第27話 大北壁にて②

 独房のような狭苦しい部屋だった。ミリは小さく粗末な椅子に座っていた。その向かいには、筆記用具の置かれた机があり、事務官がひとり座っている。


「これからいくつか質問をする。訊かれたことには正直に答えるように」


 事務官は淡々と告げ、ペンを手に取った。


「名前は?」

「……ミリ。ミリィザ・マハリリヤ」

「親はどこにいる?」

「分からない」


 事務官は羊皮紙にカリカリとペンを走らせる。


「なぜ、あの男と一緒にいた? お前はあの男の仲間か?」

「あの人が、私を誘拐した」


 ミリは膝の上でこぶしを握った。


「誘拐? なぜ誘拐を?」


 問われ、ミリはしばしの間口をつぐんだ。この問いに答えることで、何かが始まってしまうのではないかという予感があった。できれば答えずにいたかった。

 だが、ミリは沈黙を守ることができなかった。こちらをじっと見つめてくる事務官の視線は、無機質な大理石のようだった。ミリは、この問いに答えなければ罰せられるのではないかという恐怖を覚えた。


「……私が、アンダム・ジュスルの娘で、隠された子蛇ヴィカ・チャハリだから」


 事務官の表情がぴくりと震える。だが、目に見える反応はそれだけだった。

 その後も質問が繰り返される。朱瑠ではどのように過ごしていたか。育ての親、テルとはいかなる人間か。貊氊ばくせん人であることをどのように隠していたのか。ミリはそれらに答えていくうちに、だんだんと息苦しくなってきた。額に脂汗がにじみ、身体がすっと冷えていく。


 そのとき、部屋の扉が開いた。

 無言で中に入ってきたのは、あの第二公子だった。

 矢を射かけてきた青年だ。ミリはますます青ざめ、喉をひきつらせる。

 第二公子は、事務官の机から羊皮紙を取ると、その場で目を通した。


「アンダム・ジュスルに会ったことは?」


 今度は第二公子が質問を投げかけた。ミリはうまく息を吸い込めない喉をこじ開け、「ない」と答えた。


「なぜ会ったこともない男を父親だと?」


 間髪入れずに第二公子は問う。ミリは目を伏せ黙り込んだ。アンダム・ジュスルが本当に自分の父親なのかどうか、ミリにも分からない。ただゾラが言ったことを鵜呑みにしただけだ。

 そこで、ミリの顔色がよくないことに気がついたらしい。第二公子は羊皮紙を机の上に戻すと、事務官になにごとかささやいた。うなずいた事務官が席を外し、ミリと公子の二人だけが残される。

 公子は腕を組み、無言で立っていた。その視線は部屋の隅を向き、何かを思案しているようにも見える。ミリは居心地の悪さを感じながら、永遠のように思われた質疑の波が途切れたことに安堵した。


 やがて戻ってきた事務官は、盃をひとつ携えていた。ふわりと漂ってくる甘い匂いに、ミリの視線は自然とそちらを向いた。

 事務官は盃をミリに差し出し、「飲みなさい」と言った。のぞき込むと、白い液体がなみなみと盃を満たしている。それが乳であることは分かったが、この香りの甘さは?

 手を伸ばそうとしないミリに、事務官は言う。


「殿下のご厚意だ。温めた乳に、蜜と香辛料を混ぜたものだから、飲めば身体が暖まる」


 ミリはちらりと公子を見た。彼は相変わらず視線をどこかへ向けている。

 盃を受け取り、そっと一口飲む。こくのある乳の味に、まろやかな蜜の甘さが混じり合い、香辛料の独特な風味が鼻に抜けていく。ミリはごくごくと喉を鳴らして盃の中身を飲み干した。すると身体の底にぽっと熱が生まれ、蒼白だった頬には赤みが戻った。

 そのとき、部屋の扉がコンコンと叩かれた。第二公子は「今行く」と答え、組んだ腕を解く。


「ミリィザ・マハリリヤ」


 彼はミリを見て言った。どうやら一緒に来いということらしい。

 ミリが連れてこられたのは地下牢だった。てっきり投獄されるのかと思ったが、ミリが格子の内側に押し込められることはなく、ひとつの牢の前に立たされただけだった。

 それはゾラの牢だった。

 彼は、壁に背を預けてぐったりとしていた。厳しい詮議を受けたのだろう。袖から覗く手首には縄の痕が赤黒く残っていた。

 ゾラは顔をかすかにあげ、ミリをみとめると、はっとした顔になった。


「あんた」


 ゾラは「いたたた」と顔をしかめながら身を起こす。


「なにもされてないか?」


 ミリが口を開く前に、「それはお前次第だ」と公子が答える。


「それとも、お前の裏切りによって消された男の娘ならば、どうなろうがかまわないか?」

「待て!」


 ゾラは立ち上がり、まろぶように格子にすがりついた。


「その子に髪の毛一本分でも危害を加えてみろ、お前たちを八つ裂きにしてやるからな!」


 ゾラの怒鳴り声がぐわんと地下牢中に響き渡った。ミリは目を見開き、呆然とつぶやいた。


「裏切ったって……どういうこと? 消されたって――私の父さんが?」


 ゾラは表情を歪ませ、沈黙する。公子はふんと鼻をならした。


「この男は、お前を故郷に連れ帰るとでも言ったのだろう。だが、それは偽りだ。マハリリヤ氏族はこの者の裏切りによってすでに壊滅した。お前は、バディブリヤ氏族の軍営に連れて行かれるところだった」

「そんな」


 ミリは後ろへ一歩退いた。


「そうなの……?」


 ゾラへ問いかけると、彼は口をつぐんだまま答えない。


「そんな」


 ミリは再びつぶやき、へなへなと座り込んだ。公子はそんなミリを見下ろしていたが、ゾラに視線を移す。


「我らの手に落ちた以上、お前の道はふたつ。このまま牢で責められ続けるか、情報を渡すかだ。しばらくそこで考えるといい」


 公子はきびすを返す。ミリはのろのろと立ち上がり、あとに続いた。ゾラがなにか言いたそうな顔をしたが、無視した。今は何も考えられない。

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