第54話 女だけの秘密
「自己都合だから、そのあいだのお給料出ないんだけど、いいかな?」
「それはいいけど、どうしたの?」
「実は、しばらく京都に行こうと思って」
「ええっ!?」
衝撃を受ける三月。
「な、なんで? 俺、なんかした?」
「いや、違うから落ち着いて。前に、
「うん。覚えてるよ。俺と藤十郎だけ追い出されたもんな」
「そのとき、『烏天狗と人間のあいだにも、子どもができるかもしれない』って言われたの。ただ、そのためにはしばらく巴先生の診療所に入院っていうか、しばらくあの家に同居して、体質改善しないと駄目なんだって」
「子ども……」
(まさか、そんなことあり得るのか?)
混乱する三月。
「あ、絶対ってわけじゃないから、あんまり期待しないでね。でも、挑戦するだけはしてみたくて」
「……わかった。でも、前にも言ったけど、俺は莉子さえいればいいんだ。だから、無理するなよ」
「うん。くるみも一緒に行くから心配しないで」
「そっか。じゃあ、一人よりは安心かな」
「どれくらいかかるかわかんないけど、頑張ってくるね」
「うん、気をつけて。あ、あそこは電波入らないから、カグヤを使いにやるよ」
今もカグヤは三月のそばにいる。山を下りるときに自由にしてやろうとしたが、なぜか離れるのを嫌がった。きっと三月のことが好きなんだよと莉子は言う。
三月だって本当は離れたくなかった。
だから、最後にもう一度だけ訊いた。
「もう山には戻れないんだ。これからは町で暮らすことになるんだぞ。それでもいいのか?」
『うん』
「そうか……わかった。いつかは言葉も通じなくなるかもしれないけど、今は一緒にいるか」
三月が手を伸ばすと、カグヤは黒いつぶらな瞳を輝かせ、手のひらの上に飛び乗った。
あれから、家の中では竹筒から出しているが、カグヤはいつも三月の目の届くところにいた。今も、まるで猫のようにベッドの上で丸くなっている。灰色の小さな頭を撫でると、カグヤは気持ち良さそうに目を細めた。
* * *
四月の年度替わりに、莉子は京都に出発した。
京都駅に着くと、くるみが車で迎えに来ていた。今日はくるみの家に泊まり、明朝から
「莉子、体調は万全?」
「もちろん。くるみは?」
「大丈夫。マラソンで体力つけて、風邪ひかないように気をつけてた」
「いよいよ明日だね」
「うん。なんか緊張するね」
「そうだね。さすがにちょっと……」
「怖い?」
くるみが莉子の顔を覗き込む。
莉子はへへっと笑い、「ちょっとだけね」と答えた。
「わたしも。ちょっとだけね」
不安をごまかすように、クスクスと笑い合った。
翌朝、大きなリュックを背負ったふたりは、ケーブルカーに乗り、山の上の駅で降りた。
「今日は名刺がないけど、ちゃんと迎えに来てくれるかなあ」
莉子がキョロキョロと辺りを見回す。
「あのとき、小鳥を迎えにやるって言ってたから、大丈夫だと思うけど」
ふたりが心細げに空を見上げていると、山の方から白い鳥が飛んできた。
「「来た―――!」」
声を揃えて叫ぶと、まわりの人たちから怪訝な目で見られた。
「やば。他の人には見えてないんだっけ」
くるみが手で口を押える。
「そうだね。ほら、鳥が合図してるよ」
白い小鳥は、前に来たときと同じように、莉子たちの頭上を旋回してから、スーッと山の方へ飛んでいった。
「あ、待ってよぉ」
ふたりは小鳥の後をバタバタと追いかけた。
* * *
以前、巴が男たちを追い出してから話してくれたことを、莉子とくるみは忘れていなかった。
「今まで、烏天狗と人間のあいだに子どもができたという話は聞いたことがないが、決して不可能ではないと思う。ただ、その身体では無理だ」
「じゃあ、どうすればいいんですか?」と莉子が訊いた。
「烏天狗は代々、傍系の女性と結婚し、子孫を残してきた。彼女たちは、烏天狗でも人間でもない。空は飛べないが力は強く、烏天狗ほどではないが人間よりは寿命が長い。そして、彼女たちだけが烏天狗の子を産むことができる。……実は、わたしがこんな身体になる過程で、人間の女性の身体を彼女たちに近づける薬が出来たんだ」
「近づける?」
莉子とくるみが怪訝な顔をする。
「そう。人間の身体を、そうでないものに作り変える劇薬だ。ひどい副作用があるだろうし、もしかしたらその後も身体に異変が起こるかもしれない」
「異変って、どんな?」
くるみがゴクリと唾を飲む。
「そうだな……内臓の障害、アレルギー、手足の麻痺、味覚障害……残念ながら、治験がまだなので、なんとも言えないが……」
歯切れの悪い言い方にくるみが、
「つまり、薬はできたけど、妊娠するかどうかは飲んでみないとわからないし、身体がおかしくなるかもしれないんですね?」
「ああ、そうだ。そういうリスクを抱えても子どもが欲しいと思ったら、そのときはまたおいで。男どもは置いてくるんだよ? 邪魔になるだけだからね」
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