第41話 邂逅②
数日後、三人は大北壁が見える地点にまで到達した。
「あれが大北壁か。なんと見事な」
堅牢かつ長大な石造りの壁は、地平の先にまで続いている。タケルヒコは感心して、その壁を眺めた。
「平原へ抜けるには、ダーロゥ第一公子が守る砦を通る必要があります。ユウジュン第二公子もそこにいるのだとすれば……」
「彼は我々の顔を知っている。身分の偽りは通用せぬな」
「それに……」
ナナクサは視線を下に向けた。ナナクサが反逆の罪を着せられるきっかけとなったゾラの取り調べは、第二公子の指示のもとでおこなわれたと聞く。ナナクサが御所から逃れてきたことを知れば、
「砦に入ったら、できるだけ目立たないように、ささっと平原へ抜けちゃいましょう。彼に出くわさないことを祈るほかないわ」
大北壁に着く前に日が暮れたので、手前の集落で宿を借りることになった。
村には若い男がほとんどいなかった。みな傭兵として出稼ぎに出ているのだという。タケルヒコとアスマは、若い男というだけで、村の女たちの気を引いた。
村長は、先客がひとりいるが良いかと訊いてきた。
「ああ、こちらはかまわない」
タケルヒコが応じると、村長は今晩貸してくれる小屋に三人を案内した。
小屋の中に入ると、女がひとり、炉のそばに座っていた。彼女は三人に気がつくと、軽く会釈をして場所を空けてくれる。
「かたじけない」
「いいえ」
女は繕い物をしていた。外套だ。穴が空いている。裁縫の道具は、見たところこの村で借りたものらしい。
すっすっすっ……と針を動かす女の手つきがあまりにも素早いので、タケルヒコは思わず見入ってしまった。
「……どうかしましたか」
女が怪訝な顔でタケルヒコを見返す。
タケルヒコは慌てて、
「すまない。あなたの手さばきが素晴らしいので……」
するとふふ、と女は笑った。存外低い声だ。
タケルヒコは、女の衣が旅には向かない裳袴であることと、あちこち破れていることに気がついた。
「随分、大変な旅をされたようだ」
「ええ、まあ……」
女は外套を繕い終えると、今度は破れた袴を縫い始めた。タケルヒコはその下に引っかかれたような傷があるのを見て取る。
「怪我をしている」
タケルヒコが言うと、女は苦笑する。
「道中、獣に襲われまして」
「それは大変だ。ナナク――ナナミ、薬を」
女は「お気になさらず」と傷を袴で隠したが、ナナクサが薬の容器を持って近寄ると、観念して傷をあらわにした。
「痛そうですね」
ナナクサが指で薬をすくいとり、恐る恐る女の傷に塗る。
「ありがとう」
女は微笑んだ。タケルヒコはその顔に、なぜか懐かしいものを感じる。彼女の、やや憂いを帯びた表情が、どことなく知っている誰かに似ている気がしたのだ。
「あなた方、
尋ねられ、タケルヒコはあらかじめ用意していた答えを言う。
「我々はある商会の者で、イルファン大公国に販路を広げるため、下見をしにこの国を訪れたのだ」
すると女は、「商売がうまくいくと良いですね」と微笑んだ。
「見たところ、あなたも
タケルヒコが尋ねると、女はすっと黙り込んだ。だが、しばらくして沈黙を破る。
「私の子を探しに」
それだけ言うと、女は手元に目を落とし、裁縫の続きを再開する。
夕食は、村長の妻が羊の肉を煮込んだ料理をふるまってくれた。タケルヒコらは、この旅で羊肉の独特な風味にもだいぶ慣れた頃合いだ。
女は食事を終えたあと、すぐに席を立って小屋を出て行った。どうやら村長の家に向かったようだ。裁縫道具を返しに行くのだろう。だが、それだけではないようだ。
「どうかしましたか、兄上」
「まだお料理残ってるわよ」
ナナクサとアスマが肉を頬張りながら言う。
「あの女人が気になるのですか?」
「いや……」
首を振りつつも、タケルヒコは窓から女の様子をうかがい見る。女は村長から衣服のようなものを受け取っていた。
やがて戻ってきた女は、先ほどよりも多い裁縫道具を抱えていた。
「それは……?」
「村長の孫娘が、今度嫁入りをするのだそうです。私が裁縫が得意だと言ったら、ぜひ晴れ着に飾りをつけてくれと。せっかくだから異国風の刺繍でもと望まれまして。私は泊めてもらったお礼を金銭で返す余裕がありませんから、こうして労働で返すのです」
「なるほど……。しかし、刺繍は時間がかかるのではないか?」
「ええ、まあ、それなりに」
女は早速針に糸を通すと、すっすっす……と縫い始めた。
「兄上、そろそろ休みましょう」
ナナクサが寝具を広げながら言う。
「ああ、そうだな。あなたは休まないのか?」
「これが終わったら休みます」
女はタケルヒコに対してわずかに微笑み、視線を布の上に戻した。
寝具にくるまった三人は、女がひたすらに手を動かす気配を感じながら、眠りに落ちた。
翌朝、タケルヒコは目を覚ます。起き上がると、炉のそばに女が座って、針を動かしているのが見えた。
まさか一晩中作業を?
タケルヒコが起床したのに気づき、女は「おはようございます」と言う。
「もしや、寝ていないのか?」
「眠らなくても平気な体質で」
女は糸を切ると、「できた」と衣を持ち上げた。
明るい黄色の衣装だった。肩から胸のあたりにかけて、白百合と山河の刺繍が施されている。タケルヒコは瞬きした。
「白百合の君、山河を渡り、東の王に嫁す……か」
つぶやいたタケルヒコは、女を見た。
「古い故事の一節だ。白百合に喩えられた娘が、長い旅の末、最愛の人となる東の王の妻となる。二人は生涯愛し合い、幸せな家庭を築いたという。結婚の祝いに、これほどふさわしい図柄もないであろう。あなたは、古典に造詣が深いのか」
そのとき、背後でナナクサとアスマが起き出したので、女から問いの答えを得ることはできなかった。
朝食は、小麦の粉を練って焼いたものと、羊の肉だった。四人は静かに食事を済ませ、めいめい出立の準備をした。
村長夫妻は、女が刺繍をした晴れ着を喜んだ。彼らは、図柄にまつわる故事は知らないのだろうが、美しい白百合が咲き乱れる模様を見て、ほうとため息をついていた。
「我々は大北壁に赴く。あなたも?」
タケルヒコが問うと、女はうなずいた。
「それなら、一緒に馬に乗せてあげましょう。足を怪我しているし」
ナナクサがそう言うと、女に向かって手を差し伸べた。
密命を帯びた旅において、見も知らぬ他人と行動をともにするべきではない。少なくとも、ナナクサはそう考えていた。しかし、女の、子を探しに行くのだと言ったときの表情や、村長夫妻のために丹精して晴れ着に刺繍していた姿を見ると、どうにもほうっておけない気がした。
それに、大北壁まであとわずかだ。たったそれまでの間、道行きをともにするだけ。それくらいならよかろう。
四人は集落に別れを告げ、大北壁に向かって進む。
しばらく進んだところで、突然アスマの馬が激しくいななきながら竿立った。
「うわっ!」
どさっと地面へ落下するアスマ。タケルヒコは馬から下り、親友のもとへ駆け寄った。
「大丈夫か?」
「急に馬が……」
「兄上!」
ナナクサが緊迫した声を上げる。彼女が馬の尻を指さすと、そこには矢が刺さっていた。
「何者かに狙われています!」
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