第3話 蓮花の園
私は歩きながら改めて周囲を見回す。
柵のようなものはないが、大きな円形に蓮華が咲いている。不思議とデコボコした場所もなくキレイな円形だ。ただ一点、荒された場所を除いて。
確かにキレイなのだが、そうは言っても蓮華だ。わざわざ盗んで行くものだろうか。しかも摘み取るのではなく掘り返してまで。
「この蓮華は何か特別なんですか? たしかに普通よりキレイですけど」
私が溢すと、女性は眉根を寄せる。
「何を言っているのです。この蓮華はこの場所にしか咲かない特別なものですよ。それに、花は貴重な薬になるのです。それくらい、この辺りの妖ならば誰でも知っています」
「妖」という言葉が出てきて、私はピクッと反応する。
「妖ですか?」
私がそう言うと、女性は首をかしげる。
「何かおかしな事でもありましたか?」
「あ、いえ。良くわからないことを言っていると思いますが、私、この世界に来たばかりで……あの、この世界には妖がいるのですか?」
「妖以外に何がいるというのです。」
「え、人とか動物とか……貴方も人ですよね?」
「人なんていませんよ。私も、ほら。」
女性は、不意に自分の背中から蝶のような大きな
わぁ! すごい!
妖だって。つまり妖怪の世界なの?私は兎の妖怪ってこと?
私が静かに興奮していると、女性は奇妙なものを見るような目で
「そんなことはどうでもいいのです。今は蓮華の話ですよ」
と翅をしまってしまった。
非常に残念だ。もっとよく見たかったのに。どうやって生えてるのかとか、本当に飛べるのかとか、鱗粉は出るのかとか。
私が恨めしい目で見つめていると、女性はフンと鼻を鳴らした。
「さあ、ここですよ」
近くに来ると、一層悲惨さがよくわかる。これは確かに怒りたくもなるだろ。
土が掘り返されて、ところどころ土がボコボコと盛り上がり、小石がゴロゴロしている。
もう一度植え直すには土を均すところから始めないと行けないだろ。
掘り返された土を触ると、確かに柔らかい土が表に出てきている状態だ。
「根こそぎ奪われたと言いましたが、根にも何か効能があるんですか?」
「そんなもの、あるわけ無いでしょう。周囲にほんの僅かに漂う陽の気を花が吸収して薬に変化するのですから」
また初めての言葉が出てきた。
「陽の気、ですか?」
私が尋ねると女性は諦めたようにハアとため息をついた。
「こちらの世界に生まれたばかりならば仕方ありませんね。いいでしょう。教えて差し上げます」
生まれた?
私は首を傾げたが、女性は無視して話を続ける。
「陽の気というのは、人の世に満ちていると言われる気のことです。この妖の世では、周囲に陰の気が満ち、太陽はほんの僅かしか見えません」
そう言うと、女性は空を指し示す。確かに、空には登り始めた太陽の影が雲の向こうにぼんやりとほんの僅かに見える。
しかも朝であるはずなのに、周囲は太陽が出る直前の夜明け前か沈んだ直後の夕暮れくらいの明るさだ。
なるほど、不思議な世界だ。
妖といえば、黄昏時から夜間に出るもの、という印象が強い。陰と陽というのも、よく聞く言葉だ。イメージしやすい。
「陽の気は本来妖の世界にはありません。ただ、そこの山の頂にだけは陽の気が満ち、陽の気で満たされた泉があると言います。ここは、その頂から僅かに漏れ出る陽の気が薄く漂っている場所なのです」
へぇ。私が走って降りた山はずいぶん特殊な山だったらしい。最初に出た泉は、女性の話す陽の気が満ちる泉だったのかもしれない。
「確かに、上の方にキレイな湖がありましたね。そんなに珍しいものだったなら、もう少ししっかり見ておくべきでした」
私が残念に思っていると、女性は目を丸くして私を見た。
「あの山から来たのですか? しかも泉から?」
「ええ、まあ。気づいたら泉のそばにいました。この世界に来たばかりだと言ったでしょう。いろいろあって、一気に山を降りてきてしまいましたが」
私はそう口にして、動く紙人形を頭に思い浮かべて思わず身震いする。
一方、女性は何故か私を見たまま固まってしまった。また何かおかしな事でも言っただろうか。
何とも居心地が悪くなり、私は話をもとに戻す。
「蝶も盗まれたと言いましたね。蝶の役割はなんです?」
通常でいえば受粉だが、妖の世界では違うのかもしれない。そう思って問うと、女性は私の呼びかけにはっと正気を取り戻したように
「蝶が花と花の間を飛び回ることで花が種をつけ、増えるのです」
と答えた。
なるほど、蝶の役割は人の世と同じのようだ。
「であれば、根こそぎ奪って別の場所で育てようとしたのかも知れませんね」
根には効果のない蓮華をわざわざわざ根から掘り返して持って行き、受粉に必要な蝶を連れ去ったのではないだろうか。
しかし女性は首を傾げる
「他の場所では育たないのに?」
むしろ首を傾げたくなったのはこちらだ。
山から流れ出る陽の気で育つならば、この山の周囲では同じように育つはずだ。
この場所にピンポイントで陽の気が流れてくるわけではないだろう。
根から奪って植え替え、虫に花粉を運ばせれば、そのうち数も増えるのではなかろうか。
「この場所、というのは、山の麓とかそう言うことですよね。それならば……」
私が言いかけると、女性は即座に首を横に振った。
「いいえ。厳密に言えば、今蓮華が生えているこの一帯以外には育ちません」
私はそれ以上続けることができずにポカンと口を開けた。
そんなにピンポイントなことある?
そう思ったが、すぐにある現象を思い出した。
土壌の汚染などの話題の時に、周囲は何ともないのに、ある一帯だけ異常に汚染が進んでいるような場所をホットスポットと呼ぶと聞いたことがある。ここはそれに当たるのだろうか。
もしそうだとしたら花の特別な効能も、周囲にある気のせいではなく、土のせいなのかもしれない。そんなこと調べようが無いが。
ただそう考えると、この場所でしか育たないということにも頷ける。
「そのことは、この辺りの者ならば皆知っていることですか?」
「皆かどうかはわかりませんが、大抵知っていると思いますよ。」
ほうほう。
「では、蓮華が盗まれ始めた頃に、そのことを知らない人物が来たということはありませんか?」
蓮華の価値は知っている。でも、他では育たないことは知らない。そんな人物がいれば、恐らくそれが犯人なのでは無いだろうか。余所者や新入りという可能性が高そうだ。
女性はうーんと考え始めたが、すぐに
「そういえば」
と顔を上げた。
「一月ほど前に、見知らぬカッパが来たことがありました」
カッパ!? すごい、見たい!
「この蓮華は、先程も言った通り、大変貴重な薬です。そのため、私が同等と判断したものと交換でなければ渡しません。けれど、カッパは何も持たずに来たのです。
しかも、大病を患った者が居るのであれば後払いでも良いと言ったのですが、どうにも言動が怪しく、詳しく問い詰めたところ、売るつもりだったというではありませんか。
腹が立って、そのまま追い返したのです」
あぁ、きっとそいつだろうな。根拠は薄いが、多分そうだと思う。
「この蓮華、他に植え替えたらどのくらい持つと思いますか?」
「はっきりとは言えませんが、三日ほどで枯れてしまうと思います」
なるほど。
「前に蓮華を持っていかれたのはいつですか?」
「三日前です」
三日で枯れてしまうならば、そろそろ持ち帰った蓮華が枯れてきている頃だ。私は空を見上げる。
盗むなら、夜間寝静まった頃だろう。妖が夜寝るのかはわからないが……
「いつも持っていかれるのは夜ですか?」
私が尋ねると、女性は「ええ」と頷く。
ならば何故真っ昼間に畑に来た私を有無も言わさず犯人扱いしたのか。納得できない。
納得はできないが、小心者はそんな事すら言い出せない。仕方ないので、もういいということにしておこう。
「なら、今夜辺り、また来るかも知れませんね」
丁度いいタイミングだったかも。
しかし女性は疑わしげに私を見た。そんな目で見なくてもいいのに。
「もう、何度か持っていかれているのでしょう?蓮華を持って帰って植え変えるのに枯れてしまうから、何度も蓮華を盗みに来るのだと思います。
ここでしか育たない事を知らない犯人は方法を変えながら、育て方を模索しているかも知れませんね。蝶まで連れて行くのですから」
正直、そんな労力をかけられるなら盗みなんて働かないで地道に何か用意して交換すれば良いと思うが、それだけこの蓮華には価値があるのかもしれない。
「ひとまず、夜まで待つのが良いでしょうね。今日か明日には来ると思いますよ。来なければ、育てるのを諦めたということでしょうし」
私がそう言うと、女性はハアとため息を一つついた。
「では、夜まで我が家へどうぞ。お茶くらい出しましょう」
先程まで盗人扱いされていたのに、まさか家に招待してもらえるとは思わず、私がまじまじと女性を見つめていると、女性にジロリと睨まれた。
「なんです?」
「いえ、何でもございません」
まあ、一息つかせてくれると言うならば、お言葉に甘えよう。
そう思っていると、「そういえば」と女性が私の方に目を向けた。
「さっきから背中に貼りつけている紙人形はなんです?」
唐突にそう指摘されて、私はザッと血の気が引き、全身の毛が逆立つような思いに晒された。
「いっ……!? ヤ、ヤダヤダヤダ!取ってとってとってーーーーー!!!」
こんなに怖い思いをしたことがあっただろうか。必死に走って巻いたと思っていた紙人形が、まさかずっと自分の背中に張り付いていたなんて!
私が叫びながらバタバタしていると、女性はヒョイと紙人形の腕をつまみ上げて、自分の目線の高さに持ち上げた。
しげしげと紙人形を裏返したり逆さにしたりして眺め、じっと顔があると思われる部分を見つめる。
僅かに紙人形の頭が前に倒れたかと思うと、女性はフウと小さく息を吐いた。
「連れて歩いた方がよろしいでしょう。吉と出るか凶と出るかはわかりませんが」
何それ!凶なんていりませんけど!
私はじりっと紙人形から距離を取る。
「い、いらないです! そんな不吉そうなもの!」
私はそう叫んだが、女性は静かに首を振る。
「吉と出れば、強い味方になりなすよ。危うい状況になったときに必ず助けになるでしょう。
貴方の害となるような行動をするのであれば、早々に燃やしてしまえば良いのです」
いつの間にか女性の手のひらに立っていた紙人形は、最初は女性の言葉に深く頷いていたが、燃やすという言葉が出ると、驚いたように女性を見つめた。
泉の周りで見たときはヨロヨロしていたが、何だか動きがしっかりしてきている。
かと言って、見た目の気持ち悪さは消えないが。
悪いものを封じ込めた御札みたいに見えるのだ。
「そこまで言うなら、貴方が貰ってくれませんか?」
私はそう主張したが、女性は再び首を振る。
「これは、貴方のためのものですよ。それに、その紙人形はどんな事をしても貴方について行く気で居るようですし」
紙人形を見ると、無言でコクコクと頷いている。
そして、不意に女性の掌から勢いをつけて飛び降り、身軽な様子でピョンピョンピョンと飛び跳ねて、私の肩に着地する。
ひぃぃ!
私が思わず手で払おうとすると、今度は頭の上に移動する。それを捕まえようと頭に手をやると今度はもう一方の肩に降りる。それを捕まえようとすると背中に移動する。
そんなことを繰り返し、私は自分の体周りを負いながらクルクルその場で無様に回る事になった。
数周したところで、私はハアハア肩で息をし、女性がクスクスと笑い始めた。
私がピタっと動きを止めて女性を見ると、紙人形も動くのをピタっと止めた。
「もう諦めなさいな」
クスクスが止まらない女性を見て肩の上の紙人形に目を向けると、紙人形は肩を竦めるようにしながら私を見た。
私はため息を一つつき、紙人形をツンとつついた。気味の悪さは残るものの仕方ない。
「凶なんて運び込んできたら、すぐに燃やすからね」
というと、紙人形は大きく頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます