第23話 晴彦と穂乃果 2

 銀杏いちょう神社には、名前の由来となった大きな銀杏の木がある。樹齢何百年とも言われる大木で、四季折々の姿で参拝客の目を楽しませてくれる。


 穂乃果ほのかが子どもの頃には、この木のそばを白いフワフワしたものが飛んでいるのが見えたものだ。

 父に言うと、「銀杏の精霊かもしれないね。すごいなあ、穂乃果には見えるのか。いいなあ」と本気で羨ましがっていた。

 父の母はそういう、人の目に見えないものがよく見えたそうだ。


「時々、何もない空間をじっと見ていることがあったが、わたしには見えないから詳しいことは教えてくれなかった。おばあちゃんが生きてたら喜んだだろうな。仲間ができたって」


 穂乃果が、社務所の中から黄金色こがねいろに輝く銀杏を眺めていると、晴彦はるひこが参道を歩いてくるのが見えた。いつもの黒い鈴懸すずかけと袴姿で、穂乃果と目が合うと嬉しそうに手を振る。


 あまりにしょっちゅう顔を出すので、神社で働く人たちは、

「彼、穂乃果ちゃん目当てなんだってね」

「なかなかいい男じゃない。穂乃果ちゃん、モテるわね」

 などど面白がっている。


 宮司である穂乃果の父だけは、胡散臭い目で晴彦を見ているが、なにかするわけでもないので、文句もつけられないらしい。それどころか、参拝客相手に銀杏神社の歴史を語っていることさえある。


「なんなんだ、あの天狗さんは」

「立て札見てるうちに覚えちゃったみたい」

「まあいい。たまにはお茶でも出してあげなさい」

「あ、うん」


(びっくりした。お父さんがそんなこと言うとは思わなかった)


 誰もいない参拝者待合室で、晴彦とふたりでお茶を飲む。

 お茶請けは金平糖こんぺいとう。晴彦は「可愛いね」と言いながら、金平糖を口のなかに放り込むようにして食べた。


「こんなに頻繁ひんぱんに来て飽きないですか?」

 穂乃果が前から思っていたことを口にした。


「飽きないよ。前に言ったでしょ、可愛いものを摂取しないと力が出ないって。穂乃果ちゃんに会えると元気が出るんだ」


「そういうの慣れてないので、どう返せばいいかわかりません」


「じゃあさ、穂乃果ちゃんはぼくのことどう思ってる? いつもヘラヘラしてる変なやつだと思ってない?」


「そんなことないです。神社に来ているお年寄りのなかには、気難しい方や人見知りの方もいますが、皆さん、晴彦さんとは楽しそうにお喋りしています。きっと人徳じんとくがあるんでしょう。羨ましいくらいです」


 そう言って、穂乃果は柔らかい笑顔を見せた。

 晴彦の胸が高鳴る。

(可愛いなあ。警戒心の強い猫がやっと懐いたみたいだ)


「穂乃果ちゃんは、将来、宮司さんになるの?」


「まだわかりません。両親もあせって決めなくていいと言うので、ゆっくり考えようと思います」


「そっかあ。……ぼくね、来年の春には比古山ひこさんに帰るんだ」

「え⁉︎ あ、そっか。修行期間が終わっちゃうんですね」


 穂乃果のガッカリした様子を見て、晴彦は嬉しくなった。

(少しは寂しいって思ってくれてるのかな)


「あのさ、一応聞くけど、穂乃果ちゃんが九州の大学に行く可能性ってあるのかな?」

「九州ですか?」


(そんな遠いところ、お父さんが許してくれると思えないけど。確か比古山って、福岡とか大分とかその辺だよね。どんな大学があったっけ。珍しい学部でもあれば……)


「穂乃果ちゃん?」

「はっ」

 晴彦に声をかけられ、いつのまにか行く方向で考えていた自分に驚く。


「ど、どうでしょう。まだ何も決めてないので」

「そうだよね。でも、決めるときに頭の片隅にでも置いといてくれると嬉しいな」

「わかりました」


 妙に気恥ずかしい空気に耐えられず、金平糖をポリポリと噛む穂乃果を、晴彦は愛おしそうな目で見つめていた。




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