第55話 治験

 薬による副作用の話を聞き、二人ともすぐには決断できなかった。


 莉子りこは仕事上、味覚障害になるのは困る。だから、万が一のことを考え、若いうちは必死に働いた。

 くるみも、あまり若いときから身体の麻痺は受け入れられないと思い、今までずっと考え続けてきた。

 

 そんなふたりが、そろそろと思った時期が同じだった。

「やっぱり、気力と体力のあるうちにやっちゃった方がいいと思うんだよね」

 くるみの意見に莉子も同意する。

「わたしもそう思う。それに、そろそろやらないと三月たちが――」

「うん。三十になっちゃうからね」


 烏天狗の家系である飯縄いづな一族は、三十代になると顔や体の成長が極端に緩やかになる。

 つまり、これ以上待っていたら、自分たちだけがどんどん老けてしまうのだ。


 それでも恐怖心はある。

 自分の身体を人ではないものに作り変えるのだから、怖くて当然だ。

 そんなとき、同じ立場の友人がいるのはありがたかった。


 * * *


 違う部屋だと面倒だからという理由で、巴はふたりに二階の広い部屋を与えた。


 次の日から治験が始まった。

 朝昼晩の三回、巴の調合した薬を飲む。

 薬草をすり潰し、よくわからない物を混ぜた薬だが、莉子たちは敢えて何が入っているのか訊かなかった。知ってしまうと、とてもじゃないが飲める気がしなかったからだ。


 * * *


 薬を飲み始めて三週間。

 副作用はだんだん激しくなる。吐き気、頭痛、ときには痙攣けいれんまで起きる。まともな医者なら服用を止めるだろう。

 だが、巴は「副作用が起きるってことは、効いてるってことだ」と嬉しそうに笑う。

 ベッドでのたうちまわるふたりの脳裏に、「マッドサイエンティスト」という言葉が浮かんだ。


 地獄のような毎日のなかで、時々カグヤに会えることが救いだった。くるみにも、藤十郎から送られてくる管狐くだぎつねのマリリンがいた。

 さすがにその名前はないだろうと藤十郎に言われたらしいが、「好きな女優の名前だから」と押し通したそうだ。


 たとえ触ることはできなくても、目の前でカグヤがくつろぐ姿を見ているだけで心が癒される。自然と涙が出てくることもあった。


『リコ、だいじょうぶ? かなしいの?』

 カグヤが莉子の身体の上に乗り、心配そうに顔を覗き込む。


「ううん、大丈夫。カグヤに会えて嬉しかっただけ。恥ずかしいから、三月には内緒にしてね」

『わかった』


 カグヤは来るたびに小さな花を一輪置いて行く。

「いいなあ。三月くんてロマンチストだよね。藤十郎はそういうとこダメなんだよねぇ」

 くるみが拗ねたように言う。

 小さな花瓶に挿した花を見ていると、莉子は最後まで頑張れる気がした。


 * * *


 薬を飲み始めて二か月後。

 ようやく副作用が出なくなり、莉子とくるみは心底ホッとした。

 三月と藤十郎からは、管狐を通じて「まだ帰ってこないのか」と何度も催促がきている。山には来ちゃ駄目だと言われてるので、余計イライラしているのだろう。

 だが、帰れるかどうかを判断するのは巴だ。


 その後も投薬は続き、ある日、とうとう巴の許可が出た。


「もう薬は飲まなくてもいいだろう」

「ほんとに? それって、成功したってこと?」

「わたしたちの身体、変わったんですか?」

 ふたりはまだ半信半疑だ。


「おそらくな。莉子、あそこにあるテーブルを持ち上げてごらん」

「へ? テーブルですか?」


 一枚板でできた分厚いテーブルは、重くてとても一人では無理だ。

 だが、巴の言う通りに持ち上げてみると、

「あれ?」

 軽々と持ち上がった。

「すごいね、莉子!」

「いやいや、おかしいでしょ」

「くるみもやってごらん」

 くるみが莉子と交代すると、やはり軽々と持ち上がった。

「わ、なにこれ!」

「言っただろう。一族の女は力持ちだって」

「「ええー!」」

 莉子とくるみの叫び声が上がる。


「おそらく寿命も延びたはずだ。これからは老化もまわりの人たちより遅くなるから、そのうち見た目でばれるだろう。誰にどういうタイミングで話すかは自分たちで決めな」

 

 すごいすごいと莉子とくるみが手を取り合って喜び、巴に深々と頭を下げた。

「巴先生、色々とありがとうございました」

「大変、お世話になりました」


「いいデータが取れて良かったよ。大丈夫だとは思うが、もしひどい副作用が出たら、町の病院の方でもいいから相談においで。特に莉子は遠方に住んでるから、早めに旦那に打ち明けた方がいい」


「はい、そうします。子どものこともありますし」

「うん。ふたりともお疲れさん」


 莉子とくるみは、それからすぐに山を下りた。白い鳥の後を追うが、面白いほど身体が軽い。


「なんかすごくない? この身体。力だけじゃなくて、全然疲れないんだけど」

 くるみが下り坂を駆け下りながらケラケラと笑う。


「ほんとすごいよね。ちょっと副作用が心配だけど」

「たぶん大丈夫だよ。そんなことより、これからは子作りに専念しなきゃ」

「そうだね。赤ちゃんかぁ。ふふ」

「できたらすぐに教えあおうね。変な遠慮とかしないで」

「わかった。お互い、頑張ろう」

「いや、頑張るのは旦那じゃない?」

「もう、くるみったら!」


 キャッキャとはしゃぎながら、凄い速さで険しい山を駆け下りていくふたりは、もう普通の人間には見えなかった。






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