第19話 晴彦と穂乃果



 天狗祭りが終わってからも、晴彦はるひこは修行の合間に足しげく銀杏いちょう神社に通い、穂乃果ほのかを見つけると必ず声をかけた。

 二礼二拍手一礼と、きちんとお参りをしてから、境内けいだいにいるお年寄りとお喋りをしたり、野良猫を可愛がったりしている。


(あのひと、なにがしたいのかな)

 穂乃果は、竹ほうきで境内を掃きながら晴彦を観察した。

 背は高いが、優しい顔立ちと穏やかな物腰のせいか、お年寄りや子どもたちにも怖がられる様子はない。まるで人懐こい大型犬を見ているようだ。


 今も子どもたちにせがまれて、ちょっとした格闘技を披露している。

「かっこいい!」

「そうだろう。こぶしを突き出すときは、こんな感じで回転させてみろ」

「こう?」

 子どもたちが晴彦の真似をする。

「そうだ。回し蹴りは身体をひねって、こうだ!」

 晴彦が見本を見せると、おおー、と歓声が上がる。


 烏天狗たちは皆強い。日々の鍛錬たんれん賜物たまものだろう。

(だけど、このひとは特に強い気がする)

 祭りの夜の晴彦は、まったく隙のないしなやかな獣のようだった。


 穂乃果の視線に気づいた晴彦が、子どもたちに何やら声をかけ、こっちに近づいてくる。  

「こんにちは、穂乃果ちゃん」

「こんにちは。今日はお休みですか?」

「いや、休憩中」

「わざわざこんなとこまで来なくても」

「いいんだ。ぼくの癒しの時間だからね。時々、可愛いものを摂取しないと力が湧かないんだよ」

「はあ」

(変わったひとだなあ)


「ちなみに、今一番可愛いと思ってるのは穂乃果ちゃんなんだけど」

「は?」

「フフ。やっぱり気づいてなかったかぁ」

「へ、変なこと言わないでください。わたしが可愛いわけないじゃないですか!」

「どうして?」

 晴彦がキョトンとした顔をする。


「だって、自分で言うのもなんですけど、目は一重でちっちゃいし、愛想もないって言われるし、身体だってなんか、ストンとしてるし……つまり、男のひとに好かれる要素なんて、どこにもないですよね?」


「ええー、穂乃果ちゃんは一重だけど、黒目の部分が大きいから全然気にならないよ。むしろ、そこが魅力的だと思う。愛想がないのも、ぼくみたいなヤキモチ焼きからしたら逆に嬉しいことだし。あとは何だっけ……ああ、体型なんかそれぞれの好みでしょ? ぼくは穂乃果ちゃんのような、つつましやかな体型が好きなんだ」


「……慎ましやかで悪かったですね」


「あ、いや、言い方が悪かったかな? つまり、すごく好みっていうか、大好きってことなんだけど……穂乃果ちゃん? 怒っちゃった?」


 くるりと後ろを向いて黙る穂乃果。

 彼女の頬は赤く染まっていた。

 今まで女性として見られたことがないので、どう反応していいかわからないのだ。

 

「そろそろ行かなきゃ」

 残念そうに呟く声が聞こえ、振り向いた穂乃果の目に、晴彦の背に広がる大きな翼が映った。

 濡れ羽色とはまさにこのことだろう。

 艶のある黒い翼は、神々しいほど美しい。


「また来るね」

 晴彦はにこりと笑って手を振ると、空高く飛んでいった。


『大好きってことなんだけど』


「ひゃあぁあ!」

 晴彦の言葉を思い出し、今さらながら恥ずかしさがこみ上げてきた。

 穂乃果の叫び声を聞き、父親が駆けつけてきた。


「なんだ! どうした、穂乃果!?」

「なんでもない。ちょっと、カラスが飛んできたからびっくりしただけ」

「おお、そうか。獰猛どうもうなのもいるから気をつけないとな」

「うん。でも、優しいカラスだった……」


 怪訝そうな父をよそに、穂乃果は空を見上げて黒い翼の残像を追った。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る