第31話 兎の始末
牢に入れられてからどれ位たっただろう。
体はすっかり冷え切っている。全身の痛みを増長させるようで、身じろぎすらしたくない。
不意にガコっと牢の扉を乱暴に開ける音が聞こえた。
もう朝が来たのだろうかと体が勝手に震えだす。
もう、あんな思いはたくさんだ。
そう思っていると、
「白月様!」
と聞き慣れた声が響いた。
僅かに目線をあげると璃耀と桜凛が青ざめた顔でこちらを見ているところだった。
その足元には、ブカブカの着物を着た狼が二匹倒れている。失神したことで見張りをしていた者達の人化が解けたのだろう。
璃耀と桜凛は傷だらけで憔悴しきった私を見て駆け寄る。璃耀が取り出した鍵で手にはめられた鎖が取れて、体がゆらりと崩れた。
それを、桜凛が受け止めてくれる。
「一体、何をされたのです……?」
私は応える気力もなく、何とか留めていた人の形も解いて桜凛にもたれ掛かる。
自分を抱える温もりにふっと息を吐くと、いつの間にか四足歩行の獣姿に変わっていた。
桜凛は私の胸元の巾着から蓮華の花弁を出して私の口に含ませると、丁寧に私を小袖で包み、腕に抱えて立ち上がる。
璃耀が痛ましそうに顔を歪めて覗き込んできたが、桜凛は急かすように璃耀の肩を押した。
「大丈夫です、行きましょう」
桜凛に抱えられながら、階段を昇る。布にすっぽり包まった私からは、身をよじらなければ桜凛の顔しかみえない。
ただ、途中で冷やとした風が顔に当たって、外に出たことわかった。
私は、息を殺して先を急ぐ桜凛の緊張した顔を、小袖にくるまったまま、ただ虚ろな目で眺めていた。
ところが、風を切るように走っていた2人の小さな足音が急にはたと止まった。最初は、曲道に差し掛かったのだろうかと思ったのだが、桜凛は周囲を伺うのではなく、真っ直ぐに前方を見据えて顔を強張らせている。ピリッと空気が一気に張り詰めるような気がした。
何事かと思っている間に、私は頭からバサッと布をかけられる。
「主上の温情で、再び朝廷に迎え入れようと言うときに、虜囚を連れ出されては困りますな。」
声の主は岳雷だった。
先程までのことを思い出し、体が勝手に震えだす。
桜凛がそれに気づいたのか、私を強くギュッと抱きしめた。
「虜囚とは?」
璃耀が緊張を悟らせないような声を出す。
しかし、岳雷はまったく取り合おうという気がないようで、
「璃鳳殿との問答は骨が折れますからな。」
と言ったあと、
「捕えろ!」
と命じる声が響いた。
突然、体がグラッと大きく揺れたかと思うと、バサと小袖ごと誰かに自分が乱暴に取り上げられたのがわかった。
小袖を剥ぎ取られ、首根っこを掴まれて持ち上げられる。
璃耀も桜凛も捕らえられ、数人に取り押さえられているのがみえる。
そして、私の目の前には岳雷がいた。
「獣の姿のままでは見苦しい。人の形を取れ。」
静かな、しかし、有無を言わさぬ声で命じられる。心の底から震え上がるような声だ。
パッと手を離されて地面に落下した私が、言われるがままに気力を振り絞って人の姿になると、頭の上にバサッと小袖を投げられた。目の前に布紐も投げられる。羽織れということなのだろう。
私が震える手でそれを取り、小袖をもそもそと身に付け始めると、
「ふむ。残念だったな。この様子ならば明日には主上の命を遂行できたかもしれなかったというのに。」
と岳雷は独り言のように呟いた。
私が着終わると、すぐに、別の者に両手を後手にとられ、無理矢理膝をつかされる。岳雷の足元が見えたと思うやいなや、乱暴に顔を捕まれ、ぐいっとあげさせられた。
「死の泉での処刑が決まったぞ」
私を見下ろした岳雷は、ニヤッと私を見て歪んだ笑みを浮かべた。
私は元いた牢に再び入れられた。璃耀達は別の場所に連れて行かれ、再び一人ぼっちになってしまった。
先程、岳雷は処刑と言った。協力出来ないならば陽の気を持つものなど消してしまおうということなのだろう。
以前、璃耀が言ったようになってしまった。自分が巻いた種だ。それに皆を巻き込んでしまった。
自分の身を危険にさらしても私を助けようとしてくれた者たちを思うと、自分の非力さが情け無くて申し訳ない。
皆は大丈夫だろうか。私を助けようとしたせいで酷い目に合わされていないだろうか。
そんな心配ばかりが巡る。
でも、自分の事はそれほど不安に思わなかった。いつまで続くかわからない拷問が続くくらいならば、一思いに消えたほうが気は楽だ。
翌朝、牢に女官が二人入ってきて、私は小綺麗な白い小袖に着替えさせられた。死装束ということなのだろうか。
夜の間は何とも思わなかったのに、着替えをしてからは、酷く早く鼓動が打ち付けて胸が痛い。
両手を後ろに縛られ、縄を着けられたまま武装した数人の男たちに連れられて外に出る。
昨夜はあんなに憔悴して体が動かなかったのに、痛みはするものの歩けるまでに回復していた。
これから処刑されるというのに皮肉なものだ。
最初のうちは建物の間を歩いていたのだが、次第にそれがなくなっていく。しばらく歩くと、地面に突き刺さった竹が並び、注連縄がぐるりと取り囲むように渡された丘があった。
広い敷地内だとは思っていたが、宮中にこんな場所があるとは思わなかった。
注連縄を潜ると急な上り坂になっている。着物姿で縛られたまま進むので、とても歩きにくい。
元々蓄積されていたダメージもあってハアハア言いながらようやく平らな場所にたどり着くと、そこは人口的に切り開かれた広場になっていた。
目の前には、この丘を取り囲んでいるのとおなじように注連縄に囲まれた水色の泉が見える。
最初と最期が似たような泉になるなんて、一体何の冗談だろうか。
広場には、揃いの服を着て武装した者達が右に数名、同様に武装した検非違使達が左に数名並んでいた。
それぞれの先頭には、瑛怜と岳雷がいる。
集団の中には、璃耀と桜凛の姿も見えた。縄でくくられ、動けないようにされている。私は申し訳なさに居た堪れなくなり目を伏せる。
私は広場の真ん中を、背中を押されながら進んでいく。
綺麗な水色の泉の手前まで来ると、遠くからではわからなかったが、岩崖のくぼみに出来た泉のようで水の中は濁って見えない。絵の具で染めたような青だ。
注連縄は泉の1mほど外側に張られていて、注連縄より内側が不自然に赤茶の土に覆われていた。草一つ生えていない。
そこに、白い三段の階段のついた台が一つ用意されていた。
一段目がしめ縄ぎりぎりに、三段目が泉の際に来るよう、設置されている。
私は、しめ縄のぎりぎりにある一段目の手前に立たされた。璃耀達は私の後方、左右に離れた位置に移動させられてくる。
それを確認すると、検非違使の一人が刺股のようなものに、なにかの肉を引っ掛けて持ってきた。
まるで泉の性質を見せつけるかのように、それを勢いをつけて泉に放り投げる。
すると、肉はジュッと音を立てて黒に染まり、その形が溶けるように水中に沈み込んでいった。
皆が息を呑む音が聞こえる。
私も、ゴクリと唾を呑みこんだ。
そういえば、硫酸湖ってあんな色味の泉では無かっただろうか。あの中に落とされたらどうなるのかなんて想像したくない。落ちた瞬間、身を焼かれることは確実だろう。
私が青ざめたまま身を竦めていると、瑛怜が私に歩み寄ってくる。
そして隣に立ち、璃耀達に目を向けながら口を僅かに開いた。
「貴方が全ての元凶です。
あの者共も、主と慕う貴方が目の前で消えれば、朝廷に従わざるを得ないでしょう。
大人しく排除されるのであれば、300年は帝位を脅かす者は現れません。あの者らは解放しても良いと主上は仰せです。
ただし、妙な抵抗をすれば、あの者共はおろか、蒼穹や宇柳、あの狸の娘も狐の村も、貴方に関わったと思われるものは全て、諸共排除されることでしょう。
大人しく従うことです。」
甘く囁くようなその声に、私はキツく目を閉じた。
このまま進みたくない。でも、私が行かなければ、皆が同じ目にあうかもしれない。
私はすぅっと息を吸い込む。
拷問を受けるほどの長い時間じゃない。一瞬で終わるはずだ。
そう、必死に自分に言い聞かせて心を鎮める。
ふと、背後からこちらに近づいてくる音がザッザッと聞こえた。
私は振り返らないようにグッと背中と腕をおさえられる。隣にいた瑛怜が目を見開いてザザっ進み出ていき、同時に岳雷の声が響いた。
「翠雨様、どうされたのです?」
「私の命じた処刑だからな。確認に来た」
落ち着いた声音が響く。
……カミちゃん……?
それに反応したのは私だけではなかった。
「おのれ、翠雨!!」
璃耀が今まで聞いたことのない声で怒声を上げる。ただ、すぐにガッと言う音が聞こえ、それ以上何も聞こえなくなった。
「よい」
という言葉が聞こえたあと、ふっと隣に何者かの気配を感じた。
「近づくのはお止めください!」
周囲がざわめく音が聞こえて、私はそちらに目を向けようと首を動かそうとした。
しかし、目を向けきらないうちに、
「ここは始まりの泉と同じです。必ず生きて」
という、本当に本当に小さな、消え入るようなカミちゃんの声が聞こえてきた。
見ると、カミちゃんは既に体の向きを変えて踵を返すところだった。
「顔を確かめただけだ。あとは任せる。」
そう言うと、瑛怜と岳雷はカミちゃんに向かって跪いて礼をした。
「お任せください。」
……始まりの泉……?
私とカミちゃんが出合い、私がこの世界で初めて意識を持った場所は泉だった。ちょうど、この泉と同じきれいな水色の。
カミちゃんはその事を言っているのだろうか。
あれは、陽の気に満ちた山の、陽の泉だったはずだ。そのせいで周囲の土地には毒草が生え、危険な場所が多いのだと聞いた。
私はあの泉の水に触れている。
正確には転んでずぶ濡れになっている。
この泉も陽の気の泉なのだろうか……
もしそうなのだとしたら、妖の誰もが近づけず死の泉と呼ばれていようが、私だけは少なくともあの肉塊のようになることは無いのだろう。
私が考えている間にも、私の手足を縛る紐が鎖に変えられ、さらに重しが括り付けられる。
万が一にも浮いてこないようにするためだろう。
私は足の重りを見てヒヤッとする。もしも陽の気の泉だとしても、溺死するのでは、という考えが頭に浮かんだ。
背中を強く小突かれる。重い足を引きずりながら泉の方に長い刺股で押し出されるように階段を登る。
頭の中には、先程落とされた肉の映像が繰り返し繰り返し流れてくる。
私はギュッと目を閉じた。
「白月様!」
悲鳴のような声が響いてくるが、私は振り返ることもできない。
祈るような思いで階段を登り切ると、私の背は不意に刺股でトンっと強く押された。
そして抵抗も許されずに私は泉へ体を放りだされた。
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