第16話 結界の閉じ方

 羊夫婦や山羊七と相談した結果、羊毛の一部は売ってお金にして必要物資を購入し、一部を持って帰って来ることになった。

 山羊七の毛布づくりに必要な分量は教えてもらったし、籠にぎゅうぎゅう詰めて上から押さえをすることで、持てる分だけ持って帰ってくる予定だ。

 それでも持てない分は、置いておき、また別の機会に取りに行く。


 羊夫妻もお金とは無縁の生活だったようで、羊毛を売るだけで十分なお金になるかはわからないと言われた。そのため、途中で川辺の薬草も集めていくことにした。


 念の為、羊夫婦から小さな瓶を1つもらって温泉の薬湯を汲み、籠にいれていく。滝登りのときのような命の危険にいつ遭遇するかわからない。

 蓮華姫の蓮華もいつもどおり巾着に入れて持っている。

 獣の姿に変わるといつも落としてしまうので、ものすごく小さな巾着袋を作ってもらって数枚中に忍ばせて首からも下げることにした。

 それから、野営用に小さな毛布も入れておいた。これがあるとないとでは、夜間の安心感がまるで違う。


 更に、前回の旅で服がボロボロになったのを見兼ねた毛子が新しい服を数着作ってくれたので、服も新品だ。着替えも持たせてもらった。


 羊の家への行き方はカミちゃん任せだ。

 子どもと大荷物を抱えた羊夫婦が来れた道なので、死ぬような危険はないと思う。

 羊夫婦にも聞いたが、急な坂は多かったが、崖登りはなかったと言っていた。

 少しだけホッとした。怖い思いはもうたくさんだ。


「それじゃ、行ってきます」


 羊家族と山羊七は、山羊七家の入口まで出てきて見送ってくれた。手を振って別れ、いざ出発だ。



 羊夫婦が言っていた通り、通りやすい道を選んで歩くので、下山は極めて順調だ。数日かかったが、何事もなく山を降りきった。


 さらに川をなぞりながら進む内に、見たことのある景色が目に入った。


 ……ここ、第一の支流との合流地点だ。


 私は、以前毛助と一緒に薬草採集に来たときのことを思い出す。その後も私はカミちゃんと二人でここを通過している。


 つまり、第三の支流に繋がる山と第一の支流に繋がる山は、隣り合っていて、私達は第三の支流から登り、第一の支流に沿って下山して一周してきたことになる。


 薬効成分を追い求めて登っていったので仕方ないが、こう考えると随分険しく厳しい道をわざわざ登ったものである。


 ……まあ、そんなこと言っても仕方ない。今度からはこのルートで登ればいい。そうしよう。


 見たことのある景色まで来たので、そこから先は薬草をできるだけ摘んで歩く。

 以前、毛助と歩いたときのように籠に吊るして干しながらの移動だ。


 羊家族の家は前に来たときと同じように、丈の長い草で覆われて出口がすっぽり隠れている。


 私達はそれを分け入って家に入る。

 カミちゃんは相変わらず私の胸のあたりに引っ付き、自分を守ることに必死だ。呆れて物が言えない。


 中に入ると、ほとんどの荷物が運び出され、ガランとしていた。


 ただ、竈はそのままだし、奥の仕事部屋には隅の方に羊毛が積まれたままだった。

 量は流石に減っているが、それでもこれをそのまま捨て置くのは勿体なさすぎる。


 このまま羊毛を置き去りにしても場所が場所なので多分誰にも気づかれないだろうが、鍵くらいはつけたいなと思いながら、私は持てる分だけの羊毛をギュギュっと紐で何箇所か括って籠に入れた。


 まだ半分以上残っているので、帰りに回収して山羊七に持って帰ってあげるのだ。



 羊家族の家がそのまま他から見つからないよう、茂みを自然な形に均してから、私達は再び出発した。


 羊夫婦や山羊七の話によれば、ここより西に都はあるらしい。凄くざっくりした情報だが、ひとまず日の昇り始める方を背にして歩き始めた。


 途中、誰かにあったら詳しく聞いてみよう。



 そうやって歩き始めたのだが、羊家族の家を出て何日かたった辺りから、どうやら何者かが後からついてきている気配を感じるようになった。


 最初に気づいたのは、カミちゃんがひらりひらりと木々の上を飛び跳ねながら移動していたところ小枝に引っかかり、助けるのに苦戦していた時だった。


 調子にのるからだよ、と文句を言いながら外していると、視界のはしにソワソワしたような影がうつったのだ。


 一応警戒していたが、特に何かがおこるわけでもなく、近づいてくることもなかったため、ひとまず様子を見ようと放置することにした。

 ただし、何かあっても逃げられるように、今度はカミちゃんを引き寄せて肩にのせた。それ以来、不意に振り返ったときや、カミちゃんを救出するときなどに、ちょこちょこその影が視界のはしにうつるようになった。


 本当に、何をしてくるわけでもなく、ただただ付いてくるだけだ。

 ただ、その状態のまま一日たち、二日がたち……全く止める気配がない。

 害はないとはいえ、ずっと付き纏われるのは正直いい気持ちはしない。


 というか、落ち着かないし、気持ちが悪い。


「カミちゃん、ちょっとコッソリ行ってアイツの気を引いててくれない? その隙に私が取り押さえるから」


 私は気づかないふりをしたまま、コソッと肩の上のカミちゃんにお願いする。


 カミちゃんは小さく頷いたあと、いつものように木の上から周囲を確認するように私から離れて身を隠した。


 しばらくすると、バチッという音と「キャッ」という叫び声が聞こえてきた。


 私はすぐさま体の向きを変えて飛び出す。私達を追ってきていた影を捉えると、馬乗りになって両手を抑えた。


「捕まえた!」


 自分の下を見下ろすと、そこには涙目で震えるようにこちらを見つめる子狸が横たわっていた。赤い花模様の丈の短い着物を着ている。


 カミちゃんはピョンと私の肩に戻ってくる。


「ご、ごめんなさい……!」


 子狸は恐怖の表情を浮かべているが、理由がハッキリするまで手を離すつもりはない。


「何故、私達をつけてきたの?」

「ごごご、ごめんなさいぃ~! 助けてください~!」

「だから、何で私達をつけてきたのか聞いてるの。答えて」

「うう、うぇ……ご、ごめんなさい……うぅ……」


 助けてくださいお願いします、と言いながら涙をポロポロ流し始める。これでは話にならない。


 私は子狸が逃げないようにギュッと腕を掴んだまま、上から降りる。


「ここに座って。正座」


 指示すると、子狸は涙をもう片方の手で拭いながら、おどおどとゆっくり正座の姿勢をとる。


「もう一度聞くけど、何で私達をつけてきたの?」

「うぇ……ヒック……あの……あ、あなたのことを蓮華姫に、ヒック、教えて頂いたんですが……あの、その、ちょっと困った事が、ヒッ、起きていて……」


 はぁ?


 またか、という気持ちが否めない。今度、蓮華姫に苦情を申し立てに行かねば。


 私は、はあ、とため息をつく。


「あれは、蓮華姫が大袈裟なだけで、大した事はしてないの。私にできることなんてないから、他を当たってくれる?」


 私が断ると、子狸は再び目をウルウルさせ始めた。羊の時と同じ展開だ。流されてはいけない。断固として拒否の姿勢を保たなければ、また面倒事に巻き込まれる。子ども相手に大人気ないが、やむを得ない。


 ……やむを得ないが……


 ちょっと強めに断っただけなのに、子狸は俯き、クスンクスン言いながら再び泣き始めてしまった。


 ……目の前でシクシク泣くのはやめてよぉ……私が虐めてるみたいじゃん……


 カミちゃんは完全に知らんぷりを決め込んでいる。子狸が再び泣き始めた辺りから早々に私の肩から飛び降りて、木の上から遠くを眺めはじめた。

 なんなの、この紙人形……


 私はハァーーーと空を仰ぎ深い溜息をついた。


「……話を聞くだけね」


 諦め混じりに言うと、子狸は涙をいっぱいに溜めた目で私を見つめたあと、嬉しそうにニコッと笑った。


 もう一度溜息が漏れる。


 とりあえず、こんなところでしゃがんでいても仕方がないので、近くにあった手頃な倒木に腰掛けた。


「それで?」


 先程の続きを促すと、子狸は静かに話し始める。


「私、少し離れた村に住んでいるんですけど、一月前くらいから、村の外れから大きな音が聞こえるようになってきたのです。

 ピーという笛の音が聞こえたり、ブウンというとても大きな虫の羽音のような音が聞こえたり。それが毎日ひっきりなしに響いてくるんです。最初は誰かが騒いでるだけかと思ったんですが、日に日に音が大きくなっていって……

 とにかく煩いし、時々ドドドっという地響きまでし始めて、さすがに静かに生活することもできないので、村の大人達が騒ぎの原因を探しに行ったんです。でも、行く者行く者、誰も帰ってこなくなってしまって……

 もしや、騒ぎを起こしている大妖に喰われてしまったのではと……」


 子狸は困り果てたように眉を下げる。

 が、困り果てたいのはこちらの方だ。


「え……それで、それを私にどうしろと……?」


 私が問うと、子狸は遠慮がちに


「あの、原因を突き止めていただけないでしょうか……」


と小さく言った。


 あの、それって……


「……大妖に喰われに行けと?」

「い、いいえ!」


 子狸は急いで首を振る。


 いや、今の話でそれ以外に何があるというのだろうか。


「その、まだ、大妖の仕業と決まったわけではないのです。別の原因かもしれなくて……」

「でも、原因を突き止めに行った大人は帰ってこないんだよね?」

「……はい……」


 私がじっと子狸を見つめると、子狸は居場所をなくしたように小さくなる。


「……ただ……あの……蓮華姫の話を聞いた者達から、貴方を見つけて連れてくるように言われてしまって……その……」


 なるほど、この子狸は使いっ走りにされてしまったというわけね。


「他の妖では駄目なの? もっと強そうな者のほうがいいんじゃない?」


 私がそう言うと、子狸はもう一度目をうるませ始める。小さく首をふると、涙がポタッと膝の上に作った握り拳に落ちた。


「……貴方を見つけて連れてくるまで、帰ってくるなと言われて……私……家族が居ないから……居場所がなくて……」


 なるほど。居場所を確保しておくのに言いなりになるしかなかったわけか。


「……ああ、もお……わかった。」


 子狸は僅かに顔を上げて私を見る。


 また面倒事に巻き込まれる気しかしない。それに、カミちゃんは木の上から何か言いたそうにこっちを見ている。


 でも、しょうがないじゃん!


「……とりあえず行くよ。で、私から説明する」


 私が言うと、子狸はやっと表情を明るくさせた。


 この断れない性格をなんとかしたい。

 はぁ……



 私は、とぼとぼと子狸に着いて歩く。やはり、二日程前から着いてきていたようで、私達はほぼ同じ時間を費やして来た道を戻った。


 カミちゃんが私の頬を強めに突いてくるけど、無視を決め込んだ。

 羊家族の時にも言ったが、助けてくれないくせに文句を言わないでほしいものである。


 子狸に名前はあるのかと聞いたら、村の中で自分だけ無いのだと言った。

 村では複数の狸の妖が集まり子どもを生み、続いてきた場所らしい。


「私は赤ん坊の頃、楠木の下に一人で居たようで、親も分からず、村長に引き取られたそうです。名前は親が子につける風習があるのですが、私には親が居ないから……」


 子狸は悲しそうに笑った。


 引き取ったなら村長が名前くらいつけてあげたら良いのにとは思ったが、村の風習の事をよく知らない余所者が言うべきことではないと思い直した。

 羊家族や山羊七にもともと名前が無かったように、この世界では名前が無いことは別に不思議ではない。


 野宿しながら二日歩き、二日目の夜、ようやく子狸が足を止めたのは、粗末な藁の家がいくつか集まっている場所だった。

 粗末なとは言うが、私の家や羊家族の家の事を考えればどっこいどっこいである。

 何なら藁で覆ってあるほうが暖かいかもしれない。


「村長を呼んできます」


 子狸はその内の一際大きい藁の家に駆けていく。


 一応、子狸が言うような騒音があるのかと耳をすませてみるが、特に何も聞こえない。


「何か聞こえる?」


 カミちゃんにも聞いてみるが、カミちゃんも首を捻って横に振った。


 そうこうしている間に、白く垂れた眉のよぼよぼなお爺ちゃん狸が杖を付きながら、若そうな狸に支えられてやってきた。


「これはこれは、よくおいでくださいました」


 お爺ちゃん狸はニコニコしながら私を見る。隣の若狸が私を検分するように上から下までじろじろ見た上で


「確かに蓮華姫の言っていた方のようですね」


と呟く。何か嫌な感じだ。

 私が顔を顰めたのに気づいたのか、お爺ちゃん狸は杖で若狸の足を強めに叩いた。


 若狸は痛そうに顔を顰めたが、お爺ちゃん狸は表情も変えず見向きもせずに、にこやかに私の相手を続ける。


「さあさ、今日はもう遅いです。どうぞ我が家でお休みください」


 しかし、私はここに依頼を断りに来ている。子狸の体面を守るためだけに二日も来た道を引き返したのは我ながらお人好しもいいところだと思うが、大妖に喰われるような真似はしたくない。


「あ、いえ。そこの子から事情は聞きましたが、私は依頼を断りに来たんです。直接大人と話したほうが早いと思ったので」


 私がそう言うと、一瞬お爺ちゃん狸は表情を消してギロっと子狸を睨む。

 子狸は身を小さく竦めて俯向いた。


 ああ、だいぶ虐められてるんだな……


 お爺ちゃん狸は再びにこやかな顔になって私目を向ける。


「それはそれは。しかし、せっかくこんなところまで来ていただいたのです。お茶でもお出ししますから、お話は後にして、中に入りましょう。」


 私は一瞬このまま断ろうかと逡巡した。しかし、さっきから垣間見える村長の態度を見るに、私が断って帰ったあとの子狸が酷い目にあうような気がしてならない。


 子狸をチラっと見ると、懇願するような目で私を見つめていた。


 ハァ……


「わかりました。お話を伺いましょう」


 村長について家に入ると、中は意外に広く部屋がいくつかに別れているように見受けられた。


 私達は囲炉裏のある部屋に通される。

 座るやいなや、子狸が村長に顎で指示を出されてお茶を持ってきてくれた。

 本当にこの家で虐げられていそうで心配になる。


 村長が私達の向かいに座ると、子狸から聞かされていた騒音話と同じ話を聞かされた。


「でも、先程はそのような騒音は聞こえませんでしたが?」


 私が問うと、村長は静かに首をふる。


「夜が深くなるにつれてどんどん静かになっていくのです。そして、昼が来るとまた騒がしくなるのです」


 へぇ。大妖が騒いでいるというから、夜に酒盛りでもしているのかと思えば、そうじゃないんだ。


「今日はもう遅いので、どうか我が家にお泊まりください。明日の朝、外に出ていただければ分かるでしょう」


 うーん……お酒が入っていないなら、話ができる可能性もあるが、そもそも村の大人達は様子を見に行って帰ってこないんだよね。


「あの、明日様子を見るのは結構ですが、ご覧の通り私はただの兎です。大妖に対抗出来るような術は持ち合わせていません。解決出来ない可能性の方が高いですが、それでも?」


 私が尋ねると、村長は大きく頷いた。


「それでも結構です。何か解決の糸口だけでも見つけたいのです。どうか、よろしくおねがいします」


 私がしぶしぶ頷くと、村長も若狸も子狸も、安心したような顔を浮かべた。


 翌朝、村長に用意してもらった部屋の中で、私はとても懐かしい音に起こされた。


 ブゥーーン、ブロロロロ、ブルンブルン、プップー、ガタンゴトンガタンゴトン、パーー!


 車、バイク、そして電車だ。大変賑やかである。


 この世界でこんな音を聞くことになるとは思わなかった。しかも、大きな道路と線路の直ぐ側かと思うくらいの大きさだ。


 確かに、基本的に自然の音しかしない静かなこの世界でこれは驚くだろう。

 カミちゃんも周囲をキョロキョロと見回している。


 部屋から出ると、村長が困った顔で「この通りです」と言った。


「一月前からこういった音が聞こえるようになったと聞きましたが、道路や線路が出来たということは無いんですよね?」


 村長は不思議そうな顔で私を見る。


「それは一体どのようなものですか?」

「ええと……車や電車が通る道なのですが……」


と図解してみるが、それでも村長は首を捻るばかりだ。お付きの若狸も同じ状態である。


 道路や線路もわからないのに、車や電車の音が唐突に聞こえてくるようになるのはとても奇妙だ。


 百歩譲ってそれだけ文明が発達していたとしても、建築の時点で気づくはずで、一ヶ月前に急に気づくようなものではない。


「音はどちらの方向から?」


 私が尋ねると、村長は拍子抜けしたように目を丸くした。


「行ってくださるのですか?」


 昨日まで乗り気でなかった私が興味を示したことに驚いたのだろう。


「音をどうにかできるかはわかりません。というか難しいかもしれません。でも、原因はわかりました。ひとまず音の場所を見てみたいのです」


 そう言うと、村長は子狸を呼び寄せる。水仕事をしていたのだろう。前掛けに赤くなった手を擦りつけている。


「音のするところまでご案内しなさい」


 村長に命じられると、子狸はザッと青ざめる。


「で、でも、まだお仕事が……」

「そんなものは後で良い」


 村長には言い訳が通じず、反論もできないようだ。

 子狸は項垂れて小さく「はい」と返事をし、私達を連れて外に出た。


「音の原因は大妖じゃないから大丈夫だよ」


 震えながら先導する子狸に声をかけると、不安そうな顔で私を見上げる。


「何が原因かわかったのですか?」

「音の大本が何かが分かっただけで、何故その音がするかはわからないけど、急に飛び出したりしなければ大丈夫だと思うよ」


 一応説明してみたが、子狸は分かったようなわからないような顔をして頷いた。


 子狸についていくと、どんどんと音が近き煩くなってくる。カミちゃんも子狸もキョドキョドと警戒しながら周囲を伺っている。


 私は原因がわかっているので余裕があるが、いつも余裕ぶってるカミちゃんが動揺している姿を見るのは愉快だ。


 ふふ、と笑うと、ほっぺたをぐいっと突かれた。


 しばらく進むと、少しだけ開けた場所に出た。不自然なほど綺麗な円形で、その場所だけ草も生えていない。

 その中央に、白く光りながら渦巻く何かが浮かんでいた。


 ……何あれ?


 しかし明らかに、その光る何かから車や電車の音が聞こえてくるのだ。


 カミちゃんがピョンと私の肩から飛び降りる。

 さっきまでキョドキョドしていたくせに、急にやる気を出して様子を見に行こうとする。


「ま、まってカミちゃん!」


 円形に開けた場所に入ろうとするカミちゃんを呼び止め追いかける。


 瞬間、カミちゃん自身が、唐突にオレンジ色に眩い光を放ち始めた。いつもの小さな手の光とは全然違う。まるで、突然燃えだしたような……


 心臓がドキリと大きく脈うつ


 はっ……え!? 燃えてる!?


 カミちゃんは地面の上でよろよろ前に進みながら、オレンジ色の光に包まれている。しかも、一歩前に出るたびに光が強くなっているような気がする。


「まってカミちゃん!」


 紙人形とはいえ、見知らぬ土地に放り込まれ、ここまでの旅を共にした大事な相棒が光に包まれたのだ。


 私はただただ慌てて駆け寄り、円の中から引き戻そうとする。


 けっ消さなきゃ!


 普段なら燃えてると思えば手でつかもうなどとは思わない。それなのに、私は完全に気が動転していた。


 カミちゃんをグシャっと無造作に掴む。


「やめてやめて! 燃えないで!」


 そこでようやくハタと気づいた。


「……あ、あれ? ……熱くない……」


 私の手で胴の部分がグチャっと握りつぶされているが、手に熱さは感じられない。


 念の為、円の中から出ると、カミちゃんの光はフッと消えた。

 カミちゃんは、燃えて焦げている様子などなく綺麗なままだ。

 むしろ、胴を握りつぶされたまま、手足をバタバタさせて、元気に私から逃れようとしている。


「だ……大丈夫なの?」


 私が尋ねると、カミちゃんは、ぶんぶんと薄っぺらい頭を前後に振った。


 私がゆっくり手を離すと、グチャグチャの胴にフラフラしながら、カミちゃんは腰に手を当てて私に向き合った。


「なんか、ごめんね……」


 しかも、何故か握ってグシャグシャになった部分はちょっとずつ元の形に広がっていった。


 どうやら、全然大丈夫なようだ。

 私はふうー、と息を深く吐いた。


 気を取り直して白く光る渦に向き合う。

 先程はカミちゃんの衝撃が強すぎて何も感じなかったが、何だか嫌な感じだ。ずっと見ていると不安感が増してくる。

 何故かはわからないが、あの光を消してしまいたい衝動に駆られる。


 私は円の中に一歩踏み込む。すると、何故かはわからないが、唐突にあの白い光は人の世界との間の結界に空いたトンネルなのだと理解した。


 いや、理解したというよりも、知っていたのを思い出したような感覚だ。


 何でそんな事を知っているのかはわからない。そして、何で今まで忘れていたのかもわからない。


 でもそんなことより、それと一緒にドス黒く渦巻くような強烈な恐怖感が次々と湧き上がってくる。まとわり付いてくるような極めて不快な感覚だ。冷や汗がツゥっと頬を伝う。


 結界を閉じなきゃ。


 私は強迫観念に囚われたようにそう思った。


 あの白い光が何なのかを唐突に思い出したのと同じだ。私は何故か閉じ方も知っている。


 カミちゃんがヒョイッっと私の肩に飛び乗る。


 私は、眩い光の渦にぐっと近づき、両手をパンと合わせて集中した。


 すると頭の中に文字の羅列が次々と浮かんでくる。文字は読めない。でも、音として頭に響いてくる。神社などでお祓いを受けるときなどに聞く祝詞に何となく音の調子が似ている。でも、音として聞いても意味はわからない。


 私は手を前に突き出して、頭に浮かぶそれを自然と口に出して唱えていく。


 すると、掌から細い粒子のような黒いキラキラした光と眩い白い光が溢れ始める。

 私の体の中から吸い出されて行くような感覚だ。


 不意に、いつの間にか私の隣まできていた子狸が


「綺麗ですね……」


と言って光の粒子が溢れ出る中に入った。


 咄嗟に、危ない! と思った。


 しかし、口から溢れ出す祝詞を止めることができない。


 子狸が光の粒子に触れた瞬間、


 ギャア!


という鋭い叫び声が聞こえて、小さく蹲る。そして、うぅー……と呻くような声をだしている。


 急いで終わらせないと。


 私は頭に浮かぶ言葉を次々と唱えていく。


 頭の中で文字が途切れると、これで終わりなのだと自然とわかった。そして、唱え終わるとともに、黒と白の光の粒子がぐっと白い渦を包み込み、ふっと渦が消滅した。


 強い脱力感が襲ってきて、私はその場に膝をつく。カミちゃんが心配そうに私を覗き込んだが、それよりも子狸だ。


 私は側に蹲る子狸に手を伸ばす。


「大丈夫?」


 声をかけながら体を起こさせると、子狸の体のあちこちが、酷い火傷をしたように毛が焦げて禿げ、皮膚がむき出しになって真っ赤に腫れ上がっている。

 痛みがあるのだろう。子狸はうめき声を上げ、蹲ったまま動かない。


 え、これ、マズイんじゃない?

 ど、どうしたら……


 私はワタワタと周りを見回す。

 当然、私たち以外は誰もいない。


 と、とりあえずお医者さん!


と立ち上がりかけたところで、カミちゃんがトントンと私を叩いて背負ってきた籠を示した。


 そうだ、薬湯!


 私は慌てて籠に駆け寄り、薬湯の入った瓶を引っ付かみ、再び子狸の脇に座ると、瓶の中身をバシャっと火傷に一思いにかけた。


 すると、毛は禿げたままだが、火傷の傷はみるみる内にきれいに引いていく。

 それとともに、子狸もだんだん落ち着き取り戻していった。


 私は安堵とともに全身の力が抜けて、パタリとそのまま大の字で寝転がった。

 意識はハッキリしているが、正体不明の力を突然使ったせいか、脱力感が凄い。しばらく動けなさそうだ。


 辺りから騒音はピタリと消え失せ、静けさが戻っていた。


「あ、あの、私……」

「ちょうど薬を持っていたから良かったものの、不用意によくわからないものに触っちゃ駄目だよ……」


 不満を漏らすと、子狸はバッと正座をして両手を前について頭を下げる。


「ご迷惑をおかけしました。助けてくださってありがとうございます。それに、騒音のことも、本当にありがとうございます」


 子狸の下げられた頭を軽くポンポンと叩き、


「治って良かったね」


というと、子狸は頭を上げて、はにかむように笑った。


 山羊七のところで汲んできた薬湯を早速すべて使いきってしまったが、仕方ない。

 カミちゃんが、空になって倒れた瓶に寄りかかり、やれやれというように肩を竦めた。



「帰ってこなかった大人達はどこに行ったのでしょう?」


 子狸と共に村へ帰っている途中、ふとそんな疑問を子狸が漏らした。


 そういえば、確かに村の大人達が帰って来なくなったと言っていた。でも、騒音については大妖の仕業ではなかったし、周りに変わったものも無かった。


「騒音とは別の要因で大妖に掴まったか、単純に村から出て別の場所にいるか……あの渦の向こう側に行ってしまったか……」


 あの渦は周囲の物を吸い込んでいくような類のものではなかった。それなのに、空中に浮いた奇妙な小さな渦の中に、自分からわざわざ入っていくような事は考えにくい。

 とすると、大人が消えた理由は他にあるのかも知れない。


「仲が良かった者がいたの?」


 あの村で子狸に良くしてくれるような者が居たのだろうか、と思い問いかけると、子狸はコクリと頷いた。


「村長のお世話をしていた者達でした。皆、私と同じで家族が居なくて……」


 子狸は寂しそうに呟いた。


「……それなら、案外、何処か別の所で幸せに暮らしているかもしれないよ。」


 私がそう言うと、子狸は目をパチクリさせる。


 大妖のいるかも知れない場所に、わざわざ家族の居ない者を選んで行かせるような村長だ。きっと、虐げてきたに違いない。

 今まで黙って耐えていたとしても、遠回しに死んでも構わないと言われれば、もう戻りたいとは思えないかもしれない。

 ここに来て、大妖も居ずにホッとした者たちは、また同じような事が起こったときに、真っ先に自分が行かされるのだということを思い知っただろう。

 大人ならば一人で生きていける。次に命の危険に晒される前に、村長の家を抜け出すチャンスだったのかも知れない。


 私の想像でしかないが、そうだったのかも、と伝えると、子狸はホッとした表情を見せたあと、じっと考え込み始めた。

 もしかしたら、自分の身の振り方も考え始めたのかも知れない。


 急にパッタリ音が消えたからだろう。村に戻ると村の者達が総出で外に出て周囲の様子を伺っていた。その中に村長も混じっている。

 相当、騒音に悩まされて来たのだろう。

 私達の姿を見つけるやいなや、村長から強く手を握られ感謝の意が述べられると、あちらこちらから歓喜の声が上がり、口々に感謝の言葉がかけられた。


 食事の必要がない妖でも酒は飲むようで、その日、夜遅くまで宴が続けられた。

 でも、私をこの村に呼んできたはずの子狸は、村の隅の方で身の置き場が無さそうに佇んでいた。


 翌日、私は村人達に送り出されて村を後にした。その中に子狸の姿は見つからなかった。



 私とカミちゃんは、三度目の同じ道を通る。2日かかった道をもう一度行くのかと思うと、徒労感が押し寄せてきて、思わず溜息が漏れる。


 ふと視線を上げると、少し先の木の陰に、見覚えのある姿がチラっと見えた。


 あの子狸だ。

 しかも、何故か荷物を抱えている。


 なんでこんなところに?


 私とカミちゃんが顔を見合わせていると、子狸は私達に気づいたようにハっと顔をあげる。そしてタタタっと駆け寄ってきて立ち止まると、ペコーっと頭を下げた。


「あの、私も旅にお供させてください!」


 はい?


 一瞬意味が分からず、私が言葉に詰まったせいだろう。子狸はおずおずと私の反応を伺うように顔を上げる。


「だ……ダメですか? ……あの、皆と同じように、私もあの家を出たくて……」


 どう答えるべきか回答に窮していると、子狸は例のごとく、目をウルウルさせ始める。


 このまま泣き出すか、と思ったのだが、子狸は堪えるようにギュッと唇を引き結ぶ。

 そして、もう一度、ペコと頭を下げた。


「おねがいします、私を連れて行ってください! 私、お邪魔にならないようにします。身の回りのお世話は得意ですからお手伝いもします。出来ることは少ないかもしれないけど、何でもしますから、お願いします!」


 必死な様子がよく伝わってくる

 たった一日二日の事だったが、子狸にとってはあの村での生活が辛い環境だということも何となく分かった。


 でもなぁ……


 子どもを連れて行くっていうのは、それだけ大変で責任を伴うことだ。何かあってからでは遅い。


「旅に連れて行ってと言うけど、貴方いくつ?旅に出るにはまだ早いんじゃない?」


 私が断る口実を探して年齢を聞くと、子狸はニコッと笑った。


「大丈夫です。私、もう二十年生きてます。ちゃんと着いて行くと誓います。だから、お願いします!」


 え、二十歳なの!? その見た目で?

 ちょっとしたことですぐ泣くのに?


 二十年も生きてれば立派な大人じゃん! 外見詐欺じゃん!


 私は、ハァーーー、と深い溜息をついた。


 いろんな事が徒労だったように思える。虐められてるか弱い子狸だと思って振り回されたのは一体何だったのか……


 どっと疲れが押し寄せてきた。


「もう、勝手にすればいいよ……」


 口から漏れたのはそんな言葉だった。

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