第17話 祭り⑥

 ゾラは言った。


「ミリィザ。あんたをマハリリヤ氏族領に連れて帰りたい」

「……」

「この国にいても、つらい思いをするだけだろう?」

「でも、母さんを探さなきゃ。それに」


 ミリはちらりとテルを見た。テルの呪いを解く方法も、まだ見つかってはいない。


「私のことは気にしないでいい。ミリのしたいようにすればいい」


 テルのその言い方はそっけないと言えなくもなかったが、傷が痛むのと、ミリに余計な気遣いをさせまいとする意図が含まれているのは明らかだった。


「おいらたちは、アリィザが生きているとは思っていない」


 ゾラの言葉は、ミリの胸を冷たい針のように刺した。


「アリィザは昔から放浪癖があって、たとえどこかに閉じ込めてたっていつの間にかいなくなっているような女だった。それでもあの希有な歌声の持ち主だ。どこにいるか、噂ぐらいは聞こえてきたもんだ。それがここ数年はぱったりと途絶えている」


 ミリの暗く沈んだ表情を見て、ゾラは「だけど」と言った。


「生きてたらそのうちマハリリヤ氏族領に帰ってくるかもしれないぜ。少なくともここミハラにいるよりは、可能性が高いと思うね」


 その言葉はもっともだった。ミリは帝都で三年暮らした。その間に母の評判を耳にすることはあっても、消息がまったく掴めないことに何度もがっかりさせられた。すでに死んでいるのだとしたら望みはないが、生きているのなら――


「少し、考えさせて」


 ミリは言った。


「分かった」


 ゾラはうなずき、立ち上がる。


「明日の朝、答えを聞こう。……おいらは今夜、用事があるから留守にするけど、この部屋は好きに使ってくれ」


 そう言うと、彼は部屋を出て行った。

 しんと部屋が静かになる。ミリはやや呆然として、宙に向かってつぶやいた。


「……私が北原将軍の娘だったなんて」

隠された子蛇ヴィカ・チャハリか……」


 テルが天井を見ながら、感慨深げに言う。


「ミリには不思議な力があったんだね」

「あ、えっと」


 ミリは口ごもった。


「別に隠してたわけじゃないの。ただ、それが特別なことだとは思いもしなくて……」


 テルはくすくすと笑い、それが傷に響いたのか顔をしかめる。


「そう思うのはミリだけかもね」


 ふうと息をつき、テルは目を閉じた。疲労が溜まっているはずだ。ミリも急激な眠気を感じ、畳の上に横になる。そのまますとんと眠りにおちた。


*   *   *


 ナナクサは御所の奥深く、みずからの宮で長らく伏せっていた。

 このところは高熱が出て、床から起き上がることもできぬほど。タケルヒコやユズリハが毎日のように見舞いに来ていたが、病が移ってはいけないと断ってからは、一人で過ごす日々である。

 その夜は、埃の落ちる音さえ聞こえそうなほど、静かであった。

 ナナクサをまどろみの中から呼び覚ましたのは、窓がカタリと開く音だった。

 ひんやりした風がさあっと部屋に舞い込んでくる。


「……何者ですか」

「あんたが、『手紙の賢者』かい」


 その声は、若い男のものだった。

 手紙の賢者などと大仰な。一体誰がそんなことを。ナナクサは問おうとし、咳が出そうになったので口を閉じた。


「同盟会議で皇太子が参照する資料、その多くが、あんたが諸国の賢人とやりとりした手紙だ。あらゆる知恵が集約されたあんたを、いつしか『賢者』と呼ぶようになったのさ」


 男は窓辺に腰掛け、言った。ここは三階である。外から登ってきたのだろうか。ナナクサはこの侵入者を、どうしたものかと考えた。何をしに来たのか。害意があるのか、否か。


「賢者などと……買いかぶりも過ぎましょう」


 ナナクサは言いながら、重く熱い身体を、やっとの思いで起こした。それだけで息が切れてしまう。

 だが、男の容姿は確認できた。目深に被った帽子の下からこぼれる金色の髪が、月明かりに照らされている。


「その髪、マハリリヤ氏族の……」


 ナナクサはしばし考える。


「北原将軍、アンダム・ジュスルの使者ですか」


 男はにっと微笑んだ。


「よく分かったな――というのは、あんたにはそぐわないな。あんたなら色んなことが分かるんだろう。それに、この国の他の連中と違って、マハリリヤを嗎吧姈まはれいとか、アンダム・ジュスルを鞍打柔志あんだじゅうしと呼ばないのも、気に入ったぜ」

「名前というものは、物事の本質を表すもの。それを恣意的に歪めることは、道理ではない。あなたも、そう思うのでしょう」


 ケホケホと乾いた咳が出て、喉に痛みが走る。長く喋るとこうなってしまうのだ。ナナクサは枕元の水差しを手に取ったが、既に空になっていた。


「汲んできてやろうか?」


 男が言ったが、ナナクサは首を振った。


「いいえ、結構です」

「でも、水が欲しいだろう」

「得体の知れぬ相手に差し出された水を、私が飲むとでも?」

「おいらたちは互いを知ってるぜ」

「それは私たちの立場の話」


 言いながら、ナナクサはどこかこの問答に楽しさを見出していた。まるで軽快に将棋を差すような。


「いいや、それだけでなく、あんたはおいらのことをよく知ってるはずだ」


「では、名乗ったらどうです」


「あんたの真名を教えてくれたらね」


「それだけの価値があるというのですか、あなたの名前に」


「おいらの名前なんて、さほどのこともないさ。でも、ここまで忍び込むのは大変だったんだ。ちょっとくらいご褒美が欲しいね」


「ならば、まずはここまで来た理由を明かしなさい」


「じゃあ、おいらたちが昔どこで会ったか、それを答えてみてくれ。なぞなぞは得意だろう。手がかりの一、平らな場所」


「平原……ではないですね。私は行ったことがありません」


「手がかりの二、人は住んでいない、というか、住めない」


「平らで大きな湖の上、船に乗って。ですが、私は身体が弱いうえに船酔いするので、家族から船に乗ることを止められています」


「手がかりの三、白い場所」


「白い場所……。この国の東に、雪の湖という、塩湖があります。平らで、人は住めず、純白の地です。ある貴族の領内に、最近になって発見されました。私は行ったことがありませんし、あなたもないでしょう」


「それなら、おいらたちはどこで会ったんだ? 手がかりはもうお終いだぜ」


「あなたは、将棋を指しますか?」


「……指すよ」


「でも、将棋盤は持っていませんね」


「持ってないな。北じゃあ、将棋を指す習慣がそもそもないんでね」


「でも、駒は持っていますね」


「木の棒でできた細長いやつなら、持ってる」


「私も同じものを持っています。そこに」


 ナナクサは文机を指さした。そこには判子が置いてある。役目によって形の異なる将棋の駒を模したもの。その脇には、こまかく升目の引かれた用紙。ところどころ、交差した線と線の間に、黒や朱の駒の形をした印が点々と判で押されていた。

 将棋の勝負譜である。

 男は近寄り、駒の配置を眺めた。そして、黒の判に墨を塗って、紙の上に押す。


「平らで、人が住めず、白い場所。私たちは、手紙の上で会っていたということですね」


「正解だ。あんたにゃ簡単すぎる謎かけだったろうけどな」


 ナナクサの文通相手の一人。二人は手紙で、将棋の勝負をしていたのだ。

 きっかけは三年前、ユズリハが銀の谷から帰還したあとのこと。帝都ミハラでは、民間が主催する将棋大会が開催されていた。体調を崩していたナナクサは、将棋の分かる女官を大会の観戦に行かせた。自分の代わりに名勝負を見てくるようにと。そして、優勝者に渡すようにと、一通の手紙を託していた。そして、飛び入りで参加した棋士が優勝を果たし、手紙はその者に渡されたのだ。

 その者こそが、対螞弖仆ばていふ同盟のために帝都を訪れていたゾラだったのだ。


「マハリリヤ氏族の使者にして、軍師のゾラ」

「おいらの本業は薬草師だけどね」

「それは知りませんでした。薬も毒もよく知っていそうですね」

「よく知ってる、当然さ」


 将棋の相手がいなくなるのは嫌だし、とゾラは言って、懐から紙包みを出した。


「これ、飲むといい。結構苦労して探したんだぜ。あんたの病に効く。南の国には生えてない薬草だ」

「それを渡すために、危険を冒してまでここへ?」

「まあ、うん」

「変な人……」


 ナナクサは呆れた。


「手紙に同封してくれても良かったのですよ。わざわざここに来なくとも。こちらから返礼品を送ることも不可能ではないでしょうし」

「あんたに、会ってみたかったもんで」


 ゾラはやや照れた様子で言う。ナナクサは片眉を上げた。


「私は手紙で、みずからの性別を明かしていませんでした。女だと知って失望したのでは?」


 すると、ゾラは不思議そうに首をかしげる。


「失望? なぜだい?」

「なぜって……」


 ナナクサは目を伏せた。おんなに求められるのは、大人しく従順で、夫に従い、国のために身を捧げること。趣味で他国の人間と文通するなど、言語道断の行いである。皇太子はナナクサの手紙をよく活用してくれているが、そんな兄でなかったら、とっくの昔に燃やされていただろう。


「あんたにはこの国は窮屈なんだろうなあ」


 ゾラは言う。


「どうだい、おいらと一緒に来ないかい。平原じゃあ、あんたみたいな賢い女はどんな宝よりも価値があるんだ。おいら、誰にも知られずあんたを攫っていくことぐらい、造作もないぜ」


 まるで略奪だ、とナナクサは思ったし、言った。


「略奪さ」


 ゾラは当然のことのように言う。


「おいらたちは、自分の妻でさえ、略奪で手に入れるんだ」


 ナナクサはゾラを見返した。彼の瞳には明るい炎のような光がある。病で弱った身体に、ひそかに力を与えるような――病とは別の熱が、ナナクサの内に宿る。


「ご心配なく」


 ナナクサは苦笑する。


「私の兄が、約束しました。私を宰相にするか、もっと自由な国に嫁がせると。あなたに攫われるには及びません」

「その約束が、本当に守られると思うのかい?」

「私は兄を信じています」

「そうかい……」


 ゾラはいくぶんしょんぼりしたようだ。だが彼は気を取り直し、


「あんたがおいらを好いてくれるなら、いつでも忍び込んでくるよ。今日は……それを言いに来たんだ」

「もし、私の真名を明かすことができたら、考えてもいいですよ」

「それ、『蝶々姫』の最後の話だな。立場が逆だけど」


 蝶々姫に求婚する王子がいた。王子は言う。明け方までに私の名を明かすことができねば、あなたは私の妻にならねばならない、と。


「さて、もう行かにゃ」


 ゾラは立ち上がり、窓辺に足をかけた。空には燦然と星たちがきらめいている。こんな夜は、花嫁を略奪するにぴったりの夜なのだが。


「また、手紙で」


 彼はそう言うと、ひらりと飛び降りた。たんっと身軽に着地し、駆けていく音がする。それもやがて聞こえなくなる。

 行ってしまった。

 ナナクサは開け放された窓から、外の星を眺めた。

 蝶々姫が王子の名前を明かそうと悩んだ夜も、こんな空だったのだろうか。

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