第54話 時代の終わり

 驟雨と琥鳳が見つからないまま、数日が過ぎた。


 烏天狗の皆さんには、使者に丁重な御礼状を持たせて同行させたうえで、既にお帰り頂いている。


 近いうちに足を運ぶ約束をしているが、宮中は今、破壊された宮中内部の補修と京の復興、捕虜の処遇への対応、驟雨と琥鳳の捜索、綻びと鬼の調査などで、大童だ。

 しかも、私が帝位についた事で、貴族達からの面会依頼がたくさん来ているらしい。


 正直面倒なので、そのへんの対応はカミちゃんに丸投げした。


 そもそも、よっぽどの事でもない限り勅答するなと言われたので、黙って雛人形よろしく、すまし顔で座っているだけだ。


「本来、璃耀の仕事なのですが」


と文句を言われたが、療養中の者を引っ張って来るわけにもいかない。無理を通してカミちゃんに付き合ってもらっていたら、二日もせずに、面会依頼を弾き返し始めた。


「そんな雑な対応で良いの?」


と聞いたら


「璃耀にも仕事は残しておいてやらねば」


と、にこやかな笑顔と返事が帰ってきた。


 まあ、それでいいならいいけど……


 組織も再編成中だ。


 カミちゃんが左大臣に、璃耀が蔵人頭に、瑛怜が検非違使別当に、更に蒼穹が軍団大将に、という所は決まっている。


 近衛が壊滅状態なので再編が必要だが、ひとまず軍の一部を借り、私の護衛には引き続き凪と桔梗についてもらっている。

 というか、以降も私専属で良いとカミちゃんと蒼穹から許可を得た。


 通常、申岡家の者が近衛大将の任に就くらしいが、先帝に忠義を尽くし隠居した先代を引っ張り出すか、岳雷に反発していた、まだ年若い弟を据えるかは、もう少し議論をするそうだ。


 この辺もカミちゃんに任せ、私は基本、最終承認をするだけだ。


 ということで、皆が必死に情報を集めて処理した書類物に目を通して承認していく仕事に私も漏れなく埋もれ始めた。


 ……仕事なんてせずに悠々自適に暮らせる妖界ライフは一体何処に消えたんだろう。


 私が不貞腐れていると、仕事の出来る蝣仁が、音楽で気晴らしをと休憩場所に桜凛を呼んでくれた。


「白月様。あれから、色々あったと伺いましたが、ご無事で本当に良かった」


 桜凛は私の両手をとって、心から喜んでくれる。私もそれに顔を綻ばせた。


「うん。桜凛も無事で良かった」

「このようなお立場では、気軽に歌を歌うことなど出来ないでしょうが、今までのように、お近くで音楽を奏でることはできます。なんでも仰ってくださいね」


 桜凛がニコリと微笑んだ。


 桜凛の演奏と笑顔に癒やされ、心がだいぶ落ち着いたとみるや、その後も私の心が荒んだときには、まず最初に桜凛が駆けつけてくれるよう、知らぬ間に手をまわされていた。

 私がそれを知ったのはだいぶ後になってからだ。


 こうやって先回りで手配出来るような手腕が無いと、カミちゃんの右腕は務まらないんだろうなと妙に納得してしまった。



 更に、着替えやなんやの身の回りの世話をする者もつけられた。


 桐という恰幅が良くよく気の利くおばさんとほか数名の女性なのだが、桐は口うるさいお母さん感が漂っている。

 私はつけられた初日から、既に何度か叱られていた。先が思いやられる。


 侍医は本人の宣言通り、紅翅だ。


 璃耀、紅翅、桐と、口うるさい者が集まっている気がしてならないが、これは偶然なのだろうか……



「申し上げます。京、東方の山中で、驟雨と琥鳳を捕らえました」


 検非違使から報告があったのは、幻妖宮の戦いから一週間ほど経った頃の事だった。



 検非違使に連れて来られ、地面に押さえつけられた驟雨は、あのときに見た尊大な様子からは想像もできないほど薄汚れて、憔悴していた。

 その隣で押さえつけられているのが、琥鳳なのだろう。


「白月様の御沙汰を賜りたく」


 瑛怜が階の下で頭を下げる。


 私にこの二人の処分が任されている。でも、処遇は殆ど決まっている。

 私が口を開けば、この二人の未来は閉ざされる事になる。


「翠雨、其方、何故裏切った」


 不意に、掠れたような驟雨の声が聞こえた。

 地べたから自分を見上げる兄を、カミちゃんは廂の間から冷たく見下ろす。


「代々続く皇家を裏切ったのは貴方ですよ。兄上」

「裏切った? 帝不在の不安定な世を百年支えたのは私だ。感謝されこそすれ、裏切りなどと、謂れのない雑言を」


 驟雨の言葉に、琥鳳が身を乗り出すように声を張り上げる。


「そうです、翠雨様! 貴方の兄上はこの世の秩序を守るため、御尽力されてまいりました。一番近くで見ていたのは貴方でしょう!」


 カミちゃんは眉を寄せて二人を見る。


「百年の時を支えて来られた御功績は確かにあるのでしょう。ただ、貴方は権力に魅入られ、帝位を簒奪されました。摂政のまま、新たな帝の訪れをお待ちしていれば良かったのです。それが我らの努めだったでしょう」

「妖界の事を、人界の者が理解できるものか。待ったところで、遣わされたのはそこの小娘ではないか。妖界のことは妖界の者が、治めれば良い」


 吐き捨てるように言う驟雨に、周囲がざわめくのがわかった。動揺というより怒りの声がさざ波のように広がる。


 でも、言っていることは、間違っていないと私は思う。結界のことさえなければ、妖界のことは妖界をよく知る者が動かしたほうが円滑に世の中は回って行くだろう。


 カミちゃんにああやって帝位に着くことを迫られなければ、私は結界の維持にだけ協力し、カミちゃんが帝位に着くのでも良いと思っているくらいだ。


 驟雨と妖界の為に協力できるならそれでも良かった。


 ただ、驟雨の冒した最大の罪だけは、見過ごしてはいけない。


「貴方の最大の罪は、帝位の簒奪なんかじゃなく、鬼と通じて妖界を危険に晒したことです。」


 私の声が周囲に響き、ざわめきがピタリと収まる。


「結界が解け、鬼が妖界に自由に出入りできるようになれば、京で起こった悲劇は妖界全体に広がっていたでしょう。」


 しかし、驟雨だけは逆上したように声を荒げる。


「そのような事にはならぬ! 小娘が知ったような口をきくな。こちらには椎との約定が……」

「兄上。そのような物、いったい誰が守るのです。結界が崩壊すれば、そのような物、鬼の武力で如何様にもできるでしょう」


 カミちゃんの冷静な声が、驟雨の言を遮る。


「一体、どうされたのです。そのような事に気付けぬような方では無かったでしょう」


 カミちゃんの言葉に、驟雨は言葉を失う。

 二人の様子を見ていた琥鳳がはっとしたように口を開いた。


「……鬼だ。そう、鬼です。驟雨様は、きっと鬼の幻術か何かに惑わされたのです! それで、冷静な判断力を失われたのでしょう。翠雨様、どうか、100年の功績を持って、驟雨様に御慈悲をお与えください! 貴方の大事な兄上でしょう」


 琥鳳は必死に言い募る。

 しかし、反応が返ってきたのは、カミちゃんとは別方向からだった。


「見苦しい真似はお止めください。兄上。私は御助言申し上げたはずです。主をお諫めできなかった貴方の責任でもあるのです。事此処に及んでは、どのような弁解も通用しますまい。謹んで処分をお受け下さい」


 声のした方を見やると、襖の向こう側から、身なりを整え毅然とした様子で自分の兄を見据える璃耀の姿があった。


「……璃鳳、其方無事だったのか……」


 琥鳳は唖然としたような顔で呟く。


「無事ではありませんでしたよ」


 璃耀は小さくそれだけを返すと、袖を翻して背を向ける。

 それから、私の前まで歩みを進め、すっと膝を付いて恭しく頭を下げた。


「白月様、大変ご迷惑とご心配をおかけしました。深くお詫びを」

「う……うん、それはいいんだけど……もう動いて大丈夫なの? 宇柳を通して、紅翅に面会謝絶だって言われたばかりなんだけど……」


 私がそういうと、璃耀は顔を上げて、眉を僅かに上げる。


「ご存知の通り、紅翅は回復してからが長いのです。ご心配には及びません。体調は万全ですので。」


 ……へえ。それを知ってて今まで私を紅翅の言に従わせてたんだ。そして自分の時はさっさと出てくるんだ。


 私がじっと璃耀を見据えていると、璃耀はふふっと何時になく優しく顔を綻ばせる。


「お話は伺いました。貴方に命を救っていただいたのは二度目です。心からの感謝を」


 その顔は、璃耀が捕われる直前の張り詰めたような雰囲気が一切取れた、穏やかな笑みだった。

 本当に、回復したようだ。


「ううん。璃耀が元気になって本当に良かった」


 私は心の中でほっとしながらニコリと笑いかける。

 しかし、璃耀は直ぐに仕方のない者を見るように眉尻を僅かにさげた。


「……ただ、あのように……」


 あ。この感じは自分の身を優先しろとか、そういう説教が始まるやつだ。


「あ、いい、いい! そこから先は、言わなくてもわかってる。もうカミちゃんから言われたから大丈夫。しかもその日のうちに別件含めて二回も!」


 こんな公の場で説教なんてされてたまるか。


 私は慌てて自分の顔の前で手を振ったが、璃耀は聞き咎めるように眉根を寄せる。


「……その日のうちに別件……?」


 反芻するような声が聞こえてきて、私ははっと口を塞いだ。


「せっかく黙っておいて差し上げたのに」


 カミちゃんのぼそっと呟くような呆れ声がこちらに届いた。


「後程しっかりお話を伺う必要がありそうですね」

「うぅっ」


 さっきの優しい微笑みは一体どこに消え失せたのか。いつもの相手を捩じ伏せるような笑みを浮かべて璃耀が言った。



「……其方ら、本当にそのような者に遣えておって良いのか」


 不意に、外から驟雨の低い声が響いた。


「本当にそのような者にこの世を任せて良いのか。京のことも妖界のこともろくに知らぬ人界から来た小娘に、一体何ができる。考え直すなら今のうちだ」


 驟雨の言葉に、カミちゃんは顔を顰めて睨みつける。


「もう、黙ってください、兄上」


 私は目の前にいた璃耀を下がらせてから、カミちゃんに声をかける。


「いいよ、カミちゃん。言っていることは理解できる」

「しかし……」


 納得してもらう必要はない。でも、百年妖界を守ってきた者への最低限の敬意として、私の考えは伝えておきたい。


「実際、私だけでは出来ないことがいっぱいあると思います。知らないことも多いです。

 でも、だから、翠雨や璃耀達がついていてくれるのだと思っています。一人では何もできません」


 それに驟雨は鼻で笑って答える。


「一人では何もできない? 私に代わって帝位に就こうという者が、何と情けない。だから、このような者を帝位に就けるなど止めておけと言っておるのだ」


 何と罵られようと、私は驟雨から目を逸らさない。


「誰であっても、一人では世を動かすことも守ることも出来ません。皆が知恵を出し合い、動いてくれなければ、一人の力で出来ることなど高が知れています。欠けているところ、手が届かないところを補い合うからより良いものが生まれ、より強固に守っていくことができるのです。

 貴方だってそうだったでしょう?」


 驟雨は口を噤んで、じっと私を見定めるように見つめる。


「確かに、私一人では何もできません。でも、私だから与えてあげられるものもあるかも知れません。

 陽の気の護りもそうですし、私が知らない妖界のことを教えてもらう代わりに、私が知っていること、人界で得た知識を教えてあげることもできるかも知れません」


 カミちゃんは私を見て笑みを浮かべてそれに頷く。


「それが、新たな帝が人界から遣わされてくる大きな理由の一つです」

「人界の良いところを生かして、もっと生活を便利にできるかもしれない。娯楽が増えて、楽しみが増えるかもしれない。

 私がいた世界は、先帝がいた時代よりももっともっと発展した世界でした。

 この妖世界も、少しだけ時代を進める事ができるかも知れません」


 山羊七のところで便利に暮らそうと思っていた事を、ここで試してみても良いかもしれない。せっかく帝位につくのだから、色んな職人の手を借りて試していくこともできそうだ。


 それに、出来たら少しずつでもいいから、一人ひとりが何者にも縛られずに生きていける権利について、意識を変えさせたい。

 権力者によって問答無用で命や自由を奪われる世界を変えていきたい。


「少しずつかもしれないけれど、妖界がもっと豊かになれるようにしていくつもりです。夢物語かもしれないけれど、それで終わらないように努力していくつもりです」

「……そういえば、先の帝も、似たような事を仰っていたことがありました。自分に出来ることを妖界の為にしていきたいのだと。そのために力を貸してほしいと」


 私の脇に控えていた璃耀が不意に口を開いた。


「我らがお仕え出来た時間は少なかったが、実際に、少しずつではあるが世を変えていかれていったと聞いている」


 カミちゃんもそれに頷いた。


 人界から遣わされた者同士、想いが重なるところがあったのかもしれない。


 ……出来たら、直接会って話をしてみたかったな……


「私を帝位に押し上げようとしてくれた皆が後悔しないようにしていきます。何かあれば、きっと皆が支えてくれます。そのための仲間ですから」


 私が周囲に控える皆を見ると、皆は私にニコリと微笑んだ。


 不安はたくさんある。この世を治めるなんて大層なことができるだろうかと怖気づく気持ちもある。悩むこともあるだろう。


 でも、少なくとも一人じゃない。今まで通り、皆が側に居てくれる。


 私をじっと見つめていた驟雨が僅かに顔を俯かせた。


「……そうか。私はその未来を見れぬのだな……」


 そう、ポツリと呟いた。


 カミちゃんの顔が僅かに顰められ、心の中で圧し殺した悲痛さが伝わってくるような気がした。

 璃耀も同様だ。驟雨を隣で支えようとする兄をじっと見つめている。


 既に複数名を処刑している以上、全ての元凶となった驟雨とそれを支えた琥鳳の処刑は免れない。


 でも、その宣告だけは、カミちゃんや璃耀に担わせるわけにはいかない。


 私が、私の責任として、カミちゃんと璃耀の家族の、そして、最後に道を誤ったものの、それでも、帝不在の100年を支えた者達の命の重みを背負っていかなければならない。


 私は袖の中で、震える手をギュッと押さえつける。それから、できるだけ声が震えないように喉を押し広げた。


「驟雨、琥鳳、両名を、死の泉での極刑に処します」


 高く澄んだ声が、まるで他人の物のように周囲に響いた。

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