第45話 くるみと藤十郎

「お茶はすごく苦かったけど、せっかくいれてくれたんだから、我慢して飲み干したの。先生は満足そうにうなずいてたから、きっと飲めないひともいるんだろうね。気を良くしたのか、またお茶を飲みにおいでって誘ってくれて……それからは、週末になると何時間もかけて山を登って、苦いお茶を飲みに行ったの。すごいでしょ?」

 智子はクスクスと笑った。


「うわあ……そんな大変なこと、よく続きましたね」


「自分でも不思議なのよね……お茶を飲んで、少しお喋りをするだけなのに、どうしてあんな遠いところまで通ってたのかしら」

 喉が渇いたのか、智子は少し冷めたミルクティーを飲んだ。


「だけど、何度か通ううちに、山を登るのが少しずつ楽になって、体調も良くなってきたの。夫にも『最近明るくなったな』なんて言われるくらい。山の診療所や不思議な鳥の話を、彼が面白そうに聞いてくれるから、昔みたいにたくさん話をするようになった。そして、何度目かの訪問のあと、巴先生にもう来なくていいって言われたの」


「それってもしかして――」


「ええ。お腹のなかにこの子がいるからって」

 智子は抱いている赤ん坊を愛おしげに見つめた。


「出産後、夫と一緒に山に行ったけど、白い鳥は現れなかった。まあ、そうかなとは思ってたけどね。代わりにお寺に参って、山の神様にお礼を言って帰ったの。病院で先生とすれ違うこともあったけど、お礼を言おうとしたら唇に指をあてて『内緒』だって合図されちゃった」

 

 ここまで話したところで、赤ん坊がぐずり始めた。


「ああ、ごめんなさい。そろそろ授乳の時間だわ」


「いえ、詳しく話していただいてありがとうございました」


「ううん。本当に困っているひとには話してもいいって言われてるし。なにか役に立てれば嬉しいわ」


 * * *


 智子の話を聞いたあと、山で会うことが難しいならと、くるみは町の総合病院で巴を待ち伏せることにした。

(とにかく一度話を聞いてもらおう。わたしだって本当に困ってるんだから)


 ところが、話しかけようと近寄ると巴は逃げていく。忙しいからかと思っていたが、どうやらくるみを避けているらしい。


「なんでよ!」

 怒るくるみに藤十郎が言う。

「真剣すぎて、顔が怖いんじゃない?」

「なによ、人ごとみたいに。藤十郎ももうちょっと考えてよ」

「はい、すみません」

「うーん、病院が駄目なら山かぁ。どうにかして名刺が手に入らないかな」

「あっ」

「なに?」

「いや、そういえば、三月が昔、巴さんに名刺をもらったとか言ってたような……」

「はあ? なんで今まで黙ってたのよ」

「ごめん、忘れてた」

「もう、しょうがないなあ。ちょっと三月くんに電話してよ」

「え、今?」

 くるみに睨まれ、すぐに電話をかけた。


「三月、元気か? あのさあ、前におまえ、巴っていう女医から名刺もらったって言ってたよな? うん、そう。あれって、まだ持ってる? ……ああ、良かった。あ、ちょっとくるみに電話変わるから」

 藤十郎がくるみにスマホを渡す。


「三月くん? うん。ごめんね、急に。実はあの名刺がどうしても必要になって……そう、例の件で巴先生に話を聞きたくて。今度、莉子と一緒にこっちに来られないかな? うん、すぐじゃなくてもいいよ。……わかった。連絡してね」


「一緒に来られるように調整して、なるべく早く来てくれるって。良かったぁ!」

「うん。ありがとな、くるみ。色々と頑張ってくれて」

 藤十郎がくるみの頭を撫でる。


「ふふん。もっといっぱい褒めていいよ」

「よおし」

 くるみのひと言で、藤十郎のイタズラ心に火がついた。

 カーペットに座ったまま、ひょいと持ち上げられ横抱きにされる。

「いい子だねえ」と揺らされ、恥ずかしさにくるみの顔が火照ほてる。


「ちょ、やめてよ。赤ちゃんじゃないんだから」

「お、くるみの照れ顔久しぶりに見た」

「もう、バカ。離してってば」


 藤十郎は、抵抗するくるみをしばらく楽しんでから手を離した。涙目で睨まれたが可愛いだけだ。その後の怒りのこもったチョップは痛かったが。


「うまくいくといいな」

「うん。大っぴらにはできないだけで、烏天狗と人間のカップルって結構いると思うんだ。きっとみんな、将来に不安を感じてる。そのひとたちのためにも頑張らないと」

「俺の彼女、かっけえ」

「ふふ、もっと褒めていいよ」

「じゃあ、もう一回」

 藤十郎がこりずに手を伸ばし、「それはもういい!」とくるみに怒られた。


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