第51話 三月の実家

 鷹尾山たかおさんのふもとに近い小さな滝では、読経どきょうや気合入れ、滝の清掃や僧侶からの法話まで、本格的な修行を体験できる。

 だが、ここは烏天狗たちの修行の場ではない。


 登山ルートから外れた山奥にある「黒龍滝こくりゅうだき」は、水流が多く流れも激しい。山伏や烏天狗たちの滝行はここで行われる。


 この黒龍滝の奥に三月みづきの実家がある。

 白い塀に囲まれた武家屋敷のような外観。母屋を中心に、いくつかの別棟へと繋がる渡り廊下。一歩足を踏み入れると、ここだけ時代が違うような錯覚におちいる。


 家には常に傍系の人々が出入りしている。四葉よつばの父もその中の一人だ。大天狗への崇拝が激しすぎて、娘との間にすれ違いも生じたが、今では家族関係もうまくいっている。


 彼らは烏天狗と人間の媒介となり、その能力や力を金に換える。烏天狗とてかすみを食べて生きているわけではない。何をするにも金は必要だ。


 国の要請で極秘に動くこともあるが、彼らの信仰心や正義に反することは、どんなに金を積まれてもやらない。国も彼らを怒らせたくはないので、無茶な依頼はしてこない。おおむね良好な関係と言えるだろう。


 塀の周りには常に結界が張られ、普通の人間には見えないようにしてある。

 梅雨が明けた頃、三月に連れられて、莉子りこは初めて結界の中に足を踏み入れた。


「うわぁ、なんだか江戸時代にタイムスリップしたみたい」

 屋敷の外観を見て、莉子が目を輝かせた。

「古いからな」

「話には聞いてたけど、大きいねえ」

「でも、京都の僧正坊さまのところに比べたら小さいもんだよ。あっちは公家屋敷って感じだけどな」

「ああ、なんか緊張してきた」

「大丈夫。俺が一緒だから」

 緊張で冷たくなった莉子の手を、三月が温めるようにさする。


 ふたりが大きな踏み石の上を歩いて家に向かうと、旅館のような広い玄関かまちで、優しそうな女性が出迎えてくれた。


「おかえりなさい、三月さん」

「ただいま、シノさん。父さんは?」

「客間でお待ちですよ」

「わかった。ありがとう」


 三月が莉子に紹介する。

「シノさんは母さんの従兄妹で、家のことを色々をやってくれてるんだ。俺たちの世話とかもね」 

「初めまして。遠野とおの莉子です。よろしくお願いします」

 莉子が慌てて頭を下げると、シノが微笑んだ。

「ご丁寧にどうも。どうぞお上がりください」

「はい。お邪魔します」


 長い廊下を歩いていくと、左手に池のある日本庭園が見えた。

(すごい。ほんとに別世界みたい)

 莉子はますます緊張してきた。


 障子で仕切られた部屋をいくつか通り過ぎ、客間の前で三月が足を止めた。

 声をかけて戸を開けると、掛け軸が飾られた床の間の前に、着物を着た男女が並んで座っていた。堂々たる体躯の男の顔には、斜めに切られたような大きな傷跡があった。


(このひとが三月のお父さん――というか、大天狗さまの素顔初めて見た! 渋くてカッコいい!)


「莉子?」

「あっ、あの、初めまして。遠野莉子と申します」

「初めまして。三月の母の紗和さわです。三月がいつもお世話になってます。どうぞ、お座りになって」

 優しそうな声で話しかけられ、莉子はさらに舞い上がる。


(この方がお母さま! なんてお上品で優雅な雰囲気なの)


「莉子さん?」

「ああっ、すみません! おふたりとも素敵なので見惚れてしまって」

(しまった! 変なこと言っちゃったぁ)


 莉子が顔を赤くすると、それを見た紗和の口元が緩む。

「ありがとう。うふふっ、可愛らしい方ね」

 隣にいた父がゴホンと咳をする。

「まあ、立ち話もなんだ。ふたりとも座りなさい」


 大きな座卓を挟んで、両親の対面に三月と莉子が並んで座った。


「それで、話というのは?」

「はい。俺は、こちらにいる遠野莉子さんとお付き合いしています。彼女とは幼なじみで、ずっと仲良くしてきました。弱くて泣き虫だった俺を変えてくれたのは彼女なんです。俺は、彼女と結婚したいと考えています」


 三月と父の強い視線が絡み合う。

 長い沈黙のあと、父が言った。


「おまえも鏡夜きょうやも、なぜわざわざ茨の道を選ぶのか……烏天狗と人間とでは寿命が違いすぎる。結婚しても、妻が先に死ぬことになるんだぞ」


「わかってます。でも、それは傍系の女性と結婚しても同じですよね? どうしたって俺たちの方が長生きするんだから」


「それは――まあ、いい。それよりも問題は掟だ。人間と結婚するなら、羽を切らなければならない。この意味がわかってるのか?」


「わかってます。だけど、俺は莉子しか愛せないから、どんな処罰でも受けるつもりです。たとえ、飛べなくなり、神通力を失うとしても、彼女と共に生きることを選びます」


 三月の思いが変わらないと知り、父は長いため息をついた。



 











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る