第2話 十年後

 

 その日を境に三月みづきは変わった。

 うつむいていた顔を上げ、鏡夜きょうやや兄たちの目をまっすぐに見るようになった。小さいからと恥ずかしがっていた翼を広げ、飛ぶ練習にも励んでいる。


「お肉をいっぱい食べなきゃだめよ。つばさにも筋肉と骨があるって本に書いてあったの。つばさを強く大きくするには、筋肉をつけて骨も強くしなきゃ!」


 莉子りこの助言に従って、苦手だった牛乳をごくごく飲み、肉や野菜もいっぱい食べるようになった。


 鏡夜は、小さい頃から莉子を見てきたので、彼女が優しくて正義感の強い子だとわかっていた。正直、この子なら三月を変えられるかもしれないという淡い期待もあった。


(だが、まさかこれほどとは。もしかして、初恋ってやつなのか?)


 三月を見ると、口の中に無理やり食べ物を詰め込んでいるところだった。

(くっ、なんて可愛いやつ)

 鏡夜の胸に甘酸っぱいものが広がった。


 年を追うごとに莉子による栄養指導は加熱し、三月のために次々と新しいレシピを調べてきた。


「骨を作るには、カルシウムの他にビタミンDとKも大事なんだって! 今日はこの『じゃこチーズ納豆』にしてね」


「筋肉にはタンパク質。やっぱりお肉がいいんだね! 夕食は『チキンのトマト煮込み』かな」


 ちなみに食事を作るのは鏡夜だ。

「ずいぶん調べたね。すごいなあ、あははは……」


 莉子による熱血指導は何年も続き、結果として鏡夜の料理の腕はいちじるしく上がった。美味しくて栄養も良いメニューに妻の静香しずかも大満足だ。


「お肌も綺麗になったみたい。これも莉子ちゃんのおかげね」


「成長期の子どもは栄養バランスに気をつけなきゃいけないって、莉子にさんざん教えられたからね」と、鏡夜が苦笑する。


 中学生になると、莉子は自分でも料理をするようになり、時々三月の弁当も作ってきた。ちなみに、陰で『愛妻弁当』だと噂されていたことは知らない。

 子どもの頃と変わらず、仲の良いふたりだった。


 ◇


 莉子と三月が知り合ってから、十年の月日が流れた。


 ふたりは地元の宮野みやの高校に入学した。この学校では三年間クラス替えがない。

 偶然、三月と同じクラスになれた莉子は、「しゃーっ!」と思わずガッツポーズをした。

(良かったぁああ。三年間ずっと一緒のクラスだ!)


 友だちと話している三月をちらりと見る。

 太い眉、上がり気味の大きな目、笑うと幼くなる顔は子どもの頃と変わらない。

 だが、背が高くなって筋肉もつき、ずいぶんたくましくなった。


「なあにぃ、誰かさんに見惚みとれちゃって」


 友だちの睦美むつみが後ろから抱きついてくる。


「いや、ずいぶん背が伸びたなあと思って」


「そうお? あー、確かに高校に入ってから急に身体が大きくなったかも。もうすぐ祭りだから鍛えてるんじゃない? あ、でも、あんまり活躍してモテちゃうのも嫌だよねぇ?」


 ニヒヒっと睦美が笑う。


「そ、そんなこと」

 ないけど、と莉子はごにょごにょと言葉を濁す。


 莉子たちが住んでいる宮野町みやのまちでは、毎年八月の終わりに「天狗祭り」が行われる。

 祭りでは、仮装した大天狗だいてんぐ鳥天狗からすてんぐを中心に、山伏やまぶしに扮した若者たちが商店街を練り歩き、それを目当てに県外からも大勢、観光客が訪れる。


 毎年、祭りのフィナーレで、烏天狗たちが試合形式の体術を披露するのだが、三月は今年初めてこれに参加することが決まった。

 去年、一昨年おととしと兄たちが戦っているのを見て、自分も出たいと切望していたので、体術の訓練にも自然と力が入った。


 三月の兄たちも同じ高校に通っている。

 長男の一路いちろは三年生。がっしりとした体格で背も高く、柔道部の主将をしている。次男、二年生の瑛二えいじはバスケット部のエース。少し長めの髪を茶色に染め、部活中はひとつに結んでいる。ちょっとチャラい感じだが、きれいな顔立ちのうえ、優しいので女子に人気がある。


「烏天狗の戦いってカッコいいもんね。一路さんも瑛二さんも出るし、今年は楽しみだね!」

「うん」

 莉子と睦美が一緒に見に行こうねと約束したとき――


 ウオォォーーーーーー。


 突然、山から警報が鳴り響いた。

 莉子がハッとして三月を見ると、すでに窓から飛び出そうとしていた。


「三月!」


 思わず名前を叫ぶと、三月は振り返り、莉子に言った。


「数学のノート取っといて」

「わかった! 気をつけてね」

「おお!」

 

 三月は笑顔を見せると、窓枠に掛けた足を蹴って、三階の窓から外に飛び出した。

「きゃあ」と誰かが小さな悲鳴を上げる。


 制服が神通力で黒い鈴懸すずかけと袴に変わり、背中からわずかに青みがかった大きな黒い翼がバサリと広がった。


「いってらっしゃーい!」

「頑張れー!」

 クラスメイトたちの声が飛ぶ。


 山の方へ飛んでいく三月の後ろ姿を目で追うと、すでに一路と瑛二が先を行くのが見えた。三月は彼らに追いつこうと、ぐんぐんスピードを上げていった。



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