第17話 ヤマタノオロチ合唱

 子狸と思っていた、二十歳の狸が旅仲間に加わった。


 年齢を聞いた時には大人じゃん、と思ったのだが、妖の年齢で言えば、まだまだ子どもなのだそうだ。


 妖にもよるが、五百歳が平均寿命と一生そのものが長いため、五十歳を迎えてようやく大人の仲間入りをするのだという。見た目も五十歳の成人に向けて徐々に育って行くそうだ。


 そう考えると二十歳で子どもの姿なのも頷ける。


 とはいえ、私は見た目は子狸よりも大きいが、妖としてはまだ〇歳だ。きっと、この世界で親から生まれてくるのとはまた少し違うのだろう。


 子狸が旅仲間に加わるに当たって名前が無いのでは不便だったため、ひとまず名前をつけることにした。

 山羊七がいれば喜び勇んで名付けただろうが、いないものは仕方がない。

 希望は無いのかと聞いても首を捻るばかりだったので、私が楠葉(くすは)と付けることにした。

 以前、赤ん坊の頃に楠の木の下に居たのだと言っていたのを思い出したのだ。


 楠葉は私を「白月様」と呼ぶ。「様」は止めてと言ったのだが、


「命の恩人ですから、そう呼ばせてください」


と譲らなかった。


 ちなみにカミちゃんは何故か「カミちゃん」だ。私がそう呼んでいるからだろうが、カミちゃん自身は不満そうだ。


 最初のうちはカミちゃんも耳を引っ張ったり頬を突いたりして抗議していたが、楠葉自身が何故耳を引っ張られているのかを理解していなかったので、次第にカミちゃんも諦め、呼び方が定着してしまった。


 私はカミちゃんの抗議の意味も、楠葉がそれを理解していないことも分かっていたが、生暖かい目で成り行きを見守った。


 だって「カミちゃん」の方が可愛いもんね。


 私達は3人で再び西を目指す。


 楠葉を加えて何日目かのことだった。野営に丁度良い場所が見つかったため、少し休息も兼ねて、まだ日が傾く前ではあったが野営準備をすることになった。


 歩き疲れていたので一息ついていると、楠葉が周囲を見回してキョロキョロし始めた。


「どうしたの、楠葉?」

「何か聞こえませんか?」


 今まで特に気にもしていなかったが、言われて耳を澄ますと確かに何か聞こえてくる。メロディがしっかりついていて、合唱のように複数人が歌をうたっているようだ。


 あれ、しかもこの歌知ってる。


 聞こえてきたのは人の世界でよく耳にした、ポップスだった。

 これを妖世界で聞くことになるとは思っていなかったし、全く同じ歌が別世界にあるわけがない。

 歌っている本人が私と同じ場所からの転生者の可能性もあるが、以前車や電車の音が聞こえたのと同じ現象ということはないだろうか。


「また、あの白い渦かなぁ……」


 私はポツリとつぶやく。


 理由はよくわからないが、私は何故かあの白い渦が結界に空いた穴だということを知っている。

 知らないうちに刷り込まれていたように、誰に教えられるでもなく知っていたし、それがあるならば必ず閉じなければならないという強迫観念に襲われる。


 それはカミちゃんも同じなのかもしれない。

 私の呟きを拾ったらく、急にやる気を出したように私の袖を引っ張った。


「まあ、確認だけしておこうか」


 荷物番に楠葉を残していこうかと思ったのだが、歌に興味があるのと、一人にされるのは嫌だ、という理由で荷物を全て持って移動することになった。


 声のする方へひとまず進んでいく。しばらく進むと小高い丘が見えてきて、そのあたりから歌声は聞こえてきているようだ。

 ただし、木々の生えていないその丘には、見た限りでは前回のような不自然に切り開かれたような場所や白い渦は見当たらない。


「この先かな。何も無さそうだけど……」


 草を掻き分け、音のするあたりを覗き込もうとする。

 しかしその瞬間、カミちゃんが私の顔に飛びつき、私の動きを阻止した。


「ブハっ……! 何急に!?」


 カミちゃんは慌てたように音のした方を振り返ったあと、首を横に激しく振って、私の口を必死に塞ごうとしている。


 声を出すな、ということだろうか。


 しかし、カミちゃんの静止は一歩遅かったようだ。丘の向こう側から身を乗り出すように、鎌首をもたげた深緑色の巨大な大蛇が舌をちろりとさせながら私たちを見下ろしたのだ。頭の大きさだけで私の身長くらいある。


 蛇に睨まえて動けなくなるというのはこういうことなのだろう。全身の血の気が一気に引き、恐怖に体が硬直する。

 楠葉がヒュッと息を呑んだあと、腰を抜かしたのか、ザッとしゃがんだのが目の端にうつった。


「おお、兎と狸が釣れたぞ」


 蛇が私達を見ながら誰かに話しかけている。一人ではないらしい。


 私はだらだらと脂汗を流しつつ、逃げ道を探す。

 この姿では無理だ。獣の姿になって駆ければ、ギリギリ逃げられるだろうか。でも、そうすると腰を抜かした楠葉を連れて逃げるのは厳しい。

 カミちゃんも固まったまま動かない。逃げる方法を考えているのかもしれない。


「おお、丁度良い」


 不意に、頭上からもうひとつの声が降ってきた。

 首だけをなんとか動かし声の主の方を向くと、同じ大きさの鎌首がもう一つ、茂みの向こうから出てきて、私達を覗き込んだ。


 終わった……

 これでは、私も楠葉もあっという間に一呑みだ。


 しかし、それだけでは済まなかった。

 さらにもう一匹がのっそり顔をのぞかせたのだ。目を光らせて不敵に笑う。


「初めてのお客だ。歓迎するぞ。兎に狸。」

「……へ?」


 ……歓迎? ……あ、お腹の中にってこと……?


と思っている間に、二匹の蛇の頭がこちらに向かってどんどん降りてくる。ガパっと開かれた口にある二本の牙がテラリと光り、涎か毒かわからない粘着く液体がたらりと滴る。


 あ、死んだ。もうダメだ。


 こういうときは本当に体が動かないんだな、と変に冷静に思った瞬間、視界から蛇の顔がズレて胴か首かわからない鱗が目の前に来た。

 首根っこをぐいっと引っ張りあげられふわっと体が宙に浮く。

 あっという間に木々の背を超え鳥の飛ぶ空まで持ち上げられた。


 私の肩の上でカミちゃんが慌てて手の部分を光らせていたけれど、上空でそれをふっと消したのがわかった。こんなところで蛇にビリっとされたら落下死しかねない。

 かと言って、このままでは、蛇にされるがままポイッと放り投げられて口の中に落下したり、巣に引きずり込まれるかもしれない。

 八方塞がりだ。


 痛いのや苦しいのはいやだ……どうしたら……


 私が、うぅ、と呻くと、今度は凄いスピードでグンっと地面に向かっていく。


 え、地面に叩きつけられるの!?


 下から強風が吹き付けてきて、ギュッと目をキツく瞑る。しかし、落下の衝撃は訪れず、代わりにストンと地面に降ろされたのがわかった。


 恐る恐る目を開けると、私は丘の一番上に座り込んでいて、隣で楠葉が目を回してパタリと倒れていた。

 駆け寄って助けたいが、私も腰が抜けてしまって立てない。

 仕方なく、目視で楠葉の胸の動きを確認する。一応息はあるようだ。私はほっと胸をなでおろした。

 しかし、それは一瞬のことだった。


 私の目の前に、8つの鎌首がヌッと現れたからだ。私達がいた場所とは反対側の丘の下に居たようで、ここからだと全体がよく見える。

 驚くべきことに、体が丘の下で一つにまとまっているようなのだ。最初は絡まっているのだろうかと思った。しかし、違うのだ。完全に一つの体で、そこから八本の首が生えている。


 ……ヤマタノオロチだ……


 伝説上の生き物に、私はあんぐり口を開けてその姿を呆然と見る。


「狸が気を失ってしまったではないか。お前が乱暴すぎるからだ。」

「俺のせいではない。二郎と変わり無かったはずだ。その狸が弱すぎるのだ。」

「そんな事を言って、八郎は上で面白がって一度落とすふりをしていたじゃないか。」

「五郎のくせに俺に意見するのか?」

「止めろやめろ、お前たち。」

「偉ぶるな、一郎!」

「お前は関係ないだろう、七郎。」

「お前こそ関係ないだろ、六郎!」

「おい三郎、お前、狸を起こしてこい。」

「やだよ。四郎が行けよ。」

「俺、ちっこい生き物苦手なんだよ。」

「いいよ、いいよ。俺が行くよ。」

「おぉ頼んだ、二郎。」


 蛇が八匹、迫力が凄いのに、中身は何も無い口論を始める。

 そして、そのうちの一匹が仕方のなさそうな顔で、チロチロ舌を出しながら楠葉に顔を近づけ、舌で顔をなめたり鼻先で胴のあたりを突いたりし始めた。


 喰ってやるぞという雰囲気ではないし、起こしてこいと言っていたので喰われることはないだろうが、ハラハラしながら見つめていると、うぅ……とうめき声をあげながら、楠葉がようやくムクッと起き上がる。


 しかし、目の前に大蛇の顔があったせいか、ピキっと固まったかと思うと、そのまま再びふらっと気を失ってしまった。


 私は動くようになった体をグッと動かし、慌てて駆け寄って楠葉を揺すって目を覚まさせる。


「白月様、私、大蛇に喰われる夢を見て……」

「夢じゃない。しっかりして。」


 私が言うと、楠葉は目を見開いて周囲を見回し、八匹の蛇に目を留めたあと、再びふらっとし始める。


「喰うために連れてきたのでは無いのだが。」


と蛇の一匹が困ったように呟いた。


 結局、目を覚ましては気を失い、を三度繰り返したあと、楠葉は怯えながらもなんとか正気を取り戻すことができた。

 楠葉はこの調子では、すぐに何かに喰われて命を失ってしまいそうだ。


 楠葉が正気に戻ったので、私は八匹の蛇に向き直る。様子を伺いながら、逃げ道を考える時間を稼ぎたい。


 チラッとカミちゃんを見ると、コクリと頷いてくれたので、きっとカミちゃんも考えてくれるだろう。


「あ……あの……」

「なんだ?」


 一番左の蛇にギロリと睨まれて、勇気を持って声をかけた心がポキリと折れそうになる。


「いちいち威圧するな、八郎。」

「一郎の言うとおりだ。客として迎えたのだぞ。」


 一番右と二番目が一番左を窘めてくれている。


 それにしても、一番右が一郎、一番左が八郎、ということは、右から順に一〜八が並んでいるのだろうか。


「なんだ、兎。」


 二番目が口調を柔らかくして聞いてくれる。


「あの、客として、とおっしゃいましたが、一体どういう意味でしょう……?」


 私が尋ねると、真ん中あたりの蛇がグッと首を動かして、隣の蛇の首を小突く。

 なんか、キリンの小競り合いのようだ……


「おい、五郎、説明しろ」

「わかったよ、四郎。命令するなよ」


 右から四番目と五番目が発言する。

 間違いないっぽいな。


 指示された五郎が、しぶしぶといった様子で私達に少しだけ首を寄せる。


「我ら、最近歌を練習していてな。なかなか上手く歌えるようになったと思うのだが、誰も寄り付かぬので、聞いてくれるものがいないのだ。我らの歌を聞いて感想を教えてくれないかだろうか」


 ……は……歌? ……ヤマタノオロチが?


「……あの、先程から歌声が聞こえると思っていたのですが、ずっと歌っていたのは、貴方がただったのでしょうか……?」

「この辺りで歌声が聞こえたならば、我らだろうな。」


 先程聞こえてきた歌は、この蛇達が歌っていたものだったようだ。

 まあ、確かに合唱のようだったけど……


「まあ、ひとまず聞いていけ。後で感想を教えろよ」


 おそらく七郎だと思われる蛇がそう言うと、蛇達は尾でリズムを取り始めた。


 そして、タイミングを同じくして8匹が同時に歌い始めた。

 ゆったりしたメロディに、キレイな歌声が乗る。

 高い声や低い声が上手く交わり、時々どのように覚えたかは知らないが、シーとかシャーといった声をボイスパーカッションのように加えている。

 尻尾もうまく使って打ち鳴らしてリズムをとっている。

 大蛇の見た目には似合わぬ素敵な合唱に、私は恐怖も忘れて、唖然とする。

 カミちゃんも、逃げ道探しを中断して、私の肩で立ち尽くしているし、楠葉も同様に口をポカンと開けて聞いていた。



「どうだった? 我らの歌は」


 ハア、と息をついた8つの頭が、ぐっと私達に近づく。こうして迫られると圧迫感が凄いので、できたら近づかないでほしい。


 私がうっと息を呑むと、それに気づいた右から二番目、多分二郎が、他を宥めるように自分の首を後ろに引いて、根元から他の首を後ろに引っ張った。


「落ち着け、皆。怖がっている」


 私はすべての鎌首が元の位置に戻ったのを確認して、ほっと息をつく。


「それで、どうだったのだ」


 1番左の八郎が目を細めて私達を見据える。それも怖いんだけど……と思いながら、私はおずおずと口を開く。


「……良かったです。凄く。歌声もキレイだったし、素敵でした」


 私が言うと、何匹かが照れたように首傾げ、何匹かが満面の笑みを浮かべる。


「狸はどうだった?」


 おそらく三郎と思われる蛇が、楠葉に目を向ける。すると、すべての目が楠葉に向かった。

 楠葉はビクッと体を震わす。私の方に助けを求めるような視線を向ける。

 でも、こういうときは自分で言葉を発しなければ、場が収まらない。

 私が小さくと頷いてみせると、楠葉はゴクっとつばを飲み込んだ。


「……あ、あの……私も……素敵だと思いました……」


 うんうん、と私が頷いていると、六郎がググっと楠葉に顔を近づける。楠葉はもう直ぐにでも泣き出しそうだ。


「それだけか?」


 あの、これ以上感想を楠葉に求めるのはちょっと無理かと、、、。ほら、顔が引き攣ってる。


 私は楠葉が気を失う前に慌てて楠葉の腕を掴み、


「もっと聞きたいです! ね、楠葉!」


と促した。楠葉はコクコクと激しく頭を動かす。六郎が頭を引くと、楠葉はふっと体の力を抜いた。


 蛇達は気を良くしたように頷くと、次はどの歌にしようかと話し合い始めた。

 八つも頭があるとかなり賑やかだ。

 何となく、一郎がリーダーで、八郎が引っ掻き回し、七と六が喧嘩。五がオロオロしながら周囲の意見を伺い、三と四も喧嘩。

 ニがうまい落し所を見つけて纏める、という構図のようだ。


 あれはどうだ、これはどうか、と話をしているが、曲の題名は出てこず、歌詞の一部でやり取りしている。それが、jpopでよく聞くようなフレーズで、それをヤマタノオロチが真面目な顔で話しているというのが何とも奇妙な感じだ。

 言葉の意味をわかって言っているのだろうか、と少し不思議になる。


 曲目が決まったのか、蛇達は一様に息をすうっと吸い込んで、再び合唱を始めた。


 あ、これも知ってるやつだ。


 結構アップテンポでノリの良い曲である。

 蛇達が首を振りながらノリノリで歌っている姿はとてもユーモラスだ。

 自然と私も体が音に乗ってリズムをとる。

 サビに差し掛かると、私も自然に一緒に歌っていた。


 しかし私が歌い始めた途端、蛇たちがピタリとその歌を止める。


 え?


 私は目を瞬き、蛇たちの様子に戸惑う。じっとこちらを見つめる16の目に晒され、心臓がドキリと大きく鳴った。


 ……一緒に歌ってはダメだったのだろうか……


「おい、兎。なんだ、その声は。」


 八郎が厳しい声を私に投げかける。


「え……あ、あの……何だと言われましても……」

「だから、いちいち威圧するな。怯えているだろう。」


 二郎が止めてくれるが、八郎には鋭い目で睨まれたままだし、他の蛇たちからも興味の視線がギラギラと痛い。


「しかし、これはあの白い渦の中から聞こえたものと同じ性質のものだぞ。」

「ああ、我らには出せない気が乗っている。不思議な高揚感のある声だ。」

「あれは特別なものだと思っていたが、もしや向こうで歌っていたのはこの兎か?」

「いや、向こうから聞こえてきていたものと、この兎の声は違うものだ。」

「しかし、白の渦の向こうから聞こえた歌を知っているようだぞ。」


 蛇たちが首をひねりながら口々に意見を交わしているのを、私はただ見ているしかない。何がなんだかさっぱりだ。私はただ普通に知っている歌を鼻歌のように口ずさんだだけだ。特別なことなど何もしていない。


 あと、白い渦から聞こえたと言っているが、それはつまり、楠葉の村のときと同じ現象が起こっているということでは無かろうか。向こうの世界と繋がっているということだ。


「おい、兎。何か知っている曲を歌ってみろ。お前の声をちゃんと聞きたい。」


 えっ!?


「あ……あの、突然歌えと言われましても……」

「先程我らが歌ったもので良い。知っているのだろう。」


 それはそうだけど、こんな検分するような視線に晒されて、平然と歌えるような度胸は生憎持ち合わせていない。


 しかし、私が答えずにいると八郎がイライラと声を飛ばす。


「早く歌えと言っている!」

「は、はい!」


 私は言い訳も反論も許されず、反射的に返事をしてしまった。


 八郎さん、短気で怒りぽくて怖いです……


 とりあえずちょっと聞きたい、位の感じだろうし、サビの部分だけちょろっと歌えばいいよね。


 そう思い、先程少しだけ口ずさんだサビの部分だけを、先程と同じように歌い始める。

 しかしすぐに、


「ちゃんと歌え!」


と唾を飛ばしながら怒鳴られた。雨より大きな粘液の粒があたりに飛び散る。


 ヒィィ!


 八郎の剣幕に慄きながら声量を大きくして歌う。

 と、何故か本当に唐突に、肩に座って様子をうかがっていたカミちゃんが光りだした。白の渦の前にいったときと同じ感じだ。

 私が目を向けても平然としているので、きっとあの時と同じように、体は何ともないのだろうけど……


 でも、何で急に光りだしたんだろう……


 内心では首をひねりながらも、蛇に睨まれた状態で歌を途中で止めることはできない。

 私は仕方なく、サビの部分をまるまる全力で歌うことになってしまった。


 私が歌い終えると、蛇達は言葉を無くしたように目を見張って私を見ていた。楠葉も同じように目を丸くしている。


「……見事だ。まるで魂を揺さぶられるような心地だ」


 一郎が口から溢れるように感想を漏らす。


 え、いや、そんな大袈裟な。

 鼻歌の延長で、大層な物では無いハズですが……


 すると、蛇達は堰を切ったように、口々に感想を述べ始めた。


「本当に、心に直接響くようだ」

「どうやったらこのように歌えるのだ」

「うっかり聞き惚れてしまっていたぞ」

「透き通るような声が、胸に刺さるようだ」

「我らにはこのように歌うことができないのが悔しいな」

「しかし、あの穴を通さず間近でこのような歌を聞くことができたのは幸運だった」

「確かに、あの穴から聞こえてくるものよりも明瞭に心に響いてきたな」


 なんというか、絶賛だ。

 でも、私には戸惑いしかない。どこにそんなに持ち上げられる要素があったのだろうか。


 私は特別歌がうまいわけではないという自覚がある。それなのに、蛇達からは称賛と興味の目で見られている。それは楠葉からも同様だ。


「凄いです、白月様」


と目をキラキラさせている。心当たりが皆無なだけに、何とも居心地が悪い。


「もう一曲だ。もう一曲歌え、兎」


 一番怖い八郎に催促され、期待に満ちた他の蛇達の視線を受けて、小さな兎が断ることができようか。


 私はそこから2曲、3曲と連続で歌わされた。

 蛇達が知っている曲があったようで、ところどころで蛇達が参加してくる。手拍子のように尻尾でリズムをとり、次第に合唱になっていく。


 近くの木々には徐々に蛇を天敵とするような小鳥や小動物が集ってくる。まるでどこぞのアニメーション映画のようだ。

 歌っているのはプリンセスではなく、ヤマタノオロチと兎だけど。


 更に数曲歌い終わったところで、五郎がハァ~と息をついた。


「こんなに歌っていて気持ちがいいのは初めてだ。」

「観客がこんなに集まってきたのも初めてだな」

「心が躍るようだな。」


 四郎と三郎も嬉しそうだ。他の蛇たちも満足そうにしている。しかし、私はヘトヘトだ。

 白い渦の穴を塞いだ時のような感じだ。

 歌うのってこんなに疲れることだっただろうか。いや、歌うことで体力を使うことは知っている。でも、膝をついて息を切らすほどでは無かったと思うのだけど……


 ……ちょっと、しばらく休まないと立てなそう……


 私がゼエゼエ息をしていると、歌が終わったことに気づいた鳥や動物が、一匹、また一匹と居なくなっていく。蛇達はそれを残念そうに見送っている。


「おい、兎。体力がなさすぎるぞ」


 六郎が困った顔で私を顔で突いた。


「……あの……ゼェ、今日のところは、ゼェ……勘弁してもらえないでしょうか……ハァ……」


 息も絶え絶えに言うと、二郎が仕方がなさそうな声を出す。


「残念だが、この調子ではもう歌えまい」

「……あ……あの、ではもう帰っても……?」

「仕方がなかろう」


 他の蛇達は何か言いたそうな顔をしているが、帰っても良いと許可が出た。この機会を逃すわけにはいかないだろう。


「……楠葉……肩貸して……」


 一刻も早くお暇したいが、情けないことに体がついてこない。ぼうっと私たちの歌を聞き入っていた楠葉は、ハッと我に返って私の腕を取って、自分の肩に乗せた。

 私は押しつぶさない程度に体を預ける。


「もう少し休んでいってはどうか?」


 五郎が見かねたように声をかけてくれる。

 でも、お気遣いはありがたいが、休んでいる間に気が変わられてはたまらない。


「ありがとうございます。でも、お邪魔になるといけないので……」


 私は言い訳に聞こえないように、蛇たちに微笑みかける。そして、楠葉の耳元にそっと囁く。


「……行こう、楠葉……出来るだけ早く遠くに」


 私の言葉に、楠葉は何も言わず小さく頷いた。


「……では、これで失礼します。体力が回復するまで時間がかかりそうですが……また機会があれば、是非一緒に」


 明日来いと言われる前に、私からいつとは指定せずに挨拶する。またいつか、はいつやってくるか分からないところがポイントなのだ。


「おお。また来い」

「また、一緒に歌うぞ」

「ちゃんと体力を回復させておけよ」

「次はもっとたくさん歌えるようにしておけ」

「我らももっと練習せねば」

「曲目も増やしたいな」

「今度はもっと客を集めよう」

「待ってるからな。必ず来いよ」


 私は笑顔を振りまきつつ、無茶をふっかけられる前に楠葉を急かして足早にその場を後にした。


 かなり距離を取ったところで、私と楠葉はハァ~と深く大きな溜息をついて座り込んだ。


「私、蛇に一呑みにされてしまうかと思いました……」


 楠葉が木に体を預け、脱力したように言った。


「私も。ところで、ただ歌を歌っただけなのに、何であんなに蛇達に喜ばれたんだろう」


 私が言うと、楠葉は首を傾げる。


「よくわかりませんが、凄く素敵でしたよ。心が踊るように楽しくて、感動しました。私。白月様があんなに歌がお上手だ何て知りませんでした」

「うーん、歌うのは好きだけど、そこまで絶賛されるほどではないと思うんだけど……」


 私はカミちゃんに目を向ける。


「それに、カミちゃんも光ってたよね」


 カミちゃんは大きく頷く。それから、手をいろいろ動かして説明しようとしてくれている。

 でも申し訳ないが、全然分からない。


 私が首を捻ると、今度は近くの木の枝を摑んで何かを描き始める。でも、グルグルと渦を巻くように円を描くばかりで全く分からない。


 ……渦?


「そうだ、あの蛇達、白い渦から歌が聞こえたって言ってたよね。結界を閉じにいかなきゃ」


 無視したって良いのだろうけど、気持ちがどうしても落ち着かない。

 私が別の話題に移ったことで、カミちゃんは説明を諦めて、結界を閉じに行くことに賛同した。



 その日、私達はゆっくり休息を取り、ヤマタノオロチのいた丘を避けて白い渦のある場所を探した。

 遭遇すると足止めをくらうどころか、結界を閉じることを邪魔される恐れがある。

 慎重に周囲を探りながら、白の渦を探していった。


 ヤマタノオロチの丘から少し離れたところにそれはあった。楠葉の村の時と同様に、不自然に開けた円形の場所の中央に白い渦が浮かんでいる。


 少し違ったのは、車や電車の音もするがそれよりも大音量の歌声が響いているということだ。

 ついでに、雑踏のざわめきと時々ナレーションのような声が聞こえる。


 ……街頭ビジョン?


 結界の穴は、どこにでも開くものだな、と妙に関心する。

 ただ、そんなにたくさんの人が集まる場所に、奇妙な渦が浮いていたら、騒ぎになるのではなかろうか。向こうから見たらこのような渦にはなっていないのだろうか。いろいろな疑問が浮かび上がる。


 それに、聞こえてくる曲に知っているものが混じっている。全く知らない世界に転生したとばかり思っていたが、もしや、あそこを通ればもともと住んでいた場所に帰れるということだろうか……


 私はチラッと自分の体を見下ろす。


 いや、今の私は向こうに戻れたとしても異形の存在だ。例え獣の姿になって紛れたとしても、ここと同じ野宿生活は変わらないし、コソコソしなければ捕まって、最悪晒し者になるだけだと思えば、断然こちらの方が暮らしやすいはずだ。

 人だった頃の記憶が乏しい今、どうしても帰りたい場所があるわけでもない。


 まあ、便利グッズだけでも手に入れられないかな、とは少し思うが、それも危険と天秤にかければ、こっちで何とかする方に軍配があがる。


 とりあえず、閉じてしまおう。


 前回のように楠葉が不用意に近づかないよう、円の外に出ているように言い聞かせる。ついでに、ヤマタノオロチが万が一来ても身を隠せるように、茂みと木の影にかくれているように場所も指定した。


 よし、やるか。


と円の中に足を踏み入れようとした途端、再びカミちゃんに顔面に張り付かれた。


「ブッ! 今度は何……」


と言いかけて、私は口を閉じた。

 聞くまでもなく、少し離れたところから、重いものをズルズル引きずるような音が聞こえたのだ。

 私は素早く近くの茂みに身を隠す。


 隙間から様子を窺っていると、開けた円の中にヤマタノオロチが姿を表した。

 一歩早ければ鉢合わせになっていたところだった。自分たちの運の良さに小さく息を吐く。


「さて、今日も歌うぞ」

「昨日の兎に負けぬようにしなければな」

「それにしても昨日は気持ちが良かったな」

「曲の数を増やして、あの兎を驚かしてやろう」

「しかし、いつ来ても余計な騒ぎ声が煩いな」

「これがあるせいで聞き取りにくいところがあるからな」

「煩いと叫んでみてもなんの反応もなかったしな」

「だが、ここで聞いていると心が高ぶる」


 蛇達は会話が成り立っているのか不思議に思うような会話を口々にしながら、白い渦から響く声に耳を傾ける。


 次第に向こう側から聞こえてくる音楽に触発されたように一匹、また一匹と歌い出す。

 相変わらず素敵な歌声だが、昨日のように動物達が集まってくるような気配はない。


「やはり、我らだけで歌っても、獣達が集まってくることは無いのだな」


と蛇の誰かが残念そうに呟いた。


 それから日が傾くまでの間、蛇たちは飽きもせずに、向こうからの音を聞き、歌をうたうのを繰り返した。


 早く居なくなってくれないと出るに出れないので、私達はジリジリした気持ちでそれを見ながら堪え忍んだ。


 よっぽど歌が好きなのだろう。

 お気に入りの場所を今から閉じようとしていることに若干罪悪感が芽生えてくる。

 それほど、蛇たちは生き生きしながら歌をうたっている。


 私が閉じたことがバレたら恨まれそうだ。

 絶対に秘密にしておかなければ。


 ようやく満足気に重たい体を引きずって帰っていく背中を茂みの影から見送りながら、私は固く決意した。

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