第27話 嵐の夜

 その日、朝から黒い雲が空に立ち込め、ただでさえ薄暗い妖の世は更に暗く、心がざわめくような不気味な雰囲気で満たされていた。

 風が徐々に強くなり、生暖かい空気が漂う。嵐の前の状態のようだ。


 村の者達も、仕事を休み嵐に備えて準備をしている。雨が降り出す前に、と大忙しだ。


 昼前に降り出した雨はあっという間に雨量を増した。強い風雨がドアに打ち付け、ガタガタと大きな音をならす。風もすごいのだが、雨の音が尋常じゃなく響く。窓がないので確認はできないが、外はきっと大雨なのだろう。ザァっという音が家の中でも煩く聞こえるくらいだ。時々雷が鳴り響き、大嵐の様相を呈している。

 村向こうにあった川が増水して氾濫したりしないか心配だ。


 楠葉は一人では怖いようで、ピタリと桜凜にしがみついていた。

 気分を紛らわすために、桜凜が楠葉に引っ付かれながらも音楽を奏でてくれて、少し気分も落ち着いたようだ。


 私は大してやることもないので、おばあちゃんの家の麻紐を撚りながら、時々ループする昔話を聞いていた。


 この村のことや昔都に行ったときの話、蒼穹の子どもの頃の話などだ。

 蒼穹は子ども時代、相当いたずらっ子だったようで、おばあちゃんは散々苦労したそうだ。村を出て課試を受け、軍団に入ると言い出した時には大層感動したのだと涙を拭きながら言った。


「おい、ばあちゃん。それくらいにしてくれよ。」


 蒼穹が照れ混じりにおばあちゃんを止めようとしたそのときだった。

 不意に家の外でガラガラっと何かが崩れてくるような音が聞こえたのだ。

 土砂崩れが起こる前には、崖から小石が落ちてきたり、いつもは出ていない場所から水が吹き出したりすると聞いたことがある。

 おばあちゃんの家は、急斜面のすぐ下だ。

 私は不安になって立ち上がった。


「どうされました? 白月様。」

「ちょっと外の様子を見てくる。」


 桜凜に答えを返すと、璃耀が厳しい声でたしなめる。


「このような天気の中、危険です。」


 しかし、万が一のことを考えると、ここに留まる方が危険かもしれないのだ。私は小さく首を振る。


「すぐに戻ってくるからここに居て。」


 私はそのまま扉に向かう。


「白月様!」


 璃耀が私を呼び止めようと立ち上がりかけたが、蒼穹に押し留められた。


「私が共に行く。お主はここにいろ」


 風が吹き付けて重たい扉を開けると、ザッと雨風が家の中に吹き込んでくる。

 うっと少し怯んだが、気合を入れて外に出る。蒼穹が少し前に出て、私を庇うように立ってくれた。


「どちらへ?」


 風雨に邪魔されて蒼穹の声が聞き取りにくい。

 私は声を張り上げる。


「家の裏の斜面を見に行きたいの!」


 すると、蒼穹は大きく頷いて私を先導するように家の裏に向かう。斜面と家に挟まれて、いくらか風が弱まった気がする。


 斜面からは、思った通り下の方に石がいくつかゴロゴロ転がっていて、時々、パラパラ落ちてくる様子がある。

 しかも、私の目線より上の方の斜面から水が少し出ているように見えた。斜面を伝う雨水に交じり、明らかに途中から水量が増している。


 私は蒼穹の袖をクイッと引っ張って、足早に家に戻った。


「この家をすぐに出よう。避難したほうがいいと思う」


 扉を開けて開口一番にそう言うと、おばあちゃん以外の家にいた全員が驚いたような顔で一様にこちらを見た。


「一体どうしたというのです?」


 びしょ濡れの私に目を向けたあと、璃耀は状況を問うように蒼穹に目をむける。しかし、蒼穹も意味がわからない、というように首を振った。


「多分、そのうち土砂崩れが起こると思う。起こらなかったとしても、避難だけはしておいたほうがいい。

 蒼穹、山から離れた場所に高台がどこかない?裏の山が崩れた時に土砂が流れてこない場所がいいんだけど。あと、川からも離れたい」

「ここから少し歩いたところに丘があるが……」


 蒼穹はそう言いながら、戸惑ったように仲間たちの顔を見まわす。


「でも、こんな雨の中外に出るなんて……」


 宇柳は後ろ向きだ。

 しかし、こんな問答をしている間にも避難したいし、可能であれば周囲の家にも避難を呼びかけたほうがいい。

 どうしたら皆が納得してくれるんだろう、と思っていると、ずっと黙っていたおばあちゃんがおっとり口を開いた。


「山が崩れるのかい?」

「うん、多分」


 私が緊張した声音で応えると、おばあちゃんが静かに頷いてよっこらせと立ち上がった。


「ばあちゃん?」

「随分昔になるがね、こんな嵐の夜に、山の向こう側が崩れたことがあるんだよ。もう知っている者も少ないかもしれないね。たくさん巻き込まれて大変なことになったんだよ。うちは山のすぐ下だからね。こういう時もいつか来るかもしれないと思っていたのさ」


 おばあちゃんが箕を羽織りながらそう言うと、皆が難しい顔をした。


「おばあちゃん、丘の上だったら大丈夫だと思う?」

「ああ、あそこなら周りに何もないし大丈夫だろうね」


 私は頷くと、扉近くまで来たおばあちゃんの手を握った。


「じゃあ、行こう」


 おばあちゃんの言葉が効いたようで、皆も早々に立ち上がる。


「蒼穹、村の皆におばあちゃんの言葉と今の状況を伝えて早めに避難させて。多分、蒼穹の言葉のほうが皆聞くと思うから。おばあちゃんは私が連れてく。楠葉は私と一緒に。他の皆は、蒼穹に協力して、村の人達の避難を手伝って。いつ崩れるかわからないから、荷物は最小でね。おばあちゃんを避難させたら私も手伝う。山の様子を見て、異変があったら直ぐに逃げて」


 蒼穹は頷くと、皆を連れてすぐに家を飛び出して行った。璃耀だけがもの言いたげに私達を見ていたが、すぐに蒼穹に腕を掴まれ連れて行かれた。


 私と楠葉はおばあちゃんに教えてもらいながら丘に向かって移動する。一時よりは弱まったものの、まだまだ風も雨も強く、移動するだけでも大変だ。


 ようやく高台に登ると、蒼穹達が家々を周り、村の者が徐々に避難し始める様子がよく分かった。


「川の水が凄く増えて流れが速いです、白月様」


 楠葉が川の方を指さして言う。私もそちらに目を向けると、子どもが一人、フラフラと川に近づいて行くのが目に入った。


「楠葉、おばあちゃんお願い!」


 私は楠葉におばあちゃんをたくし、一目散に高台を下り川を目指す。

 途中で村の者を案内してきた宇柳とすれ違い、


「白月様!?」


 と驚いたように声をかけられた。しかし、説明の時間が惜しい。


「川に行ってくる!」


 私はそれだけ言って、横をすり抜け、ひとまず子どもを川から離すのを優先させた。


 川辺に着くと、子どもが、物珍しそうに川を覗き込んでいるところだった。


「危ないから離れなさい」と声をかけようとした。しかし不意に上流の方からドドドっという音が聞こえ、それが物凄いスピードで近づいてくるのが分かった。


 私は咄嗟に子どもに駆け寄り、腕をグッと掴んだ。しかしその瞬間、物凄い衝撃が足元から私達を掬うようにぶつかり、あっという間に目の前が渦巻く濁った水で満たされた。

 洗濯機の中にでもいるようにグルグルと水の中で掻き回されるような感覚があり、それでも子どもの手は離すまいとなんとか手に力を入れる。

 容赦なく濁流は襲ってくる。濁った川面から出たり潜ったりを繰り返し水面を出た隙に必死に息を吸い込む。

 もがきながらもなんとか子どもを引き寄せたと思った瞬間、私の背中にドスンという強い衝撃が走り、痛みが全身に広がった。

 何かに引っかかったようで、そのおかげで子どもを抱きかかえることができたし、なんとか濁流に流されることなく川面から顔を出すことが出来た。ただ、子どもは意識を失っているようで、獣の姿でぐったりしている。


 私達が引っかかったのは、木の幹のようだった。恐らく増水した川が決壊し、周囲の土地に広がって流れ始めたのだろう。

 私達は運良く、浸水した木の幹に引っかかったらしい。

 私は背中が痛むのを堪えながら木の幹を離さないようにしがみつき、子どもを自分の腕と頭と木の幹を利用して、上の方の枝に避難させる。落とさないように注意しながら、なんとか二股になっている部分に移動させることが出来た。

 今度は自分の番だ。しかし、思った以上に体力を消耗しているのか、木の幹に捕まっているので精一杯でどうしても木に登ることができない。

 背後から、自分たちのように大きな何かが濁流に乗ってぶつかる前に上に登りたいのだが、体がどうにも動かない。


 しばらく川の流れに何とか耐えつつ、打開方法を必死で考える。でも、いい案が全く浮かばない。どうしたらいいだろうと考えていると、遠くから自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。


 いったいどこから聞こえるのだろう、と周囲を見回す。すると、今度はハッキリ真上から聞こえてきた。


「白月様、宇柳です! 助けに来ました!」


 声の主を見上げると、そこには一羽の梟が飛んでいた。


「……宇柳?」

「はい!」


 その梟は宇柳で間違いないようだ。宇柳は強風に煽られつつなんとか耐えるように羽ばたいている。

 ずっと狐だと思いこんでいたが、そんなことはどうでも良い。

 助けが来たことに私は安堵の息を吐いた。


「ありがとう、宇柳! 子どもをお願い!」


 しかし宇柳はそこで、戸惑ったように私と子どもを見比べ始める。


「で、でも、璃耀様に白月様を優先しろと命じられて……」

「そんなもの、子どもが優先に決まってるでしょう!」


 私が叫ぶように言うと、宇柳は弾かれたように


「はいぃ!」


と返事をして、子どもを摑んで飛び立った。


 子どもを助けなければ、という使命が達成でき、私はふっと気が緩んだ。

 瞬間、幹を掴んでいた手がズルっと滑り、川の勢いに体が押される。

 不味い、と思ったときには、再び私は水の中に沈んでいた。


 私は濁流に揉まれて水面を見失った。川や海に流されたときには何もせずに力を抜けと言われるが、こういう場合にも当てはまるのだろうか。

 何れにしても、私にはもがいて足掻くような力があまり残っていない。

 ふっと力を抜いて流れに身を委ねると、水面近くに体が出たことが分かった。

 すると、ガッと自分の胴の部分が何かに引っかかる感じがした。そして、ザバッという音とともに浮遊感に襲われる。

 何事かとゆっくり目を開けると、蒼穹が私を抱えて顔を覗き込んでいるところだった。

 私が目を開けたのを確認すると、蒼穹はほっと息をついて、困ったような顔で笑った。


「あんまり宇柳を虐めないでやってください。岸で璃耀が激怒していましたよ。」

「……ごめんなさい。子どもは大丈夫?」


 私が尋ねると、蒼穹は目を細めて優しく微笑んだ。


「はい。村の子どもを救ってくださって、ありがとうございました」


 蒼穹は私をぐっと抱き上げて川の上を歩く。どうやら突き出した倒木を橋代わりにして私を引き上げたようだ。


 岸につくと、心配して駆け寄る璃耀の後ろで、涙目の宇柳がほっと胸をなでおろし、


「良かったです、本当に」


と実感のこもった声を出した。


 蒼穹に抱きかかえられ、璃耀に「これだから楠葉と二人にしたくなかったのです」とくどくど説教されながら、ヘトヘトになって丘に戻る頃には、雨風がようやく落ち着いてきているようだった。


 子どもの両親に涙ながらにお礼を言われ、その一方で


「嵐も収まってきたし、そろそろ家に戻ってもいいんじゃないか?」


と村の男が不満を漏らしたそのときだった。


 ドドドッという地響きがし、土砂が雪崩のように山を滑り落ちる姿が丘の上からハッキリ見えた。

 土砂は木々をなぎ倒し、狐の村を飲み込んでいく。

 皆が言葉をなくしたように、呆然とその光景を見ていた。


「誰もあそこに残っていないんだよね?」


 私が尋ねると、蒼穹がコクリと頷いた。


「皆、避難済みです。白月様が気づいて避難していなかったら、どうなっていたことか」


 周囲の皆がゴクリと唾を飲み込んだのが聞こえた。

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