第29話 蛍観の宴

 蛍観の宴の日は、あっという間にやってきた。


 宴は蛍の光る夜の時間からだが、私達は昼間から準備だ。

 璃耀だけは宿で着替えてしまい、いろいろ着込む必要のある私と桜凛は着物を手配した店で着付けて貰うことになっている。


 使者が言うには、時間になったら、店に牛車で迎えが来るそうだ。流石に徒歩で重い着物を引き摺って行くわけにはいかない。


 前回同様、店の者に何枚もの着物を着せてもらい、化粧を施される。

 桜凛がそれをじっと見つめ、不備がないか検分する。元々宮仕えだった者が居るのは大変心強い。


「大君の御前で歌を披露するなんて、凄いことじゃない。頑張ってきなさいな。」


 着付けが終わった女将さんに、背中をパシンと叩かれた。


 ズルズル着物を引き摺りながら店の奥から出ていくと、待っていた璃耀が大きく目を見開いてこちらを凝視した。


 そういえば、この姿を璃耀に見せるのは初めてだ。でも、流石に見過ぎでは無いだろうか。とても居心地が悪い。


「フフ、どうです、美しいでしょう?」


 背後にいた桜凛が得意げに私の肩にそっと手を乗せる。その言葉にハッとしたように、璃耀は私と桜凛を交互に見た。


「……え、ええ。見違えました」


 璃耀はそう呟くように口にした。

 私は璃耀と桜凛を見比べる。


 あら、これは私の後ろにいた桜凛に見惚れてた口だな? わかるわかる。凄い綺麗だよね。


 私は二人を見ながらフフフっと小さく笑うと、二人とも何とも不思議そうな目で私を見ていた。


 そこへちょうど牛車の様子を見に行っていた使者が戻ってくる。


「おや、御二方とも、貴族家の姫君にも勝る美しさですね。驚きました」


 使者の言い方は何とも白々しい。せっかく楽しくなってきたところなのに興ざめだ。

 そして、使者の顔を見たことで、現実世界に一気に引き戻されてしまった。


 恋がどうのと言う前に、今日の宴を乗り切らなければならない。


 私が表情を強張らせると、桜凛が私の肩に手を置いたまま、少しだけその手に力を込めた。


「きっと大丈夫です。私がずっと隣にいますから」


 優しい声が耳元に響く。

 そこへ、璃耀がすっと私に向けて手を差し伸べる。手に触れると、璃耀もまた、その手に少しだけ力を込めた。


「大丈夫ですよ、白月様」


 安心させるような、穏やかな笑みだ。


 璃耀に手を引かれたまま、気をつけて段を降り、戸惑いながらも道の中央まで出て牛車に乗る。

 町中でこんな格好をしている者など普段居ないせいだろう。ちょっとの距離なのに、人々は足を止めて道を開け、興味津々にこちらを見ている。

 ヒソヒソと話し声が聞こえたが、何を言っているかは聞き取れなかった。


 牛車に乗り込むと、中はシンプルな黒塗りだった。格を落とした牛車だろうが、十分高価な乗り物に思える。

 璃耀と桜凛、使者が車内に乗ると、ギギと牛車は動き始めた。


 広い道を牛車は悠然と進む。まさか自分が道のど真ん中を牛車に乗って進むことになろうとは、以前都に来たときには思いもしなかった。


 流石は牛車。のろのろと進んでいくが、店が東西通りに近かったこともあり、どんどん幻妖宮は近づいてくる。


 失敗なく歌うことが出来るだろうか。

 穏便に宮中を出ることが出来るのだろうか

 うまく行かなかったら、一体どうなってしまうのだろう。


 そんな事が、ずっと頭の中で渦巻いている。

 私が袖の中でギュッと手を握っていると、隣りにいた桜凛が、そっと私の手に触れて握ってくれた。


 牛車が一度止まると、幻妖宮の門がギギっと開く音が聞こえてきた。


「さあ、着きましたよ。ここが幻妖宮です。」


 使者がすっと御簾を上げると、そこにはこの世界では今まで見たこともないような大きな建物が幾つもある、町のような場所だった。建物はどれも綺麗に手入れされているようで、商店通りや貴族の屋敷の方とはまた違った趣がある。

 その中を、小綺麗な者達が忙しそうに行き来していた。


 私達は使者に案内されるまま、建物の中には入らず、小川が流れる庭園に通された。

 小川を挟んで其処此処に赤や緑で縁取られた畳の台が幾つも置かれ、一番見通しの良さそうなところに、大きくて豪奢な屋根付きの台が御簾が降りた状態で置かれていた。

 きっとそこに、帝が座るのだろう。


 私達は呼ばれるまで庭園の端っこで待機だ。

 じっと座っていると、準備の者が忙しそうに行き交っている。

 それがすっと引くと、璃耀に後ろからそっと耳打ちされた。


「これから、貴族たちが入ってきます。主上が座し、面をあげよ、と言うまでは、両の手を下に揃えて付いたまま、じっと頭を下げていてください。」


 私が小さく頷き、言われた通りにすると、隣で桜凛も同じ様にしたのがわかった。


 下を向いていると、ザッザッという音とともに、いかにもというような「ホホホ」という笑い声が聞こえてきた。

 それがゾロゾロとやってきて、たくさんの人が集まってきているのが音だけでもわかる。


 しばらくの間じっとしていると、次第にその音も鳴り止み始め、シンとした静寂が訪れる。


 不意に


「主上の御成!」


という大きな声が響いた。

 きっと、帝が高座に上がったのだろう。すぐに


「面を上げよ。」


という声が聞こえてきた。

 私達も顔をあげる。


 周囲には、いかにも平安貴族といった出で立ちの、様々な年齢層の男達と、艶やかな着物を身に纏った女性達がたくさん集まり、先程見た畳の上に座していた。


 高座の上にはおそらく帝が居るのだろうが、御簾が半分ほど降ろされ、その姿は見えない。

 そのすぐ近くには、男性にしては何とも美麗な顔つきをした者が座していた。きっと帝に近しい地位のものなのだろう。


 既に周囲は薄暗くなってきていて、蛍がちらちら舞っている。僅かな灯りだけが、高座や貴族たちの座す畳の周辺に置かれていた。


 宴は帝の堅苦しい御言葉から始まり、静かにホタルを見ながら、貴族たちが近くの者と酒が入っているのであろう盃を酌み交わす。

 何とも静かで優雅な宴だ。


 途中、詩会のようなものが始まり、貴族たちが一人、また一人と句を読み上げる。それに対して、口々に感想を言い合ったり、ほうっと溜息を漏らしていたり、時々笑いが漏れるような場面もあった。

 でも、正直私には句の意味は全くわからない。


 そうして粛々と会が進んでいき、ついに私達の番が来た。


「歌い手をこれへ」


と言われ、私達は高座から貴族たちが左右に座す場所を挟んで後方に通された。


 貴族たちは、ホホホ、と言いながら酒に興じる。私達はその肴となるように歌をうたうのだ。


 璃耀が貴族たちの目に入らないところから見守る中、桜凛が楽器を静かに鳴らし始める。口から心臓が飛び出そうだ。私はゴクリとつばを飲み込んだ。


 しかし、伴奏が予め決められた場所まで来て、最初の一音を声に出すと、そんな緊張がふっと心の中から消えた気がした。

 もう何度も練習で歌った曲だ。大丈夫。


 私は勢いのまま、一音一音丁寧に発していく。


 最初、ざわざわと酒を酌み交わしていた貴族達は、次第にその手を止めていき、どんどん私達に注目していく。

 楽しそうに音楽に身を委ねて興じる者もいるが、目を見開いて驚愕の表情を浮かべている者もいる。ただ、歌が中盤に差し掛かった頃には、誰も言葉を発していなかった。


 途中、帝の高座に司会をしていたものが呼ばれた。何か指示を受けていたようで、心に不安がよぎる。


 一曲を歌い終わったところで、


「下がって良い」


という声が司会から響いた。

 念の為、三曲程度用意していたのだが、それを演奏せずにその場を離れる。

 すると、堰を切ったように、周囲にざわめきが戻った。先程よりも興奮したような声が聞こえてくる。


 貴族達の反応や帝の反応が気になる。何事もなく帰れるだろうかと不安になりながら先程の場所に戻ると、璃耀が待ち構えていて、ざわめきの中で小さく「行きましょう」と囁いた。


 私達は頷き、璃耀についてそのまま退席しようとする。しかし、一歩を踏み出そうとしたところで、私達を連れてきた使いの者が私達の前に立ちはだかった。


 使者は無言で笑みを浮かべながら、私達に席に戻るよう手を広げて指し示す。


 璃耀が苦々しげな表情を浮かべたが、強行突破して宴を乱すわけにはいかない。

 私はそっと桜凛に背を押されて、先程までいた場所に戻った。


 宴の最中、ちらちらと貴族たちの視線が向けられてくるのがわかった。

 素直に歌を称賛する興味の視線もあるが、中には検分するような視線や、触れたいけれど触れられないと言うように遠慮がちに向けられる視線もあった。

 きっと、陽の気に気付いた者たちなのだろう。


 そのざわめきは、宴が終わるまで鳴り止まなかった。


 宴の終わり、私達は貴族たちが退席するまで最初と同じように頭を下げて待機していた。

 のろのろと席を立つ貴族たちの中には、私達の前で足を止めた者が居たようだったが、そばに立っていた使者に、速やかに退席するよう促され、渋々庭園を出ていった。


 人の歩く音が徐々に少なくなり、ある程度貴族たちは居なくなっただろうか、と思った時、ザッと私たちの目の前に立ちはだかる足元が見えた。

 着物と靴の感じから、貴族であることはすぐにわかる。


「面を上げよ」


 貴族の言葉に静かに体を起こすと、帝の高座の側に控えていた美麗な見目の青年が、複数の従者を引き連れて私たちの前に立っていた。

 帝の直ぐ側に居たことからも、かなり地位の高い者だとわかる。


 使者が慌てたように私達の前に出てくる。


「何か御座いましたでしょうか、翠雨すいう様」


 翠雨と呼ばれた貴人はチラと使者に目を移す。何も言わなかったのだが、貴人のすぐ隣に控えていた従者に


「其方は下がっておれ」


と命じられ、慌てて頭を下げて後ろに戻った。


「其方らに話がある。着いて参れ」


 貴人は私たちを見下ろしながらそう命じる。

 貴族に命じられれば否とは言えないだろう。でも、これに着いていくのは良くない前触れのような気がしてならない。

 璃耀をチラッっと見ると、緊張したような顔で小さく頷いた。言われた通りにしろということだろう。

 私達は状況が良く読めないまま、翠雨と呼ばれる貴人の後を付いてその場を移動することになった。


 貴人の前後左右には、ぞろぞろと従者がついていて、私達はそれに挟まれるようにして、建物内に通された。神社にあるような真っ赤な高欄のある廊下を進む。


 ふっと行列が止まったかと思うと、貴人は私達を振り返った。


「ここだ。入りなさい」


貴人の言葉に、従者がざっと両側から扉を引く。


「人払いをする。蝣仁、誰もここに近付けぬよう見張っておけ。其方らは、我らがここにいることも誰にも漏らすな」


 貴人がそう命じると、蝣仁と呼ばれた従者が直ぐに了承の意を示す。

 しかし、他の従者は口々に異論を口にした。しかし貴人はそれをことごとく無視し、私達を部屋に通すと有無を言わさず彼らを追い出し、ピシャリと戸を締めた。


 私達は更にその奥の部屋に通される。


 貴人はその部屋の戸を閉じると、ふう、と一つ息を吐いた。


「ここでは態度を崩していただいて結構です。白月様」


 ……はい?


 まさか帝の側に控えるような貴人に様付けで呼ばれるとは思わず、私はなんと返事をしてよいかと硬直してしまう。

 しかし、璃耀はその言葉に眉を顰めた。


「どうか発言をお許しください。翠雨様」

「なんだ。」


 翠雨と呼ばれた貴人は、璃耀に視線を移す。


「主上の弟君であらせられる貴方様がそのように仰るということは、翠雨様も主上も、既にお気づきということですね」


 璃耀は何を、とは言わなかったが、翠雨はすぐにわかったように首肯する。


「あれだけの者の前で披露したのだ。他の者も気づいただろう。その証拠があのざわめきだ。ここから先、朝廷は混乱に陥るだろう」


 翠雨の言葉に、璃耀が構えるように身を固くする。


「白月様をここに呼び出し、一体どのように処するおつもりなのでしょう?」

「そう身構えるな。敵意がないことを示すために側近を排したのだ」


 翠雨はそう言うと、おもむろに、スッと私達の目の前に紙人形を差し出す。

 さらに、それをふっと裏返した。

 紙人形の頭には、墨で書かれたリボンがついている。


 カミちゃん!?


 私は翠雨の掌の紙人形に目を見張る。間違いない。ずっと探していた私の相棒だ。


「……あ、あの、その紙人形ですが……一体何処で……?」


 貴人への対応なんてわからないが、私はどうしても発言せずにはいられなかった。

 璃耀が額に手を当てたのが横目に見えたが、言葉を発してしまったものは仕方ない。それに、ようやく見つけた相棒なのだ。


 翠雨は、私を見て片眉を上げる。


「これは最早、ただの紙です」


 翠雨はそう言うと、カミちゃんをグチャっと握りつぶす。


「カミちゃん!」


 私が反射的にそう叫ぶと、翠雨は突然、ククっと笑い始めた。


「あ、あの……か、返してください。その、都に入る前に逸れた大事な相棒なんです。ですから……」


 しかし、翠雨はくすくす笑うばかりで返してくれそうにない。


 意味がわからず困り果てて璃耀と桜凛を見たけれど、二人とも同じように不可解なものを見るような顔をしている。


 ど、どうしよう。


 私もカミちゃんのことをギュッとしたことがあるから大丈夫だと思うけれど、さっきからカミちゃんは全く動く気配がない。


 私がハラハラしながらカミちゃんをじっと見つめていると、翠雨は笑いを収めるように小さく一つ息を吐いた。


「ハァ。きちんと白月様に大切にされていることがわかって安心しました。水をかけられたり、握りつぶされたり、丸一日無視されたり、いろいろありましたから」


 そういう翠雨の目は、懐かしいものを思い出すように優しく細められる。

 しかし、私が困り果てているのに気づくとイタズラっぽく口元を釣り上げた。


「これは、このように使うのですよ」


 翠雨はスッと紙人形に手をかざす。すると、何処からかきたのか、指先を伝ってポチャンと水滴が落ちた。


 瞬間、翠雨の姿がパッと消える。

 驚いて目を丸くして周囲を見回すと、璃耀と桜凛も驚いた顔で翠雨がいた場所を見つめていた。


 何事だろうと思っていると、不意にツンツンと何かに手元を突かれる。

 はっとそちらに目を向けると、カミちゃんがいつものように私のことを見上げていた。


「カミちゃん?」


 私が恐る恐る手のひらを広げて差し出すと、ヒョイっと私の手の上に乗る。


 いつものカミちゃんだ。


 カミちゃんが見つかったのは喜ばしいことだ。

 だが、信じられないような事が目の前で起こった戸惑いの方が大きい。


 私がカミちゃんを見たまま固まっていると、カミちゃんは私の上をヒョイっと降り、先程まで置かれていた場所に座ってパタリと倒れた。


 カミちゃんの上には水滴が一つ浮いていてそれがふわっと移動したかと思うと、翠雨の姿を形どる。


 私はそれをポカンと見つめていた。


「つまり、紙太は翠雨様だったということですか……?」


 璃耀の声が聞こえてきて、私ははっとする。

 しかし、驚いた顔をしたのは翠雨のほうだった。璃耀はあまりの驚きに、声が元に戻っていた。


「其方、璃耀か……?」

「はい、翠雨様」

「驚いた、化粧一つで随分変わるものだな」

「お褒めに預かり光栄です。」


 いや翠雨様、少し引き攣った顔をしてるから、褒めてるわけじゃないと思う。


「そんなことはどうでも良いのです。それで、ご返答は。」

「あ、ああ……私が紙太で間違いない」


 翠雨は戸惑いを引きずったままそう答えた。


 ……カミちゃんが翠雨様?

 私は信じられない思いで翠雨をじっと見つめる。


「いつから……?」


 私が聞くと、翠雨はニコリと笑った。


「最初からですよ。全ての始まりとなったあの泉からです」


 つまり、最初からカミちゃんは朝廷の偉い人だったってこと? でも、何であんなところに……


 戸惑ったまま今までのことをいろいろ遡って思い返していると、それを遮るように璃耀が声を上げた。


「お待ち下さい。紙人形になれるからと言って、翠雨様が本当に紙太であるとは言い切れません。その紙人形が本当に紙太である証拠もありません。まず、いくつか確かめさせて頂きたい」


 翠雨は眉をあげてそれに応じる。璃耀はそれを了承と受け取ったのだろう。小さく頷く。


「では、貴方に紙太と名付けたのは誰ですか」

「山羊七だ」

「山羊七に名前をつけたのは?」

「其方であろう」

「白月様の元で私に初めて合ったのは?」

「人の世界との間を繋ぐ白い渦の前だ。その直前にはヤマタノオロチに会った。

 そういえば、あの時の蛇も白月様の歌を随分気に入っていたな。

 それに、鬼火の集まる場所にも行った。あれは今日の蛍が霞むくらいきれいであった。

 ああそうだ。其方が鬼界の鬼に掴まったこともあったな。助けてやった恩を忘れたとは言わせないぞ」


 翠雨は璃耀を見て、ニヤリと不敵に笑う。

 璃耀はハァと深く息を吐いた。


「貴方が紙太で間違いないなさそうです」


 翠雨はその返答に満足気だ。


「……では、味方と考えても?」


 璃耀は緊張を帯びた声で問いかける。


「無論だ。だが、兄はそうではない。新たな帝が現れるという徴があった際、どのような者か見てこいと秘密裏に遣わされた。誰も信用出来ぬと弟である私を遣わしたのだ。元々、新たな帝を出迎える役目を先の帝から賜っていたので好都合ではあったが……

 ただ、兄は真なる帝である御方を利用出来るならば利用し、そうでないなら消し去ろうと考えている。

 私からは害意はないと伝えてはいるが、何れにしても、白月様にとって良い方向には向かわぬだろう。

 しばらくは、山羊七のところにでも身を隠しておくほうが良いのではと思っている」


 璃耀もそれに頷く。


「鬼の形をしたものが、静かに暮らしていられる場所です。私達もそちらへ向かおうと考えていたのですが、いろいろあって検非違使に捕まりました」

「兄は帝位を脅かす者を極端に恐れている。それでいて野心家だ。人の世界との結界を崩そうと目論んでいるらしい。陽の気をもつ白月様は自分に従う限りは利用価値が高いと思っているだろう。何かと理由を付けられ、宮中から出られなくなる可能性が高い」


 璃耀と桜凛は顔を強張らせる。捕まったら逃げることは困難になるだろう。


「ここには誰も近づけさせぬ。ここでしばらく時を過ごしたあと、深夜人気が無くなった頃、裏門から静かに宮中を出るといい。

 私は戻り、白月様達はそのまま帰ったと伝えておこう。

 抜け道は璃耀が知っているな?」


 璃耀が頷いたのを確認すると、翠雨は私に向き直る。


「あの、翠雨様……」


 私が何と呼びかけるべきか迷いつつ呼びかけると、翠雨は優しい笑みで応える。


「どうか今までのように紙太とお呼びください、白月様。なんでしょう?」

「あ、あの……カミちゃんはその後どうするの?」

「残念ながら、私は共にはいけません。ですが、宮中に居るからこそ貴方の為にできることを致しましょう」


 そう言うと、翠雨は僅かに屈んで私の手をとり軽く握る。


「どうかご無事で。口うるさいでしょうが、御身の為、きちんと璃耀の言うことを聞くのですよ」


 子どもに言い聞かせるように丁寧に、それでいて不安を浮かべるような瞳で、翠雨はじっと私の目を見つめて言った。


 翠雨が部屋を出たあと、私達はその場に留まり、じっと夜がふけるのを待つ。

 璃耀は、ずっと難しい顔をして何かを考え込んでいたが、不意に周囲に耳を澄ませ、あたりの様子を伺ったあと、口を開いた。


「桜凛、其方は翠雨の言葉、どう思った?」

「あら、随分ぞんざいな呼び方をされるのですね。投獄されますよ」


 桜凛が嗜めると、璃耀はフンと鼻を鳴らす。


「本来、あのような立場にあるべき一族では無かろう」


 桜凛はその言葉を肯定も否定もせずに肩を竦める。


「私は紙太と呼ばれていた頃のことを存じませんが、白月様への感情に偽りはないように思いましたよ」

「璃耀はカミちゃんを疑っているの?」

「紙太を、というよりも、柴川家の者を信用していないのです」


 柴川家? こっちにも名字のようなものがあったんだ。


 そう思っていると、桜凛が説明してくれる。


「柴川、雉里、申岡、狗山は、朝廷で唯一姓を持つ貴族です。この幻妖京の最初の帝にお仕えした者の一族が、今も大きな力を持っているのです」


 雉、猿、犬だって。桃太郎みたい。


などと私が気の抜けた事を考えていると、璃耀は厳しい声でその説明を受け継ぐ。


「雉里は帝の身の回りのお世話を、申岡は宮中の警備を、狗山は都の治安維持を代々のお役目として仕え、柴川も行政のお役目を担っていたのです。それを帝位の空席を狙って帝に成り代わろうなどと……」


 璃耀は不快感も露わに苦々しい顔になり、そのまま口を噤んだ。

 私が桜凛を見ると、桜凛も困ったように私を見返した。


「璃耀様のように考える者も多いのです。辞めた者ばかりでなく、本心を隠して朝廷につかえている者もたくさんいるでしょう。そして、今日の宴で、これからそれが表面化し混乱を招くかもしれません。翠雨様はその中で、白月様に敵意や害意が向かぬよう纏めていくおつもりなのでしょう」


 桜凛の言葉に頷くと、璃耀は再び黙ったまま考え込んでしまった。


 それから、どれ位の時間が経っただろうか。


「そろそろ良いでしょう。ここを出ましょう」


 璃耀が口を開いたのは、翠雨が退室してからかなりの時間がすぎてからのことだった。


 慎重に扉を開け息を殺して廊下に出ると、周囲は闇に閉ざされて静まり返っていた。


 人の姿のままだが、重たい着物を引き摺っていてはいざというときに逃げられない。宮中の者にとっては下着姿らしいが、重たい着物はそのまま脱ぎ捨て小袖のみになることにした。

 ちなみに璃耀も待っている間に化粧を拭い落とし、身軽な男性の状態に戻っている。


 私達は足音を立てないようにしながら宮中の分かりにくい通路をクネクネ曲がっては進んでいく。建物の外に出て、下働きが通るような道をぐんぐん進む。曲がり角にぶつかるたびに先導する璃耀が道の向こうに人気がないことを確認してから曲がっていくのを繰り返す。


 小さな門が見えるまで、私達は誰にも会うことなく進むことができた。


「あれが裏門です」


という璃耀にほっと息を吐く。


「あそこに門番が居ますが、夜間なので人数は少ないはずです。ここだけは強行突破しましょう。私と桜凛が門番を押さえます。その間にあそこを抜け、絶対に振り向かず獣の姿で駆け抜けてください。その方が闇夜に紛れやすいでしょう。」

「でも、璃耀と桜凛は……」


 璃耀は安心させるように笑みを見せる。


「大丈夫。すぐに後から追いかけます。ついさっき、紙太に私の言うことをよく聞くように言われたばかりでしょう?」


 先程まで翠雨と呼んでいた者の名を、あえて紙太に変えて私に言い聞かせようとする璃耀に溜息が漏れる。


「……わかった」


そう頷くと、璃耀は満足そうに頷いた。


「では行きましょう」


 璃耀の声に頷くと、私達は揃って駆け出す。


 しかし、私達が飛び出した瞬間、手薄のはずの裏門に武装した者たちがザッと並び、私達の行く手を塞いだ。


 勢いを削がれて立ち止まると、璃耀がボソリと呟いた。


「これはどちらでしょうね」

「え?」

「翠雨に足止めを食らい嵌められたのか、それとも驟雨が一枚上手だったのか」


 カミちゃんの訳がない。そう言いたかったが、璃耀の悔しそうな顔に私は言葉が出なかった。

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