第26話 狐の村

 峠を降りた私達は、当初の予定通り、ひとまず蒼穹の故郷へ行ってみることに決めた。

 都で情報を得ることが出来ないのなら、近隣の村でカミちゃんの情報収集だ。もちろん、大工道具も手に入れたい。


 村へは、出発から一日で到着した。鍛冶の村らしく、あちらこちらからキンキンカンカンという鋭い金属音が響いてくる。

 たくさんの家々があり、鍛冶場で働く者達、家事や育児をする者達、その間を走り回る子ども達と、大変活気がある。

 誰も彼もが、狐の妖だ。


 村に足を踏み入れると、走り回っていた子どものうちの一人がこちらに気づき、大きな声を上げた。


「蒼穹だ! 蒼穹が帰ってきたよ!」


 すると、それを聞きつけた狐たちが仕事の手を止めて集まってきて、あっという間に蒼穹はたくさんの者たちに囲まれた。皆一様に蒼穹の帰省を喜び、労いの言葉をかけている。大人気だ。


 子ども達が群がる様子を見るに、好かれる人柄もあるのだろうが、人気の理由はそれだけではないような気がした。宇柳を見ると、微笑ましげに蒼穹を見遣りニコリと笑う。


「課試に受かって朝廷に仕えるということは、それだけ誇らしいことなのです」

「課試?」

「朝廷に仕えるための試験です。生粋の貴族がそれほど多くないので、地方から広く優秀なものを集めるのですが、給金が良いので凄く競争が激しいのですよ」


 昔、科挙というものすごく難しい試験があったと世界史で習った気もするが、それと似たようなものだろうか。


「蒼穹って頭がいいんだ……」


 私が感心して呟くと、近くで蒼穹の様子を見ていた璃耀が苦笑した。


「いえ、希望するのが武官か文官かによって求められる能力が異なります。武官で最も重要なのは腕っぷしですから」


 腕っぷしか……と思いながら宇柳に目をむける。すると、宇柳は私が言いたいことが分かったようで、項垂れながら小さく首を振った。


「私も課試ですが、もとは文官志望だったのです。それが、試験の時にいろいろあって、蒼穹さんに目をつけられてしまって……」

「いろいろ?」

「……はい。話すと長いのです……」


 宇柳は何かを思い出すように、遠い目をして空を見つめる。

 いったい何があったんだろうと首を傾げているあいだに、一通り村の者と挨拶をし終わった蒼穹が一匹の狐を連れて戻ってきた。

 宇柳と蒼穹の馴れ初めを聞きそびれてしまったが、また今度聞かせてもらうことにしよう。


 蒼穹の連れてきた狐は、近くで見ると筋肉質な体つきをしていて、粗末な着物をまとっている。恐らく作業着なのだろう。


「私が知る中では、一番の鍛冶職人です。ノコギリとやらを相談してみては?」


 蒼穹に紹介されて私達は互いに挨拶を交わす。

 狐の姿だと、若いのか歳を取っているのかわかりにくい。ただ、声や話方の感じで中年くらいかな、とあたりをつけた。


「それで、どんなものが欲しいんだい?」


 職人のおじさんは人の良さそうな笑みで私を見る。人気者の蒼穹が口利きしてくれるのはすごく助かる。


 私は早速、おじさんに皆にしたのと同じような説明をし始めた。

 地面に棒で図解し、仕組みの部分もしっかり伝える。


「出来ると結構木材の加工とかしやすくなると思うんだけど……」


 一通り説明を終えると、おじさんは地面の説明図を見ながら、うーん、と唸った。


「なかなか難しいとは思うが、少し考える時間をくれないか」


 難しい顔つきでそうは言っているものの、木札に地面の図を写して考え込む姿は難解なパズルにでも取り組んでいるようで、少し楽しそうにも見える。


 職人さんが本腰を入れて考えてくれるなら、きっと任せておいて大丈夫だろう。


 私はそう思い、一つ頷いた。



 おじさんが作業に戻って行ったあと、私達は宇柳の案内で村を回る。鍛冶の作業を見るのは遠目からでも結構面白い。

途中、カミちゃんのことも聞いてまわる。しかし、誰に聞いても、情報は得られないままだった。


「もう、紙太のことは諦めたらいかがです?」


 何名かに話を聞いたところで、璃耀は呆れたように私を見た。


「でも……」

「紙太だって、一人で何もできないわけではないでしょう。あんななりでも楠葉よりもしっかりしているくらいです。どうせいつもの気まぐれです。放っておけばいいのです」

「……でも、何かに巻き込まれてたら……」

「そうであっても紙太ならば自分でなんとかするでしょう。」


 私はむぅと唇を尖らせる。

 無事なら無事でそれでいい。それがわからないから心配して探してるのに。


 私の表情を見て、桜凛がなだめるように私の両肩にそっと手を置いた。


「白月様、紙太について、私達にも教えてくださいませ。何かわかるかもしれませんよ」


 そう言われて、私はカミちゃんとの出会いや遭遇した出来事を皆に語って聞かせる。

 そういえば、璃耀や楠葉に話すのも初めてだったかもしれない。


 最初の出会いや、蓮華姫の話、羊家族の話、山羊七の話、楠葉との出会い、ヤマタノオロチの話。


 しかし、そこまで話したところで璃耀から突然ストップがかかった。


「ヤマタノオロチの話は聞いたことがありましたが、動物が寄ってきたなど初耳です。白月様は、御自身が歌をうたうとどのようになるのか、自覚があったということですか?」


 わざわざ押し隠していた事を自供したことに気づき、私は慌てて自分の口を塞ぐ。

 璃耀は口元に笑みを浮かべたまま、その目を厳しく見定めるように細める。


「あれ程、何もしないようにと言ってあったのに、偶然あのような事態になったのではなく、自覚があってあの騒動を起こしたのですか?」


 う……うう。怖すぎる。もう終わった事なのに……


 璃耀はそこから楠葉に目を移す。


「さらに、楠葉はそれを承知の上で、白月様を止めなかったのか?」


 楠葉はヒィっと息を呑んで、桜凛の影に隠れる。


 一瞬で空気が凍りついたのを打開しようとしたのか、蒼穹が私達の間に入ってくれた。


「ま、まあまあ、もう終わったことなのだろう?それほど怒らなくとも……」


 しかし、今度は蒼穹が氷のような視線に晒される事になる。


「終わったことではない。白月様御自身が、自らの力を理解し危険性を自覚し制御出来るようにならねば、思わぬ危険に巻き込まれることになるし、周囲を危険に晒しかねない。其方の部下は、つい先日、それで死にかけたばかりではないか」


 璃耀の言葉に、蒼穹も私も何も言えずに口を噤む。

 結局三人でしょぼんとしながら、璃耀の説教を受けることになった。蒼穹は完全に巻き込み事故だ。

 桜凛と宇柳は遠巻きにそれを眺めているだけで助けてくれる様子はない。


 宇柳が私達の間に割って入ったのは璃耀の説教がようやく落ち着いた頃だった。


「それにしても、紙人形とは、珍しいものと旅をしてきましたね」

「珍しいって、何処かで紙人形を見たことがあるの?」


 私は期待を込めて宇柳を見上げる。しかし、宇柳はすぐに首を横に振った。


「ああ、いえ。以前、妖が紙人形に身を移して姿を隠すような事があるという話を聞いたことがあったので、その紙太とやらも、それだったのではないかと思ったのです。一度見てみたかったですね」


 宇柳は何気ない調子でそう言ったが、璃耀はそれにピクリと反応する。


「……ちょっと待て。どこぞの妖が紙人形のフリをして近づいたと?」


 璃耀が眉を顰め、蒼穹は首を捻る。


「しかし、何のために紙人形になど身を移すのだ?」


 蒼穹の問に、宇柳もまた首を捻る。


「さあ。紙人形になる利点だけで考えるならば諜報でしょうか。小さな紙片で何処にでも隠れられますし、少なくとも自分の身元は隠せます」


 ……えぇ、諜報?いやいや、ないない。


 国の重鎮や軍や警備に携わるような者に着いてくるならわかるが、わざわざ、何の伝手も目的もない兎に着いてくるようなメリットは全くない。いったい何を探るというのか。


 私は宇柳の言葉を笑って受け流す。


「大丈夫だよ。だって、この世界に来て初めて会ったのがカミちゃんだもん。探るような情報も人脈もないのに、私に着いてくる理由がないじゃない。たまたま会ったから一緒に行動していただけで大層な目的なんかないよ」


 しかし、私の言葉に璃耀と楠葉を除く皆が顔を見合わせる。さらに、璃耀はうつむき加減に何かを考えこんでしまった。


「え、何、その反応? 大丈夫だってば」


 いったい何に引っかかっているのかは知らないが、なんだか皆の反応が微妙だ。


 私が戸惑っていると、桜凛が皆の様子と私を見比べて、間を取り持つように口を開いた。


「あの、白月様から見て、紙太はどのような者だったのですか?」

「……どうって……」


 桜凛に尋ねられ、私はカミちゃんの今までの行動を思い出す。


「うーん……とにかく自由で、せっかちで、自分勝手で、横暴で……」


と指折数えていると、皆の顔が戸惑いからだんだん曇っていくのがわかった。私は慌てて顔の前で手を振る。


「で、でも、凄く頼りになるし、実際何度も助けてもらったし、優しいところもあるの! ね、楠葉?」


 私が楠葉に同意を求めると、楠葉は眉を下げる。


「……私は優しくしてもらったことはありません……」


 そういえば、カミちゃんは楠葉に対しては結構やりたい放題だった気もする……


 璃耀に目を向けると、璃耀は考えがまだまとまっていないような難しい顔をしてこちらを見た。


「私も紙太が何か害になるような事をするとは思えません。ただ、何者がいったいなんの目的であのような姿になり、共に旅をしていたのかが判然としない以上、完全に信用も出来ません」


 思わぬ四面楚歌状態に、私は唖然として言葉を失う。


 いや確かに、宇柳の話を聞いた直後に、私ではない別の誰かの話を聞いたとしたら、怪しいから離れたほうがいいのではと助言するかも知れない。


 でもカミちゃんは、ここにいる誰よりも長く一緒に旅をしてきた、頼れる相棒だったのだ。疑う余地なんてどこにもない。


 そもそも理由が無いと言っているのに、皆はいったい何を心配しているのだろう。


 戸惑う私の様子に璃耀は少しだけ表情を和らげる。


「ただ、今は紙太も我々の元を離れています。万が一戻ってくるようなことがあれば、その時に対応方法を考えれば良いでしょう」


 ……万が一戻ってくるようなことがあれば……?


 私は璃耀の物言いにピクリと眉を動かす。


「それは、もうこっちからは探すなってこと?」

「ええ。不審な者にこちらからわざわざ近づいていく必要はありません」


 璃耀は至極当然といった顔つきで、言い聞かせるように私を見た。


 私はそれに眉を顰める。


 ……今まで一緒に旅をしてきて、カミちゃんのことを知っているのに不審な者? 自分だって害があるとは思わないって言ったのに?


 しかし、二の句を告げようとした矢先、話の発端になった宇柳が慌てたように私と璃耀の間に入った。


「あの、璃耀様も皆さんも、白月様を心配なさってるだけなのです。私が聞いた話も眉唾ですし、探すだけ探して、見つかったらその時に事情を聞けばいいではないですか。ねっ!

 璃耀様も、白月様の気の済むまで見守りましょうよ!」


 私がムッと璃耀を見ると、璃耀は私と皆の顔を見回し、ハアと小さく息を吐いた。


「……わかりました。もう探すなとは言いません」


 私はもちろん、多分、璃耀も納得いってはいないのだろうが、これ以上言い合っても仕方ないと思ったのだろう。

 璃耀の諦め混じりに発せられた言葉に、私はコクリと頷いた。



「ところで宇柳さんは何で、璃耀さんは様付けで、上役の蒼穹さんはさんなのですか?」


 ピリッとした空気に話題を変えようと思ったのか、それともいつもの調子でなのかはわからないが、楠葉が小首を傾げて宇柳を見る。


 宇柳はそれを空気を変えるチャンスと見たのか、意気揚々と楠葉に目を向けた。


「それは、璃耀様がきじ……っグフ!」


 しかし、全てを言い切る前に宇柳は割と強めに璃耀に脇腹を突かれたようで、その場に涙目で蹲る。


「だ、大丈夫?」

「大丈夫です……うぅ……その……蒼穹さんは直属の上司だが、璃耀様は別の組織の上位にいらっしゃったお方だから……」


 宇柳は璃耀の方をチラチラ伺いながら弱々しく理由を述べた。

 何だかそれだけでは無さそうだが、あまり追求はしないほうがいいのだろう。宇柳が可哀想だし。


 それにしても、璃耀も朝廷に仕えてたって事だよね。都のことに詳しいわけだ。


 一緒に旅をすることになって結構経つのに、知らないことが多い。自分の事を棚に上げてカミちゃんの事をとやかく言っているが、璃耀こそ隠し事が多いのではないだろうか。


 結局、なんだかスッキリしない状態のまま、私は不満をそのまま飲み込み、カミちゃんのこともいったん棚上げにすることに決めた。

 村で大まかに話を聞いたが、これ以上の情報は出てこなそうだし、なんだか皆の前でカミちゃんを探しにくくなってしまったからだ。


 この村を出たら、またこっそり探すようにしよう。私はそう密かに決意した。



 一方、どうやら鋸づくりも難航しているようで、私達はそのまましばらく狐の村に滞在することになった。


 時々、職人のおじさんから質問を受けては、わかる範囲で答えたり、一緒に考えてアイディアを出したりして試行錯誤を繰り返す。


 職人のおじさんが鋸づくりに奮闘している間、私達は蒼穹のおばあちゃんの家にお世話になることにした。


 ずいぶんと大きな家なのだが、蒼穹はもともと両親が居らず、おばあちゃんと二人暮らしだったそうだ。


 山の下の大きな家から蒼穹が出たあとは一人暮らしで寂しかったそうで、大勢で押しかけることになったが、賑やかになるととても喜ばれた。

 とても素敵なおばあちゃんだ。


 私達は高齢で動くのが大変になってきたおばあちゃんの手伝いをしながら、蒼穹宅に滞在する。


 それから数日が過ぎた頃のことだった。

 大きな嵐がきそうだと、村の者たちが俄に騒ぎ始めた。

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