第12話 鬼の苦悩

「……あの、それで、私を食べずに見逃していただけるのでしょうか……」


 とても言いにくいのだが、これだけはハッキリさせておきたい。

 鬼を僅かに見上げながら問うと、私を睨みながらドサリと出口付近にあった岩に腰を掛ける。


「だから、取って食ったりはせぬと言っているだろうが」


 鬼は鼻筋に皺を刻んで苦々しげに言った。


「事情はわかったし、反省しているようだから解放してやったというのに、まだ私を鬼扱いするのか」

「いや……だって……」


 鬼ではないなら何だというのか。

 頭から二本突き出した角といい、聳え立つような巨躯といい、どう見ても鬼なのだが、どうやら本人は鬼と言われるのを厭っているように見える。


 それに、解放したというけれど、手を離してもらっただけで、彼は出入り口の前にある岩に座っている。

 ここを立ち去ろうと思えば、威圧感たっぷりの角のある大男の前を通り抜けるしかないのだ。

 出口に近づいた瞬間、か弱い子兎が首根っこをひっ掴まれて八つ裂きにされる可能性だってある。


 ……でも、このまま黙っていて帰してもらえるわけないよね……


 ひとまず勇気を出して、


「あの……」


と声をかけてみる。すると


「なんだ」


と低い声が帰ってきた。


 うぅ……怖いが、仕方ない。


「……あの……解放ということは……あの……帰って良いのですか……?」


 鋭い視線から逃れたくて、僅かに目をそらしながら恐る恐る訪ねてみる。


 しかしすぐに、


「いや、ダメだ。」


と首を振られた。


 ダメなんじゃん! 勇気出して聞いたのに!


 うぅ〜。やっぱり、八つ裂きにされるんだ。皮を剥がれて鍋でグツグツ煮込まれて、うさぎ鍋にされるんだ。そんでもって、毛皮はラビットファーのマフラーにされちゃうんだ!


 もしくは兎肉が好きなお友達とか毛並みのいいラビットファーをお探しの商人に売りつけられたりしちゃうんだ!


 ひぃぃ! と息を呑んでいると、鬼は眉を下げてため息をついた。


「だから、食わぬし、危害を加えるつもりはないと言っているだろうが」

「……肉が傷んだり、毛皮が傷ついたり汚れたりして売れなくなるからですか……?」

「そんなことはせぬ!」


 大声で怒鳴られ、体がビクっと跳ねる。

 それを見た鬼は疲れたような目で


「食わぬし、売らぬし、肉も毛皮も必要ない。」


と言った。


 じゃあ、なんだ。目か。内臓か?


 私が疑いの目で鬼を見つめると、

 ハァァーー、と今までで一番深くて長いため息をつかれた。


「危害は加えぬ。誓ってもいい。ただ、私がこの場所に住んでいることを誰にも知られたくないだけなのだ」


 はい?


 私が頭の中にハテナを浮かべていると、鬼は探るような目でこちらを見つめる。


「其方は別の者に頼まれここに来たと言ったな。このまま帰せば、その者に私の事やこの場所のことを話すのだろう。私は、それだけは何としても避けたいのだ」


 彼のなんとも切実そうな声に、私は少しだけ首を傾げた。何か事情がありそうだ。


「本当に危害を加えないですか?」


 私が確認するように尋ねると、鬼は厳かに


「約束する」


と頷いた。


 私はそれを見て、緊張に強張っていた体から、ふっと力を抜いた。

 それならば、話を聞いて、ここから出る道を探ったほうが良いだろう。


 逃げるのではなく腰を据えて話をしてみよう、と思い直し姿勢を変えると、鬼も落ち着いたような様子で少しだけ姿勢を崩した。


「では、もう少し詳しく事情を教えてください。何故危害を加えるつもりがないのに帰っては行けないのですか? なぜ、この場所を知られたくないのですか?」


 私が尋ねると、鬼はううむ、と少し唸りながら苦い表情で重そうな口をひらく。


「私の姿を見たものは、其方がそうであったように、殆どが鬼だと騒ぐ。ある者はそのまま逃げ、あちらこちらに鬼がいるぞと吹聴する。またあるものは、腕に自信のある者を引き連れ徒党を組んで私を倒そうと挑んでくる」


 ああ、なるほど。


 私は彼の言葉に納得した。

 騒いだり逃げられたりするならばまだ良いだろう。ただ、噂を撒き散らされ、腕試しとばかりに見ず知らずの者たちに襲い掛かられたり、討伐されかけたりしてはたまったものではない。いくらあっても身が持たないだろう。


 扉のほうへ視線を向けながら、彼は途方に暮れたようにぽつりぽつりと言葉を続ける。


「誰もが私を見て鬼だと言い、鬼界へ追放せよと声高に叫ぶのだ。鬼ではないと言っても聞かぬ。

 妖も人も食ったりせぬのに、誰も彼も判を押したように恐怖に慄き叫びながら逃げていく。その度に鬼が潜んでいると言い触らされ、討伐されそうになったり、捕らえられそうになったり、追手から逃げることも何度もあった。私は隠れ棲む場所を探して彷徨い、潜める場所を見つけ出し、身を小さくしながら暮らしてきたのだ。

 私は、ただ静かに暮らしたいだけなのだ。

 ここも、前の場所を追われてから、幾日も幾月も彷徨い歩き、親切な者に他の者が寄り付かないこの場所を教えてもらい、ようやく心安らかに暮らせるようになったのだ……それなのに……」


 彼は、ちろっと私に目を向けると、小さく息を吐く。


「其方をここから解放すれば、誰かにここのことを話すのであろう。……もう、棲家を奪われるのはたくさんだ。」


 最後の方はかすれ声で呟くように聞こえた。

 なんかすごく悲しそうだ。


 鬼界がどんなところかは知らないが、確かに私はここを出たら、羊家族のところに戻って薬湯の温泉について話さないといけないし、場所を尋ねられたら、この場所のことも鬼のことも伝えなければならないだろう。

 絶対に言いませんと約束はできない。


 伝えれば、依頼主はここに来ようとするかもしれない。子どもの命を救うためだ。あんなふわふわもこもこした羊夫婦でも、鬼の棲家の奥に入らなければならないと思えば強い護衛を雇うかもしれないし、もしかしたら討伐を頼むかもしれない。


 ……それに、頑なに鬼ではないと言うけれど、やっぱり鬼にしか見えないんだよね……もし本当に違うのなら、誤解が解ければ少しは状況は改善するかもしれないけど……


「あの……鬼じゃ……」


 私が途中まで言いかけると、


「鬼ではない!」


と言葉を遮り食い気味に叫ばれた。もはや涙声だ。

 なんだか可哀想になってきた。


「いえ、そうじゃなくて。あの、鬼じゃなかったら、その角はいったい……」


 鬼はジロリとこちらを見定めるように見ると、自分の角にそっと触れる。


「角は山羊だ。」


 山羊!?


 確かに言われてみれば、角が少しだけ後ろに反り返っている。鬼の角は牛の角って言われてたと思うけど、それとはちょっと違う……と思う。まあ、私の記憶と実際の鬼が同じ姿形とは限らないけど。


 けど、山羊の角って悪魔じゃなかったっけ……?


 でも、そんな事を言ったらいよいよ泣き出しそうだ。いや、泣かされるのは私かもしれないけど。


 ちなみに、何故山羊の角だと思ったのかというと、昔、珍しく自分を恐れなかった雉の妖に、「山羊の角ですね」と言われたかららしい。


 その妖がこの棲家を教えてくれたそうで、彼は随分その雉に感謝しているのだそうだ。

 更に、名を問われた際に「名などない」と答えたら「山羊七」という名前までもらったのだと嬉しそうに教えてくれた。

 今までずっと難しい顔をしていた鬼が微笑む。


 ……正直、その雉のネーミングセンスを問い質したい。


 でも、鬼じゃないと名前でも主張できるので、本人はずいぶん気に入っているらしい。

 ずっと怖い顔か悲しい顔しか見せていなかったのに、よっぽど良い思い出だったのだろう。

 心なしかその顔が輝いている。


 そこで、山羊七が何かを思いついたように私を見た。

「そういえば、其方の名を聞いていなかったな。」

「ああ、私に名はありません。というか、正確には、覚えていません。」


 まあ今のところ、なくても何とかなってきたし。

 私がそう言うと、そうか、と軽く頷いて山羊七は目をキラキラさせた。


「では、私がつけてやろう。」


 え、いやいや。遠慮します。

 出会ったばかりで、なおかつ自分に山羊七とつけられて喜んでいるような妖に名付けられなどしたら、どんな名前にされるかわかったものではない。


 慌てて「いえ、結構です」と言いかけたのだが、山羊七はすでに、ああでもないこうでもないと考え込み始めてしまっている。以前、自分に名を与えられたのが嬉しかったのだろう。自分も誰かの名付け親になりたかったのだ、と何だか楽しそうだ。


 私は断りきれずに、祈るような気持ちで、山羊七の考えが纏まるのを待つしかなかった。


 しばらくすると


「そうだな、白月はくげつでどうだ?」


と、山羊七は納得したような顔で言った。


「竹の板の下から其方を出したときに、ちょうど外で見てきた月の色と同じだと思ったのを思い出したのだ」


 予想を大きく裏切る素敵な名前を提案されて、私は目を瞬いた。


「すごくいいと思います」


 私がそう言うと、山羊七はニカっと笑った。

 それから、私の肩に目を向ける。


「どれ、そこの紙人形にもつけてやろう」


 そう言われて私が目を向けると、いつの間にか紙人形は服の模様に徹するのをやめていたようで、顔をひょこっと覗かせていた。


 山羊七からそう声をかけられると、いそいそと私の背中を登り、肩に座る。


 なんと調子のいい……


 心の中で悪態をついていると、ふむ、と山羊七は考え始める。

 そして、私の時とは違い、あまり時間をかけずに、すぐに顔を上げた。


「よし、紙太かみたにしよう」


 あ、考えるのがちょっと面倒になったな。


 そう思っていると、紙人形はひょいっと私と山羊七の間に飛び降り、抗議するように地団駄を踏んだ。


 しかし、山羊七は考え直すつもりはないようで、満足そうに1つ頷いただけだった。


 ふふ、いい気味だ。


 私は少しだけ溜飲を下げる。


 しばらく抗議していた紙人形だったが、全く取り合う気配のない山羊七の様子に諦めたように、ペタンと足を投げ出して座り込んでしまった。


 もう、紙太ってことでいいらしい。


 じゃあ、私もカミちゃんと呼ぶことにしよう。なんかかわいいし。


 私は紙人形を眺めながらそう決めた。

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