第25話 楠葉の失踪

 強引な手段を用いた桜凜を加えて、私達は京から離れて旅を続ける。


 特に行き先があるわけではない。京から離れること自体が目的だからだ。

 カミちゃんを見つけられていないし、欲しかったものも全て手に入ったわけではない。不完全燃焼だ。

 ただ、ほとぼりが覚めるまでは京に近づかないほうがいいと璃耀が強硬に言い張るので仕方がない。

 ひとまず、近くの村にでも行ってみるか、ということになったのである。


「ところで、璃耀さんも桜凛さんも、都を離れたのに、何故ずっと人の姿のままなのですか?」


 京を出てしばらくした頃、狸姿に戻った楠葉が不思議そうに二人を見ながら首を傾げた。

 ちなみに、私も、都を出てしばらくしてから兎の姿に戻っている。


 私の場合は、人の姿でいても良いのだが、着物姿が動きにくいので貫頭衣に着替えて楽になりたかったというのが一番大きい。人になると、貫頭衣のサイズが合わず、少しきつくなるのだ。


 桜凛と璃耀は顔を見合わせる。


「私は桜の妖なので、実態を持って自由に動けるようにすると、必然的にこの姿になるのです」


 よくわからないが、ドライアドのような感じなのだろうか。だとすると、実体となる木が別の場所にあるのだろうか。

 そう思って尋ねると、桜凛は少しだけ考えるように首をかしげた。


「実体、と言われると少し異なりますが、共に生まれた木があって、その木と私は運命共同体なのです。その木が枯れると私も滅び、一方で、私が消えるとその木も枯れるのです」

「それだと、故意に動けない木の方を狙われると、危険なんじゃない?」

「ええ、だから、私のような妖は、決して自分の片割れの場所を明かさないのです」


 桜凛はそう言うと、少しだけ微笑んでみせた。


「璃耀さんは何故です?」


 楠葉は璃耀を見上げる。


「何故と言われても……都で出会った者やそこで生まれた者などと居るときに、雉の姿になるのが何だか落ち着かないのだ。人前に出るときは人の姿になる、というのが染み付いているせいだと思うが」

「都に出入りする者ほど、そういう感覚の者は多いと聞きますね」


 桜凛も璃耀の言葉に頷く。


「でも、都につく前までは雉の姿の方が多かったですよね」

「都を離れると、今度は獣に近い姿になる方が普通だろう。私はそれに合わせていただけだ。こればかりは、生まれ育った環境にも寄るのではないか? 楠葉は狸の姿でいる方が落ち着くのだろう?」


 璃耀が尋ねると、楠葉は少し考えたあとに、コクンと頷いた。


 何となく、ノーメイク、スウェットで街中を出歩けるか、というような話に近いように思えた。そういう意味では、もしかしたら、璃耀は人前に出るときの出で立ちについて、すごく教育されて来たのかもしれない。


 その日、いつものように私達が先に進んでいると、前方にある石で一人の男が休憩をしていた。

 頭に狐の面をつけた、橙色の髪の男だ。

 男はこちらに気づいたように立ち上がり、人懐っこそうな表情でこちらに向かって手をふった。


 誰かの知りあいだろうかと思っていたら、璃耀が男を見てわかりやすく顔を顰めた。


「知りあい?」


と問いかけると、璃耀は一つ溜息をついた。


「京で無銭飲食で捕まっていた狐ですよ。蒼穹といいます」


 ああ、あの……


と思い出していると、蒼穹は待っていられなくなったのか、ニコニコしながらこちらに歩み寄ってきた。


「何故其方がここにいる?」


 あからさまに嫌そうな顔をする璃耀に気づかないのか、狐面の男は爽やかな笑みを浮かべる。


「軍から暇を出されたと言ったであろう。この機会に故郷に戻る途中なのだ。お仲間に美人が増えているようだが、お主らはどちらへ?」


 蒼穹は興味深そうに桜凜に目を留める。しかし、桜凜はニコッと笑うだけで視線を受け流した。


「別にどちらということも無いが」


 璃耀がそれを見ながら淡々と答える。


「特に目的地はないのか? ならば、この近くに私の故郷があるのだ。せっかくだから、共に行かぬか? 鍛冶の盛んな村だ。旅をするなら武器の一つも必要だろう」


 おぉ、桜凜狙いで誘いをかけてきたのかな?


と思っていると、璃耀は胡散臭いものでも見るような目で


「其方、一体何を考えている?」


と問いかけた。


 いや、そんな無粋なこと聞くのやめなよ。


「良いんじゃない? 行ってみたら」


 少し助け舟を出してあげようかな、という気持ちで口に出したら、璃耀に咎めるような目で睨まれた。


 ごめんなさい。


「あの、でも、鋸も結局手に入れられなかったし、鍛冶の村ならあるかなって……」


と言い訳すると、璃耀は仕方なさそうな顔で息を吐き出した。


「そういえば、京でそのようなことを言っていましたね」

「のこぎり……?聞いたことが無いが……」


 蒼穹は首をひねる。


「じゃあ、こっちでは違う名前なのかな。こういうのなんだけど……」


 私は以前、璃耀にしたのと同じ説明をしつつ近くにあった枝を使って図解する。しかし、私を除く4人は首を傾げるばかりだ。


「え、鋸ないの?」

「板を加工するときは、ちょうなや槍鉋というものを使うらしいですからね。使うにはコツがいると聞いたことがあります」

「お主、よく知っているな」


 蒼穹が関心したような声を出す。


「使うのにコツがいるなら私じゃムリかな……」


 ううーむ、と考え込む私を見て、璃耀が苦笑する。


「さすがに白月様では難しいかと」

「それで何を作ろうとしたのです?」


 桜凜に問われて、私は自分の家を思い浮かべる。一応ベッドと囲炉裏は作ったし、座椅子のようなものもある。


 でも、今あるベッドは地面に竹を敷いただけだ。下がむき出しの土であることを考えると高さがほしい。

 床を小上がりのようにしてフローリングにできるとベストだけど、さすがにちょっと厳しいだろうか。厚さも揃えないといけないし。まあ、床は竹でもいいんだけど、竹の加工にも鋸があると便利なんだよね。自分で切れるし。


 テーブルも欲しかったが、床を竹で埋めるなら安定しないからちょっと諦めたほうがいいかも。

 それを言ったらベッドもそうだが、ベッドの真下くらいは板を敷いてもいいし、地面むき出しでも別にいいだろう。


もう少し色々考えどころもあるが、とりあえず、

鋸があれば出来ることが増える。ついでに鉋もほしい。


「まあでも、ひとまず寝台かな」

「買うのではなく、白月様が作るのですか?」

「そうだよ」


色々考えながら言ったら、桜凜に目を丸くして驚かれた。


……まあ、大半を山羊七さんに作ってもらうことになりそうだけど……


でも、いずれにしても日曜大工が出来るくらいの工具が欲しいのだ。


「鍛冶の村に行ったら作って貰えないかな……」


と呟いたら、


「報酬にもよるが、腕のいい職人が多いから、相談してみてはどうか。私が紹介しよう」


と蒼穹が自信有りげに言った。紹介してもらえるのは有り難い。私はそれに一も二もなく頷いた。

 璃耀が少し苦い顔をしているのが気になるが、欲しかったものが手に入りそうなのだ。諦めるつもりはない。


「では決まりだな。俺は蒼穹。そちらは?」

「白月です」

「楠葉……」

「桜凜です」


 楠葉は私に半分隠れながら、桜凜はキレイな作り笑顔でそれぞれ挨拶を交わした。


「ここから歩けば明日には着けるだろう。日も傾き始めたし、手頃な場所で野営して、明日出発しよう」


 蒼穹の一言で、近場で野営することが決定した。


 ひとまず、薪拾いだ。

 いつもは楠葉が行くのだが、野営地の手前で何故かなにもないのに急に転んで泣き出した。

 擦り傷程度で足に異常は無さそうだがシクシク泣いているのを見かねて、私と桜凜で拾いに行くことになった。


「山の中で聞く者もいませんし、後で少しだけ歌を聞かせてくださいませ」


とウキウキ顔で桜凜にねだられた。

 璃耀は反対したのだが、桜凜が全く譲らなかったため最終的に璃耀が折れた。


 璃耀は少し話したいことがあると蒼穹を連れ出し、私達とは逆の方向に向かって行った。歌声を聞かせない意味もあったのかもしれない。

 楠葉は一人で野営地の見張りをしつつお留守番だ。


 私達が薪を抱えて戻ったのは、それから小一時間ほどしてからの事だった。


「あれ、楠葉は?」


 戻ってみると、野営場所で留守番をしていたはずの楠葉がいない。

 私と桜凜が周囲を見回していると、蒼穹と璃耀も帰ってきた。


 楠葉が居なかったことを伝えたら、璃耀が周囲を見渡して、一枚の紙切れを見つけた。


「置き手紙ですね」


 手紙?

 楠葉は字が書けただろうか。というか、そもそも紙などあっただろうか。


 ちなみに、私は文字が読めないままだ。

 読み書きできる者がいるならば、今のうちに教えてもらったほうがいいかもしれない。


 璃耀はそれを拾い上げ、ペラりと捲る。


「狸は預かった。返してほしくば、兎に荷物一式を持たせ峠の廃墟へ一人で来させろ、という意味の事が書かれています」


 璃耀は淡々と手紙を読み上げる。


「え、楠葉、誘拐されたの!?」


 私が声をあげると、璃耀は「そのようですね」と頷く。それにしては反応が薄すぎるのではなかろうか。


 それに、桜凜は手紙の別の箇所に反応して思案顔になっている。


「峠の廃墟ですか……」

「桜凜は行ったことがあるのか?」


 蒼穹が片眉をあげて桜凜をみる。


「いえ、話を聞いただけなのですが……でも、あの峠は……」


 桜凜はそこまで言うと口ごもる。


「何かあるの?」


 私が尋ねると、桜凜は困ったように頬に手を当てた。


「昔の妖と人の古戦場のようなのですが、そこで死んだ人間が化けて出て悪さするようなのです」


 ……うん? 妖と人の古戦場?

 以前、蓮華姫に、この妖世界に人なんて居ないと言われた気がするけど……


「この妖の世にも人がいるの?」

「いえ、今はいません。昔、妖の世と人の世が混じり合っていた時代のことです。ただ、その名残が今もあるようなのです」


 へぇ。そんな時代があったんだ。

 確かに、今ポコポコ空いている結界がすべて解ければ、2つの世界は繋がってしまうだろうし、そういう時代もあったのかもしれない。

 昔がいつかはわからないが、江戸時代より前だとしたら、戦をして当時の人間が勝てる気は一切しないが。


 それにしても、落ち武者が出る峠か……

 できれば行きたくない場所だ。しかし、今は楠葉が捕らえられてしまっている。荷物なんてどうだっていいから、返してもらわなくては。

 きっと今頃、あの泣き虫は一人で泣きじゃくっていることだろう。


「桜凜、その峠、どこにあるの?」

「まさか、行く気ではありませんよね」


 璃耀が眉を潜める。


「行く気だけど」

「お考え直しください。そのような良くわからぬ場所に赴くなど……」

「でも、行かないと楠葉を返してもらえないでしょう」

「そうですが、正直、楠葉一人のために……」

「璃耀」


 私がギロっと璃耀を睨むと、璃耀はフッと口を噤んだ。


「では、途中まで皆で行きましょう。ずっと見張られているわけでもないでしょうし、引き渡し場所の近くまでは皆で行っても大丈夫でしょう」


 桜凛がそう提案すると、璃耀は不満顔のまま、皆で一緒に行くならばとしぶしぶ頷いた。



 ひとまず、廃墟のある峠に向けて私達は歩みを進める。桜凜曰く、落ち武者は妖を目の敵にしているらしく、一応人の形をして行ったほうが良いとのことだったので、全員が人の形のまま進む。


 険しい道は続くが、山羊七のところまでに通った道のりを考えれば大した事ない。


 桜凜が先導し、私、璃耀、蒼穹の順で進む。璃耀が少しだけ蒼穹を警戒しているようなのが気になる。京で会った時には随分仲が良かったように見えたが、そうでは無いのだろうか。


 とはいえ、特に障害もなく順調に登り進める。

 だいぶ山道を登り、桜凜が「そろそろです」と言った頃、向こう側にうっすら、大きな建物が見えてきた。


「落ち武者、出なかったね」


 私がホッと胸をなでおろすと、璃耀が厳しい顔で首を降った。


「まだ油断されないほうが良いかと」

「しかし、そろそろ我々は離れた方が良いかもしれん」


 蒼穹がフッと腕を上げて薄っすら見えていた建物の方を指し示す。

 だいぶ建物の輪郭がハッキリしてきている。

 大きな建物のように見えていたそれは、朽ちた神社のようで、石造りの鳥居が危なげに傾いているようだった。


 もともと薄暗い妖の世界で、その様がよりおどろおどろしさを増長させている。


 私はゴクリと唾を飲み込んだ。


「大丈夫ですか、白月様」


 桜凜が心配そうに私の顔を覗き込む。

 こういう時こそカミちゃんが居てくれたらいいのにと思わずにいられない。

 大丈夫ではないが、大丈夫と思って行くしかない。楠葉が待ってるのなら尚更だ。


 私は唇の両端をなんとか釣り上げて笑ってみせる。


「やはり私も……」


と言いかけた璃耀を押し留め、持ってもらっていた荷物を背負い、私は一人神社へ向った。

 一人でと指定されているのに、複数人で向って何かがあっては困るのだ。


 そうは言ってみたものの、皆と別れると途端に心細くなる。落ち武者が悪さする場所で、無事に辿り着けるだろうか。


 神社のような廃墟はすぐそこだ。

 このまま何も出てくれるなと思いながら進む。

 ジメッとした空気が纏わりつくようで気持ちが悪い。

 何だか湿っぽい空気だな、と思っていると、薄く霧が発生しているのか、徐々に周囲が白っぽくなってきた。

 気味が悪いので足早に通り過ぎようとしたのだが、次第に私の行く手を阻むように前方に白い霧が集まっていき、だんだん濃さを増していく。

 驚きに足を止めて目を見張っていると、霧がギュッと複数の点に凝縮されていき、ぼやっとした白い人の影が複数体、私の前に現れた。

 鎧を纏った武者だ。

 鎧とはいっても、兜のあるような戦国武将のものではなく、そのもっと前。雛人形の7段飾りの下の方にいるのと同じような感じだ。

 ゾワっと悪寒が私の体中を走り抜ける。


 ダッシュで突っ切っていくべくだろうか、と考えているうちに、一番前の武者から、低く唸るような声が響いた。


「おい、そこの。何奴か」


 ……桜凜に対処法を聞いてくるのを忘れてた……これは問いかけに答えていいのだろうか。


 こういう場合、幽霊の問いかけには答えてはいけないと相場は決まっている。目も合わせてはいけない。気づきませんでしたよ、という空気を装い、自然に通過するのだ。


 ……よし、そうしよう。


 私はツイっと視線を逸らすと、


「神社どこだったかな〜」


などと独り言をつぶやきながら、フイっと体の向きを変える。神社のような建物は目の前にしっかりあるのだが、そんなことは関係ない。建前が大事だ。フラフラとそのまま茂みに入って遠回りで抜けよう。そう思ったのだが、その前に何かに手を捕まれ、ヒヤッとした感覚が伝わってきた。


「ヒィ!」


 背中に氷が滑り落ちたような感覚に襲われた。

思わず声を上げ、手を上下にバタバタさせて振り払うと、目の前で白い武者が私をじっと見つめていた。白いモクモクだったのに、今や怪訝な表情までよく分かる。


「何処へ行く。やましいことが有るのではあるまいな」

「え!? や、やましいことなんてありません!」


 私は思わず返答してから、バッと口元を抑えた。


 答えちゃった……


 武者は片眉を釣り上げ、検分するように私を見る。


「では、これに触れてみよ」


 武者はそう言うと、スッと大きな岩に貼られた一枚の札を指し示す。


「やましいことが無いのであれば、この札に触れてみよ。何も起こらねば、ここを通してやろう」


 岩に貼られた御札なんて気味が悪い。

 でも、別に私にやましいことなんてないし、ここを通りたいだけなのだ。カミちゃんを見ていたからか、呪文の書かれた札への抵抗は少し和らいでいるし、触ろうと思えば触れるけど……


 チラっと武者に目を向けると、いつの間にか、岩の方に追い立てるようにぐるっと武者達に取り囲まれていた。絶対に逃してくれそうにない。


 言われたとおりにするしかなさそう……


 私はゴクリと唾を飲み込んだ。

 恐る恐る、御札に手を伸ばす。


 トンっと触れた瞬間、フッと体の力の一部が札に吸い取られたような気がした。同時に目線がグッと下がり、視界がいつもの兎の高さに戻る。


 へ?


 呆然と自分の両手を見下ろすと、やはり兎の状態に戻っている。

 どうやら、人の姿で現れる妖を見抜くような御札だったようだ。不用意に触れるんじゃなかった!


 不意に背後から、


「おのれ、妖風情が謀りおって!」


という低い声が響いた。


 驚いて振り返ると、ガシャガシャっと複数の音が響き、刀を突きつけられるところだった。

 白いモヤに包まれているので、本当に切れるかどうかはわからない。

 でも、先程手首を掴まれたことを考えると、切れると思っておいた方が良いだろう。


 私はジリっと後ずさりする。


 これ、獣の姿で駆け抜けた方が良いんだろうけど……荷物を置いていけないし……どうしたら……


 そう考えている間も、御札の貼られた岩を背に、武者達にジリジリと追い詰められていく。

 幽霊を何とかする方法なんて……と思った時、私が先程触れた御札が目に入った。


 あれ、この人達も幽霊としてここに留まってるならこの御札、何か効果があるんじゃない?


 一か八か!


 私はグッと御札を引きちぎり、目の前の武者の額に押し付けた。


 瞬間、その武者がパッと姿を消して霧散する。


 やっぱり!


 すぐに散ったはずの霧がまた集まり始めたが、それを待っている余裕はない。

 「何事か」と混乱しているうちに、私はバッと駆け出し、目の前を遮る武者に、手当り次第御札を掲げて触れていった。


「なっ! おのれ!」


 私が混乱に乗じて逃げ出したことに気づくと、再びモヤモヤが武者の形に戻り始め、後を追ってくる。

 目的の廃墟は目と鼻の先だ。ひとまず、中に入って荷物おろして獣の姿で建物の影に隠れよう!


 私は神社目指して一目散に走っていく。

 後ろから


「おのれ止まれ妖め!」

「札を返せ不届き者!」

「卑怯な手を使いおって!」


と口々に罵る声が聞こえてくる。

 捕まりそうになるたびに御札で触れて霧散させつつ、私は何とか鳥居の中に飛び込んだ。


 近くにあった大きな石造りの台の影に身を潜め、獣姿になろうと籠を降ろす。

 そこでフッと気づいた。鳥居の内側に飛び込んできてから、武者たちの声が途端に小さくなったのだ。

 聞こえるには聞こえるが、遠くで叫んでいるように聞こえる。

 すぐに追ってくるかと思ったのに、と不思議に思い、恐る恐る顔を出して自分が来た方に目を向ける。


 すると、何故か武者達は鳥居の前でウロウロしながら「戻ってこい卑怯者!」と叫んでいた。


 よくわからないが、鳥居の内側には入れないらしい。私はようやく、ホッと息を吐いた。


 私は念の為、先程破って持ってきた御札を懐に忍ばせる。帰りにきっと必要になるだろう。


 改めて周囲に目を向ける。


 やはり神社のようで、石畳が鳥居から真っ直ぐに続き、賽銭箱と薄汚れた鈴緒が垂れている。

 その奥には、登ったら踏みぬいてしまいそうな古い階段があり、段上に崩れかけた戸口が辛うじてついていた。


 私の隠れていた台は石畳の道を挟んで向こう側にもあったので、狛犬が乗っていたのではないかと思うのだが、上にその姿は見当たらない。


 道の両側に灯籠がいくつか置いてあり、こんな古びて荒れた神社なのに、何故か火が灯っているのか明るく光っている。


 神社の奥の方には井戸のようなものや小さな祠のようなものも見えた。


 ぐるりと周りを見渡したが、約束の場所のはずなのに誰かがいる気配はない。

 建物の中にいるのだろうか。


 私が崩れかけた扉に目を向けると、突然、キューン! という叫びに近い鳴き声が聞こえてきて、ドキリと心臓が大きく打ち付けた。


 あの中だ。


 私は石畳の上を走り階段を登る。

 外れかけた扉に手をかけ思い切り引くと、グラっと扉が傾いて、向こう側で「うわっ」という声が聞こえたと思うと、バタン! と大きな音を立てて内側に倒れた。


 中に入ると、そこには狸の獣姿になった楠葉を無造作に抱いた、人の形をした狐面の細い男が倒れた扉を避けるように立っていた。ベージュ色の髪はボサボサで、着物は小綺麗なのに少し気崩れていて、何だかチグハグな印象だ。


 しかし、それよりも気になったのは、床に滴り落ちる赤い液体だった。

 楠葉のお腹のあたりが真っ赤に染まり、誘拐犯の手を伝ってポタリ、ポタリ、と滴っている。

 それが、楠葉が暴れるたびに多くなっていくのだ。


 私は全身が粟立つような感覚に襲われ、同時に滴る血以外が色を無くしたようにその光景に釘付けになった。


「楠葉を返して」


 耳の中でキーンと高い音が聞こえ、自分の声が他人の物のように耳に響く。

 ドクドクと頭の血管が脈打つ感覚がし、全身を熱い血液が巡り、目の前の光景以外がシャットアウトされる。


 私は完全に怒りの感情に支配されていた。


「ヒッ!」


 私が一歩、また一歩と近づくと、誘拐犯は楠葉を抱えたまま、恐れをなしたように後退りする。


「楠葉を返してと言ってるの!」


 目の前の誘拐犯の毛が、ジリジリと焼け付くように端から焦げ始める。

 私に睨まれ、次第にガクガクと震えだし、楠葉をそのまま取り落とした。

 落ちると同時に、楠葉はサッと着地して建物の奥の方へ走って逃げる。奥にあった棚のようなものの影に隠れたようで、姿が見えなくなってしまった。


 楠葉は逃げたというのに、私は怒りを収めることがどうしても出来ない。

 沸騰するように熱い血の巡りを抑えられないのだ。

 私は、誘拐犯を見つめたまま歩みを進める。

 もはや、彼は膝をついて蹲り、震えていた。


「白月様」


 不意に、ガッと腕を握られた感覚がした。

 それと同時に、直ぐ側でジュっという音と、「うっ」という小さなうめき声が聞こえる。


 抑えようのない怒りを止めようとするのは一体誰なのかと声の主に目を向けると、璃耀が私の腕を掴んで引き止めているところだった。


 璃耀が何故ここにいるのだろうか。疑問に思いながら私を掴む手に目を向けると、その手は真っ赤に腫れ上がっているように見えた。


「璃耀!」


 今まで体中を占めていた怒りが驚きでフッと霧散する。


 私は片方の手で璃耀の腕を摑んで離させようとする。しかし、私が掴んだ方の腕も、私が掴んだそばからシュウと音を立てて着物が黒く変色していった。


 ビクッと手を離し、璃耀から身を引く。

 自分の両手を見つめると、いつの間にこのような状態になっていたのかわからないが、僅かに光を帯びていて、それが次第に収まっていこうとするところだった。


「……璃耀……ごめんなさい。私……」


 私は狼狽えて璃耀の手と顔を交互に見る。しかし、璃耀は私を落ち着かせるように微笑む。


「お気になさらないでください。蒼穹の企みに気付いていながらギリギリまで止めなかった私の自業自得ですから」


 璃耀は自分の手を手ぬぐいのようなものでグルグル巻きつける。


……蒼穹の企み?


 璃耀の言葉に私が僅かに眉を潜めると、不意に外から


「白月様〜!」


という明るい楠葉の声が聞こえてきて、私はハっと顔を上げて振り返った。


「たくさん、木の実が採れたんです! 甘くて美味しいんですよ。」

「楠葉!?」


 人の形で手を振りながら笑顔で駆けてくる楠葉の姿がそこにはあった。


 先程誘拐犯から逃げた楠葉は建物の奥へ逃げたはずだった。まだこの中に居るはずだ。それが、何故呑気に笑いながら外から来るのだろう。


 私達の異様な雰囲気に気づいたのだろう。楠葉は入口の手前でハタと足を止めて、不思議そうに周囲を見回す。


「何かあったんですか?」


 コテンと首を傾げる姿は、事件の当事者のものではない。


「どういうことか説明して、璃耀。さっき、蒼穹の企みと言ったでしょう」


 私が眉を潜めて璃耀を見ると、璃耀は誘拐犯に目を移した。


「顔を上げろ」


 璃耀の声に誘拐犯は恐る恐る顔を上げて背を丸めたまま正座の状態で面を取った。

 なんというか特に特徴のない、情けない表情の顔がそこにあった。


「其方、軍で蒼穹の副官をしていた者だな。」

「……う……宇柳と申します。」


 この誘拐犯、璃耀とも知り合いなの?

 何がどうなってるのだろうか。全然状況が飲み込めない。


「……璃耀の知り合いなの?」

「ええ、顔を見たことがある、という程度ですが。蒼穹の裏に誰かいるとは思っていましたが、まさか彼とは思いませんでした」


 璃耀は怪訝な顔をして宇柳という男を見る。


「こんなところで何をしている。軍はどうした?」

「……蒼穹さんと一緒に辞めました。もともと腕っぷしが強い訳でもないのに軍に入れられてしまって、蒼穹さんが上手く使ってくれなければ居場所がなかったので……」

「それが何故このような真似を?」


 璃耀が厳しい声で先を促すと、宇柳はとても言いにくそうに私をチラっと見たあと、項垂れるように視線を真下に落とす。


「あの……その……そこにいらっしゃる白月様がどのような方なのか見定める為に協力しろと蒼穹様に言われまして……」

「はぁ?」


 意味が分からず私が声を出すと、宇柳が肩をビクッと震わせる。

 それを見兼ねた璃耀が私の前に手を差出して抑えながらながら宇柳に先を促す。


 宇柳はビクビクして私の様子を伺いながら、できるだけ怒らせないよう言葉を選ぶように説明し始めた。


 曰く、旅仲間に子狸いるから、上手くおびき寄せてしばらく仲間うちに戻らないようにどこかで遊ばせておけと言われたそうだ。

 楠葉を連れ出すのと同時に置き手紙を置き、楠葉を遊ばせている間に獣の狸を捕まえ、楠葉に見せかけてこの神社で待機していたそうだ。

 それもこれも、璃耀が入れ込む銀色の兎がどのような者なのかを見定めるためだったのだという。


 聞いているうちに何だかイライラしてきた。


 騙されたことも、楠葉を利用したことも、無駄な苦労を強いられたことも、止めようとした璃耀が大火傷を負ったことも、何の関係もない狸を捕まえて傷つけたことも。

 一部八つ当たりも含まれているが、そんなことは関係ない。


「そんなことのために、狸をわざわざ捕まえて、傷つけたの?」


 私は不快感も露わに顔をしかめて宇柳をみる。宇柳はそれを見て慌てて顔の前で手を振った。


「い、いえ、これは違います。ちょっと鳴いてもらおうと腹の部分をつねりはしましたが、傷はつけていません! これは、赤い染料をつけただけなのです!」


 そう言うと、懐から瓶に入った赤い液体を取り出し私に見えるように掲げた。

 確かに、薄暗がりで気づかなかったが、よく見ると血液とは違う少し鮮やかな赤色に見える。


「それから、鳴かせようとしたときに暴れられてしまったので、私の血も混じっていたかもしれません……」


 誘拐犯が片手でもう一方の袖をスッと上げると結構大きめの傷が出来ていて、タラリと血が滴っていた。


 璃耀が私の方を振り返り苦い笑みを浮かべる。


「本人も痛い目を見ています。貴方の怒りもわかりますが、少し抑えてください。白月様」


 私は璃耀をじっと見つめた後、ふぅー、と長く息を吐いた。一回冷静になろう。


 ふと、無造作に巻かれた璃耀の手が目に映った。まずはこれを手当てしないと。


 私は物々しい雰囲気に私達の後ろで留まっていた楠葉をくるりと振り返る。怪我一つなく、いたって健康そうだ。


「楠葉、璃耀の手を冷やしたいの。外に井戸があったと思うから連れて行ってくれる?」


 多分、火傷と同じ対処で問題ないと思う。まずは冷やしておかないと。

 井戸が枯れていないといいけど、と思いながら、私は楠葉に璃耀を連れて行かせるため璃耀の背を少しだけ押した。しかし、璃耀は動こうとしない。


「いえ。白月様をここに一人残すわけには参りません」


 璃耀はチラっと宇柳に目を向けたあと「いろんな意味で」と付け加えた。


 仕出かしたことに納得はしていないが、ひとまず楠葉の無事が確認できたし、狸の傷は見せかけだったようだし、璃耀の火傷に意識を移したお陰でだいぶ私の溜飲は下がっている。

 もう怒りを爆発させたりしないのに、と思ったのだが璃耀は頑なに動こうとしない。

 仕方なく、楠葉に水を汲んできてもらうことにした。


 私は宇柳に向き直る。自分に意識が移ったことがわかったのだろう。ビクッと体を震わせ、ガバっと地面に突っ伏した。


「ごめんなさい、ごめんなさい! 何でもいたしますから、どうかお助けください! お願いします!」


 なんとも情けない声音だ。

 私は小さく溜息をつく。


 一度落ち着いたことで私は随分冷静さを取り戻していた。


 狸が偽物だったことに気づかず、だいぶ怖い思いをさせたようで、実行犯は十分反省している。

 狸の返り討ちという形で報いも受けている。

 それに、よく考えればこの男は基本的に指示に従っていただけだ。それなのに、璃耀が止めなかったら大変な怪我をしていたかもしれない。


 随分怯えているようだし、むしろ、問い詰めたいのは計画犯の方だ。


 そう思っていると、当の計画犯の声が私達の後方から響いてきた。


「それくらいにしてやってもらえないだろうか?」

「蒼穹さん!」


 宇柳はガバっと顔を上げて、蒼穹に目を向ける。

 蒼穹は何事もなかったかのような様子で楠葉と桜凜を連れてこちらへやって来た。


 楠葉は言いつけどおり水を汲んできたようで、何処で手に入れたかはわからないが、小さな水瓶を抱えていた。


「其方、狐の姿で隠れながら白月様の様子を見守ると言っておきながら、今までどこで何をしていた?」


 璃耀が表情を険しくして蒼穹を見る。しかし、当の蒼穹は飄々とした様子だ。


「だから、様子を見ていたさ。私の後をつけていたお前が急に飛び出して火傷を負ったようだったから、水を汲みには行っていたが」


 蒼穹が合図すると、楠葉が水瓶を持ってパタパタとやって来る。完全に蒼穹の小間使いのようになっているが気のせいだろうか。


「ありがとう。楠葉。璃耀、手を出して」


 私はそう言うと、璃耀の腕を摑んで前に出させる。腕の火傷はすぐに手を離したので大した事は無さそうだが、私を直接摑んでいた方の手は、璃耀が無造作に巻いた布を外すと酷いことになっていた。


「そのようなこと、自分でやりますから」


という璃耀を無視して、布を水に浸す。

 効くかどうかはわからないが、御守り代わりに首から下げていた小さな袋から蓮華姫の蓮花を少し出して揉みくずし、患部に当たるように貼り付けてから手のひらに濡らした布を巻き付けた。


 外傷には効かないと言われていたが、全く効果がないということはないだろう。気休めでも応急処置くらいはしておきたい。


 私が璃耀の手当をしていると、蒼穹が未だ土下座状態の宇柳の傍にしゃがみ込むのが見えた。


「大丈夫か、宇柳」

「大丈夫かじゃありませんよ、本当に死ぬかと思ったんですからね! もう蒼穹さんの頼みなんて絶対に聞きませんから!」


 宇柳が涙声で叫ぶのを、蒼穹は「ハハ」と笑って軽くいなす。しかし、すぐに厳しい声音が飛んだ。


「笑い事ではないぞ、蒼穹。其方、どこかで我らのことを見ていたのであろう。あのまま白月様の気に当てられていたら、その者はどうなっていたかわからぬぞ」


 璃耀は私に礼を言うと、厳しい顔で蒼穹を見る。


「陽の気はそれだけ危険なものだ。軽くみて試して良いものではない。これで分かっただろう」


 蒼穹は璃耀を難しい顔で見返し、ふう、と一つ息を吐いた。


「そうだな。悪かった、宇柳」


 蒼穹はポンと宇柳の肩を叩いて立ち上がり、私に向き合う。そしてそのままザッと跪き頭を垂れた。


「大変失礼かと存じますが、古くからの友が尽くそうとする貴方が、一体何を思い、何に怒り、どれほどの力を宿しているのかを知りたく、試させていただいておりました。

ただ、少々悪ふざけが過ぎたようです。心からお詫びを」


 宇柳もその後ろで土下座の体勢のまま再び頭を下げる。


 私は説明を求めて璃耀に目を向ける。

 璃耀の後ろの方では、楠葉がハテナマークを浮かべて周囲を見まわし、桜凜は困ったような顔でこちらをみていた。


 璃耀は、ハア、と一つ溜息をついた。


「以前、京で出会った際に、私が貴方にお供していることを話したところ、貴方に興味を抱いたようなのです。それで、偶然出会った際に、これは好機と貴方の本性を知るために試すことにしたのでしょう」


 すると、蒼穹が顔をあげて璃耀を見る。


「それは少し違うな。宇柳に調べさせたところ、こちらへ向かっていることが分かったので先回りして待ち伏せしていたのだ。宇柳は優秀だからな」


 後ろで宇柳が嬉しそうに「えへへ」と笑う。先程、もう蒼穹の言うことは聞かないと叫んでいたが、これでは縁を切ることは難しいだろう。


「そのようなこと、どちらでも良い」


 璃耀はピシャリと跳ね除ける。宇柳は再びしょぼんとした様子になった。


「とにかく、宇柳に楠葉を誘拐させ、自分は何食わぬ顔で我らとともに行動し、貴方の言動を伺っていたのでしょう。」

「……今回のこと、璃耀は知っていたの?」


 先程の反応を見るに、知っていたようだったけど……


「蒼穹の様子が少しおかしかったので、もしかしたら思ったのです。そして、捕らえられた狸を見て確信しました。」

「そうだったんだ。私、全然気づかなかった。」

「白月様は血糊のついた狸を見た途端、冷静さを失っていましたからね。僅かに体の模様が違っていたのですが……」


 確かに、捕まった狸を見て、完全に楠葉だと思いこんでいた。というか、そこから見てたんだ……


 何だか私だけ熱くなってバカみたいだ。

 私は小さく溜息をついた。


「貴方の心柄はよくわかりました。どうか、璃耀と共に貴方にお供させていただきたい。白月様。」

「わ、私もお願いします!」


 蒼穹と宇柳は再び深く頭を下げる。


「え、嫌です」


 私が間髪入れずに答えると、断られると思っていなかったのか、宇柳が目を丸くしてパチクリさせ、一方で蒼穹は顎に手を当て「ふむ」と何やら考え始めた。


 まさか、本気で旅に加えてもらえると思ったのだろうか。

 その様子をみていた璃耀が後ろでプッと吹き出した。


「白月様は随分ご立腹だったぞ、蒼穹。試すような真似をするからだ」


 璃耀の言うとおり、人を試して旅に混乱を招くような者を旅仲間に加えたいとは思えない。何より、信用出来ない者と旅なんてしたくない。


「自業自得だ。諦めろ」


 璃耀が笑いをこらえるように言った。

 しかし、口を開いた蒼穹から出た言葉は思いがけないものだった。


「では、勝手について行くことにしましょう」


 はぁ?


 私は呆れ顔で、膝をつく二人を見下ろした。


「あの、璃耀のときもそうだったけど、その許されなければ勝手についていけば良い、みたいな考え方は一体なんなの? 妖特有の慣わし?」


 私がそう言うと、蒼穹は璃耀に視線を移し、からかうように片眉を上げた。


「何だ、お主も別に同行を許可されてるわけではないのか」


 そういえば、確かに璃耀も最初はそうだったんだよね。私がチラっと璃耀に視線を移すと、璃耀は狼狽えたように


「は、白月様!」


と言った。私が一度ニコッと微笑みかけると、璃耀はホッと胸をなでおろす。

 しかし、次の私の言葉に、璃耀はすぐに顔色を変えた。


「確かに、一度きちんと考えた方がいいかもね。」

「……え、何を……?」

「いや、一緒にいてもらって助かってるのは確かだし、私は有り難いんだけど、璃耀達にとって利があるわけでも見返りがあるわけでもないじゃない。何か大層な目的があるわけでもないのに、本当にこれでいいのかなと思って」


 私が璃耀と桜凜に目を向けると、二人とも私がそんな事を言い出すとは思っていなかったのか、困ったような顔をしている。


「行き場のない楠葉はともかく、私、カミちゃんを探して手に入れたかったものを手に入れたら山羊七さんのところに帰るだけのつもりなんだけど、蒼穹だけじゃなく、璃耀も桜凜も本当にこのままでいいの?」


 私がそう言うと、意義ありとばかりに宇柳は手をビシッと挙げた。


「私も連れて行ってください! 軍を抜けたので行き場が無いのです!」


 いや、だから。


 この男は一体何を聞いていたのだろうか。着いてくる事自体を問題提起していたのに。


 私がそう思って宇柳を見ると、璃耀がそれを遮るように私の前に出た。


「待ってください、白月様。今更そのようなことを蒸し返さないでください。

白月様に命も救っていただきましたし、少なくとも安全なところに着くまではお供します。あんなのでも、紙太がいない今、楠葉とふたりきりでは心許ないでしょう?」


 璃耀は必死の形相だ。


「それに、今回の事で、貴方が感情に任せて気を発することの危険性を身につまされました。歌声の件に関してもそうです。何があるかわかりません。必ずお役に立ちますから」


 確かに、今まで璃耀に助けられたシーンはたくさんあった。今回も、璃耀が抑えてくれていなければ、本当にどうなっていたかわからないのだ。宇柳が抱えていたのが本物の楠葉で、上手く逃げてくれなかったら、私は楠葉ごと陽の気で焼き尽くしていたかもしれない。

 京で歌をうたったときもそうだ。璃耀には随分助けられた。


 色々な意味で、ここで璃耀が抜けるのは心細すぎる。今では言葉を喋れないカミちゃんと二人で旅をしていたのが嘘のように璃耀に頼り切ってしまっているのだ。璃耀がいなくて困るのは私の方だ。


「さっきも言った通り、私は一緒にいてもらったぼうが心強いから、璃耀がいいならいいんだけど……」

「安全なところまでと言うならば、やはり私もお連れください。見返りは不要です。今回の詫びとでも思ってもらえれば」

「わ、私も!」


 蒼穹がそう言うと、宇柳もすかさず声を上げた。

 この二人は、詫びとは言うがそもそも私のことを見定めた上でついてくる気で今回の事を起こしたのではなかろうか。

 まあ、断っても勝手についてくる気らしいけど。


 私は桜凜に目を向ける。


「私は白月様の歌でまた演奏できればそれで良いです。私は貴方の歌声に惚れ込んだのですから」


 桜凜は穏やかに微笑んだ。


「あまり難しく考えず、旅仲間だと思ってくださいな」


 私は一度、周囲の面々の顔を見回した。

 楠葉がパタパタと私にかけより、ギュッと私の腕にしがみつく。


「……わかりました」


 私は小さく息を吐き出し、それだけ言って頷いた。



 こうして楠葉の誘拐事件は、何ともスッキリしないまま解決した。


 スッキリはしないが、このままここにいたって仕方がない。

 私は鳥居の向こう側に目を向けた。

 未だ武者達が鳥居を塞ぐように立っているが、先程とは違い、特に騒ぐ様子もなく呆然とこちらを見ているようだった。


「ところで、皆どうやってここに入ってきたの? 武者の幽霊が邪魔していたでしょう?」


 私が尋ねると、蒼穹が苦笑しつつ教えてくれた。


「あの武者共は妖を毛嫌いしていて、人に化けた妖を警戒して正体を暴こうと躍起になっていますが、間抜けなことに獣の姿になった者には、何だ畜生か、などと言いながら見逃すのです」


えぇ? 何それ、先に教えてよ!


と思ったが、そもそも籠を背負っていたから獣の姿になる選択肢はなかったんだった。


 と、そこでふと気づいた。


「もしかして、わざと厄介事に巻き込もうと、荷物を持ってこさせたの?」


 私が眉を潜めて蒼穹と宇柳を見ると、二人はなんとも言えない笑みを浮かべた。

 無言の肯定と受け取る。


 私は疲れた溜息を一つつく。もう怒る気力も湧いてこない。


「じゃあ、獣の姿になって駆け抜けたらいいのね」


 そう確認すると、璃耀が軽く首を振った。


「荷を置いていくわけには行きません。それに、我々はすでに奴らに姿を見られてしまっていますから、何事もなく駆け抜けるのは少々難しいかもしれません」

「……じゃあどうするの?」


 私が尋ねると、蒼穹が


「先程、白月様がここに来た時と同じ方法で駆け抜けたらいいのでは。奴らは霧なので刀や矢などの攻撃は効きませんし」


と提案した。


 本当に全部見てたんだ……


 私がじろっと蒼穹を見ると、蒼穹は悪びれるでもなくニコッと笑った。その後ろで宇柳が僅かに怯えている。

 蒼穹にはもう少し反省というものをしてほしいし、宇柳はちょっとのことでいちいち怯えるのはやめてほしい。まあ、私が脅かしすぎたんだろうけど。

 この二人は足して二で割ったほうがいいのではなかろうか。はぁ。


 とりあえず面倒だが、来た時と同じ方法で強行突破することが決まった。

 御札を持って逃げ道を作るのは蒼穹に任せた。元凶にせいぜい頑張ってもらいたい。


 しかし、帰り道の心配はすぐに消えてなくなった。


 私達が鳥居に近づくと、何故か武者達はシンと静まり返ったまま、武器をボトボトと取り落として消し去り、ザッとその場に跪いたのだ。


「先程は神の化身に大変な御無礼をいたしました。どうぞお許しください。」


 ……か……神の化身?


 私達が戸惑い、神の化身と言われているのが誰なのかと顔を見合わせていると、武者の一人が感動したように声を震わせて私を見た。


「兎の姿に惑わされましたが、あの神々しき光はまさに神の化身。御狐様を使いに従え、我らに姿をお見せ下さるとは思いもいたしませんでした」


 は? 私?

 それに御狐様って……


 隣に目を向けると、蒼穹と宇柳が頭に狐の面をつけている。


 背後から、ふっと吹き出す声が聞こえた。


「このまま神様のふりをなさっては如何ですか?」


 面白がるように璃耀が囁く。


 えぇ? 何、神様の振りって。


 しかし、戸惑う私とは逆に、蒼穹はニヤリと口の端を釣り上げて声を張り上げた。


「神の化身たる白月様に畏れ多いぞ」


 蒼穹の声に恐れをなしたように武者達がさらに頭を低く垂れる。


 さらに、何か言えとこっそり璃耀に背を押される。


 えぇー?


 私は考えた末、なけなしの威厳を少しでも見せるため、ひとまず人の姿に形を変える。

 普通の妖にも出来ることのはずなのに、何故か武者達から「おぉ」という声が小さくさざ波のように広がる。


 さっき怒りに任せて陽の気を放っていたのが随分効いているようだ。


 うーん、せっかく崇めてくれるのならば、この地で妖に襲いかかるのを止めさせよう。結構、あの剣幕で迫られると怖いからね。


 私は努めて、憂いを帯びた表情と声音を作る。


「妖と人が争い続けるとは何事でしょう。」


 武者達はビクッと体を震わせる。

 おお、話を聞いてくれそう。


「共に同じ世に在るのです。争うことをせず受け入れ共に生きなさい。次に私がこの社に戻ったときに、同じことにならぬよう、常より重々気をつけるのですよ」


 重々しく聞こえるように述べると、武者達は感じ入ったかのように、ハハーっと応えた。


 姿が見えなくなるまで整列して見送る武者達に、楠葉は無邪気に手を振り、璃耀は笑いを堪えるような顔をして、桜凜は眉を下げて苦笑いし、蒼穹と宇柳は御狐様と崇められて満足気に、そして私は居心地の悪さを感じながら、廃墟の峠を後にした。

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