第19話 鬼灯の実る場所
璃耀を旅の一行に加え、ひとまず都を目指して進む。
カミちゃんは相変わらず定位置である私の肩の上に足をぶらぶらさせながら座っている。
カミちゃんの定位置には実は一悶着あったのだ。
「主の肩の上で移動するなど、失礼でしょう。自分で歩くか楠葉に変えるかすべきでは?」
そもそも私はカミちゃんの主になった覚えなどないのだが、璃耀がちゃっかり自分を選択肢から除いてそう苦言を呈したのだ。
しかしカミちゃんはブンブンと頭を振って頑なに拒否した。璃耀も譲らずしばらく平行線を辿っていたのだが、会話に混じれないのに一方的に拒否された楠葉は涙目だ。
カミちゃんを肩に乗せるのなんていつものことだし、傷付いた楠葉を慰めるのは私の役目なのに、二人とも余計なことをしないでほしい。
結局、カミちゃんの粘り勝ちで定位置はいつもの場所に確定した。
楠葉は無駄に傷つけられただけで終わったのだった。
私達は、蓮華姫や狸の里の件を経て、いつの間にかなんでも屋とでも勘違いされているのではと思うくらい、色々な要件で呼び止められるようになっていた。
「騒音が凄くて困っている」
「大事なものがなくなった」
「妻が帰ってこない」
「仕事道具が壊れた」
「子どもと逸れた」
などなど。
無視しても良かったのだが、何だかんだ、毎回断りきれずに話を聞くことになってしまう。誰か断り方を教えてほしい。
最初のうちは璃耀に助けを求めて視線を移したりしていたが、毎回厄介事を持ちかけられる私を見てニコニコするだけなので、助ける気など全く無いのだと悟って途中で諦めた。しかも、なんだか毎回、私がどう対応するのかを観察されているような気がして、落ちつかない。
カミちゃんと楠葉に至っては最初から戦力外である。
もっと言うと、カミちゃんは戦力外のくせに引き受けると体全体で文句を言う事が多いので質が悪い。
しかも相談内容は、大体はしっかり順を追っていけば解決する内容だし、夫婦喧嘩なんて知らんし、道具の修理は他に頼んでほしい。
一応、夫婦喧嘩はただのすれ違いが原因だったし、道具修理は使い方と正しい動作方法を見たら何となく仕組みがわかったので修理方法の説明だけして自分で直してもらったけど。
こちらに来ていくつか依頼を聞いているうちにわかったのだが、この世界の者は、順序立てて物事を考えたり、仮説を立てたりそれを検証したり、ということをせずに、目の前の事象にアタフタしていることが非常に多い。
苦手なのか、そもそもそういう考え方が出来ないのかはわからないが、もう少し落ち着いて考えたらいいのに、と思わずにいられない。
璃耀は普通にできている気もするから、妖にもよるのかもしれないが、、、
相談ごとのうち、騒音の一部は、人の世と繋がってしまった、というのが原因だった。そのため、こちらはしっかりと塞いでおく。こればっかりはどうしても放っておけない。
それにしても、どうしてこんなにもポコポコ穴が空くのだろうか。あちらとこちらを隔てる結界のようだが、脆弱過ぎるのではなかろうか。
どれも小さな穴のようだが、音ばかりは如何ともし難い。
一方で、人間社会がそれだけ騒音に満ちてるということも何となくわかった。
というか、人里離れた山中と繋がっていても、気付かれず見逃されているだけかもしれないが。
ただ、方々から寄せられる相談事に乗っていくのは悪いことばかりではない。
お礼にと様々なものを譲ってもらえるのだ。これらは道中で売って旅の資金にしていった。
璃耀も元々は薬売りをしていたようで、背負った木箱から薬を出しては売っていた。
そうして寄り道を繰り返しながら、4人での旅にも大分馴れてきた頃、道中で璃耀がふと足を止めた。
「これ、鬼灯の花ですかね」
「へぇ、鬼灯の花ってこういう感じなんだ。見るのは実の方ばっかりだから知らなかった。白くてかわいいね」
私がそう言うと、璃耀は顔を強張らせて私を凝視した。何故そんな顔で見られなくてはならないのか。
「鬼灯の実をどこかで見たことが?」
「え、あ、いや、この世界じゃなくて……なんて言ったらいいかな……生まれる前の世界というか……」
そういえば、この世界に来てからは鬼灯は見ていない。季節の問題かもしれないし、花が咲いていたとしてもあの赤い実以外は鬼灯として認識していないのでわからない。
私はこちらに来る前の話をして変に思われないかと気にしながら璃耀に説明する。
すると璃耀は意外なほどあっさり頷いた。
「ああ、なるほど人の世での話ですか。」
「う、うん……」
あ、あれ?
私、ここに来る前に人の世にいたって璃耀に言ったことあったっけ?
私は首を傾げる。
しかし、すぐに別の情報が耳に入ってきて、意識をそちらに奪われた。
「この世では、鬼灯の実がつく場所には、鬼の住まう鬼界への道が開いている事が多いのです。」
鬼界?
なんか聞いたことがあるな。どこだっけ……?
「都の外れには、出口がなく誰も登ってこれないほど深い深い谷があって、谷底には鬼灯がひしめくように実をつけているそうです。そしてそこには鬼界への道が僅かに開いていると言います。妖の世で手に負えぬ者が現れれば、そこに突き落とし、鬼界へ追放することになっているとか」
そこまで聞いてようやく思い出した。山羊七だ。
確か、鬼界に追放されそうになったと聞いたことがある。
「鬼界って、どういう場所なの?」
「さあ、流石に行ったことはありませんから」
璃耀は苦笑を漏らす。
「人の世と妖の世が別れているように、妖の世と鬼の世も別れているのです。それぞれは結界で隔絶されていて、特別な条件でもない限り行き来はできません」
え、そうなの?
私はてっきり、鬼界という場所が妖の世にあるのかと思っていた。鬼ヶ島みたいな。
でも、その話でいくと、鬼界はこことは全く別世界という事になる。
そして山羊七はそんなところに追放されそうになっていたということだ。
「鬼界と繋がっているのは、都の外れのその谷だけなの?なんでそこは繋がってるの?」
わざわざ鬼の世界との道を開けておくのはなぜなんだろう。しかも都のそばに。
危険じゃないだろうか……
「その谷はもともと大地の裂け目だったそうで、あまりの深さに誰も登ってくることができません。それを利用して、妖では手に負えず、妖の世に居させては秩序を乱し危険を伴う犯罪者を追放するためだけに結界で塞がずに残してあるのだと聞いたことがあります。
とはいえ、落とされた者が本当に鬼界に行っているのか、そのまま死んでいるのかはわかりません。こちらの世界に生き残って、谷底で鬱々と恨みを溜め込んでいる可能性だってあります」
何だか怖い話を聞いてしまった。
楠葉は途中から耳を塞いでしまったし。
「ただ、人の世と妖の世の間に穴が空いているように、大地の裂け目とは別の場所で結界が崩れて繫がってしまうこともあると聞きます。
鬼灯が実をつける場所では鬼界との間の結界が崩れかけていて、向こうに満ちる気が溢れ出して鬼灯が育ち実をつけるのだといわれているのです」
璃耀は難しい顔でそう語る。それだけ鬼界への道が開けるのは大変な事態ってことだ。
「璃耀は詳しいね」
「全て自分の目で見たものではないので真偽の程は定かではありませんが」
璃耀は今までもずっと旅をしてきたようだし、各地で色々見聞きしてきたのだろう。
そんなことよりも、まだ誰も気づいていないようだが、もしかしたらとても重大かもしれない光景が私の視界に映り込んでいる。
「では、そんな璃耀さんに質問です」
不思議そうな顔で私を見る璃耀にビシッと道の外れを指で示す
「あれは大丈夫なのかな」
私の指差した先には、一部分だけ異様に鬼灯が生い茂り実が鈴なりになっている。
璃耀が顔色を変えて静かに息を呑み、それまで静かに私達の話を聞いていた楠葉が私の腕にギュッとしがみついてきた。
カミちゃんは、ヒョイッと私の肩から飛び降りて木の上に登って高い所から様子を見ている。
「マズイですね」
「……こういう場合はどうしたらいいの?」
私の質問に璃耀は羽を嘴の下に当てて考え込む。
「通常は軍団に報告して、大君に結界を塞いでいただくのです。ただ、今は結界を塞ぐことができる大君が……」
璃耀はそこまで言うと、言葉を切って私を見る。
「……いないの?」
璃耀は難しい顔をしたまま黙り込んでしまった。きっと、居ないということなのだろう。
「じゃあ、ここは放っておくしかないってこと?」
しかし、璃耀が何かを言う前に、カミちゃんが私の肩に戻ってきて、服を鬼灯の茂る方へ引っ張り始める。
「……様子を見に行く?」
尋ねると、カミちゃんは頭を縦に大きく振る。
一方で、楠葉は私にしがみついたまま小さく首を振っている。
「やめたほうがいいです……」
声も消え入るように小さい。
しかし、璃耀はそれを無視して私を見る。
「白月様は、人の世と妖の世を隔てる結界を塞ぐことができます。結界の原理は同じと聞いたことがあります。それであれば、こちらも閉じることができる筈です。」
え、私が閉じられるの?
「……大君って方でなくてもいいの?」
「結界を閉じることができるのであれば。」
璃耀はコクリと頷く。カミちゃんに目を向けても同様だ。二人は私にも出来ると思っているようだ。
私は楠葉を見る。しかしこの子狸だけは、やっぱり小さく首を振っている。涙目だ。
私は璃耀とカミちゃんを順に見る。
「鬼、出ると思う?」
しかし、璃耀とカミちゃんはどちらも首を横に振った。
「今まで、大きく綻びが生じて道が完全に開けたことなど聞いたことがありません。おそらく今回も、小さな綻びでしょう。人の世との間の綻びでさえ、人が迷い込んだという話は聞きませんから。ただ、放置して広がってしまった時が怖いですね。手に負えぬ者共がそこを通ってくることになりかねません。」
確かにそれはまずそうだ。
「白月様は怖くないのですか……?」
楠葉は私の服を離すまいとヒシと掴みながら、震え声で問う。
「うーん……今のところは。」
多分、鬼というものに現実味を感じていないのと、鬼と言われて思いつくのが山羊七であること、さらに実際は鬼ではないらしいことを聞いたからだ。
実際に遭遇したら慌てるのかもしれないが、何となく話は通じるのではと思ってしまう。
人の世との結界の穴も、大きく開いているのは見たことが無い。私に閉じられるかもしれないならば、試してみてもいい。
「楠葉はここで待ってる?」
私が問うと、楠葉は激しく首を横に振りながら、先程よりも強く私の服を握った。
「一人にしないでください」
私は一つため息をついて、楠葉の頭をポンポンと軽く叩く。すると、その様子を見ていた璃耀が
「では、ひとまず私が様子を見て参りましょう」
と提案してくれた。
「いいの?」
「ええ。楠葉もその方が安心するでしょうし、唯一穴を塞ぐことができる白月様に何かがあっては困りますから」
璃耀はそう言うと、鬼灯の実のなる方に足を進める。
「気を着けてね!」
と背中に呼びかけると、振り返ってニコッと笑った。
うーん、何事もないといいけど。
そう思いつつ、鬼灯の中を分け入っていく璃耀の背中を見送った。
しかし、そこからしばらく時間が経ったが、待てども待てども璃耀は帰ってこない。
カミちゃんが珍しくソワソワしながら、木に登ったり戻ってきたりを繰り返している。楠葉もそれを見ながら心配そうに私の服を握っている。というか、鬼界の話の辺りからずっと離してもらえていない。
「流石に遅いよね」
カミちゃんが何度目かの木登りから戻ってくると、私は小さく零す。
カミちゃんも頷いてこちらを見た。
「探しに行こうか。何かあったのかも知れないし」
いつもは怖がって動こうとしない楠葉も、璃耀が心配になったのか、私の服を握る手に力を込めながらコクンと頷いた。
私達は鬼灯が集中している茂みを掻き分けて行く。
こういうときは大体カミちゃんは私の胸のあたりに貼り付いて草や枝を避けるのだが、今日は私の頭の上で周囲の様子を窺っている。
「璃耀ーー!」
「……璃耀さぁーん」
楠葉は引き続き私の服を握ったまま、茂みを掻き分ける音で消えるくらいの小声で呼びかける。
「それじゃあ聞こえないよ、楠葉。もうちょっと大きな声を出さないと」
楠葉は眉を下げて私を見る。
頑張って、と声をかけると、楠葉はグッと息を呑んでお腹に力を入れた。
「璃よ……ンムっ!」
しかし、すぐにカミちゃんが楠葉の顔に貼りついて、叫ぶのを止める。
少し先に茂みが切り開かれた場所があり、中央で黒と赤と青の何かが蠢いているのが見えたのだ。
私達がそこに恐る恐る近づくと、不自然に円形に切り開かれた場所の真ん中で空中にモヤモヤした黒い何かが禍々しく渦巻き、そこから毛むくじゃらの赤褐色の大きな腕が突き出して長く鋭い爪のある手で璃耀の尾を掴んでいるのが見えた。
爪はまるでマニキュアをつけたかのように深紅に染まり、逆さ吊りにされた璃耀の嘴の先からポタリポタリと同じ色の血が滴り落ちる。
もう一方の手は黒のモヤモヤの端にかけられ、穴をこじ開けようとしているのがわかった。
「璃耀!」
私が思わず叫ぶ。その声にピクリと璃耀の翼が僅かに動いた。
まだ生きてる。早く助けて手当しないと。
しかし私が一歩踏み出すと、カミちゃんは私の前に立ちはだかって、小さく首を振る。
「何を……」
私がカミちゃんに言いかけた時、モヤモヤの向こうから長く伸ばされていた手が璃耀を掴んだまま僅かに引っ込み、代わりに穴の向こう側から鋭く光る眼が覗いて私を捉えた。
「おい、兎」
突然響く重低音に私はビクっと身を縮こませる。
「ここを開けろ。帝を連れてこい」
帝?
璃耀の言っていた大君のことだろうか。それなら、居ないのでは無かっただろうか。
私は、言葉が通じるらしいことがわかり、声を張り上げる。
「い……居ないと聞きました。それより、璃耀を離してください!」
しかし、穴の向こう側の目は厳しく細められる。
「居ないわけがなかろう。連れて来なければ、こいつを目の前で八つ裂きにするぞ」
赤褐色の生き物はグイっと璃耀を持ち上げて、もう一方の手で見せつけるように璃耀の腹の当たりに爪をつきたてる。
声にならない声が周囲に響く。
「璃耀!」
「早く呼んでこなければ、ボロボロの布くずのようになるぞ」
すでに血みどろになった爪をもう一度、璃耀の腿の部分に突き立てる。
璃耀は、今度はグッと声を呑み、痛みに耐える素振りを見せる。そして、絞り出すように声を出す。
「……塞い……で……くだ……」
塞ぐ?
この穴を?
私は、狸の村で白い光に触れた楠葉を思い出す。そんなことをしたら、穴の前にいる璃耀が陽の気にダイレクトに晒されてしまう。
私はそれを想像して身震いする。
「で……出来ない!」
「あなた……なら……でき……」
「そうじゃない! 今そんなことしたら、璃耀が……」
しかし、私が全て言い切る前に璃耀はぐったりと動かなくなってしまった。
……璃耀を助けないと。どうしよう。
あいつは今、璃耀を掴んだままだ。もう一方の手は自由に動くので、不用意に近づけば切り裂かれる。璃耀だって何をされるかわからない。
それに、しっかり掴まれたあの状態で奪い返すのは、私の腕力では不可能だと思う。
……何とか注意を逸して近づき、直接腕に陽の気を注げば、手を離すだろうか。
「カミちゃん、楠葉!」
「は、はい!」
私が呼びかけると、カミちゃんはヒョイッっと私の肩に飛び乗る。
「私が注意を引き付けるから、その間にカミちゃんはコッソリあいつに近づいて、璃耀を掴んでいない方の腕をビリって出来る? 前に私にしたみたいに。私が近づく隙をつくってほしいの」
カミちゃんのビリビリでは、璃耀を取り落とすまでの威力にならないかもしれない。それなら、隙を作る方に力を割いてもらった方が良い。
カミちゃんは一瞬躊躇った素振りを見せ、璃耀を見て、さらに私を見上げる。
「お願い。助けたいの。鬼界の道は絶対に塞ぐって約束するから」
カミちゃんはじっと私の顔を見たあと、諦めたように頷いた。
「ありがとう」
私はそう言うと、今度は楠葉の方を向く。
楠葉は涙を浮かべながら、緊張で強張った顔をしている。
「カミちゃんが隙を作ってくれたら、私があいつの真下まで行って、璃耀を掴んでいる方の腕に直接陽の気を叩き込んでくる。多分それで、璃耀のことを離すと思うから、楠葉はそのまま璃耀を回収して」
「わ……私ですか?」
楠葉はわかりやすく顔色を変える。
でも、楠葉にやってもらわなければ、結界を閉じるときに璃耀を陽の気に晒してしまうかもしれない。
「大丈夫、私とカミちゃんがちゃんと気を引いておくから。身をできるだけ低くして、璃耀を回収したらすぐに遠くへ離れて」
「で……でも……」
「お願い。璃耀を助けられるのは楠葉しか居ないの」
楠葉は周りを見回す。私とカミちゃんと捕らえられた璃耀以外には楠葉しかいない。
ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。
「お願い」
私はもう一度、楠葉の目をじっと見つめて言う。
楠葉は僅かに視線を彷徨わせたあと、小さく頷いた。
「……わ……わかりました。」
私は真っ直ぐに赤褐色の腕の方を見つめる。
「話し合いは終わりかぁ?」
バカにしたような声が響く。
「小物が集まって妙な小細工をしたところでムダだ」
そう言うと、もう一度、璃耀の体に爪を突き刺す。しかし、璃耀はもう何の反応も示さない。
私はグッと奥歯を噛み締めたあと、小さくカミちゃんに合図を送る。
「わかりました。帝を呼んでくれば良いんですね」
「そうだと言っている」
「でも、私、この世界に生まれたばかりなんです。道案内をそこの雉にお願いしていて。どうやって帝を呼べばいいか教えて下さい」
タイミングを見計らい、カミちゃんは私の背中を伝ってスルスルと降りたあと、スッと草むらに紛れこむ。
「都に行けば良い」
「それはどうやって行ったら良いのですか?」
「お前らで分からぬのなら、途中で別の奴に案内させろ」
赤褐色の妖は無駄な問答にイライラしてきているようだ。璃耀を傷付けられないように、刺激せずに話を引き伸ばしたい。
カミちゃん、急いで!
「わかりました。そうします。呼んでくるまでにどれ位のお時間をいただけますか。都までかなり距離があると聞いています。今日明日で着けるところではありません」
赤褐色の妖はチッと舌打ちをする。
「役立たずが」
しかし、私は言い募る。
「それに、それまでの間にそこの雉は傷と血の流し過ぎで死んでしまいます。どうか先に手当だけでもさせてください」
すると、赤褐色の妖は腕を僅かに曲げ、穴の向こうから覗き込むように璃耀を見る。
次の瞬間、バチっと電気が流れるような大きな音が周囲に響いた。カミちゃんが最大出力でやってくれたようだ。
「っ!!! 何事だ!」
赤褐色の腕が痛みを感じた方の腕をバッと振り払うように挙げ、怒声を響かせる。
今だ。
「行くよ、楠葉!」
楠葉に声をかけてバッと走り出す。すぐに手をパンと打ち付け、黒いモヤモヤの真下に滑り込み、璃耀を掴んでいる方の腕にギュッとしがみつく。
そのまま、頭の中に流れる音に身を任せて祝詞を唱える。そして全力で私の中にある気を赤褐色の腕に叩きつけるつもりで力を込めていく。
私から出た黒と白い光は赤褐色の腕にまとわりついていき眩く光る。一方で当の腕はジュジュッと音を立てて私が握っていたところからどんどん黒ずんでいく。
「何をする、この小物がぁ!!」
赤褐色の腕は璃耀を取り落とし、私を落とそうと勢いよく腕を振る。さらに逆側の赤褐色の腕が鋭い爪を光らせながら、私めがけて勢いよく振り下ろされてくるのを目の端で捉えた。
「楠葉、走って!」
私が夢中でそう叫ぶと同時に、強い衝撃と激しい痛みが同時に右半身に走る。
勢いで大きく吹き飛ばされて、地面に叩きつけられた。
……痛い。熱い。目の前がチカチカする。
一瞬息ができなくなるほどの衝撃と焼けるような痛みと苦痛で、気を抜くとフッとこのまま気を失いそうになる。
でも、このまま気を失ったら、全てが水の泡だ。
私は何とか自分を奮い立たせると、赤褐色の腕の方に向き直る。
吹き飛ばされたことで、少し距離が出来て鋭い爪は届かない。
ただ、痛みに怒り狂う赤褐色の妖は、雄叫びを上げて、力尽くでこちらの世界へ入り込もうとしていた。先程までは腕だけしか出ていなかったのに、今は肩まで出てきている。
急がなきゃ。
楠葉の方を振り向くと、泣きながらぐったりした璃耀を抱えている。距離はしっかり空いている。
カミちゃんは……
周囲を見渡すと、腕に弾かれはしたものの、無事だったようで私の方に向かって来ようとしている。
「このまま閉じよう!」
私は声を張り上げ、カミちゃんに呼びかけた。
傷口が焼けるように熱い。動こうとするたびに激しく痛む。でも、終わりにしないと。
私はグラグラする頭を押さえ、気力を振り絞って黒いモヤモヤに向き合う位置まで移動する。
カミちゃんもそれに合わせて私の肩に身軽に飛び乗る。
赤褐色の妖は更に穴を広げようと体を黒いモヤモヤに押し付けている。すぐに閉じなきゃ。
私はもう一度パンと手を合わせてから掌を黒いモヤモヤに向けると全力を込めた。頭の中にはいつものように祝詞が浮かび上がってくる。私はそれをなぞるように唱えていく。
祝詞とキラキラした白と黒の光が届き始めると、赤褐色の腕が燃えるように赤く光を帯び、同時に徐々に穴が小さくなっていく。
「貴様! やめろ!」
ビリビリと空気を震わすような怒声が響く。
しかし、私はそのままどんどん力を注いでいく。
穴はどんどん小さくなる。赤褐色の妖は穴をこじ開けようとしていた手をぱっと引き抜く。
しかしもう一方の手は、抜こうとして間に合わず白と黒の光に焼かれ、黒いモヤモヤに捕らえられる。
「お……俺の腕がぁぁぁ!」
黒いモヤモヤはそんな雄叫びも関係なしに、無常にも腕を切り取るように閉じていく。
「貴様、次にあった時には必ず嬲り殺してやるからな!」
そんな叫びを残して、黒いモヤモヤはフッとその姿を掻き消した。
そこにはボトっと一部が焦げたように黒ずんだ赤褐色の腕だけが落ち、しばらくすると砂のように崩れて消えてしまった。
……終わった……
私はその場に崩れ落ちるように座りこむ。体を動かそうとするが、動けない。
首だけで璃耀を見ると、ぐったりと楠葉に寄りかかっていた。当の楠葉はメソメソ泣いているだけだ。
私はもう一度力を振り絞る。
「楠葉! 泣いてないで、璃耀の木箱から薬を出して、璃耀の傷にかけて!」
楠葉は涙で濡れた顔をハッとあげる。
キョロキョロしたあと璃耀をゆっくり地面に寝かせ、近くに投げ出されたままの木箱を抱える。
カミちゃんも私の肩を降り、木箱の方にヒョイヒョイっと跳ねながら向かう。
「瓶に入った濁った水が薬だから、傷が塞がるまでありったけかけて!」
私がそう叫ぶと、カミちゃんがハタと足を止めて私を見た。
でも私はそんなことに構っていられない。璃耀は一刻を争うような状況のハズだ。
「早く!」
私の声にハっとしたようにカミちゃんは再び楠葉の方に向かい始める。
楠葉は璃耀の体にバシャバシャと、山羊七のところの薬湯を一本、二本とかけ始めた。
しかし、三本目をかけようとしたところで、カミちゃんが何故か瓶にしがみついた。しかも、瓶の蓋に手をかけて開けさせないようにしている。
楠葉は困ったようにカミちゃんを見つめる。一方でカミちゃんは楠葉を見てブンブンと首を振り、私を指差した。
いったい何をしているのか。
こうやって話も出来ている私よりも死にかけている璃耀の方が明確に優先である。
璃耀は一刻を争う。こんな時間も惜しいというのに。
「カミちゃん、邪魔しないで! 楠葉、カミちゃんを無理やり退かして良いから、ちゃんと璃耀に使って!」
私が叫ぶように言うと、楠葉は戸惑ったように私とカミちゃんを見た後、カミちゃんを片手で掴んで脇に置き、3本目をあけて璃耀にかけ始めた。
カミちゃんはそれに怒ったように、ぴょんぴょんと楠葉に飛び乗り、頭によじ登って耳を引っ張り始める。
「痛い痛い! やめて、カミちゃん!」
楠葉が3本目を璃耀にぶちまけながら、目に涙をためて叫ぶ。
もう……泣きたいのはこっちだ。
体が熱い、傷が痛い、頭もクラクラする。出来たらこのまま地面で良いから横になりたいくらいなのに、カミちゃんは何で手間をかけさせるようなことばかりするのか。
私はすうっと息を吸い込む。
「止めなさい! 紙太!」
私は再び思い切り叫ぶと、唐突に頭がグラッと大きく揺れ、目の前が真っ白になって、プツっと意識が途切れた。
目が覚めると、目の前に心配そうに私を覗き込む楠葉の顔が映った。
頭と上半身が何だか柔らかいと思ったら、楠葉の膝枕だったようだ。
例のごとく、私は四足歩行の獣の姿になっていた。
毛布がかけられ、側では火が焚かれて暖かい。もう夜のようだ。
「目が覚めたようです!」
楠葉が周囲を見回しながら声をかける。
ムクリと起き上がると、体に強い痛みが走った。
顔を顰めていると、璃耀がバサバサと駆けてきて、私の脇に座る。
「璃耀、良かった……」
私はホッと息を吐く。
ちゃんと走れるほどに回復しているようだ。
しかし、璃耀は苦しそうな表情で眉間に皺を寄せて私を見る。
「良くありません。傷が痛むのでしょう。無茶をなさるからです。しかも、紙太が止めたのに、私に薬を殆ど使ってしまったのでしょう。薬が足りず、白月様の傷を治しきれなかったのです。」
説教するような口調とは裏腹に、璃耀の顔には後悔の色が滲んでいる。
「私なんかより、璃耀のほうがよっぽど死んじゃいそうだったんだもん。璃耀が助かって本当に良かった。」
私が静かに言うと、璃耀は俯向いた。
……そんな顔をさせるつもりじゃなかったのに。
「私が目覚めた時に、私を救ってくださったはずの白月様が意識を無くして倒れていたのを見て、冷水を浴びせられたような気分になりました。2日も目覚めず、動く気配もなく、生きた心地がしませんでした……」
璃耀の声はどんどん小さくなっていく。本当に心配をかけてしまったようだ。
「ごめんね。」
私が言うと、璃耀はゆっくり首を振った。
「私の見通しが甘かったせいでこのようなことになり、申し訳ありませんでした……無事に白月様が目覚められて本当に良かった。
……助けてくださって、ありがとうございます。」
私は俯く璃耀の羽にゆっくり触れる。
そっと微笑みかけると、璃耀はようやく小さく笑みを浮かべた。
璃耀も無事だったし、鬼界への通り道も閉じることができたし、本当に良かった。
そう思って小さく息を吐くと、突然、耳をギュッと引っ張られる感覚がした。
「痛っ!」
思わず声を上げると、カミちゃんがスルッと私の上から降りて目の前に仁王立ちになった。ギュッと腕を組んで私を見据える。
……凄い怒ってる……
表情は目で見てもわからないが、怒りの気配が目に見えるようだ。
「ご……ごめんなさい……」
私が思わずそう言うと、カミちゃんは再び私の上に飛び乗り、もう一度ギュッと耳を引っ張った。
「ごめんて!」
叫ぶように言うと、カミちゃんはようやく気が済んだのか私から降りて私の傍らにペタンと座った。
「楠葉もありがとね。楠葉が頑張ってくれたから璃耀を助けられたんだよ。怖かったでしょう」
楠葉は小さく首を振って微笑む。
「私は大丈夫ですよ。白月様も璃耀さんも、無事に目が覚めて本当によかったです」
楠葉はカワイイ笑顔でニコッと笑った。
私達はその日はそのまま同じ場所で野営をした。私が動けなかったからだ。
璃耀が人の姿になって自分が運ぶと言い出したが遠慮した。人の姿をとるには力がいる。璃耀だって病み上がりだ。
鬼灯は一晩でみるみる内に枯れていき、あっという間にその姿を消し去った。
あの黒い渦の向こう側にいたのが鬼だったのか大きな妖だったのかはわからないが、私は鬼界への認識を改めざるを得なかった。
向こう側にいる危険な者に目の敵にされてしまったし、鬼灯を見つけたら、どんなに小さな穴でも絶対に塞ごうと心に決めた。
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