第5話 天狗の羽団扇

 次々と上がる花火が、夜空に赤や黄色の大輪の花を咲かせる。

 咲いては散る花火を夢中で見ている莉子の右手の指に、何かが触れた。

 見ると、三月の左手の指先があたっている。


(これってわざと? 偶然???)

 莉子は指を動かすこともできずにそのまま固まっていた。


 最初に指先があたったのは偶然だが、三月は勇気を出して、ほんの少しだけ指をからませた。ピクリと動いた気もするが、莉子は何も言わない。


 ふたりとも内心、花火どころではなかったが、黙って夜空を見上げていた


 そのとき、ふいに悲鳴が聞こえた。


「燃えてるぞ!」


 誰かが叫んだ。

 遠く、地上に炎が見える。


 三月が立ち上がり、莉子を振り返って一瞬、逡巡しゅんじゅんした。


「行って! わたしは大丈夫だから」

 莉子の力強い言葉に、三月がうなずく。


「ちゃんと避難してろよ。あとで迎えに行くから」


 そう言うと、大地を蹴り、空高く舞い上がった。

 三月の黒い翼を見て、歓声が上がる。


「烏天狗だ!」


 他にも空を飛んで行く影がいくつか見える。


 莉子は逃げ惑う観客と共に、火事と反対方向に向かった。なかには焦って人を押しのけていく人もいて危ない状況だ。


「うわーん、おかあさーん」


 どこからか子どもの声が聞こえる。

 辺りを見回すと、ひとりで泣いている子どもがいた。どうやら親とはぐれてしまったようだ。

 莉子は人の流れに逆らうように、子どもに近づいて行った。

「大丈夫?」

 手を伸ばした瞬間、後ろから来た男に突き飛ばされた。

「きゃっ!」

 転びそうになった莉子を誰かが支えてくれた。


「大丈夫か?」

「鏡夜おじさん! ありがとう、助かったぁ。この子の親を探したいんだけど」

「ああ、この先に迷子センターがあるから一緒に行こう。おいで」


 鏡夜が手を差し出すと、子どもは大人しくその腕に抱かれた。


「静香さんは?」

「先に避難させた。三月のことなら心配いらない。現場にはあいつが駆けつけてるはずだ」

「あいつ?」

「関東の烏天狗の中で、最大の神通力を持つ大天狗だいてんぐさまだよ」


 *


 三月が現場に着くと、すぐに一路と瑛二も駆けつけてきたが、火の勢いに押されてなかなか近づけない。


「誰か人はいるのかな?」

 三月が焦った声を出す。

「どうだろう」

「とにかく俺らの団扇うちわで消せるかやってみよう」

 一路の指示に従い、瑛二と三月が間隔を開けて炎を囲むように立った。

 

 烏天狗の羽団扇はうちわは、自身の羽十一枚でできている。三人が上空に向かって羽団扇をあおぐと、弱い雨が降ってきた。だが、火の勢いは止まらず、さらに燃え広がろうとしている。


「消えない。どうしよう、兄ちゃん!」

 三月が叫ぶ。

「駄目だ……くそっ、父さんはまだか」

 一路が焦った声を出す。 

「今日は遠出してるはずだから――あ、来た!」


 暎二の視線の先に大天狗がいた。驚くほど大きな翼を広げ、猛スピードでこっちに向かって飛んでくる。

 あっという間に目の前に来た大天狗に、「邪魔だからどいてろ」と言われ、三人は慌てて後ろに下がった。


 大天狗が巨大な羽団扇はうちわを一振りすると、黒い雲が凄い早さで空を覆い、土砂降りの雨が地上に降り注いだ。


「ウワーッ!」

「雨だ! 助かった」

「さすが大天狗さまだ!」


 人々の歓声が聞こえる。

 あっという間に火はすべて消え、辺り一面が水浸しになった。


 *


 雨が上がり、兄弟たちはずぶ濡れのまま大天狗の説教を聞いた。


「これくらいの火も消せぬとは情けない。おまえたち、日頃の鍛錬をおろそかにしてないか? こんなざまでは、誰も守ることなどできんぞ」


 いつもの毒舌だが、今回は本当に頭が上がらない。兄弟揃って、うなだれたまま何も言い返せなかった。


「どうなんだ? 一路」


 一路は、何の役にも立たなかったことが悔しくてたまらなかった。飯縄兄弟の中でも群を抜いて優秀だと周りから褒めそやされ、いい気になっていたのだ。父の前でこんな情けない姿を見せたことが恥ずかしい。


「今後はもっと神通力を高める修練に励みます」

「瑛二は?」

「はい。俺も、もっと頑張ります」

「三月」


 名前を呼ばれて、三月の身体がピクリと震えた。いまだに父の前に出ると顔がこわばる。最近は理不尽な叱り方はされていないのに、いつまでたっても子どもの頃の苦手意識が抜けないのだ。


 そんな情けない気持ちを莉子に打ち明けたことがある。すると莉子は、

「そんなの当たり前だよ。いくら親だからって、暴言を吐き続けられた子どもは、傷つくし、自信を無くして萎縮いしゅくする。そんなこともわからないなんて、お父さんがバカなんだよ!」と三月のために怒ってくれた。


 そのときのことを思い出すと、ふっと力が抜けた。


「自分でも力足らずで情けないと思いました。今後は兄ちゃんたちにも負けないよう、鍛錬を重ねたいと思います」


「……そうか。三人ともその言葉を忘れず、今日の失敗を二度と繰り返さないようにしろ」


「「「はい!」」」

 三人は大きな声で返事をした。



 



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