第24話 貴族の御屋敷
演奏者の女性の名前は桜凛というそうだ。
貴族の屋敷に呼ばれたあと、流石に直ぐに向かうことはできないと、璃耀と桜凛に見立ててもらい、少し豪華な着物に着替えた。
さらに、桜凛と同じように紗を被せられている。
人の姿になれても、素肌に傷や鱗などが残ってしまったり、顔を露わにさせたくなかったりといった様々な事情があるので、面をつけたり紗を被ることは普通のことなのだそうだ。
ただ今回の場合は、貴族相手に顔を覚えさせないため、というのが唯一最大の理由だ。
何だか、璃耀がすごく神経を尖らせているのが伝わってくる。
璃耀があれこれ段取りを決めた結果、桜凛が貴族相手に応対することになり、私は歌う以外一切口を開くなと丁寧な口調で厳命された。
念の為、付け焼き刃ではあるものの貴族対応も教えてもらう。要は面を上げよと言われるまで頭を下げていろ、口を開くなということだったが。
さらに、着替えを用意する時間を待つだけでもソワソワしながら急かす下男を放置して、何をどう歌うかの相談もする。
とはいえ、貴族に披露できるような曲なんてないので、店で歌った曲のみを披露することで決まった。
それでも、即興でなんとかした店先とは違って、失敗は許されない。
念の為歌詞を確認してから、桜凛と練習を繰り返した。もちろん璃耀の厳しい監視のもと小声で。
「これ以上はもう待てません!」
何度か練習をした後、ほとんど泣き叫ぶように言う下男の声に練習を中断させられた。
本当はいくらでも練習をしていたかったが、璃耀の無言の圧力に黙らされていた下男がこのように叫ぶのだから、本当にもう限界なのだろう。仕方なく私達は荷物をまとめ、貴族の屋敷へ向かうことになった。
商店の立ち並ぶ賑やかな通りを抜け、東西通りを過ぎると、一気に周囲は静かになる。
周りには、私の身長より高い竹垣で囲まれたお屋敷が立っていて、屋根だけがポツンポツンと見えている。
下男の案内で、私達は静まり返ったその道を歩いていた。東西通りから一本道を入ったところの屋敷で、聞いていた通りそれ程地位の高くない貴族のようだ。
程なくして屋敷に着くと、私達は一度門前で待たされることになった。
しかし、中に入っていった下男がすぐに焦ったように戻ってくる。
「直ぐに通せと仰せです。随分お待ちだったようで……」
下男はチラッと璃耀に恨みがましい目を向けたが、璃耀に睨まれてすぐに目を逸らした。
「……それから、お付きの方はこちらで待つように、とのことでした」
本当に貴族が言ったのか怪くなってくるな、と思うのは、穿った見方をしすぎだろうか。
下男の態度に訝しげな目を向けたあと、璃耀はひとつため息をついた。
「仕方がありません。私はこちらでお待ちします。
ただし。万が一、危険になるような事があれば、何をおいても私に知らせに来てください。見てみぬふりなどしようものなら……」
璃耀の脅すような声音に下男は慌てる。
「わ、わかりました! 必ずお呼びしに参ります!必ず!」
下男が請け負うと、璃耀は満足げに一つ頷いた。
「私が付いていますから大丈夫ですよ」
私に微笑む桜凛に、璃耀は意味ありげな視線を向ける。しばらくじっと見つめていたが、ふぅ、と小さく息を吐いて、
「白月様をお願いします」
と私達を送り出した。
私達は屋敷の中には上がらず、建物の間を通って庭に通される。
今まで見たどんな家より大きくて豪華な屋敷を見ていると、どんどん緊張が増してくる。着物の下でぎゅっと握った手は既に汗でびっしゃりだ。
通された庭は広く、正面には大きな建物がドドンとある。そこから赤い高欄のついた渡り廊下が伸び、左右にやや小さめの建物が建っていた。
私たちは一番大きな建物に向かい合うように、庭に敷かれた蓙の上に座る。
建物には幅の広い階段がついていて、高欄のある縁側を挟んでその奥に、蔀が開け放たれた部屋があった。ただ、部屋の中は御簾に四分の三ほど隠された状態であまり見えない。
しばらくすると、御簾の向こう側に、着物姿の者が二人入ってくるのが足だけ見えた。黒の着物に山吹の袴の男性と、赤い雅な着物を引き摺る女性で、並んで座る影が雛人形そのもののだ。
私達は、二人が来たことを確認すると、すぐに手を前に付き頭を下げた。
「其方らが、都の食事処で歌をうたっていたという者らか」
「はい」
朗々と響く男性の声に、桜凛が応じる。
私は頭を下げたままお口にチャックだ。喋りたくても喋れない。もう緊張で口の中はカラカラだ。
これから歌うんだけど、、、大丈夫かな、、、。第一声で裏返ったりしないといいけど、、、。
「霙姫が牛車の中でたまたま其方らの歌声を聞き、それはそれは見事であったと聞き及んでおるぞ」
「畏れ多いことでございます」
「ふむ。では早速聞かせてもらおう」
私達はすっと体を起こし、姿勢を正す。とはいえ、立ち上がったりはせず、正座のままだ。
本当は、こういう広い場所では声が拡散してしまうので立ってお腹から声を出したほうが歌いやすい。ただ、そうすると自然と力が入り声が大きくなるのだ。
事前打ち合わせでそんな話をしたところ、必要以上に陽の気を拡散させることを恐れた璃耀に、立って歌う事を禁じられた。
それだけではなく、「がっかりさせず、期待を上回らない、丁度良い加減で」と大変難しい注文を受けていた。そんなもの、歌う側の私にわかるわけがない。
そもそも、霙と呼ばれる姫が聞いていたというあの時とは環境が全く違っている。シンとした今のこの状況では緊張も重なってどの程度が正解なのか見当もつかない。
璃耀の忠告はわかっているが、私は声が震えないように、気持ち強めに声を響かせることにした。
ポロンポロンと伴奏が響く。
予めここまで来たら歌い始める、という箇所を決めていたので、そこに合わせて第一声を発する。
しかし、すぐに桜凛が驚きに目を見開いてこちらを凝視してきた。
楽器に乱れがまったく無いのは流石だとは思うが、その一方で、桜凛の表情だけで自分がやりすぎた事は痛いほどによくわかった。
私は冷や汗が流れるような思いで桜凛から目をそらしつつ、声量の調整を試みる。
流石に急に声を小さくするわけにはいかない。
徐々に徐々に、気づかれないようゆっくりボリュームを落としていく。
この辺りかな?
チラッと桜凛を見ると、ほっとしたような顔で小さく頷いた。これが丁度いいポイントらしい。
事前練習で小声でしか練習しなかった弊害がこんなところに出るとは思わなかった。
とにかく声の大きさがポイントだ。サビで熱が入って声が大きくなったりしないよう、あまり抑揚をつけず、歌うことに真剣になりすぎず、適度に手を抜いて歌っていく。
抑揚なんてつけたら、後で丁度いいポイントがどこだったかわからなくなってしまう。
私はちょこちょこ桜凛の反応を伺いながら歌い続けた。
一方で、噂を聞きつけたのかなんなのか、屋敷の使用人たちが主人から見えない廊下や庭の角に少しずつ集まってきているのがみえた。どの顔も興味津々だ。
その中で一人、固唾をのんで見守る下男が見えた。きちんと璃耀の言いつけを遂行しようとしているようだ。
なんとか無事に二曲目を終えると、周囲から自然とわっと歓声が上がる。
桜凛に目を向けると、ほっとしたようにニコリと私に微笑んだ。どうやら最初だけで、ひとまず失敗はなかったらしい。
すぐに御簾の向こうから、ゴホンと咳払いが響きそのまま集った使用人たちは蜘蛛の子を散らすように自分の仕事に戻っていった。
私達も再び蓙の上に座って頭を下げる。
「素晴らしい歌声であった」
「ほんに。私が申し上げたとおりだったでしょう?」
貴族達は、ホホホと笑う。どうやらご満足いただけたようである。トラブルはあったものの、ひとまず、無事に歌い終わったことで、私の中には達成感が満ちていた。
さあ、お褒めの言葉ももらったし、あとは帰るだけ。私は頭を下げたまま、少しだけ口元を緩める。
「其方の声には、不思議な力があるようだ。心の臓が底から沸き立つような心地であった。また、披露して欲しいものだ。のう、
「ええ、是非」
ちなみに、次のお誘いがあった場合の対策も練ってある。璃耀の対策は入念だ。
さも、いつも都に居ますよ、という顔をして、
「お声がけ頂ければいつでも参じます。」
と答えておいて、声がかけられない遠方へさっさと旅立つ寸法である。
ついさっきまで都に居たのならまだしも、何日も前に都を出たとなれば、呼び出しを命じられた下男も言い訳くらいできるだろう。
こうして、私達はなんとか貴族の呼び出しをうまく切り抜け、最初に入ってきた門に戻ってくることができたのである。
門を出るとすぐに璃耀がこちらに気づき駆け寄ってくる。私に呼びかける声で、随分心配をかけていたことがわかった。
「大丈夫だよ。桜凛おかげで、何事もなく終わったと思う」
私が言うと、桜凛は少し困ったように笑う。
「第一声で強い気が放たれたので、どうなることかとヒヤヒヤしましたが、無事に終わって良かったです」
いや、あの、余計なことは言わないでもらえないでしょうか。
桜凛の言葉に内心焦っていると、璃耀は私を見つめたまま、少しの間黙りこんでしまった。
……ごめんなさい。
私が目を逸らすと、小さくため息が聞こえる。
その後、周りを警戒するように、見回した後、
「直ぐにここを離れましょう」
と急かすように私の背を軽く押した。
璃耀に背を押されながら振り返ると、私達を案内してきた下男が、私達に向かって深く頭を下げていた。
貴族の屋敷を後にし、3人で商店通りに戻ってくると、そこで桜凛ともお別れである。
本当に、桜凛が居てくれなかったら、どうなっていたかわからない。丁寧に御礼を言うと、
「大したことではありませんから」
と微笑んでくれた。頼りになる素敵なお姉さんだ。
私達に軽く頭を下げると、桜凛は涼やかに去っていった。
桜凛と分かれたあとは、事情聴取である。
「では、貴族の屋敷で何があったか詳しく伺いましょう」
口元だけ笑みを浮かべるいつもの表情に顔を引き攣らせながら、私は璃耀と別れたあとのことを詳細に述べさせられた。
失敗したのは最初のところだけだったとは思うが、璃耀は始終、難しい顔で私の話を聞いていた。
宿に着くと、もともと着ていた服に着替え、目を白黒させる楠葉を有無を言わさず回収する。
宿代は先に払っていたようなので、そのままお暇するだけだ。
そうして私達は、逃げるように都を去ることになったのだった。
都の出入り口となる南門を抜ける。
もうちょっと滞在していたかったな、と思っていると、不意に、クイクイっと服の裾を引かれた。
振り返ると、楠葉が門に向かって指さしている。そちらに目を向けると、荷物を抱えた桜凛がそこに立っていた。
私と目が合うと、桜凛は楚々と歩み寄ってくる。
さっき別れたばかりなのにどうしたというのだろうか。
「え、あの、どうかしました?」
私がそう尋ねると、桜凛はそのままスッと跪いて私を見上げ、とても素敵な笑顔でニコリと微笑む。
「私もお供させてくださいな。白月様」
「……はい?」
いったい何がどうなってそんな結論に達したのだろうか。そして先程の爽やかな別れは何だったのだろうか。
突然すぎる申し出に戸惑いしかない。
璃耀を見ると、胡散臭いものを見るような目で桜凛を見おろしていた。
「都に留まっていれば、いつ貴族から声がかかり、貴方を探さなくてはならなくなるかわかりません。それに、あのような歌声の持ち主にせっかく会えたんですもの。次に会える保証もないのに、別れるなんて惜しいことはできません。このままお供させてくださいませ」
桜凛はキラキラした目で私を見つめる。
それを見て、璃耀は、はあとため息を一つついた。
「良いのではありませんか? 楠葉以外の女性の従者が出来て助かることもあるかも知れませんよ。巻き込んだのはこちらですし」
「え、いやいや、従者だなんてそんな……」
「いえ、私はそれで構いませんよ」
桜凛はニコリと笑う。
「元よりそのつもりでしたし」
「えぇ、でも……」
そもそも、主従関係でなければならない、なんて決まりはない。ただ単に、旅仲間として一緒に行動すればいいだけなのではなかろうか。
しかし、私が返答を渋っていると、桜凛は次第に眉を下げ、徐々にうつむき加減になってきた。
「白月様は、私が従者として付き従うのがお嫌なのでしょうか?」
「えっ! いや、そんなことは……ただ、旅仲間として気楽な関係性でいいのではと……」
それに桜凛は小さくゆっくり首をふる。
「強い者に弱い者が従うのは自然の道理です。それを気楽な関係性だなんて……途中で放り出せばそれで良いとお考えなのでしょうか……」
「え、えぇ!?」
まさかそんな事を言われると思わなかった。
私が絶句していると、今度は自分の袖を目元に当てて涙を拭い始める。
「私は、ただ、白月様の御側にいたいだけなのです……」
「……白月様、何だか可哀想です……」
楠葉が止めとばかりにぼそっと呟く。
桜凛は、楠葉の言葉に、うぅ……と嗚咽を漏らし始めた。
ここは門前だ。当たり前に人通りがある。
そして、さっきからチラチラ見てくる周囲の視線がすごく痛い。
「うっ……わ、わかった。わかりましたから! こんなところで泣くのはやめて!」
とにかく桜凛を立たせようとしゃがみ込むと、桜凛は顔を上げて、ニコリと物凄くきれいな笑顔を浮かべた。涙の跡は微塵もない。
私があ然としていると、背後で璃耀が額に手を当て、呆れたような声を出した。
「安易に騙されすぎです。白月様」
楠葉もポカンとした表情をしている。
唯一あっけらかんとした様子の桜凛が
「ささ、早く都を離れましょう」
と私を立たせ、軽く背中を押した。
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