第2話 盗人の嫌疑

 ……く……苦しい……!


 私は、一面紫がかったピンク色の中に飛び込むと、足を緩め膝に手をつき、何度か大きく息を吸ったり吐いたりしながら、呼吸を整えた。

 それと同時に振り返って追いかけてくるものがないかを確認する。


 さすがに、もういないよね……


 はあ〜、ともう一度大きく息を吐き出し、その場にしゃがむ。さすがに足が限界だ。


 しゃがんだ状態で改めてあたりを見回すと、目線の少し下に、蓮華の花々が広がっていた。花の一つひとつは少し大ぶりで、何故かちょっとだけ光っているように見える。


「……蓮華だったんだ。キレイ。でも不思議。」


 それに、先程までは目に入らなかったが、落ち着いてよく見ると、蓮華畑よりもやや濃い色合いの蝶がキラキラとした粉を振り撒きながら数匹舞っている。


 実に幻想的な光景だ。


 思わず、ほう、と感嘆のため息がもれる。

 その光景に魅入っていると、蝶が一匹、また一匹と、私に気づいたように少しずつ寄ってきた。

 手を少し上げると、一匹が手に乗るようにとまる。


 ぼーっとしたまま、みたこともないその美しい光景に吸い込まれるように見惚れていたからだろう。


「私の花畑を荒らすのは何者です」


と、視界の外から鋭い女性の声で突然呼びかけられ、ドキリと心臓が跳ねた。


 呼びかけられたというが、実際には心の中に突然響いてきたという方が正しいかもしれない。不思議とどちらの方向から声がかかったのか分かるが、耳で聞くよりもダイレクトに響いてきて心臓に悪い。


 私は反射的に飛び上がるように立ち上がり、声の主の方へ振り返った。


 そこには、薄紫色の長い髪を1つにまとめ、蝶と同じ色のキレイな着物を纏った人間の姿をした女性が、静かな怒りをたたえて立っていた。


「あなたですか。私の蝶を連れ去り、たくさんの蓮華を根こそぎ抜きとっていったのは。」


 口は動いているが、言葉は私の中で響くし、口の形と言葉があっていない気がする。吹き替え映画を見ているような感じだ。


 しかし、言葉自体はわかっても、その意味が全くわからない。私は蝶を連れ去ってなんていないし、蓮華も抜いていない。


 私は首を傾げて女性を見る。


 伝わるかどうかわからないが、そのまま話してみよう。


「……私は何もしていませんが、蓮華と蝶を誰かに盗まれたんですか?」


 どうやら伝わったようだが、女性は、質問に質問で返されたのが気に入らなかったのか、イライラしたように声を荒げる。


「何をとぼけたことを。何度も何度も盗んでおいて!

 見張っておいて良かったこと。

 見なさい。あのように荒らしたことで、土から掘り返され、美しく整えた園が台無しではありませんか。それに、育てた蓮華は丁寧に摘み取り、大君へ献上する予定だったのです。それを盗んだばかりか、私の大事な蝶まで連れ去るなど!」


 袖がバサリと音を立てるほど乱暴に指し示された場所を見ると、確かに蓮華畑の端の方が不自然に一部欠けている。


 なるほど。先程まで気づかなかったけれど、せっかくの美しい園なのに、その一部だけ花が途切れて土がむき出しになり、残念なことになっている。


 大君が誰かはわからないけれど、せっかく育てた園を荒らされ献上するはずだった花を盗られ怒り心頭のこの女性は、犯人を捕まえるべく、この場で見張りをしていたらしい。

 そこへ、見慣れない者が駆け込んできて園の中で長い間しゃがみこんでいたのだ。

 私は運の悪いことに、蓮華を掘り返していた犯人だと完全に勘違いされている。

 でも、このまま盗人扱いされてはたまらない。


「あの、勝手に入ったのは申し訳ないと思いますし、大事なものを盗られたのはお気の毒ですが、私は何も盗んでいません。」


 しかし、女性は納得いかないように首を振る。


「そんな筈はありません。罪人が来たら教えるようにと言い聞かせてあった蝶達が貴方に寄っていったではありませんか。貴方に違いありません。」


 そんな事言われても、知らないものは知らないし、そもそも蝶にそんな事がわかるのだろうか。


 いや、兎が立って喋っているような不思議の世界ならば、そういう蝶もいるのかもしれないけれど……


「そうは言われても、私ではないんです。少し走り疲れたからしゃがんで休んでいただけで、土を掘り返したりはしていません」


 ほら、と両手のひらを見せる。土汚れなどないキレイな状態だ。相変わらず、毛むくじゃらの手には慣れないけれど。


 それを女性は疑わしげに眉を顰めて睨む。


「それに、蝶がこちらによってきたから犯人だとおっしゃいますけど、本当に貴方が言っていることが蝶にわかるんですか?」

「当たり前でしょう! 私が手塩にかけて育てた蝶たちですよ!」


 女性は侮辱されたと思ったのか、顔を真っ赤にして、ほとんど叫ぶように言った。


 私は僅かに眉間にシワを寄せる。

 これほど興奮されては、話が進まない。


 でも、弁解するにも、ひとまず、蝶のことから解決しておきたいんだよなぁ……

 もし、本当に言葉が通じるのだとすれば、今度は蝶が寄ってきた理由を解明しなければならないし……

 とりあえず、ひとつひとつ解決していきたい。


「うーん……では、この場で蝶たちに、あちらの畑の端に集まるように言ってみてください」


 不意に言われた事で、女性は一瞬戸惑ったような様子を見せる。


 しかしすぐに、


「なぜ、貴方にそのような……」


と、女性は癪に障ったように反論しかけた。

 けれど、私はそれを遮る。


「蝶がよってくるのが根拠なのでしょう?ならば、ひとまず、貴方の言いつけどおり蝶が動けるかどうかを証明してもらわなければ困ります。

 まあ、本当に動けたとしても、私が犯人で無いことは確かなので、易々とは認められませんが、少なくとも根拠の有効性だけは示してください」


 私の無実を証明するためだ。犯人扱いする前に、ひとまず協力してもらわなくては。


「根拠に出来るような力が蝶にはあるのでしょう?」

「そ、そうです。蝶たちが教えてくれているのです」

「では、本当にそのように動けるのかを、まず見せてください」


 女性は一度、うぐぐっと押し黙ったあと、意を決して、畑の一角をすっと指さした。


「貴方たち、畑のあちら側に行ってちょうだい。そこの失礼な兎に貴方達の賢さを見せておやりなさい」


 しかし、蝶達は相変わらず、私と女性の周りをふわふわと舞っていて、移動する気配がない。


「さあ、お行きなさい」


 女性はもう一度声をかける。

 が、やはり反応はない。


「どうしたというの。いつもは私の言うことをきちんと聞くじゃないの」


 女性は痺れを切らしたように、さあ、さあ、と、自分の周りの蝶たちを手を振りながら追い立て始めた。


 えーー、いいの、それ?


 そう思いつつ見ていたけれど、蝶たちはやはり、女性の手をふわりと避けながらも移動する気配はみせない。


 しばらく様子を見て確認したあと、私はもう一度ため息をついた。


 やっぱり、蝶は蝶だね。


「貴方に言われたからと言って、特に移動などはしないようですね」

「そんな筈は……」


 女性は狼狽えたように蝶たちと私をみる。


「で……では、誰がこの畑を荒らしたというのです」

「そんなこと私にわかるわけがないでしょう」

「本当に貴方でないのならば、証拠を示しなさいな」


 まだ言うか。


「なら、まず、状況を教えて下さい。証拠と言われたって示せるものなんてありませんし、何が証拠になるかわかりませんから」


 私の言葉に女性は渋る様子を見せたものの、さっさと問題を解決したいのだろう。

 私を連れて荒らされた蓮華畑の一部に向かい始めた。

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