第15話 羊家族の引っ越し

 家の形だけはなんとか出来上がった頃。ほっそりした月が登ったその日、なかなか戻ってこなかったカミちゃんが、羊の家族を連れて戻ってきた。


 カミちゃんはピョンピョン飛び跳ねながら山羊七さんの家に飛び込んできて、私の肩に飛び乗る。


「カミちゃん! お帰り!」


 私は久々に見る紙人形に相好を崩した。


 最初に合ったときには気味の悪さしか感じなかった紙人形が、今や大事な相棒だ。


 この数日間、ずっとそばにいたものが居なくなったおかげで凄く寂しかったのだ。


 カミちゃんに連れられて外に出ると、丁度羊家族が洞穴の入口に着いたところだった。


 私のときのように怪我はしていないようだが、物凄く疲弊していた。私と共に出てきた山羊七が出てきた時にも、目を大きく見張ってはいたものの、それ以外は大した反応ができなかったくらいだ。


 すぐに倒れ込んでもおかしくないくらいヘトヘトといった様子である。


 それもそのはず、夫婦ともに大荷物を抱えている。


 羊の奥さんは子どもを背負い、前に籠を抱えるように括っている。少し飛び出した羊毛を見るに、あそこにいっぱい詰めてきたのだろう。


 一方、旦那さんの方は前にも後ろにも籠を持ち、後ろの籠は旦那さんの背を追い抜くくらい積まれていた。


 二人とも、よくもこんな大荷物でここまで来れたものである。


「山羊七さん、ひとまずこの方々を家に入れてあげてもらえませんか?」


 私が一緒に出てきた山羊七に尋ねると、山羊七は快く家族を中に入れてくれた。


 荷物を降ろしてゆっくりしたいだろうとも思ったが、家族諸共温泉につけてしまったほうが良いだろう。


 私は夫婦に荷物だけ置くように告げて、早速温泉へ連れて行くことにした。


 奥さんは子どもを背負ったままだ。辛かろうと思って山羊七にお願いしようと思ったが、声をかけかけたところで、奥さんに服を引っ張られ、ブンブンと頭を振られた。


 山羊七に子どもを任せるのは流石に避けたいらしい。


 私から見ると、子どもであってもそれ程小さくはないのだが、仕方なく私が背負ってあげることにした。


 山羊七とカミちゃん以外の全員がフラフラしたまま温泉へ向かう。


 子どもを背負ったまま縄梯子を降りるのは恐怖でしかなかったが、山羊七の手を借りつつ何とか降りきった。


 見た目はどうあれ、何だかんだ良い人だ。


 背中の子どもは以前見たときと同じようにハアハアと荒い息で呼吸していて体が熱い。羊毛のせいだけではないとおもう。


 山羊七の家から温泉までは大した距離ではない。温泉の前に辿り着くと、羊の夫婦はゴクリと生唾を飲んだ。


 私も何だか緊張する。


 まずは旦那さんが恐る恐る湯に足をつける。それからゆっくり全身を浸けていく。


 肩まで入ると、旦那さんは驚いたように目を丸くして周囲の湯と自分の体を見た。


「これ程とは思いませんでした。」


と、感嘆の声で呟く。


 私は奥さんに子どもを渡し、一緒に入るように促す。


 奥さんもすぐに効果を感じたようだったが、それよりも子どもの容態が気になるようで、夫婦ともに子どもの顔を除きこんだ。


 私も陸の上から覗くと、先程よりもハアハアが収まっているような気がした。


「湯を飲ませてみては?」


と提案すると、すぐに旦那さんが手で湯を掬って子どもの口に近づける。


 子どもがそれをコクリと飲むのを固唾を飲んで見守る。しばらくすると旦那さんがまた湯を掬って飲ませる。それを何度か繰り返すと、ずっと閉じられていた子どもの瞼が僅かに動いた気がした。


 夫婦は顔を見合わせる。


 すぐに旦那さんは湯を掬って子どもに飲ませる。


 コクリ、コクリ……


 何度か飲ませると、次第に子どもの瞼がはっきり動くようになってきた。


 コクリ、コクリ……


 ついに、子どものアーモンド型の大きな目がパチクリと瞬くように開かれる。


 グッと息を呑むような音が聞こえ、夫婦は目を潤ませ、二人で抱えこむように子どもをギュッと抱きしめた。


 ずっと目を覚まさなかった子どもがようやく目を開いた喜びはどれほどのものだっただろうか。


誰も言葉を発しない。


 それでも、咽び泣くような夫婦を見るだけで、子どもへの溢れるほどの愛と、助かった事への感謝と安堵を嫌というほど感じることができた。


 私も溢れそうになる涙を堪えてそれを見守る。


 その後も夫婦が交替しながら、流れる涙をそのままに、何度か子どもに湯を飲ませ続けると、子どもは自力で座れる位まで回復した。


 圧倒的な薬効だ。


 このままここに留まり、毎日湯に浸かり飲ませれば、歩けるほどに回復出来るだろう。


「大妖にお願いするのは本当に勇気がいることでしたが、貴方様にお願いして本当に良かったです。ありがとうございます」


 湯から上がった羊の旦那さんは、私の両手を強く握り、泣き腫らした目を再びうるませる。奥さんも子どもを抱き締め、ありがとうございます、ありがとうございます、と涙ながらに繰り返す。


 その奥さんに抱き締められたままの子羊も、初めて見る笑顔を浮かべていた。


 本当に本当に、ほんっっっとーーーーに大変だったけど、子どもが病気から回復して、ここまで感謝してもらえたなら、私の冒険も少しは報われるだろう。


 もう二度と、こんな苦労はゴメンだけど。


 そんなことを思っていると、


「なんかよくわからんが、御目出度い。祝いに私が名をつけてやろう」


と山羊七がズイっと進み出た。


 目の前の感動のシーンにすっかり山羊七の事を忘れてた。


 というか、どれだけ名付けたいんですか、山羊七さん。


 喜んで真っ先に願い出た子羊がこれからは元気に健やかに育つようにと康太郎と、出遅れた父母が毛助、毛子と名付けられたのを、私は黙って見届けた。



 羊家族が移動してきたところまでは良かったが、山羊七さんの家に居候するには流石に手狭だ。家造りが急務になる。私もまだ住ませてもらってるしね。


 ちなみに崖に囲まれたこの場所を住処にすることについては羊家族は大歓迎だった。


 もともと、隠れ住める場所を探していた者達だ。


 山羊七の家を通らなければ出入りできないこの窪みはかなり安全な場所だと言えるだろう。


 ただ、住める場所がない。


 私の家造りの際に下見は完了しているが、羊家族が住むのに丁度いい洞穴や木の洞が無いのだ。


 ではどうすべきか。


 実は、ただひたすら土を掘っていたときに考えていたことがある。人手と時間が必要だが、夫妻が来たので大丈夫だろう。


 場所のあたりも一応つけておいた。


 バランスよく4本の木が四方に立っている場所に、その木を柱にして家を建てていくのだ。


 私は地面に棒で設計図を書きながら、羊夫婦と山羊七に説明していく。

 かなり重労働になるはずなので、力のある山羊七の協力は必須だ。

 一方で、私以外から頼られることのなかった山羊七はやる気満々だ。

 ずっと私の家造りを手伝ってくれていたのに、本当に頭が下がる思いだ。


 作り方だが、まず4本の木の幹に、天井にしたい高さで竹がしっかり嵌るような窪みを作る。竹がズレ落ちないように、深めにするのがポイントだ。

 更に、雨対策で肩側二本は少し下げて窪みをつける。

 そこに、太めの竹を四角になるように渡していく。崩れ防止のために麻縄で竹と竹をしっかり括り、更に木にもしばりつけることも忘れない。

 天井部分にさらに複数本隙間が最小になるように竹を渡して最初に渡した竹に次々と固定していく。

 その上からススキや笹などを乾燥させたものを束ねて載せていくことで茅葺き屋根のような感じにする。こちらも滑り落ちないように竹に固定する。これを厚めに載せていくことで、雨も凌げるだろう。

 壁部分も竹で作る。天井に四角に竹を渡したのと同じように、木の幹に窪みを作って竹を渡していき、上、中、下と4つの四角を作っていく。

 そこに竹を縦に立て掛けて行き、縄で固定していく。隙間が生まれないように、四角の外側に竹を括り付けたあと少しずらして内側からも竹を括り付ける。そうやって、表と裏でびっしり竹で取り囲むのだ。


 それで一応、茅葺きの家の形になると思う。


 やったことはないし、上手くいくかはわからない。上手く行ったとして、耐久性も年単位で持つかちょっと謎だが、しばらくは住めるのではなかろうか。併せて、だいぶ寒い可能性が高いが、それも要検討だ。


 私が家の隙間を塞いでいった土もまだ少し残っているし、それで塞いでいってもいいだろう。


 あと多分、山羊七が集めてきてくれた竹が足りないのと茅集めをする必要がある。

 これは手分けして進めていくしかない。


 私は一応アイディアだけだして、どうするかは羊夫婦に任せることにした。


 翌日、下見もいろいろした結果、私の案で家を建てることに決めたようだ。羊夫妻の間で問題点を洗い出しながら、山羊七も巻き込んで話し合いが始まった。


 こちらは、住む者達に任せておけばいいだろう。


 私は自分の家を完成させるのを優先させることにする。

 実は、今回のお礼にと敷布と掛布になる布をもらったのだ。

 地べたに置くのは流石に躊躇われたので、細い竹を数本麻縄で縛って敷いてその上で使うことにした。

 座る場所も欲しかったので、寝床を作ったのと同じ要領で小さな背もたれのない座椅子を2つ作った。一つはカミちゃん用だ。


 囲炉裏も作る。暖と灯りの両方の役割だ。

 他よりも地面を少しだけ深く掘って周りを竹できれいに囲み、中で焚き火をするだけなので、囲炉裏と言える代物ではないが、十分だろう。

 悲しいかな、家の上部には隙間もあるし換気もなんとかなるだろう……


 うん。まあ、結構いい感じの家になったのではなかろうか。


 土の地面むき出しで、上から隙間風がスースー通り、灯りが焚き火……もとい囲炉裏しかないし、ベッドはカチカチだが、野宿よりはかなりマシな住まいができた。


 だって、壁があって毛布があるんだから。


 カミちゃんが部屋を見回して首を傾げたが、異議は受け付けない。


 あとはちょっとずつ充実させていけばいいのだ。


 私は早速完成した住まいを山羊七や羊家族に披露する。


 羊家族は手放しで褒めてくれたし、山羊七は納得の表情だ。納得していないのはカミちゃんだけである。


 改めて、


「山羊七さんのおかげです。本当にありがとうございます!」


と言うと、山羊七は照れくさそうに笑った。


 私が大して物のない家の中を紹介していると、山羊七は私のベッドに目を留めた。


「そこの敷布はとても暖かそうだな。少し触らせてくれ」


 山羊七に毛布を渡すと、珍しそうにしげしげと眺め、触り心地を楽しんでいる。


「毛助さん達に頂いたんですよ」


「ふむ、心地良いな。これは他にはもう無いのか?」


 山羊七が目を輝かせて夫婦をみる。


 しかし、羊夫婦は顔を見合わせて少し申し訳無さそうな顔をした。


「実は、前の家にはまだ余裕があるのですが、持ちきれなくて最低限しか持ってこられなかったのです。夏前にはまた刈るので、少しは取れるのですが、山羊七さんの体に合わせるとなると少し心許ないかもしれません……」


 確かに、台車に乗せて来られるならまだしも、この山の中、自分で持てる分だけで精一杯だっただろう。


 しかし、残された羊毛はとても勿体ない。


 山羊七はあからさまにガッカリ顔だ。


「もし山を降りられるならば、まだ家に持ってこられなかった毛が残っていますから、そちらは白月さんと山羊七さんに差し上げられるのですが……」


 なんと! それはとても嬉しい。


 ベッドをフカフカにするにも、何にするにもきっと重宝する。


 なんとか取りに戻れないだろうか。


 私は期待の目を山羊七に向ける。


「毛助さん達も、山羊七さんも、まだ家造りの途中です。私が取りに行きましょうか?

 ついでに、少し家を充実させるために道具や材料も手に入れたいんです」


 私の言葉に山羊七は少し怪訝な表情をする。


「道具や材料? 私の家にある分では不足か?」


 正直不足だ。鋸と釘と金槌がほしい。山羊七に当初聞いてみたのだが、無いと言われたのだ。


 でも、それだけあれば、日曜大工ぐらいできるだろう。


 私が説明すると、


「確かにうちにはないが……」


と口籠る。


 山羊七が渋る理由はたった一つだ。


 この場所を他の者に知られたくない、それに限る。


「ここのことを他に言うなんて、そんな事しませんよ。私の家があって、温泉がある秘密の場所ですからね。羊家族も隠れていたいでしょうし」


 羊夫婦に目を向けると、こちらを見て大きく頷く。子どもは座って簡単な手伝いができるくらいに回復している。


「しかしな……」


「なら、私がいない間に私に噂を聞いたという者が現れたら、兎鍋にしてもいいです。私はここに家があるので絶対に戻ってきますし。むしろ、家を快適にするために行くので」


 山羊七はうーんと考え始める。


 それからチラッと羊家族に目を向けた。


「わかった。だが、もし漏らしたら、あやつらもただでは済まないからな」


 おっと、羊家族を人質にとられた。


 羊夫婦がその言葉にピクっと反応する。


 大袈裟だとは思うし、そんなに信用出来ないのかと思ってしまうが、山羊七にはそれだけ警戒する何かが過去にあったのかもしれない。


 でも知ってる。ここ数週間一緒に過ごしてきて、山羊七の優しさや真面目さ、人の良さはよくわかったつもりだ。


 人質のように言ってはいるが、そんな事をできるような者ではない。


 ……と思う。


 私は安心させるようにニコッと微笑んだ。


「大丈夫ですよ。誰にも言いません。それに、山羊七さんは優しいですからね」


 私がそう言うと、山羊七はすぐに厳しい表情を崩して、


「ソ、そんなことはないぞ」


と顔を赤くした。


 ほらね。人がいいのだ。妖だけど。


 テレテレする山羊七に、羊夫婦も笑いを漏らす。


「必要なもの買い出しして、山羊七さんの羊毛も持って帰ってきます。手に入れた道具はみんなで共同所有にしましょう」


 私がニコッと微笑むと、山羊七が照れを隠すようにコクリと頷いた。

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