第30話 結界石の守り

 裏門を塞いでいたのは、武装し、漆黒の狼の面をつけた者たちだった。

 一気に物々しい雰囲気に包まれ身構える。


 すぐに私を隠すように一歩前へ進み出たのは璃耀だった。


「検非違使の方々が、このような夜更けに宮中で何を?」


 璃耀が尋ねると、一人だけ武装していない男が口元をキレイに吊り上げながら進み出てきた。


「そちらこそ、このような夜更けにどちらへ?」

「宴も終わり、勅書の御命令も遂行たので、このまま帰るのですよ」


 璃耀がそう答えると、先頭の男はますます口角を吊り上げる。


「これは好都合。主上より、そこの兎へ御召があったので、お迎えに上がらなければならなかったのです」


 仮面の奥の鋭い視線がこちらに向けられて、私は身を竦めた。


「そのようなこと、検非違使のお役目ではないでしょう。しかも、瑛怜殿がわざわざ?」

「勅書を届けたのは私の部下ですよ。お任せいただいた御役目を遂行することになんの不思議があります」


 璃耀と瑛怜という男の間にはピリピリと張り詰めた空気が流れている。言葉の応酬で何とかここを突破したい璃耀を嘲笑うような瑛怜の顔に寒気がする。


「しかし、璃鳳殿がご一緒とは。

 先帝の蔵人頭ともあろう方が、何故そのような兎と?」


 ……璃ホウ?それに蔵人頭?


 ハッキリとは覚えていないが、昔の天皇の首席秘書のような存在ではなかっただろうか。この世界での蔵人所がそれと同じかはわからないが、もしそうであれば、朝廷の中でも上位の存在だったはずだ。

 朝廷に勤めていたとは聞いていたが、まさかそこまで地位の高い者だったとは思わなかった。


 私が驚きに璃耀を見つめていると、瑛怜は口元を嫌な感じに歪める。


「突然宮中を出て姿を消した優秀な貴方の帰りを、雉里のご家族はもちろん主上もお待ちになっていたのですよ」


 璃耀はその言葉に、一瞬で表情を無くす。


 えぇ、ちょっと待って。情報過多で頭がパンクしそうだ。その話でいくと、璃耀は正しい手続きで辞めたわけじゃなく完全に職場をバックレているし、家出状態だったということではなかろうか。

 それに雉里って、さっき教えてもらったばかりの、かなり地位の高い貴族の家系だったよね。


 私の混乱を余所に、話はどんどん進んでいく。


「そこの兎のところには、不思議なことに、先帝の有能な腹心が揃っているようですね。璃鳳殿の手腕でしょうか。

 先帝のお気に入りだった雅楽寮の桜凛殿、軍団大将の蒼穹殿に副官の宇柳、それに元侍医であった紅翅殿とも繋がりが?

 先帝お抱えの者たちが集まって、一体何を企てておいでか」


 瑛怜はこの場に居る面々を見廻す。鋭い視線に体が硬くなる。

 ここまでの道中やカミちゃんに言われていた通りだ。何も企ててなんていないのに、最初から疑ってかかられている。彼らにとって、私達は警戒対象なのだ。


「この短時間でいったいどこまで調べ上げたのだ」


 璃耀は小さく呟き、苦い表情を浮かべている。


「流石の我々も宴が終わってから調べ上げるのは不可能です。検非違使の情報網を使って普段から変わった動きがないか調べているのですよ。そうでなければ京の治安維持は務まりません。

 まさか各地で噂になっている兎が、宮中の宴に出てこようとは思いませんでしたが」


 瑛怜は何でもないことのように言う。


「それならば、良くわかっているでしょう。我々は貴方がたにも殿下にも、疑われるようなことは何もしていないつもりです」

「殿下ではありません。今やあの御方はこの妖世界の天子様ですよ。璃鳳殿。そして、事ここに至っては、貴方がたの行く末は、その天子様が御決めになることです」


 桜凛は油断なく周囲に視線を巡らせる。


「どうします?」


 桜凛の言葉に瑛怜はわざとらしくニコリと笑い、こちらの返答を待っている。


 璃耀は検非違使達の様子を伺いながら考えるように少し黙っていたが、そっと息を吐き、こちらを振り返った。

 そして、私を安心させるように微笑む。


「参りましょう。白月様」

「いいのですか、璃耀様」


 警戒を解かずに問いかける桜凛に、璃耀は小さく頷く。


「この手勢で突破出来るほど甘い相手ではない。嫌疑をかけられ捕らえられては元も子もない」


 その言葉に、今度は瑛怜が満足そうに頷いた。


「よくお分かりのようで結構です」



 私達は、瑛怜と数名の検非違使に連れられ、必死に抜けてきた宮中を逆戻りしていた。

 まるで、連行される罪人のような気分だ。


 最初は皆一緒に移動していたのだが、建物の一つに差し掛かった途端、瑛怜が足をピタリと止める。


「もう夜更けです。部屋を用意しましたので、まずはゆっくりお休みください。璃鳳殿には本来の地位に相応しい部屋を用意していますよ。女人と一緒では休まらないでしょう。桜凛殿にも朝廷の者に相応しい部屋を用意しました。それから、客人はあちらへ」


 尤もらしい理由をつけられ、私達は別々の部屋を案内される。建物すら別だ。璃耀も桜凛も抵抗したが、有無を言わさず引き離された。

 心配そうにこちらを見る二人に、私は不安を押し殺し、気丈に笑ってみせるしかできなかった。


 私は小さな部屋に通される。小綺麗な部屋ではあるが、部屋の前にはしっかり監視が二人付いていて軟禁状態だ。


 布団も用意されていたが、これから一体どうなってしまうのだろう、という不安ばかりが渦巻いて、結局一睡もできないまま朝を迎えた。


 ぼうっとしているうちに、下働きの女性達が慌ただしく部屋に入ってくる。


「大君の御前に出られるように、身綺麗にしなくてはなりません」


と一番年嵩の女性に言われ、かなり乱暴に着ていた小袖を脱がされ、体を拭かれ、別の新しい衣装を着付けられていく。髪も木の櫛で入念に梳かれた。尖った部分が頭皮にあたって痛い。


 一通り準備が終わると、年嵩の女性は私を上から下まで入念にチェックして一つ頷いた。

 それから、「終わりました」と扉を開け放つ。


 そこには、口元に笑みを浮かべた瑛怜が立っていた。


「ああ、少しは見られるようになりましたね。お疲れ様です。もう戻っていいですよ」


 女性達に声をかけると、彼女らは一礼してそそくさと退室していく。


「では、行きましょう。主上がお待ちです」



 私は瑛怜と複数の者に囲まれて移動する。昨夜のように武装はしていないが、狼の面をつけたガタイのいい男達だ。万が一にも逃げ出すことはできなさそうだ。

 瑛怜についていていくと、一際大きな建物に案内される。建物の奥へ奥へと進んでいき、一際豪奢で大きな部屋に辿り着く。

 部屋は外から厳重に警備されていたが、扉の前に立つ男たちに瑛怜の横にいた一人が何事か告げるとすっと中に通された。

 ここに帝が居るのだろうかと思ったのだが、中には誰もいない。

 ただ、部屋の奥の目立たない場所に、地下へ向かう小さな下り階段がチラッと見えた。

 普段は隠されているのか、板張りの中にぽかんと不自然に穴が空いていて、近くの壁にそこにハマっていたであろう板が立てかけられている。


 瑛怜は躊躇うことなくその階段に向かい、下り始めた。二人並んで何とか通れるかどうかという広さだ。自然と一列になり、私はちょうど真ん中に入れられた。


 階段は石造り。壁にも石が敷き詰められ、無機質で寒々しい。如何にも隠し通路といった感じだ。


 しばらく下ると、突き当りに扉が一つあった。朱色の格子状の扉が、石に囲まれたその場所で妙な存在感を放っている。

 その扉を塞ぐように武装した男が一人立っていた。


 男は瑛怜達が来ることを知っていたのか、軽く頭を下げるとすぐに扉の前を開ける。


「この先に主上がいらっしゃる。頭を垂れよ」


 瑛怜に言われて頭を下げると、扉が開かれる音がした。


「御召に従い、彼の者を連れてまいりました」

「入れ」


 私達は頭を軽く下げたまま中に通される。先程まで石の上を歩いていたが、ここは板張りだ。

 瑛怜が足を止めて跪く。

 周囲が同じ様にするのに合わせて私もその場に跪いた。


「面を上げよ」


 よく響く男性の声に顔を上げる。

 周囲には複数人の男たちが板張りの上に直接座っていて、一箇所だけ高くなるように畳の台が敷かれた場所には、壮齢の男性が座っていた。両側には燭台が置かれていて、後ろには豪奢な屏風が立てられている。

 何となく誰かに似ているな、と思ったが、カミちゃんのお兄さんだったということを思い出した。

 妖が姿を変えているだけなのに、兄弟で似るものなのだろうか。不思議だ。


 部屋の造りも不思議だった。

 私達がいる場所は、地上の部屋と同じ様に板張りになっているが、もう半分は一段下げられ土がむき出しの状態になっていた。

 さらにそこに注連縄を巻かれた大きな岩が地面から突き出していて、ドーム型の薄い黄色の空間がそれを取り囲んでいる。

 なんと言ったらいいだろうか。玩具の入ったガチャガチャの半透明のケースの上半分だけをすっぽり岩にかぶせたような感じだ。


「其処な兎。昨夜の宴、見事であった。大層珍しい気を持っているようだな」


 私は帝から直接声を掛けられ、ビクッと体を震わせる。

 陽の気を珍しい気と表現するのは、気づいていないわけではなく、気づいているのに明言しないようにしているせいだろうか。

 無視するわけにもいかないので、両手を床に揃えてついて頭を下げる。


「恐れ入ります」


 帝は「ふむ」と言いながら扇子を広げて口元を隠し、見定めるように私をじっと見つめる。何を言われるのかと緊張で手が震える。


「其方、朕を見てどう思う」


 どう思うって、いったい私は何を尋ねられてるの? どう答えるのが正解なの?


 周囲の者から一様に注目を浴びている。

 どうすべきか口籠っていると、


「答えよ。」


と催促され、思わず帝を最初に見た感想が口から漏れる。


「翠雨様とよく似ていらっしゃると思いました。」


 私の答えに帝は僅かに首を傾げる。


「あれは弟だからな。同じ親を手本に人の形になるのだから似ることもあろう。」


 あぁ、似てるのはそういうことなんだ。

 あと、どうやらご機嫌を損ねることにはならなかったみたい。


「では質問を変えよう。其方は朕に忠誠を誓えるか」


 ……忠誠を誓う?

 言葉の意味は分かるが、それを真に理解して実行できるかと言われると答えは否だ。言いなりになって帝の言うとおりに動くことは、多分できない。

 例えば、今別の所で軟禁されているであろう璃耀や桜凛を始末しろと言われて従うことなんて出来ない。

 忠誠を誓うなどと言質を取られてはたまらない。


 要は帝の地位を奪わないということがわかれば良いんだよね。きっと。


「今までどなたかに忠誠を誓ったことがありませんので、正しい意味で応と御返事することはできません。ただ、私は京を離れ遠くで静かに暮らしていたいだけなのです。貴方様に逆らうつもりなどございません」


 私が馬鹿正直にそう答えると、周囲は俄にざわめく。どうやら返答を間違えたらしい。


「其方、主上の意に従えぬと申すか!」


 帝の隣に控えていた男が声を荒げ、同時にガシャっと武器か何かが鳴るのが聞こえる。

 全身から冷や汗がどっと吹き出す。


「控えよ、岳雷」


 帝の声が響くと、ざわめきは直ぐに引いていき、静寂がその場に戻る。


「朕に逆らわぬのであればそれで良い。一つ頼みを聞いてくれるのであれば、其方の望み通り、ここから離れた場所で静かに暮らさせてやっても良い。ただし、璃鳳と桜凛はこのまま置いていってもらうぞ」


 二人を置いていく? 敵意ばかりのこの場所に?


「……彼等の身の安全は保証して頂けるのでしょうか」

「主上に己の望みを奏上するなど畏れ多いぞ」


 瑛怜が僅かに体ごとこちらに向けて静かに私を睨む。

 そんなことは分かっている。でも、二人をここから連れ出せない以上、二人の安全が保証される確約を得るチャンスなのだ。


「よい」


 帝が言うと、瑛怜は姿勢を正して少しだけ頭を下げる。


「二人にはこのまま朝廷につかえてもらうつもりだ。素直に従うのであれば手荒なことはせぬ」


 素直に従うのであれば、というところが曲者な気もするが、ひとまず確約を得たことでそっと息を吐く。

 そもそも璃耀は良いとこの御坊ちゃんのようだし、そんな璃耀が口添えしてくれれば桜凛も大丈夫だろう。それにカミちゃんもいる。うまく二人を庇ってくれるだろう。


「では、朕の頼みも聞いてもらおう」


 帝はパンと音を立てて扇をたたみ、そのまま注連縄を巻かれた岩の方を指し示す。


「まずはあの中に入り、大岩に触れてみてもらおうか。」


 帝の言葉に、再び周囲がざわめく。


 その言い方だと、あの黄色の中に入る所か大岩に触れるところで何かがあるのだろう。


 兵の一人に促されて立ち上がり、土の上に降り立つ。黄色のドームの前に立つと、それが薄い膜のようなものだとわかった。僅かに光っているようにも見える。


 プラスチックのように固いのか、風船のようにぶよぶよしているのかはわからない。

 扉のようなものは見当たらないので、入るならこのまま突っ込んでいくしかないのだろうか。

 触れたら扉が出てくるとか? ビリっと弾かれたりしたら嫌だな……


 そんなことを思いながら、私は恐る恐る黄色の膜に手を伸ばす。

 しかし、何か手応えがあるわけでもなく、私の手はスッと黄色の膜をすり抜けた。

 その勢いのまま体を進めると、すんなり黄色の膜の中に入ることができる。


 周囲から小さく「おぉ」という声が複数聞こえた。この中にいても、外の音はクリアに聞こえるようだ。


 側で見ていた瑛怜が、スッと黄色の膜に手をのばした。すると、バチ! と凄い音が聞こえ、瑛怜が顔を顰めたのがわかった。その手は直ぐに袖の中に仕舞われたが、真っ赤に腫れ上がっていたのがチラッと見えた。陽の気に触れた時の妖達の様子と同じだ。きっとこの膜は陽の気で出来ているに違いない。


 さらに帝から命が下る。


「そこの結界石に触れてみよ」


 膜の中に問題なく入れたので、しめ縄が巻かれただけの大岩に触れるのに躊躇いはない。


 そのまま手を触れると、見た目は特に変わった様子はないのだが、何故か石そのものの力が足りないというか、石が満たされていないような、不思議な感じがした。

 目で見てわかるわけではないのに、何故そう思ったのかはわからない。


 何となく、結界の穴を塞ぐときのように、力を注いだほうがいいかな、と思った時、背後から


「では、道具を用意しやり方を教えさせる故、それを破壊せよ。」


という声が聞こえてきた。


 その瞬間、何故かは全くわからないが、唐突に言い知れない恐怖と不快感が私の中を駆け巡り、全身が総毛立った。咄嗟に


「む、無理です!」


と叫ぶ。全身が拒否感を示し危険な警告が鳴り響くような感覚に硬直する。


 結界石をただ触るだけならば大丈夫だった。

 でも、壊せと命じられた途端、言い表せないほどの強烈な恐怖に囚われたのだ。

 石なんて壊せないとか、そういう話以前に、手が、体が震えて、岩に触れていることさえできない。


 私は岩との間に距離を取りたくて後退りする。しかし、岩を守っていたであろう陽の気の膜の外に一歩出た瞬間、誰かに背中をグッと押された。


 先程まで帝の側に控えていたはずの、岳雷と呼ばれた男だ。


「主上の仰せに背くつもりか。」

「で、でも……」


 私は周りを見渡す。誰もがやれと目で訴えている。


 でも、無理なのだ。怖い。

 自分の中の大事な何かを引きずり出されて粉々に壊されてしまうような、身が切られるような恐怖がずっと渦巻いている。


 私は小さく首をふる。


「無理です。怖いのです。」


 そう答えた瞬間、バッと襟首を掴まれて後ろに引き倒された。

 勢いよく頭と背中を打ち付けて、うっと声が漏れる。


「壊すのが嫌ならば、自ら壊したくなるようにするまでだ。」


 岳雷はそういうと、どこから取り出したのか、手に持っていた錫杖を思い切り私の体に突き立てた。

 先端が尖っているわけではないし、厚い着物のおかげで刺さった訳ではない。でも、力いっぱい突き立てられて、激痛が走る。


 うめき声をあげてうつ伏せ状態になると、今度は錫杖をぐるりと回して振りかぶり、力いっぱい殴りつけてくる。


 苦しい。痛い!


 それらを避けるように身を捩り丸くなると、今度は思い切り蹴飛ばされる。

 動く間もなく再び錫杖を突き立てられ、何度も殴られる。その繰り返しだ。逃げることも抵抗することもできない。


「岳雷、少し手荒では? 死んでしまっては元も子もなかろう」


 遠くで誰かが諌めるような声が聞こえる。しかし、岳雷はその手を止めない。


「そのような愚は犯さぬ」


 そこから先は、止めてくれるような者もなく、岳雷の独壇場だった。

 暴行の最中、何度か岩を壊せと命じられたが、それどころではない。その度に恐怖に苛まれ、痛みと苦しみに襲われ続ける。

 私は繰り返される暴力行為にただただ呻くことしかできない。

 助けを求めて周囲を見渡すが、誰も彼もが冷たくこちらを眺めているだけだ。


 帝も同様に、先程の場所に座したまま動かず、ただこちらを眺めていたのだが、しばらくすると、


「時間が掛かりそうだ。其方に任せるぞ。岳雷」


という声が遠くに聞こえ、去っていったのが分かった。


 陽の膜の外に出ては錫杖で殴られ、膜の中に押し込められては強い不快感に襲われる。また恐怖に身を引いて少しでも陽の膜から出ようものなら、再び引き倒されて痛めつけられるのを繰り返す。


 何度目だっただろうか。もはや、痛みと恐怖に苛まれて、頭が朦朧としてきた頃、私は岩を壊すという目的を忘れて逃げ場を求めるためだけに陽の膜の中に入った。


 最初はわからなかったが、入ってしばらくすると、恐怖がふと和らいでいることに気づいた。

 働かない頭で理由を考え、ようやく、壊そうとしなければ岩の近くにいても大丈夫なのだと悟った。


 しかも、妖はこの中に入ってこられない。私はようやく、ほっと息継ぎできたような気持ちになった。この中にいれば安全だ。


 しかし安心したのも束の間、すぐに、鉄の鎖分銅が投げ込まれたかと思うと私の体にぐるぐると巻き付き、膜の外に引っ張り出された。


「結界内に閉じこもろうとしても無駄だ。」


 鎖が巻き付いたまま無様に倒れ込む私の体に、容赦なく錫杖が突き立てられた。


 何とか人の姿は維持できているものの、精神疲労と体の痛みに動くことすらできなくなると、私はその部屋から乱暴に引きずられるように出された。石の階段を登るたびに体に衝撃が走る。


 ボロボロの体のまま誰もいない豪奢な部屋と廊下を抜け、外に出てからも砂利の上をズルズル引き摺られる。


 薄汚い建物の中に入ると再び石造りの下り階段が現れ、体を石に打ち付けられながら、地下の石壁に囲まれた廊に放り込まれた。


 厚い着物は剥ぎ取られ、小袖と袴だけにされる。


 冷たい石牢の中で手首にはジャラジャラした鎖がつけられ、手が頭の上に来る位置に吊るされる。鎖の先は、壁のかなり高い位置に打ち込まれた鉄の杭にガッチリ括り付けられていて、私の身長では届きそうにない。


「明日も来るからな」


と言い残し岳雷は後を見張りの者に任せて去っていった。


 私はふっと息を吐いた。


 人の形をとっているのも辛くて兎の姿になってみる。

 でも、ぎりぎり足がつかなくて、体ごと宙づり状態になってしまったので、人の姿を維持するしかない。人の姿であればバンザイ状態ではあるものの座っていられる。


 袴は落ちてしまったがしかたない。


 兎に戻れば手首が抜けるのでは、という期待もあったが、どういう仕組みか手首の太さに合わせて締まり方が変わるようになっていて取ることは出来なかった。


 明日が来るのがこんなに怖いと思う日がくるなんて思わなかった。痛みも押し寄せる恐怖も何もない今の時間が噛みしめるほどに愛おしい。石の上で鎖にとらわれて、寒さにふるえていたとしても、この時間を失うのがこんなにも怖い。


 みんなは今、どうしているだろう。

 璃耀と桜凛は無事だろうか。


 そんなことを思って涙が溢れた。

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