第23話 道端の歌姫

 私達は今、食事処の外にある椅子に座って休憩をしている。璃耀が薬を売ってくると出掛けていったのを楠葉と二人で待っているので、正確には留守番である。

 隣では楠葉が美味しそうに団子を喰んでいる。


 璃耀は当初、ここに私達だけ置いていくのをだいぶ渋っていた。

 ただ、いろいろ周って少し疲れたし、ぞろぞろお仕事について行っては邪魔だろうと思ったので、ここで待っていると主張したのだ。

 待っている間、行き来する者達の間にカミちゃんが居ないだろうかと探す意味合いもある。


 勝手に動かず騒ぎを起こしたり突っ込んでいったりしないようにと、くどいくらいに璃耀に念をおされ、


「とにかく何もせず、ここで静かに待っていてください」


と何度も約束させられて、ようやく璃耀は出かけていった。

 私だって見た目はこうでも、中身は子どもじゃない。そんなことしないのに、どうやら璃耀からの信頼は薄いようだ。


 店の脇には立派な桜の木が立っている。木の上にカミちゃんがいるのでは、とつい探してしまう。

 そよそよと風に揺れ、ハラハラと桜の花びらが散っていくのがすごくきれいだ。

 私は自然と人だった頃に聞いていた歌を口ずさんでいた。


「白月様の歌は聞いているとなんだか心が軽くなって楽しい気持ちになるので、私、好きなのです」


 楠葉が足をぶらぶらさせながら、フフッと笑ってこちらを見る。

 そういえば、以前ヤマタノオロチのところで歌ったときには、周りに動物が集まってきたことがあったな、と楠葉の笑みを見て思い出した。


 カミちゃんも私の声に気づいて戻って来たらいいのに。


 そんなことを思いながら、大通りを見渡す。そして、ほんの少しだけ声を大きくして歌をうたってみた。


 今までも、カミちゃんと二人だけで旅をしてた時は会話の相手も居なかったので、寂しくなると歌をうたうことが多かった。もし近くにいたら私に気づいてくれるかもしれない。


 私が歌っていると、いつの間にか、歌声に合わせるように、ポロンポロンと音が聞こえてきた。


 見ると、薄く透けるような薄紅色の紗を頭から被った、黒髪のキレイな女性が小さな竪琴を弾いていた。なかなか独特な形だが、たぶん竪琴でいいと思う。


 彼女は私の視線に気付いてニコリと微笑む。


 鼻歌に音楽がつくことは無かったので、なんだか嬉しい。私もニコリと微笑み返した。


 調子に乗って歌っていると、一人、また一人と足を止めてこちらを見る。


 少しずつ人が集まり始め、目を輝かせている子ども、それにつられて聞き入る奥様、酒を煽る旦那方、団子を買って聞いている若者など、様々な者が次第に私達の周りに半円を作り始めた。


 歌詞やメロディを完全に覚えているわけでは無いので、多くの人に聞かせるような出来のものでは決してない。即興で知らない歌に伴奏をつけられる凄腕のお姉さんがいるから何とかなっているだけで、こんなに集まられてしまうと居た堪れない気持ちになる。


 でも、途中でやめるわけにもいかず、結局私はまるまる一曲歌うことになってしまった。終わりには周囲からわっと歓声があがる。


 申し訳ない気持ちでペコっと頭を下げると、すぐに、「もう一曲!」という声が上がり始めた。


 しかし、ここは店先だ。こんな風に人が集まったら大迷惑だし、鼻歌を何となく歌うならまだしも、こんな風に歌うのは気が引ける。


 おろおろしながら周りを見渡していると、突然、バシっと背中を叩かれた。


「あんたたちスゴいね! どんどんやっとくれよ!」


 先程団子を持ってきてくれた、この店の女将さんだった。

 歌につられて来た者たちに団子が売れたり、そのまま客が店内に吸い込まれてきて食事をしたり、急に繁盛し始めたらしい。


「い、いや……でも……」


と言っていると、伴奏をしてくれたお姉さんもこちらへやって来る。


「私、演奏していてこんなに気分が高揚したのは本当に久しぶりです。是非、もう一曲、ご一緒させてくださいな」


 すると、周囲の熱気にキョロキョロしていた楠葉も、キラキラとした目でこちらを見つめた。


「私も、もう一度聞きたいです! 白月様!」


 周囲を固められて動けなくなり、私は渋々別の歌を口ずさみ始める。それに合わせて、お姉さんが再びポロンポロンと音楽を奏でてくれた。

 歌っている間に、更に人が増えたような気がする。物凄く居心地が悪いが、これほどまでに注目を浴びておいて突然逃げ出すわけにもいかない。気にしたら負けだと目を逸らすことにした。


 璃耀が戻ってきたのは、私がなんとか2曲目を歌い終わった頃だった。集まる群衆を見て目を丸くする。


「何事ですか、これは?」


 あ然としたような声が聞こえてきたかと思うと、直ぐに表情を厳しくさせてこちらへザッザッと近づいてくる。


「あ、あの、これは……」


 私がワタワタと説明しかけると、璃耀は有無を言わさず、むんずと私と楠葉の手を掴む。


「行きますよ」


 厳しい声とともに、私達は強引に連行された。いつもよりも声が強張っているので、だいぶ怒っていると思う。


 群衆を抜ける途中、


「良かったぞ!」

「また歌ってくれよ!」

「今度はいつやるんだ?」


と口々に言われ、肩を叩かれた。


 璃耀は答える間も反応する間も与えずにその中を強行突破して私達を連れ出した。


 人気が少ない商店通りの外れまで移動して、ようやく璃耀はパッと手を離す。

 楠葉は何が起こったのかわからないような顔をしているが、かなり怒っている璃耀の気配を感じて小さくなっている。


「何もせず静かに待っていてくださいとお願いしたはずですが」

「す……すみません……」


 璃耀は腕を組んで仁王立ちだ。

 あそこまで衆目を集めておいて、申し開きのしようがない。


 出かける前に口酸っぱく私達に言い聞かせようとしていた璃耀を思い出しながら私は項垂れる。


「ちょっと鼻歌を歌っただけが、まさかあんなことになるとは思わなくて、その……」


 私が言い訳を始めると、璃耀は額に手を当てて目をキツく瞑る。


「やはり、白月様と楠葉だけにするのではありませんでした。都は少し特殊な場所です。幻妖宮のお膝元ですし、どのような者が見ているかわかりません。そこに更に特殊な白月様が足を踏み入れたのですから、変に目立つとトラブルに巻き込まれる可能性が高いというのに……」

「……特殊……?」


 何か、聞きづてならない言葉が出て、私は璃耀の言葉を遮る。それに璃耀は呆れたような顔をした。


「そもそも、あのように歌をうたったことで、なぜあそこまで人を集めたか分かっていますか?」


 私はそう尋ねられ、首を傾げる。


「珍しい歌だったから?」


 そうでは無いんだろうなと思いながらも一応答える。

 だって、あそこまでの騒ぎになるとは思っていなかったし理由もわからないままだが、謂わば確信犯だからだ。

 動物達のようにカミちゃんを呼び寄せようという気持ちがあった。

 しかし、そんなこと璃耀には絶対に言わない。絶対に。


 璃耀は僅かに首をかしげて不審なものでも見るような目を私に向けたが、本当に分かっていませんよ、という姿勢を崩さず璃耀を見つめ返していると、気を取り直したように話を続けた。


「曲のせいもあるでしょう。白月様が殊更に歌がお上手なのもあるでしょう。しかし、一番の要因はその歌声に含まれる力です」

「……はあ……力……?」


 歌声に力があるんだって。

 それだけ聞くとなんだか、すごく詩的なことを言われたような気がするが、多分この場合はそういうことでは無いのだろう。ただ、全く思い当たることがない。


 私がわかっていなさそうだと直ぐに悟ったのか、璃耀ははぁ、とため息をつく。


「やはり、自覚なしでしたか」


 璃耀は今度はこめかみの当たりをぐりぐりし始めた。少しイライラを抑えてもらえたら嬉しいな、と思って、恐る恐る


「頭痛がするなら座ったら……?」


と勧めたら、じろっと睨まれた。


はい、すみません。


「前々から少し気にはなっていましたが、白月様の歌声には不思議と気の力が交じるのです。

普段の鼻歌程度であれば、そこまで気になる量ではありません。すぐ近くで聞いていると少し楽しくなる、といった程度でしょう。

 しかし、まさかあのように歌うことになっていようとは……」


 あ、そう言われてみれば、ヤマタノオロチにも同じ様なことを言われた気がする。


「私もあのように歌うところを先程初めて見て驚きました。

 白月様の気の力が、歌声とともに少し離れた群衆にも届くほど発せられるのです。

 しかもそこに、ほんの僅かに陽の気が交じるのです。

 それが原因で周囲が違和感に足を止め、不思議なほどの高揚感に満たされていたのだと思います」

「え、陽の気が出てるの? それ、大丈夫なの?」


 私がパッと顔を上げて周囲の心配を始めると、璃耀は困ったように表情を緩める。


「酒と同じです。少量ならば薬に、量が多ければ毒となるのです。歌声で放出されているのはごく僅かですから問題ありません」


 しかし、それは一瞬だ。すぐに表情を厳しくする。


「ただ、陽の気自体が使用方法を誤れば周囲を危険に晒します。それはわかっていますね?」

「……はい……」

「私は別に、他の者がどうなろうと知ったことではありません。しかし、陽の気を持つことが知れ渡るようなことがあれば、その危険性を知る者によって白月様が捕らえられる可能性だってあるのです」


 他の者はどうなってもいいと言い放つのは如何なものかと思うが、陽の気のせいで面倒事が起こる可能性が高いことは理解した。

 反省して小さくなっていると、璃耀は少し考えた後


「一度、都を離れましょう」


と言った。


「え、でも、カミちゃんがまだ……」

「勝手に居なくなったのは紙太でしょう。そもそも、都にいるとは限らないではありませんか」


 勝手に居なくなったと言われればそうかも知れないけれど、置き手紙も残してきたのだ。もしかしたら、都に来ているかもしれない。


「せめて、もう少し探してから……」


と言いかけた時、別の方向から女性の呼ぶ声が聞こえてきた。


「あぁ、いたいた! よかった、見つかって」


 先程、私の歌に合わせて演奏をしてくれた女性が手を振りながら小走りにかけてくる。

 そしてその後ろを、見たことのない男性が早足で追いかけてきていた。


 直ぐ側まで来ると、女性は立ち止まり、息を整えながら口を開く。


「あの、あの店で貴方が歌っていたときに、ちょうど牛車が近くを通ったようで、乗っていた高貴なお方がわざわざ牛車を止めてしばらく聞いていたそうなのです。

 それで、この方が貴方を連れてくるようにと使わされたのですが、そちらの鳥の面の方に連れて行かれてしまった後だったみたいで……」


 女性は一度そこで言葉を切って、璃耀に目を留める。何故かほんの一瞬、僅かに目が見開かれたような気がした。

 しかし、女性はすぐに表情を改め、そのまま何事もなかったように言葉を続ける。気の所為だったのだろうか。


「それで貴方を見失ってしまい、牛車に戻ったらその高貴な方が歌い手を見つけ出して連れてこいと言い始めたようで……一緒に演奏していた私が声をかけられたのです」


 会えて良かったわ、と女性が微笑む。

 女性の説明を聞いて、璃耀がわかりやすく頭を抱えた。


「屋敷で歌を披露させよと仰せです。どうか一緒に来て頂けないでしょうか」


 女性が取り次いでくれるまで後ろに控えていた下男が、一歩前に進み出る。

 しかし璃耀はそれを遮るように、くるりと私の方を向いて下男と私の間に立ちはだかった。


「白月様。この場はお断りして、すぐにこちらを離れましょう。衆目を集めすぎたようです。紙太は改めて私が探しに戻ってまいります。ですから……」


 璃耀の言葉に、下男は悲鳴のような声を上げる。


「困ります! 必ずお連れしろと申し付けられたのです。お連れできなければ私の首が飛びます」


 その言葉に、楠葉がヒっと息を呑む。私はそれに安心させるように微笑んだ。


「首が飛ぶっていうのはね、暇を出されるってことだよ。本当に首を斬られるわけじゃないから大丈夫」


 しかし、璃耀は僅かに首を傾げる。


「まあ、この場合は、物理的に頭と胴が離れることもあるでしょうが……ただ、こうなってしまった以上仕方がありません。我々は一刻も早く離れたほうが無難です」


 至極冷静な物言いに、私は青ざめる。


「ぶ……物理的に!?」


 私の驚きの声に、下男も更に顔を青ざめさせる。他者に口に出して言われたことで、現実味が増したからだろう。


「貴方も逃げたら如何です?」


 璃耀が至極どうでも良さそうな声色で問うが、


「お屋敷に家族がいるのです……」


と、下男は、小さな声で呟いた。


 そして、ガバっと地面に膝をつき、土下座し始める。地面に頭を擦り付ける勢いだ。


「どうか、お願いします! 一緒に来てください!」


 首と胴が離れると聞いては、さすがにこのまま放っては置けない。


「璃耀……」


 私が見ると、璃耀は厳しい顔で首を振る。


「貴族の屋敷へ行くなど、とんでもありません。何かあれば無事に帰ってこられないかもしれません」

「でも……」


 進んで面倒事に突っ込みたい訳ではないが、自分が原因で目の前の男が殺されるかもと聞いて、放置はさすがにできない。

 行くだけ行って無難に終えて、すぐに都を離れるという訳にはいかないだろうか。


 私と璃耀はしばらく見つめ合う。


 璃耀は祈るようにこちらを見ていた下男に視線を向けて、もう一度私を見て、困ったような顔で笑った。


「少し、白月様と楠葉を驚かそうとしただけだったのですが、口が過ぎたようですね。申し訳ございません。その方はきっと大丈夫ですよ。いくら貴族が横暴といえど、それだけのことで命を奪うようなことまではしないでしょう」


 私はチラッと下男に目を向ける。

 下男は青ざめた顔でふるふると頭を振っている。懇願するような、縋り付くような目だ。


 私がじろりと璃耀を睨むと、璃耀は


「本当に失言だったようですね」


と言って、ハアとため息をついた。


 璃耀は仕方なしに、もう一度下男に向き直る。


「貴方の主のお名前は?」

「嵯馼(さもん)様というお方です」


 璃耀は下男に貴族の名前を聞き出すと、小さく聞き取れるかどうか、という声で「嵯馼……」と呟き何やら考え始める。


 すると、今まで黙っていた女性が、璃耀を横目に近づいてきて、私の手を両手で握った。


「大丈夫ですよ。私も一緒ですから」


 微笑む女性を璃耀はじっと見つめる。


「貴方はその貴族のことをご存知で?」

「いえ、詳しくは存じ上げませんが、比較的新しい下流貴族のお方だったと思いますよ」


 貴族に新しいとか古いとかあるんだろうか。

 よくわからず首を傾げていると、女性は璃耀の目をじっと見返し


「きっと大丈夫だと思います」


と繰り返した。

 璃耀は検分するようにその女性をまじまじと見たあと、ようやく一つ頷いた。


「仕方がありません。白月様、必ず私の指示に従うと約束してください」

「では……」


 下男が璃耀を見て顔を輝かせると、璃耀は面倒くさそうにもう一度頷いて見せた。


 私もホッと胸をなでおろす。


 貴族の屋敷に向かうことが決まると、璃耀は淡々と状況を確認していく。


「そこの貴方、従者の同行は許可されていますか?」

「許さぬとはおっしゃいませんでした」

「呼ばれているのは、白月様だけですか?」

「歌い手の方と奏者の方のお二方です」


 璃耀は、ふむ、と考え込んだまま、独り言のように、


「まあ、市井の者に従者がつくとは考えていないでしょうね」


と呟く。


「ひとまず、中に入れてもらえるかどうかは分かりませんが、私も一緒に参ります」


 すると楠葉もビシッと手を挙げた。


「私も!」


 しかし、すぐに却下される。


「楠葉はだめだ。貴族の屋敷へ連れていき、粗相でもしたら取り返しがつかぬ。宿はおさえているから、楠葉はそこで留守番だ」


 璃耀の言葉に、楠葉はしゅんと頷いた。

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