第18話 雉の言い分
ヤマタノオロチが姿を消し、完全に音が聞こえなくなったことを確認して、私とカミちゃんは円の中に足を踏み入れた。前回同様にカミちゃんの体が光りだす。
万が一にもヤマタノオロチが帰ってくる前に閉じてしまわなければ。
しかし、白い渦の前に立った瞬間、唐突に叫ぶような声が響いてきて、心臓が飛び出るのではと思うくらいにドキリと脈を打つ。
「そ……そこを……閉じるのを……お待ちください!!」
声は、遠くから物凄いスピードでこちらへ迫ってくる。ヤマタノオロチに気づかれるのではとハラハラしながら声の主を探し、ようやく目を止めた時には、2mくらい向こうから、カラフルな何かが地面に突っ込み、ズザザザザっと音を立てながら地面に突っ伏した状態で滑り込んでくるところだった。
え? と……鳥? ……雉かな……?
……それにしては大きい気もするけど。
私が小さいせいもあるだろうが、長い尾を除いた全長で言えば私と同じ位の大きさだ。
大鳥に良い思い出のない私のだが、この鳥はちょっと様子がおかしい。
赤々とした頭と、首周りから体にかけて紫、紺、水色とグラデーションがキレイにかかった体に、簞笥のような木箱を背負った大きな鳥が、勢いよく全身を地面に擦り付けて砂埃まみれになっている。
茶色い両羽を広げて頭の前で重ねるようにして私の手前でピタっと止まったのだが、そのまま動かなくなってしまった。
……墜落? ……もしや死……
と思ったところで、背筋がヒヤッとする。
私が固まっている間にカミちゃんは体を光らせたまま、ヒランと私の肩から飛び降り、雉の頬をツンツンさせ始める。
その様子にハッとして、
「あ、あの! 大丈夫!?」
と慌てて私が声をかけると、雉は地面に体と羽をつけたまま、顔をバッとあげた。
その勢いに、カミちゃんは少しだけ煽られてよろける。
「どうかお願いします! そこを閉じるのを、少しお待ちください! この通りです!」
雉はすり傷だらけの顔をもう一度地面に擦り付ける。私もカミちゃんもそれを呆然と眺めた。
「……はい? ……あ、あの、大丈夫なの?」
「大丈夫ではありません! そこ閉じられてしまうと、私の生きがいがなくなってしまうのです! もう一度だけでも……」
「いや、そうじゃなくて体の話なんだけど……」
そう言うと雉は再び顔を上げ、確認するように羽を少しだけ上げる。
「体はまあ……羽が何本か抜けましたが、大丈夫です。もともと飛ぶのは苦手なので、こういうこともあります」
とスライディングしてきた跡が残る地面を振り返る。向こう側には、数枚の羽がすでに散乱していて、更に舞い上がっていたであろう数枚がひらりと地面に落ちるのが見えた。
大丈夫に見えないし、こういうの、普通にあることなの……? それこそ大丈夫?
しかし雉は、そんなことはどうだっていいとばかりにすぐに視線をこちらに戻し、丁寧に両羽を顔の前で揃えて地面につけ、姿勢を正した。
「どうか、そこを閉じるの、もう少しお待ち頂けないでしょうか」
どういうこと?
私が首をかしげると、雉も同じように首を傾げた。
「あちらの世界とこちらの世界を繋いでる結界の穴を閉じるのですよね?」
「え、うん、まあ……」
この雉は何でそんな事を知っているのだろう。
「もともと、他にも通っていた穴があったのですが、先日赴いたら急に通れなくなってしまっていて……
近くの者に聞いたら、頭に不格好な染みのある紙人形を連れた銀色の兎が解決していったというのです。
貴方がたがそうなのでしょう?
もう一度だけでもあちらに行きたいのです。帰ってくるまで待っていただけないでしょうか」
雉は頭を下げて必死に訴えてくる。
不格好な染みとは、私が描いたリボンのことだろうか……カミちゃんの視線が痛い。
私はそれを誤魔化すように、雉に目を戻す。
「貴方が通れるような穴があった?」
「通常は難しいですが、夜になってあちらに陰の気が満ちれば、体を小さくして通り抜けることができるのです。このように」
そう言うと、雉がやや大きな鳩くらいまで縮んだ。色もくすんで派手さが薄れる。私が四足歩行の兎になるのと同じ感じだろうか。
「それでも、身をよじらなければ難しいですが」
雉が元の大きさに戻る。
あちらに陰の気が満ちれば、という所もよくわからない。でも、それ以上に何でこの雉はわざわざあちらに行こうとするのだろうか。
「どうしてあちらに行きたいの?」
「生きがいなのです」
雉は至極真面目な顔で言い切る。
「はい?」
私がぽかんとした顔で見ていると、雉は目をキラキラさせ始めた。
「あちら側は本当に素晴らしい場所です。昼はさすがに命が危険なので行くことは出来ませんが、夜でも常に明かりがともってとても明るく、牽く者がいない鉄の乗り物が物凄い勢いでたくさん通っているのです。時々、鉄の鳥も飛んでいますし、物凄く大きくて長い鉄の蛇もいます。とても信じられません。あの方のいらっしゃった世界があれほどの場所とは……」
滔々と語る雉の目は、もはや私を見ていない。自分の世界に入って向こうの魅力を語っている。
うーん、長くなりそうだし、ヤマタノオロチが戻ってくるかどうかヒヤヒヤしてるのに、いつまでも聞いていられない。前回同様、不安感もどんどん増してきている。
私達は穴をさっさと閉じて遠くに逃げたいのだ。
カミちゃんは、もはや興味を失ったようで、雉に背を向けて光る腕で白い渦を指し示している。
さっさと閉じろということだろう。
そうね。異論なし。
頼まれたところで閉じるのは決定事項なのだから、邪魔されないうちに閉じた方がいい。
カミちゃんはヒョイッヒョイッと私の体を登り、定位置である肩の上に座る。
私は、全てを飲み込んでしまうのではと思うくらい眩く光る渦に向き直り、両手をパンと合わせてから集中して手を前に突きだした。
すると自然と頭の中に祝詞が浮かび上がってくる。前回と同様に、浮かび上がる言葉の文字もわからないし意味もわからない。ただ、それが音となって頭に響き、口から溢れるように唱えられる。この穴を閉じたいという強い思いが自然と浮かび上がり、自分の中から細い粒子のような黒いキラキラした光と眩い白い光が引き出されて洞に吸い込まれていく。背中の一部がじりじりと熱い。
自然と湧き上がり吸い出されていくのに身を任せていると、頭の中に浮かぶ言葉がスウと消えて、それが終わったことがわかった。長い祝詞を唱え終わると、光の粒子に満たされたとばかりに、一際強い光を放って渦が消滅した。
同時に目の端で光っていたカミちゃんも、光を失ったのが見える。
それを確認すると、私は頭がグラっと揺れるのを感じてその場に座り込んだ。ぐわんぐわんする頭を落ち着けようと額に手を押しあて一度強く目を閉じる。
「なんとも美しいものですね」
唐突に頭上から声が降ってきた。
雉は、いつの間にか語るのをやめていたようで、感心したように呟いたあと、はぁ、と小さく息を吐いた。
穴を閉じたことで文句を言われるかと思ったが、そんな様子はない。興味が移ったのだろうか。
「気づいた時には儀式を始めていたので徹底抗議をと思ったのですが、あまりの美しさに気が削がれてしまいました。」
私の心の声に反応するように雉は呟いた。
どっと疲れたし気力も体力も消耗しているが、目眩が少し落ち着いてきたのでゆっくり目を開ける。
すると、雉がすぐ近くで私を覗き込んでいるのが目に飛び込んできた。あわや嘴が私の鼻に突き刺さるのではと思うほどの近さだ。
「うわ!」
あまりの近さにビクっとなり、座ったまま後ろに仰け反る。カミちゃんがバランスを崩して私にしがみついているのが目に入った。
「おや、失礼」
雉は悪いと思ってなさそうな顔で、ほんのちょっとだけ顔を離す。未だ近いので、もう少し離れてほしい。
私はじりじりと体ごと後退して十分な距離を確保する。
雉はそんなことを気にもせず、つんっと翼で私の腕を突いて、自分の翼をしげしげと見たあと、興味深そうな目でこちらをみつめた。
「あなたは陰と陽の気を使うことができるのですね。驚きました。」
「……陰と陽気を使うって……?」
「自覚がないのですか?」
目を瞬く雉に、私は首を傾げる。
「こちら側に満ちている気が陰、あちら側に満ちている気が陽です。あちらも夜になると陰の気が満ちます」
と、雉は先程まで渦があった場所を翼で示す。
「こちらでは陽の気を使える者はいません。陽の気に晒されるだけで毒になり、それが長く続けば死に至るのですから、扱う事が出来ないのはもちろん、自分の身に取り入れることも宿すこともできません。ただ、先程の陽の気はあなたから溢れ出ているように見えました」
雉は遠慮する様子もなく、じっと私の全身を上から下まで観察する。
でも私は、へえ、そうなんだ、という感想しか湧いてこない。穴を閉じる以外に自分の力を意識したことはないし、使い道もそれ以外にない。
「……あのキラキラのことをいっているのなら、確かに私から出ているんでしょうね」
と答えると、雉はまじまじとした目でじっと私を見詰める。居心地が悪いからやめてほしいと思っていると、ツイっと視線を私の肩にうつす。
「それから、そこの紙人形。自分の気を使っていた貴方はまだしも、儀式の最中、あれだけ陽の気に晒されていたのに、なぜ無事なのでしょう?」
……何故と言われても。
私には、何故でしょうね、としか言えない。
そもそも、カミちゃんは最初から謎な存在だ。
それに加えて、私が陰と陽の気を持っていることも、こっちの住人が陽の気に耐えられないことも、今知ったばかりなのだ。
カミちゃんに視線を向けてみるが、ただ雉を見るだけで何を考えているかはわからない。
私が答えられずにいると、雉は目を細めてニコリとした。
「決めました。ここから先、私はあなたにお供いたします。」
「……はい?」
……ええっと? どういうこと?
「貴方は、あちらとこちらを繋いている穴を閉じていっているんですよね?」
「、、
「……まあ、見つければ閉じるけど……」
「だから、その旅にお供します。」
「……え? いやいや、なんで?」
一体どういう経緯が雉の中であってそうなったのだろうか。私が戸惑っていると、雉は首を傾げる。
「理由が必要ですか? まあ、強いて言うならば、面白そうだから、でしょうか」
もう、頭の中は「?」しか浮かび上がってこない。
「いや、ちょっとよくわからないんですけど……」
私がそう言うと、雉は圧力のある笑みを浮かべた。
「言いましたよね、そこの穴、閉じないでくださいって。生き甲斐だって。それなのに、私の話も聞かずにさっさと穴を閉じてしまったではないですか。」
雉は渦のあった場所を翼で指し示すが、目はじっと私を見据えたままだ。
「はあ……」
まあ、私自身の中での警鐘が煩すぎて落ち着かないので、閉じましたけど……
雉の話が長くなりそうだったし、ヤマタノオロチが来る前に逃げたかったし、正直反省も後悔もしていない。でもやっぱり雉は納得していない。
「はあ、ではありません。私から生き甲斐を奪ったのですから、私に旅の同行を許して、別の生き甲斐を与えて貰わなくては困ります。」
えぇ、急に重い!
生き甲斐を奪われた代わりに私に同行して生き甲斐を得たい?
そんなもの得られるわけがない。
勝手に奪った形になったことは悪かったかもしれないが、その代わりになるようなものは用意できない。
「いや、あの、とても残念だけど、私と一緒にいたところで、期待しているようなことなんて起こらないと思うんですけど……」
しかし、雉は即座に否定する。
「そんなことはありません。陰と陽の気を持つ不思議な方の側にいて、何も起こらないはずがありません。」
「いや、今までだって、別に大したことは……」
と言いかけて、私は口籠る。
面白くなんて全く無かったが、私がこの世界に来てから半年も立っていないのに、びっくりするくらいいろいろな目に遭っている気がする……
雉はそれを見てニコリと笑った。
「別に承諾なんてしなくてもいいのですよ。断られても付いていきますから。意地でも」
意地でも……
私は、雉の有無を言わせぬ態度に言葉を失った。
「ああ、お近づきの印に、こちらを差し上げます。気を放出しすぎて立ちあがることも難しいのでしょう?」
私が何も言えないでいるのを了承ととったのか、雉は背負っていた木箱をカチャカチャさせてから、私の手にすっぽり収まるくらいの小さな瓶を取り出す。そこにはなみなみと、少し白く濁った水が入っていた。
いや、こんなものもらっても、と戸惑いながら雉を見ると、
「幻の薬湯です。飲んでもよし、かけてもよしの優れものですよ」
と言って押し付けるように渡される。
「場所は言えませんが、険しい山の上に住む鬼の住処でしか手に入らない、幻の品です。わかる者には喉から手がでるほど貴重なものですよ」
雉が自慢げに言うのをみて、私はカミちゃんと顔を見合わせる。
「……それってもしかして、山羊七さんのところの……?」
私がそう言うと、
「おや、ご存知なのですか?」
と雉は驚いたように目を丸くしてこちらを見つめる。
「少しお世話になったので……」
「そうだったのですか。世間は狭いものですね。ならば、効能もよくご存知でしょう。お飲みになっては?」
「え、でも、貴重なものでしょう」
「大丈夫です。まだ幾つもありますから」
雉はポンと木箱を軽く叩く。
私はそれならばと遠慮なく頂くことにする。
「それにしても、あの場所に辿り着ける方がいるとは思いませんでした」
雉は薬湯を飲む私に向かい感心したような声を出した。
「もともと旅の途中で偶然見つけた、私しか知らない秘密の場所だったのです。
あそこに入るなら、上空から入るか、山羊七の住んでる洞窟を通るしかないはずですが、貴方はどうやって知ったのです?」
雉は探るような目でこちらを見る。
「まあ、いろいろあって」
本当にいろいろあったあの旅を思い出し、私は遠い目になる。説明するのも面倒なくらいだ。
しかし、雉は私が説明を拒んだと思ったのか、僅かに眉間にシワを寄せる。
「誰にも知られないよう、住処を探して困っていた山羊七に洞窟に住んで入口を守ってもらい、更に、温泉のことが他に知られると妖たちが大勢押し寄せることになると口止めもしておいたはずなんですが……一体どこから漏れたのでしょう……」
ええと……それは、山羊七さんが困っているのにつけ込んで利用した上に脅して口止めしたって言うんじゃない……?
探るようにこちらを見ていた雉の目を、私はまじまじと見返す。
この雉は、確かに山羊七に住処と名を与え、散々感謝されていた雉で間違いないようなのだが、素直に山羊七の話を聞いた時のイメージと少しズレる。良い妖もいたものだなと感心していたのに、その裏を知ると何だか残念な気持ちだ。
嬉しそうに雉の話をしていた純心な山羊七が何だかかわいそうだ。
「山羊七さんは随分貴方を信頼していたようだけど……」
思わず心の声が漏れ出ると、雉は目を丸くした。
「おや、山羊七にも利のあったお話ですよ。持ちつ持たれつですから」
と胡散臭い笑顔でニコリと笑った。
それはそうかもしれないが、何となく腑に落ちない。
ひとまず、山羊七がバラしたと誤解されるのは良くない気がするので、そこだけは弁解しておく。
「いろいろあって、上空から見つけたの。山羊七さんに会ったのはその後。」
私が簡潔に応えると、雉は目を輝かせる。
「翼の無い者が上空からとは、また豪快ですね。詳しくお話を伺っても?」
しかし、何となく話をする気にならなくて、
「また今度機会があれば」
と流しておくことにした。
それにしても、この雉が、山羊七にダサ、、、もとい、見た目を象徴したわかりやすい名前をつけた張本人だったとは。
「ちなみに、あなたのお名前は?」
私が尋ねると、
「
となんとも得意そうに言った。
自分の名前は璃燿なんて凝った名前なのに、他人には山羊七と名付けるなんて……
なんとも理不尽ではなかろうか。
とは思ったものの、璃耀はともかく、山羊七が満足そうだったのは確かだ。他人が余計な口出しをするようなことではない。
「とても良い名だね。」
私はそれだけ言って微笑んでおいた。
「貴方がたのお名前も伺っていませんでしたね。まだお名前がないようでしたら僭越ながら、私が名付けさせていただきますが?」
璃耀が意気揚々と名乗り出る。
私はそれに慌てて「白月です!」と答えた。
それから、カミちゃんをチラッとみて
「こちらは……紙太です……」
と気遣いながら伝える。
カミちゃんは、もう諦めたようで、静かに頷いただけだった。
もしかしたら、カミちゃんは名前をつけ直して上げたほうが良かったのかもしれない。
「では、白月様とお呼びしましょう。私のことは璃耀と呼び捨てでお願いします」
「え、いや、様はちょっと……」
「私がお願いして従者にしていただくのですから、そうお呼びすべきでしょう?」
「従者? ただ一時、共に旅をする仲間なだけであって、主従関係ではないでしょう」
突然何を言い出すのか。
拒否しても勝手に付いてくる構えだったはずなのに、なぜ主従関係を求められることになっているのか。
気ままな旅の同行者で、上下関係などなく、飽きたらそれぞれの旅に戻っていくような関係で良いのではなかろうか。
しかし、璃耀は首を振る。
「共に旅をさせていただくならば、力の強いものに付き従うのは基本ですよ。明確な主従関係があれば無意味な諍いも生まれません。何より、私があなたを主と定めて付き従うと決めたのですから、私は従者としてお供をするのですよ」
え、いったい今までのやり取りの何処にそんな重苦しいやり取りが発生していたのだろうか。
璃耀が旅に同行したいと言ったのは気分と勢いだった筈では……
無意味な諍いは困るけれど、そうなったら別の道を行けばいいだけだし……
私の躊躇う素振りを見て取った璃耀は表情を険しくする。
「お供したいと申し上げて了承したのに、直後に反故にして放り出すおつもりですか?」
いや私、了承してないんだけど……
あ、でも薬湯飲んじゃった……あれが了承の意になったのだろうか……
もしや贈り物を受け取ったことが了承の意味になったのではと、今更青ざめる。
「……いや、そうは言っても、私にはあなたの主となれるような力なんてないんだけど……」
私の言葉に璃耀はニコリと笑う。
「あれだけの陰と陽の気を使っておいて、力がないとは言わせません。」
有無を言わせぬ圧力に、私は黙るしかない。
固い決意を翻す術を失い、何だかよくわからないうちに、奇妙な雉の主になったのだった。
「ところで、あそこの狸はなんです?」
璃耀は大きな木の陰を翼で指し示す。
そこには、出てきても良いのかどうかわからず頭を少し出してこちらを伺っている楠葉がいた。
ごめん、すっかり忘れてた。
私が「もう出てきていいよ」と手招きすると、パタパタと寄ってくる。
「楠葉です。」
私の後ろに隠れようとした楠葉を璃耀の前に押し出すと、楠葉はペコリとする。
「お仲間で?」
「まあ……ちょっと縁があって」
楠葉は居心地が悪そうに身を小さくしている。璃耀はそれを見てニコリと微笑む。
「そうでしたか。璃耀です、よろしく」
璃耀は胸に翼を当て、慇懃に挨拶をした。
さて、ここでゆっくり話をしているのは宜しくない。さっき帰ったばかりだからすぐに戻ってくるとは思えないが、ヤマタノオロチが万が一にも戻ってきたらと思うと、身が竦む。
白い渦を消した恨みに、今度こそ取って食われそうだ。
「とにかく、ここを離れよう」
私が言うと、カミちゃんと楠葉が一も二もなく頷いた。璃耀だけは首を傾げていたが、歩きながら説明するからと、半ば強引にその場を離れた。
「ヤマタノオロチが出るとは知りませんでした。あの場所で歌の練習とは、惜しいものを見逃しましたね」
璃耀が面白がるような、悔しがるような声で言う。
「白月様の歌はもっと凄いのですよ。」
何故か楠葉が自慢げだ。
「それは是非聴いてみたいですね。」
璃耀が目を輝かせたが、ヤマタノオロチが絶対にこないと言える場所に避難するまで、歌なんてうたうつもりはない。鼻歌だってゴメンだ。
「ヤマタノオロチにまた捕まるよ」
と言うと、楠葉はピタリと黙ったが、璃耀は逆に目を輝かせてこちらを見た。
そんな目で見たって無駄だ。私は黙りを決め込んだ。
「それで、穴は見つけ次第閉じていくとして、これからどうしようと思っていたんです?」
ヤマタノオロチから十分距離を取っただろうと思った頃、私達の様子を窺っていた璃耀が口を開いた。
「都に行こうかと。欲しいものがあって。」
「……ふむ……都ですか」
璃耀は反芻するように呟いたあと、顎に翼を持って来て黙り込む。何か変なことを言っただろうか。それとも、都は行くのも躊躇うくらい危険な場所なのだろうか。
「止めたほうがいい?」
「……ああ、いえ」
璃耀はすぐに気を取り直したようにニコリと笑う。
「都に行くならば、人の姿になれたほうが良いのですが、白月様はできますか?」
「……人の姿?」
何故、妖の世界の都に行くのに人の姿でなければならないのだろうか。
私が首を傾げると、璃耀が詳しく教えてくれる。
「多くの場合、力の弱い妖は姿形を変えることができません。人の形を取れるのは、それだけの力があるという一つの誇示になります。
一方で、町に居付く者は、人の形を取れるものばかりなので、今のままの姿で行くと、ほぼ確実に馬鹿にされるか、相手にされないか、妙な言いがかりをつけられて面倒事に巻き込まれてしまうでしょう」
へぇ。ただ単純に都に行ってみようと思ってたけど、妖の世界にもいろいろあるみたい。
そういう意味では、璃耀がついてきてくれるのはありがたい。
「璃耀は人の姿になれるの?」
「ええ、私はよく都へ行きますから。白月様ほどの力があれば、やり方さえ覚えれば問題ないでしょう」
「カミちゃんは?」
私は、当たり前のような顔でいつもの定位置に座るカミちゃんに目を向ける。
「紙太はその容姿ですから、白月様と共にいる分には問題ないでしょう」
ふーん。まあ、行ったことのある璃耀がそう言うならそうなのだろう。
「楠葉は……」
「私、变化は得意なのです。狸ですから」
そう言うと、楠葉は近くに落ちていた木の葉を拾い上げて頭に乗せて、クルンとその場で一周回る。
すると、亜麻色の長い髪の毛を二つに弛く結い胸元で揺らす、小学生くらいの女の子が現れて、得意げに笑った。服は子狸の時に着ていたものをそのまま来ているので、丈が少し短い。
「ああ、狐狸や狢は例外的に力の多い少ないに関係なく变化ができますからね」
へぇ~。確かに、昔から狐狸は人に化けるって言うよね。
「それで、どうやったら良いの?」
「自分の体の中にある力を、人の大きさになるように膨らませ、人の姿を想像しながら形作るよう念じるのです」
璃耀はそう言うと、目を閉じて何やら念じ始める。雉の体から、何かモヤモヤしたものが出てきたなと思うと共に、そのモヤモヤが人の姿に固まり始め、目を瞬く間に瑠璃色の髪の優男が目の前に現れた。ちょっと不健康そうな顔色が気になるが、結構背が高い。
雉の時は服を着ていなかったのだが、璃耀は何故か、菫色の着物を纏っていた。
なるほど。妖力を膨らませるというのが良くわからないが、璃耀がやったことを手本にしつつ、自分からモヤモヤが出るようなイメージで念じてみよう。二足歩行と四足歩行を自由に変えられるのだから、それと同じ感じだろう。
私はひとまず目を閉じて、人の姿を思い浮かべる。せっかくだから、美少女にでもなれないだろうか。顔までイメージ通りに成れるかはわからないが、昔テレビでみた、西欧のお人形のようにカワイイ女の子を一応想像してみる。
「おや、問題無さそうですね」
という璃耀の言葉に目を開くと、確かに手足に毛むくじゃらが無くなり、人の肌色に変わっていた。背も少し伸びたようで、来ていた服の丈が短くなり、目線が上がっている。比較対象がないのでわからないが、楠葉を見下ろせるくらいには高くなっていた。と言っても、頭一つ分くらいだが。身長から考えると中学生くらいだろうか。
一応、人だった頃は社会人だったはずだけど……
「それにしても、美しいですね。長い銀の髪がよくお似合いです。
变化には、どこまで細部までイメージできるかが肝なのですよ。実際に人の姿をイメージ出来ない者は、顔の一部が獣のままだったりすることが多いのです。それに、一番最初に变化した姿が基本になって体に染み付きますから、あとから変えることは困難なのです」
……なんでそれを、私が人の姿になったあとに言うんだろう。
何か重大な失敗を犯していないだろうか、と心配になってくる。
どこかに自分の姿を確認できるようなものは無いかと探していると、少し向こう側に川があると璃耀が教えてくれた。
川を覗き込むと、流れに歪んで見えるものの、確かにカワイイ女の子がこちらを見返していた。と言っても、イメージしていた西洋人形のような顔ではなく、日本人っぽい顔だ。
元の兎の毛の色と同じ髪の色に日本人の顔なので、コスプレでもしているかのように見えるのが残念な感じだが、まあ、変な失敗はしていないからいいか。璃耀だって瑠璃色の髪だし。
ただ、背丈もそうだが、やっぱり子どもの顔つきだよなぁ。
私がうーむ、と自分の体を見ていると、璃耀が苦笑気味に教えてくれた。
「人になったときの容姿は年齢に準じるのです。50歳前後でようやく大人の姿になるのですよ」
確かにそう考えれば、20歳の楠葉の容姿が小学校低学年くらいなのは頷ける。
でも、私は妖の年齢で言えば0歳だ。この世界に生まれて一年も経っていない。それなのに、小学校高学年から中学生くらいの見た目だ。
うーん……もしかしたら、人だった頃の年齢に左右されているのかな。人の年齢では大人でも妖年齢で言えば子どもだった可能性は高い。
ちなみに、璃耀は人で言うと27、8といったところだ。
でも、妖の青年時代、壮年時代は長いそうで、大人になると見た目はあまり変わらなくなるらしい。
何歳か訪ねたら、なんやかんや言って話を逸らされてしまった。
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