第20話 鬼火の行方

 ようやく動けるくらいまで回復したのは、あれから5日後の事だった。

 鬼界への入口があった場所にとどまり続けるのは何だか気持ちが落ち着かなかったので、近くの川辺まで移動している。

 もう傷はだいぶ良くなったのだが、もう少し様子を見るべきだと璃耀が主張し、私達は5日目の今もなお、同じ場所に留まっていた。


 鬼界の一件から、璃耀は妙に過保護になった。

 出会った当初は、何事もニコニコしながら静観しているタイプかと思っていたのだが、今や甲斐甲斐しく私の様子を確認してはあれやこれやと楠葉に指示を出していくようになった。別人ではと疑うほどの変化だ。

 当たり前のような顔で小間使いをさせられている楠葉も楠葉だと思う。まあ、本人はその方が性に合っているのか、生き生きしているようにも見えるけど。

 一方で、どんどん先に進みたい何時も通りにマイペースなカミちゃんは、日を追うことに璃耀との対立が多くなっていった。

 とはいえカミちゃんは喋れないので、だいたい璃耀はその主張を黙殺している。

 カミちゃんはそれによって何だか余計にイライラしているし、楠葉はその二者の板挟みでオロオロしている姿をよく見かけるようになった。


 今日も二人は喧嘩をしていた。一方は喋れもしないくせに、よく喧嘩が成立するものだと逆に感心する。それに巻き込まれたくない楠葉は真っ先に逃げるように薪を拾いに行き、喧嘩別れをするようにカミちゃんは周囲の確認に行き、手持ちの薬湯がなくなり心許ない璃耀は薬草採集に出かけていった。


 私はポツンとお留守番である。


 雰囲気が良くないのは私が動けないせいだ。このままにしておくわけにはいかないし、璃耀がなんと言おうと明日には出発しようと心に決めた。


 お留守番の間は特にやることがない。ぼうっと川を眺めながら、皆の帰りをひたすら待つ。山の向こうに白い満月が上がり始めていた。

 周囲が暗くなってきた頃、ふと、川岸に明かりがゆらゆら揺れているのが見えた。誰かが明かりを持って移動しているのだろうか。この世界でそのような妖を見るのは初めてなので、珍しいなと目を凝らす。


 でも、人影が見えないんだよなぁ。


と思っていると、


「あれ、鬼火ですね」


と、薪を抱えて戻ってきた楠葉が灯りを指さした。


「……鬼?」

「あ、鬼と言っても、鬼界に住むようなものではありません。時々ああやって、ふわふわ浮いているだけなのです。害もありません。周囲を照らすのに丁度いいのです。あ、私、捕まえてきますね!」


 楠葉は止める間もなくバッと飛び出していく。


「え! ちょっと楠葉!?」


 鬼と関係がないのは良かったけれど、鬼火を捕まえるってどういうこと?

 そういえば、以前に山羊七さんも言っていたけど、でもそれ、人魂じゃないの?

 捕まえいいものじゃなくない?


 私が慌てて楠葉を追いかけて飛び出すと、ちょうど戻ってきたらしいカミちゃんもパッと私の肩に跳び乗った。

 思わず今までの調子で飛び出してしまったおかげで、傷がズキッと痛む。でも、走れるだけマシになった方だ。


 茂みに身を隠そうとしていた鬼火に楠葉はあっという間に追いついたようで、ぴょこぴょこ飛び跳ねながら手で掴もうと奮闘していた。

 鬼火は明らかにそれから逃れるように上下左右に動いて躱している。


「楠葉、可哀想だからやめなさい!」


 私がその様子を見ながら言うと、楠葉はピタリと動きを止めた。


「でも、鬼火に意思はないと言いますよ?」


 楠葉が首を傾げる。

 その間に鬼火はそそくさと茂みの中に身を隠した。あんな動きをしておいて、意志がないわけがない。


「楠葉から必死に逃げてたじゃない。とにかく、必要ないから、見逃してあげて」

「……はぁい」


 楠葉はしょんぼりしながら頷いた。

 鬼火を追いかけているうちに、私達は野営地から少しだけ離れた場所に来てしまっていた。


 3人で揃って戻ると、私達は人の姿で仁王立ちをする璃耀に迎えられた。大きくて見下される感じがするのですごく怖い。まさか叱りつけるためだけにこの格好になったのでは、と思うくらいの迫力だ。


「荷物をおいたまま、薪も投げ出したまま、怪我をして安静にしていなくてはならないはずの白月様もおらず、誰も戻ってこない。一体どういうことか、説明を伺っても?」


 笑顔だが目は確実に笑っていない。


「ごめんなさい」


 私と楠葉は即座に謝ったが、カミちゃんだけは相変わらず我関せずの姿勢でピョンと私から飛び降りた。


 自由人め。


 璃耀は過保護になっていくのに比例して、どんどん口煩くなっていっているのは多分気の所為ではないと思う。


 楠葉が声をあげたのは、ようやく璃耀のお説教が落ち着きはじめたころだった。

 再び鬼火がふよふよと川岸に浮かんでいるところを楠葉が目ざとく発見したのだ。


「あ、また鬼火ですね」


 私は璃耀の説教がまた再燃するのではとヒヤヒヤしながら、不自然にならないよう話を逸らす。


「ねえ、璃耀は鬼火がなんだか知ってる?」

「鬼火が何か、ですか……」


 璃耀、何かを思い出すように鬼火に目を向ける。

 鬼火そのものに話題が移ったことに、私はこっそり胸を撫で下ろす。


「ハッキリとしたことは分かりませんが、人や妖、動物などがが死んで魂になり、流れてきたものだという話は、昔、聞いたことがありますね」


 なるほど。やっぱり、私の認識はズレて居ないようだ。


「じゃあ、何でこの世界の人たちは、それをわざわざ捕まえて灯りにしようとするんだろう。だって亡くなった人の魂だよ?」


 璃耀はそれに苦笑する。


「私もある方に教えてもらったことがあるだけですから、そういった話さえ聞いたことのない者の方が多いのではないでしょうか」


 うーん……まあ確かに知らなければ、先入観なしに捕まえようとするのかも知れないけど。ちょっと大きくて明るい蛍だと思えば何とか……


「璃耀は捕まえたことがあるの?」

「ええ、昔は見つけては捕まえていましたよ。ただ、その話を教えて下さった方から止めなさいと叱られてからは、見つけてもどこかに消えてしまうまで見守るようになりましたね」


 璃耀はさっきまで近くをふよふよしながら飛んでいた鬼火を遠くに見ながら懐かしそうに言った。


「そうだったんだ。楠葉も捕まえちゃ駄目だからね」


 私が言うと、楠葉は残念そうに返事をし、璃耀はそれに小さく笑った。


 なんだかおかしいな、と思い始めたのは、それから程なくしてからだった。


 なんだかしきりに川岸を鬼火が通っていくのだ。しかも、全て同じ方向からきて同じ方向へ去っていく。

 最初は偶然かと思ったが、一つ、また一つとあまりにも頻繁に通って行くし、次第にその数も増えていく。


「妙ですね」


 短時間の内に十数の鬼火が通り過ぎたあと、璃耀が考え込むように呟いた。

 いろいろなことを知っている璃耀がそう思うのならば、きっと不思議なことが起きているのだろう。


「少し様子を見てきます。白月様達はこちらでお待ちを」


 璃耀がスッと立ち上がる。

 しかし、私は即座に手を上げて名乗りを上げた。


「ううん、私も行く!」


 すると、それを見ていた楠葉も同じ様に立ち上がる。


「私も行きます!」


 手を上げた楠葉を璃耀はじろりと睨む。楠葉は気まずそうにそろそろとその手をおろしたが、璃耀は厳しい視線を今度は私に移した。


「こちらでお待ち下さいと申し上げたのですが」


 私はその視線にうっと怯む。でも、鬼火が一体どこに行っているのか、私だって興味がある。それに、奇妙なことが起こっている場所に一人で行かせたくない理由もある。


「一人で様子を見にいくと出ていって、鬼界の鬼に捕まったのはそれ程前のことじゃなかったと思うんだけど?」


 私が言うと、今度は璃耀が怯むような様子を見せた。私が視線を逸らさずにじっと見つめていると、璃耀はお手上げとばかりに溜息をついた。


「……わかりました。皆で行きましょう」


 カミちゃんを肩に乗せ、私達は鬼火について川辺に沿って歩いていく。

 最初のうちは、後を追われていると気付いた鬼火が焦ったようにふよふよ逃げていったが、私達が何もしないと分かると、次第に気にしなくなっていった。


 最初は川沿いに進んでいった鬼火だったが、途中で道を逸れて山中に入っていく。それを追っていくと、別の場所からどんどん鬼火が合流してきて、一つの行列のようになっていった。まるで光の道のようだ。

 楠葉が「わぁ!」と感激したように声を漏らすと、周囲の鬼火が驚いたようにフワッと舞い上がり、それが不思議な波紋のように波打って広がっていく。

 何とも幻想的だ。


 行列についてさらに進むと、一際明るい場所に辿り着いた。小さな泉があり、その上に無数の鬼火が集まっていて、光で溢れかえっている。

 ホタルが集まる光景を遥かに凌ぐ明るさだ。


「これは見事ですね」


という璃耀に、私も楠葉も頷く。


 その神秘的な様に目を奪われていると、次第に集まっていた鬼火たちが上に向かって移動し始めた。

 何に向かっていっているのだろうと空を見上げると、先程まで白く丸かった月が欠け始めていて、欠けた部分が赤黒く染まっていた。


「……月蝕……?」


 思わず口から零れ出る。


「ゲッショクとは何です?」


 楠葉が不思議そうな顔で私を見る。


「うーんと、ある一定の周期で、月が短時間のうちに欠けてまたもとに戻っていく日があるの。……皆既月食は珍しいって聞いたことがあったけど、今日はそれに近い日だったみたい。ほら、みるみる欠けていく」


 楠葉は分かっていないような顔をしていたが、私は次第に目の前の光景に目が釘付けになっていった。


 赤黒い月に向かって鬼火が次々と上がっていくことで、天に向う光の梯子が出来ているのだ。言い表せないほどの美しい光景に言葉を失う。


「月が赤くなる日、天から黄泉の使いが降りてくる、という話をどこかで聞いたことがあります。もしかしたら、これのことだったのかもしれませんね」


 璃耀が誰に聞かせるともなく、そんなふうに呟いた。


 鬼火は天に吸い込まれるように登っていき、どんどんその姿を消していく。

 赤黒く染まっていた月が、元の状態に戻る頃、最後の一個が月の明かりに紛れて消えていった。


 白く光る月を見ながら、


「あの方も、ああやって月に帰って行ったのでしょうか……」


と璃耀がポツリと呟いた。

 あの方が誰なのかはわからなかったが、きっと璃耀にとって大事な人だったに違いない。

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