第28話 朝廷の使者
大嵐のあと、村人総出で仮住まいが建てられた。いくつも建てるわけにはいかないので、複数の家族で一つを使う避難所だ。
私達もその中の一つに居候させてもらい、村の復興のお手伝いをしていた。ここに留まって既に一月程になる。
村の場所は、以前の場所から丘の上に移された。ここならば、今後同じようなことが起こっても問題ないだろう。
一部の者は、元の村に戻って必要なものを掘り返し、一部の者は家造り、また一部の者は道具作りと大忙しだ。
あれ程の災害だったにも関わらず、村人達に死人が出なかったこともあり皆の顔は前向きで明るい。
トンテンカンテンと木を叩く心地いい音が周囲に響く。きっと、それほどかからず以前のような生活に戻れるだろう。
急な来客があったのは、そんなある日の夕方だった。
皆とともに仕事を終えて仮住まいに戻って一休みしていると、一人の子どもが私の元へパタパタと駆け寄ってきた。
「都からの使いの人が外でよんでるよ」
「都から?」
使いの者が来るなんて、悪い予感しかしない。前回は貴族に呼び出されたときだった。
私は横にいた桜凛と目を合わせる。
璃耀に相談したほうが良さそうだ、と探したけれど、村の男達に捕まっていて出てこれそうもない。
「私がお供しましょう」
と桜凛に言われ、子どもに手を引かれるままに私は外に出た。もちろん、人の姿になって、だ。
外に出ると、狼の面を頭につけた身綺麗な男が立っていた。私達が扉から出てくるのを見ると、柔和な笑みを浮かべて近寄ってくる。
「ようやく見つけました。途中で嵐にあい、匂いを辿れなくなってしまったので苦労しました。
貴方が嵯馼殿の屋敷で歌を披露したという兎ですね。桜凛殿も一緒とは、都合が良い」
嵯馼という名には聞き覚えがある。確か、屋敷に連れられ歌をうたわされた貴族の名だ。
それにしても、桜凛とは顔見知りなのだろうか。
私が一歩後ろにいる桜凛を振り返ると、彼女は厳しい顔で使者を見返していた。
「検非違使の方が、何故このような村まで?」
……検非違使?
大昔、それこそ平安時代くらいの警察みたいなものだっただろうか。
この世界でも同じ役割なのかは知らないが、警察に連行されるようなことをした覚えはない。
……たぶん。
「いえ、普段の御役目とは違うのですが、鼻のきく我々に、何としても例の兎を連れてこいと勅令が下りまして。下っ端総出でこちらの方を探すことになったのです。
期日には間に合いそうですし、見つかってホッといたしました。」
検非違使の普段の御役目とは違うということは、いきなり逮捕されるということはないのだろうが、イマイチよくわからない。この人は、一体何をしにここに来たのだろうか。
「あの、それで、私に何か……?」
使者は桜凛から私に視線を移すとニコリと笑い、懐から一枚の紙を出した。
私はそれを受け取るが、そのまま桜凛に渡して読んでもらう。文字を習い始めたばかりだ。私に読める訳が無い。
桜凛はそれを読み上げつつ、次第に表情を青ざめさせていく。
「つまり、帝が主催する宴で白月様に歌を披露せよと……」
私もその言葉に絶句する。
下手にトラブルに巻き込まれないように京を出たというのに、国のトップから声が掛かったということだ。
「こちらは勅書となりますので、是非ご同行を」
使者は恭しく一礼する。
私と桜凛が顔を見合わせていると突然背後から別の声が投げかけられた。
「白月様は雅楽寮の者ではありませんよ」
驚いて振り返ると、紗を被った見知らぬ女性が、桜凛と私の後ろに立っていた。
背が高く、紗の向こうにチラッと見えるその顔は中々の美人だ。こんな女性、この村に居ただろうかと記憶を探るが、全く思い当たらない。
使者は笑みを崩さないまま、女性に視線を移す。
「存じていますよ。ただ、大層素晴らしい歌声だという噂で宮中はもちきりです。主上も是非聴いてみたいと仰せです」
そして、桜凛に目を向ける。
「それに、うまく雅楽寮出身者が導けば問題ないでしょう」
「しかし、私は雅楽寮を抜けたものですよ」
桜凛も厳しい声で使者に訴える。
なんと、桜凛も朝廷出身者……気づけば、私の周りはそんな者ばかりではないか。
驚く私を他所に、使者も背後の女性も平然としたものだ。
「ええ。雅楽寮の大きな損失でしたね。これを機に、お戻り頂きたいと主上はお考えのようでしたが」
女性はそれを話半分に聞きながら、桜凛の手から勅書を抜き取る。ハラリと広げて中身を確認したあと、もとに戻してそのまま使者の前に突き返した。
「ご覧の通り、この村も嵐で大きな被害を受けています。その日の暮らしに精一杯な我らでは、とても宴になど赴いていられません。どうぞお引取りを」
しかし、使者は突き返された勅書を受け取ろうとはしない。
「村の復興では小さな兎に出来ることなど限られているでしょう。勅書を無視するなど、嵐の被害が可愛く思えるくらいの事態をこの村に招くことになりますよ」
使者は作りかけの家々と仮設住宅に目を向ける。
最初は柔和な男だと思ったが、顔色一つ変えずに不穏を招くような言い方をすることに背筋が寒くなる。
女性はチラッと私の顔を見る。
紗の向こうで表情を固くしたのが少しだけ見えた。
「中で相談させて下さい」
「ええ、どうぞ。私はそこの丸太でお待ちしていますので、決まりましたら声をお掛けください」
使者はそう言うと踵を返して、家を作る予定で置かれていた丸太に腰掛ける。
「中に入りましょう」
女性はそう言うと、私の背にそっと手を当てて、家の中へ促した。
パタンと家の扉を閉めると、女性に家の隅へと押し遣られる。そこには蒼穹、宇柳、楠葉がいた。
璃耀は……? と思っていると、蒼穹が私の背後にいた女性に目を向けた。
「どうだった、璃耀」
蒼穹の言葉に、私は目を見開いて女性に目を向ける。パサっと紗を取った女性は、化粧をしてはいるものの確かに璃耀によく似ている。
「……え、璃耀……?」
「ええ、都からの使者にやすやすと姿を晒すわけにはいかなかったので」
女性はなんとも無いような口調で返事をする。
先程までは確実に女性の声だったのに、その声は確かに璃耀の声だ。
まじまじと璃耀を見ていると、宇柳が苦笑した。
「我々も、突然村の女性に化粧道具と着物を借りて女性の格好をし始めた時には目を疑いました」
楠葉や周囲の村人たちは一様に頷く。
桜凛が木の実を潰して紅にしていたのを見て、村の女性たちの間に広がっていたのは知っていたが、まさか璃耀がそれを使うとは思わなかった。
「そんなことはどうでも良い」
璃耀は弛緩し始めた空気をピシャリと遮る。
「勅書だ。蛍観の宴で歌を披露せよと仰せだそうだ」
璃耀は蒼穹に向かって勅書を投げる。
「歌だと? なんでまた」
蒼穹は勅書を読みながら眉を吊り上げる。読み終わった勅書を宇柳に渡すと、宇柳もまた目を通し始めた。
「白月様が京の商店通りで歌をうたって衆目を集めたのは結構な噂になっていましたよ。御本人を目にするまでは同一人物とは思いませんでしたが」
宇柳がそう言うと、璃耀が頷く。
「あの後、たまたまその場を通り掛かった下級貴族に目を留められ屋敷に招かれたのだ。きっとそこから広がったのだろう。検非違使がわざわざ勅書を持って迎えに来る始末だ」
宇柳が、あぁー、と言いながら、わかりやすく頭を抱える。
蒼穹はチラッと私に目を向けながら、遠慮がちに口を開いた。
「その……大丈夫なのか? 帝の宴など」
「大丈夫なわけが無かろう」
璃耀は女性物の着物のままドサッとその場に無造作に座り頭を抱える。私は申し訳無さすぎて身の置場もない。
「しかし勅書だ。本来ならばこの村ごと見捨てて逃げるよう進言するのだが、本人の前で、指示に従わなければ村ごと滅ぼすと使者殿に脅された。白月様がそんなことを良しとするわけがない」
周囲がザワっと波立つ。
……え、えーと。あの、璃耀さんは私が今ここに居ることをわかって言ってるんですよね?
まるで居ない間に愚痴をこぼすような感じに仰っていますが、私のこと、見えてますよね?
しかし、そんなことは誰も気にしていないようで、話は進んでいく。
「……こうなった以上、行くしか無いでしょうね」
桜凛が仕方無さそうな声を出す。
「しかし、歌ったが最後、気づかない者が居ない訳が無い」
璃耀は悔しそうに唇を噛んで私をみる。
沈黙が流れ話し合いが停滞する。
何となく理解できていない部分がありそうだが、その雰囲気を見かねて、私はおずおずと口を開いた。
「……あ、あの……大変なことになりそうだし、私一人で行ってくるから、皆はここで……」
しかし、全てを言い切る前に、
「そんな事できるわけが無いでしょう!!!」
と、楠葉を除く仲間たち全員から凄い剣幕で怒鳴られた。
話し合いが平行線を辿りそうだったので、一番穏便そうな方法を提案したつもりだったのに……
璃耀はハア、と深い溜息をつく。
「仕方がない。この格好のまま、私と桜凛でいく。蒼穹達は何かあったときのためにこの村に居てくれ。楠葉も置いていく。どちらにせよ同行は許されないだろう」
「しかし、大丈夫なのか?」
「逃げる方法は行きながら考える。宴の最中に捕らえることなど出来ぬだろうから、出番が終わったら早々に退席して宮中を出られるようにする他無いだろうが……」
璃耀はそこで言葉を切ると、私をじっと見つめた。
「白月様、決して勝手なことはせずに、私と桜凛の指示に必ず従うと約束してください。それから、朝廷の者が居るところでは、女性である私のことは璃響とお呼びください」
璃耀のいつになく厳しい視線と口調に晒されて、否と言える訳が無い。
私は神妙な顔でコクリと頷いた。
璃耀が勅書を持った上で、使者に了承の意を伝えにいく。
使者は璃耀の同行を渋ったようだが、共をする者が女性であること、私が子どもであることを鑑みて了承させたらしい。
出発は明朝だ。ここから京までは一週間ほど。
蛍観の宴はそこから更にニ週間後だという。
璃耀はそれから、ずっと何かを考えこんでいたが、新たな方策を思いつく前に夜が明けてしまったようだった。
次の日、狐の村の者たちに見送られながら私達は村を出た。蒼穹達は万が一を考えて使者の前に姿を現さないようにと璃耀にキツく言われ、家の中に留まっている。
使者は昨日と同じ様な穏やかな笑みを浮かべて私達を案内する。
あまりに表情が変わらないので、だんだん不気味に思えてくる。
道中、少しでも璃耀たちと話したかったのだが、常に使者がそばにいるので、とても込み入った話が出来る時間はない。
使いの者に話を振られては璃耀に目線で余計な事は喋るなと訴えられ、不審な目で見られながらもごもご喋るしかない。
「人見知りが激しいのです。まだ子どもですから」
と早々に桜凛の影に隠された。
どう考えてもそんな年頃ではないが、隠れる理由ができたのは助かる。ありがたく、桜凛と璃耀の間に隠れながら歩かせてもらった。
今回披露するものは、蛍の夜に相応しいものにせよ、という注文がでているそうだ。
私が知っている中から選んで、演奏に慣れた桜凛が合わせた方が失敗は無いだろうということになったのだが、私も歌詞やメロディを完璧に覚えている訳ではない。
歌詞を書き出し、不明なところはそれっぽく埋め、メロディもそれに合わせて桜凛に作ってもらう。中々大変な作業だ。
帝の御前で披露するには短すぎる期間で、私達はとにかく練習を重ねた。
一方で、練習中は気が散るからと理由をつけて璃耀に使者を抑えてもらって場所を離れることで、唯一、桜凛とだけ話をする時間を確保した。
もちろん歌の練習をするにも、遠く離れることは重要だ。無闇矢鱈に陽の気を発することはできない。それでも出来るだけ小声になるよう気をつけた。
話をしている間も、一応カモフラージュとして演奏はしておいてもらう。
「白月様は陽の気だけ抑えるということはできないのですよね?」
桜凛は、練習の一貫に見えるように小声で囁く。
「息と同じで自然にでちゃうものだから……」
何とかできる方法があれば良いのだが、そんな都合の良い方法は知らない。
私が答えると、桜凛は「そうですか……」と残念そうに呟いた。
「それにしても、桜凜も朝廷に関わりがあったとは思わなかった」
使者が来たときのことを思い出しながら言うと、桜凛は困ったように笑う。
「もう過ぎたことですから、わざわざ口にしなかったのです」
「璃耀に蒼穹、宇柳に加えて、桜凛もだなんて」
私がそう言うと、桜凛は意味ありげに私を見る。
「……それだけではありませんよ」
そう言うと、私の胸元にある巾着を小さく指し示した。
「その中にあるのは蓮花の花でしょう。蓮花の園の主は、宮中に勤めていた、紅翅という医師です。紅翅様にもお会いしたことがあるのでは?」
何と、蓮華姫は元宮中使えの医師だったらしい。確かに何かにつけてちょっと偉そうだった気がする。しかしお医者様とは。変な人だな、位にしか思っていなかった。
「元々、璃耀たちとは面識があったの?」
「ええ、少しですが」
ああ、だから初めて会ったとき、少し変な感じがしたのか。
「ねぇ、元々朝廷に居たのなら、私が宴で歌うことで、何が起こるのかわかる?
随分璃耀達が警戒していたけど、そのまま帰してもらえるよね?ただ、歌が評判になってたから聴いてみたいだけだよね……?」
そうだったらいいなと思いつつ桜凛を見ると、彼女はゆっくり首を振った。
「……残念ながら、歌って終わり、とはならないでしょう。
失敗しても成功しても、何かしら起こってしまうと思います。
帝に招かれておいて失敗するということは、顔に泥を塗る事と同義です。まず許されません。
一方で、白月様が歌って陽の気が発せられる事で、朝廷に取り込もうという動きが出るかもしれません。陽の気が危険だと見做されれば最悪処分ということも考えられます。」
桜凛の言葉に私はザッと青ざめる。皆の様子を見ていて何かあるのだろうとは思ったけれど、どちらに転んでも処分される可能性があるなんて考えもしなかった。
「必ず成功させて帝に従順であることを見せつつ、璃耀様が言っていたように直ぐに宮中を出ることが、一番穏便に終わる方法だと思うのですが、すんなり行くかどうかは……」
桜凛は困った顔で最後の言葉を濁した。
「それにしても、璃耀様は本当に何も白月様にお伝えしていないのですね」
桜凛が溜息をついて、遠く離れた璃耀の方を見つめる。
「白月様に生き方を強要するような真似はしたくないと以前仰っていましたが、ご自身の身を守る為の情報くらいは必要でしょうに」
私は桜凛の物言いに含みがあるのが気になって、首を傾げる。
「どういうこと?」
「貴方は、何故これ程まで璃耀様が朝廷を警戒するかご存知ですか? 何故貴方の元に元々朝廷に使えていた者が集まるのか、お分かりになりますか?」
何故と言われても……皆が集まったのは、偶然の産物だと思っていたし、朝廷を警戒するのは陽の気のせいとしか聞いていない。
「白月様。貴方の持つ陽の気は、妖を葬ることが出来るほど危険な力です。」
それは知っている。幾度となくその危険性は目にしてきたし、初めて都で歌ったときには璃耀から注意もされた。
「そしてそれは、現在の帝の地位を脅かす程の力を持っているのです」
「……は? ……陽の気に晒して命を脅かすのではなく、地位を脅かすの?」
命を脅かすだけでも重大な懸念ではあるが、地位となると、また違った懸念が持ち上がる。帝を害さないように近づかなければそれでいい、という話では終わらない。
最悪、地位の簒奪を疑われれば、私がこの世から消えるまで朝廷の者は安心しないかもしれない。
「古くから居る妖程、その脅威を知っています。今の帝も、その側近もそうでしょう。
宴で歌うということは、そういった者たちの前で陽の気を晒すことに繋がります。
以前披露した瑳紋という貴族は、中枢を占める貴族たちから遠く離れた血縁の者で、比較的新しい貴族でした。そのため、貴方の危険性には気づきませんでした」
そういえば、あのとき璃耀は事前に呼び出した貴族の名前を確認していた。歌っても問題のない貴族かどうかを確認していたのだろう。
でも、そんなことはどうだっていい。一番良くわからない疑問がまだ解消されていない。
「あの、まだちょっとわからないんだけど、何で陽の気が帝の地位を脅かすことになるの?」
「陽の気を持つ者こそが帝位に就くに相応しいからです。代々帝の地位には、陰の気と陽の気を併せ持つ者がこの世に遣わされて就くことになっているのです。
陰の気しか持たない今の仮初めの帝には、貴方は最大の脅威なのです」
「……仮初め?」
「今の帝は、元々摂政、関白職に着いていたものです。それが、先帝の崩御の後、政権を掌握し帝の座を奪い取ったのです。その際に、朝廷を辞めたものも多くいます。璃耀様も、紅翅様も、私も、そのうちの一人です」
……なに、その突拍子もない話……
桜凛の話に私は言葉を失った。
ただ、それとともに、何となく今まで疑問に思いつつも聞けずに流してきた小さな引っ掛かりのそれぞれに説明がつくような気もした。
何故、皆が利もないのに半ば強引に私に着いてこようとしたのか。
何故、都に近づくに連れて璃耀がピリピリし始めたのか。
何故、商店通りや貴族の屋敷で歌ったあと、あそこまで璃耀が慌てたのか。
蓮華姫の最後の言葉だって、今思えばそういうことだったのかと腑に落ちる。
皆、帝位に就くかもしれない、陽の気を持つ私に着いてこようとしたのだ。
……でも……
私は、急にそんな話を聞いても実感なんてわかないし、今もどこか他人事にしか聞こえない。
それに、桜凛が語る話が本当だったとしても、私自身はそんなものになるつもりなんて一切ない。
そんな気もないのに、期待する皆を危険に巻き込もうとしているということだろうか。
「……陽の気を持っているから帝……?
でも、桜凛の話が本当だったとしても、私、帝になろうなんて、そんな現実味のないこと考えられないし、そんなものになろうとも思わないんだけど……
それに、皆が、そんな私に着いてきたせいで危険に巻き込まれるのなら、今からでも私から離れた方が……」
そう言いかけると、桜凛に厳しい顔で睨まれた。
「そのようなこと、二度と口にしないでください。私達は皆、全て承知の上で、覚悟を決めて貴方にお仕えしているのです」
桜凛がこんなに鋭く厳しい声を出すとは思わなかった。私が戸惑いながら桜凛を見ると、ハァ、と息を吐いて私を見つめた。
「先程も言いましたが、璃耀様は、貴方に生き方の強要をしたくないと言ったのです。それは私も同じですし、蒼穹殿達も同じ様に思うから、璃耀様の意向に従っているのでしょう」
「……生き方の強要?」
「仮初めの帝の世において、正統な資格を持つ御方に帝位に就いて頂きたいと願う者は多いでしょう。しかし、現帝を討ち滅ぼして帝位に着こうとするのは、生半可な気持ちでは成し遂げられない茨の道です。ですから、璃耀様も紅翅様も、白月様に何も言わなかったのだと思います。
いつも口うるさくは言っていますが、璃耀様も皆も、貴方のお心根をお慕いしているのですよ」
桜凛は優しい微笑みを浮かべた。
「……桜凛は私に着いてきて危険に巻き込まれてもいいの?」
「危険に巻き込まれないように、私達が貴方を導いていくのです。
それに、私は最初にお使えすると決めた時から気持ちは変わっていません。帝位にあろうと無かろうと、貴方の歌声で演奏をしていたい、それだけですから」
桜凛の屈託のない笑顔に、私は「そっか……」と小さく頷いた。
しかし、私の頭の中は話をうまく消化できず、未だ混乱状態だ。
物凄く重要で重たい話を聞いてしまった。そして帝の招きに従う危険性も嫌というほど理解してしまった。しかも、逃げようのない勅令に従うことになってしまったこのタイミングで。
璃耀は、私が望まない方向に進まないよう真実を隠しながら、いろいろなことから守ろうとしてくれていたのだろう。
今まで考えなしにいろいろやらかしてきた自分を殴り倒したくなってくる。
とぼとぼとした足取りで、璃耀達のもとに戻ると、使者殿が、眉をあげて私達を見た。
「おや、何かあったのですか?」
「いえ。今日は調子が悪く、練習がうまく進まなかったのですよ」
桜凛は微笑みながらそう言った。
しかし、璃耀は紗の向こうで、訝しげな視線を私達に向けていた。
そこから数日後、ようやく都の近くまでやってきた頃、道をまるまる塞ぐように、牛車が立ち往生しているのに遭遇した。
結構豪奢な作りだ。大層偉い人物が乗っているに違いない。
道を外れて回り込めば先に進めるのだが、使者はそれを見過ごすことは出来ないのだろう。
「ここでお待ち下さい」
と私達を牛車から離れたところで足止めした上で、様子を見に走って行った。
璃耀はそれを見つめながら、十分距離が離れたころ、ぼそっと呟くように口を開いた。
使者の様子を伺うため、牛車から視線を逸らさないままだ。
「白月様、御様子が数日前からおかしいようですが、一体何があったのです?」
「……それは……」
どう言ったらいいのか分からずに口籠ると、桜凛が同じ様に前方に視線を向けながらそれに応じた。
「全てお話ししました。ご自身のことがわからずに、身を護る行動など出来ないでしょう」
その答えに、紗の向こうに僅かに見える璃耀の口がギュっと引き結ばれるのがわかった。
「白月様は全てを知った後でも、帝位に就くつもりは無いようですが、璃耀様はそれでも白月様に付き従うのですか?」
桜凛は試すような調子で言いながら、璃耀に視線を移す。しかし璃耀は、視線を牛車に固定したまま表情も変えずにそれに答える。
「分かりきったことを聞くな。何のために今まで隠し通してきたと思っている」
璃耀の返答に満足したように、桜凛は優しい目で私を見下ろす。
「言った通りでしょう。白月様。貴方の思うまま、為さりたいようになさってください。私達は危険を退けながら、貴方についていきますから」
私はそれにどう返答していいかわからず、ただただ小さく頷くことしかできない。
私達の前方では、車輪が地面に嵌ってしまったのか、使者は私達に背を向けて他の者達と一緒に牛車を押し始めた。
それを眺めていると、璃耀がすっとしゃがんで私を正面から見上げ、手を取った。
「今まで黙っていたこと、どうかお許し下さい。しかし、私は貴方に命を救われた時に、帝位に有ろうがなかろうが貴方について御守りすると心に強く誓いました。
貴方が心のままに生きられるよう、私は精一杯尽くすとお約束しましょう。
ですから、白月様御自身も、どうか御身を大事になさって下さい。
貴方の身の上を妬み、利用しようとする悪意はどこにでも潜んでいます。害意もきっと向けられるでしょう。宮中に向かうとなれば尚更です。
どうか、周囲には重々お気を付け下さい」
真剣に懇願するように、真っ直ぐに向けられた視線を、私も真っ直ぐに見返す。
「璃耀は本当にこのままでいいの?」
「もちろんです。何処までもお供いたします」
ギュッと強く握られた手に、璃耀の不安が垣間見えたような気がした。
私は璃耀をじっと見つめ、今度は深く頷いた。
「いやはや、失礼しました。蛍観の宴には、京を離れた有力な妖も招待しているようなのですが、どうやら牛車がぬかるみに嵌ったようで、外に出すのに苦労しました。」
しばらくの後、使者は汚れた手を手拭いで拭きながら戻ってきた。着物もだいぶ汚れてしまっている。
「他所の有力な妖も、とは随分規模の大きな宴になるのですね」
「ええ。ですから、主上も噂の歌声にとても期待しているのです」
璃耀に答えながら、使者は私を見てニコリと笑った。
都に着くと、衣装の準備に追われることになった。
朝廷に着ていっても問題のない出来合いのものを桜凛と璃耀に見繕ってもらい、超特急でお直しする。あくまで下町の歌い手が招かれたという体裁であるため、ごてごてと重たい衣装を着る訳ではない。
それでも、用意された服は引きずるような薄い金に近いベージュの唐衣と黄色の表着、赤の袴、あと何枚か着せられた。
平安時代の着物って感じで可愛いんだけど、とても重い。
さらに髪を梳かれて白粉をはたかれ紅を塗られる。銀髪なのが惜しいが、何か、雛人形にでもなった気分だなと思っていると、何処からか、ほぅっというため息が漏れたのが聞こえてきた。
「このように着飾ると、まるで月の精のように見えますね。なんと儚げで美しいこと」
店側の女性だ。
売りつけようという商魂が見え隠れするので、話半分に愛想笑いで応じていたのだが、ふと桜凛に目を向けると、桜凛もまたうっとりしたような顔でこちらを見ていた。
「このように着飾ると、見違えるようですね。本当に美しいです。白月様」
と感嘆のため息をもらす。
鏡がないので自分では全くわからない。
恥ずかしいやら、居心地が悪いやらで小さくなりながら、あまり本気で受け取らないようにしておこう、と心に決めた。
桜凛と璃耀も服を用意しなければならない。桜凛は私と一緒に帝の御前に出るので、同じ様にしっかりした衣装だ。薄水色の衣が良く似合っていてとても綺麗だ。
私が桜凛に見惚れていると、桜凛は恥ずかしそうにはにかんだ。大人の女性にこう言うのも何だが、すごくかわいい。
璃耀は付き人として端に控えているだけなので、雅な着物は必要ない。それに、女性の姿を装っているだけなので、着付けで店の者に余計な事を言われないよう、桜凛が二着買う形で璃耀の分も手に入れた。
璃耀は店の外だ。
「貴方はよろしいので?」
と聞かれていたが、
「桜凛のほうが見立てにたけているので任せているのです。それに私は御前には出ませんから」
と言いながら、使者の相手をしてくれていた。
あれからというもの、璃耀とほとんど話せていない。
不用意な会話をして余計なことを察知させないためだが、それが何だか心細いし、どうなってしまうのだろうと不安を掻き立てる。
グッと奥歯を噛んでいると、桜凛が私の前でふわっと膝をついて両手を握った。
「きっと、何もかもうまく行きます。まずは無事に披露を終えることを考えましょう」
心配してくれている桜凛に少しだけ笑みを見せて、私は小さくコクリと頷いた。
都では宿を取りしばらく滞在していたのだが、使者は私達が信用出来ないのか、どこに行くにも着いてくる。宿も、同じ部屋を間仕切りで隔てた向こう側で私達に付き添っていた。
仮にも女性が3人いる中で、良く知らない男性が同じ部屋に居ることに違和感しかないが、余計な疑惑の目を避けるために、拒否をしないほうが良いと璃耀が判断した。
歌の練習は宿の迷惑にならないようにと、昼間都の外に出て行なう。今まで通り、璃耀に使者の相手をしてもらい、桜凛と二人、離れたところで練習だ。
都までの道中とここでの練習で、何とか形になってきたと思う。桜凛も、
「この調子なら大丈夫でしょう」
と胸を撫で下ろしていた。
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