……ふむ、だが、じつによき曲だ」


 アキツキはもとの姿勢にもどった。

 踊っている娘たちもすぐ、音楽がおかしいことに気がついた。舞い手の動きを見ながら、伴奏者が曲を作っているのである。それは『蝶々姫』を数日練習しただけの娘たちにとって混乱を生むだけに思えた。

 しかし、弦が弾かれる勢いや余韻が、舞いの足運びや手の動きに呼応していたがため、まるで舞踊譜のような役割を果たしていた。不思議なことに、こちらのほうが踊りやすかった。


 ミリにとっては、長い長い恐怖の一曲であった。弾き終わったとき、周囲から聞こえてきた歓声が、その恐怖を解きほぐした。

 良かった、思ったより大失敗ってわけではなかったみたい。

 そのとき、つかつかと舞姫の一人がミリに近寄った。

 楽器をくれた商家の娘だった。美人番付に載った一人で、舞い人でもあったのである。


「なによ」


 娘はまなじりを吊り上げ、ミリを睨んだ。


「恥をかかせてあげようと思ったのに。正規の伴奏者が泣いて出て行っちゃったじゃないの」

「え――でも、風邪だって」


 ミリは衝撃をうけた。

 娘は言う。


「ちょっと風邪を引いてたって、伴奏くらいできるわよ」

「そんな、どうして」


 ミリは思わず立ち上がった。何故このようなことを言われ、こんな仕打ちを受けなければならないのか。きっとなにか理由があるはず。ちゃんとした、理由が。


「ふふ、家だって貧しい長屋暮らしのくせに、晴れ着なんて着て」


 娘に鼻で笑われ、ミリの頭にかっと血がのぼった。


「なにを――」

「私が、あなたより順位が下だったなんて、許されることじゃないのよ」


 ミリの脳裏に、美人番付の表が浮かび上がった。そうだ、ミリが辞退したあとに表に加えられた娘がいたのだ――

 ミリの被っていた頭巾が、ぱっと払い落とされる。

 ススキ穂色の髪が、祭りの明かりの下で金色に輝いた。


貊氊ばくせんのくせに。汚らわしい」


 金色の髪。広場は騒然となった。

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