番外編 ーside.瑛怜ー
昨夜、清涼殿で、新たな帝の訪れを予告する鈴の音が鳴ったという。
三百年に一度鳴るその音は、驟雨様が最も恐れていた音だ。
百年前、先の帝が崩御された。
本来、帝の不在期間など無いはずだった。だが、想定よりも早くに崩御されたことにより、次の帝が来るまでの百年、帝位が空いたままとなることが確定した。
驟雨様は、最初は摂政の座に着いていたが、帝不在を良い事に、帝不在では民が心細かろうと、自らを帝だと僭称し始めた。
もともとが、帝不在の世では、妖世界の頂点にいたお方だ。
誰も否は唱えられなかった。
最初はそれでも良いと思っていた。民の拠り所となり、御世の安定がはかれるならば。
しかし、仮初の帝では、どうにも出来ない問題が一つあった。
鬼界と人界から妖界を隔てる結界の維持だ。
各地に情報網を張らせていればよくわかる。明らかにあちこちに綻びが出来てきている。
しかし、結界が綻んだところで、驟雨様には何も出来ない。
帝を僭称するだけでは、肝心の役目が果たせないのだ。
結界の強化は急務だ。さもなければ、鬼界の鬼どもが雪崩込んで来るだろう。
新たな帝の訪れを知らせる鈴の音は、妖界にとって福音のはずだった。
鈴の音が響いたその日、驟雨様は密かに、弟の翠雨様、岳雷、琥鳳、そして私を呼び出した。
初代帝を支えた四貴族家の者達だ。
岳雷と私は申丘、狗山の当主だが、琥鳳は、長男のくせに、優秀な弟の璃鳳に当主の座を奪われていた。ただ、璃鳳が先帝崩御の後、驟雨様に仕えることを厭って家を出たことで、当主代理となっていた。
驟雨様は、自らが帝になった後に朝廷を離れず着いてきた者を心底信用している。
それぞれ心内ではどう思っているのか、何を企み着いてきているのか、分かったものではないのだが、それを信用できてしまうのだから、為政者には向かないと常々思う。
権力欲に支配された兄ではなく、大義の為の信念を持つ翠雨様の方が余程優秀だ。
驟雨様は集まった者達の顔を見回し、重々しく口を開いた。
「陽の気を持つ者が遣わされる鈴の音が鳴った」
その場が驚きに満ちる。
帝の座を奪い取ったこのお方は、いったい、どのように処するおつもりなのか。
皆が驟雨様の次の言葉を待ち、互いの出方を覗う。
「……どうされるので?」
岳雷が痺れを切らしたように驟雨様の意向を探る。
「翠雨、迎えに行ってくれるか?先帝より御役目を賜ったのは其方であろう。陽の山へ入れるのは其方だけだ」
「陽の気を持つ方をお迎えして、兄上はどのようにされるおつもりですか?まさか、帝位を譲るおつもりではありますまい」
翠雨様の言葉に驟雨様は眉を上げる。
「協力しあえたら良いと思っておる」
驟雨様はそう言うと穏やかに笑った。
「ただ、どのような者かが判らぬ限り、協力しあえるかどうかも判らぬ。其方にそれを見極めてきてもらいたい。
新たに陽の気を持つ者を迎える際の慣例に従い、共に旅でもすれば、見えてくるものもあろう」
翠雨様はまじまじと驟雨様の目を見つめる。
「協力とはどのような?」
「もちろん、この世を正しく導く為の協力だ」
驟雨様は帝位をどのようにするつもりか明言をしない。
しかし翠雨様は、これ以上を引き出す事は難しいと考えたのか、諾々と従うことにしたようだ。
「承知致しました」
驟雨様は翠雨様の態度に満足そうに頷く。
「では、退席を許す。準備を整え、早速向ってくれ。頼んだぞ、弟よ」
「……はい」
翠雨様は、この場から追い出すような驟雨様の態度に何か言いたげな表情をしたが、そのまま飲み込み退室していった。
驟雨様は、しばらく黙ったまま、翠雨様の足音が遠ざかるまで待つ。
足音が聞こえなくなった頃、驟雨様はようやく一つ息を吐いた。
「翠雨様を排してまで、内密なお話が?」
琥鳳が声を潜めて問いかける。
ここに残ったのは、少なくとも表向きは驟雨様の忠実なる臣下だ。
琥鳳は弟不在の間に驟雨様に取り立てられ、恐らく一番、驟雨様に心酔している。
岳雷は四貴族に珍しく妖至上主義である。先代が先帝に尽くしたにもかかわらず、何があったか、それを嘲笑い、妖の頂点には妖が着くべきと驟雨様を持ち上げた。人界から来たものが妖界の頂点に立つなど許せないと溢しているのを何度も聞かされていた。
私は、安定した御世を維持してくれさえすれば、誰がこの世を治めようと構わない。その方に忠実に従うまでだ。
驟雨様はそれを自分への忠誠と勘違いしている節があるが、勝手にそう思わせておけば良いとおもっている。むしろ、その方が動きやすい。
「翠雨様に聞かせたくない何かがあるのですか?」
「あれは、ただ一人の弟だ。信用していない訳ではないのだが、少々潔癖なところがある。今から語る話は受け入れ難いやもしれぬ」
そう言うと、驟雨様は我らを順にじっと見た。
「其方らは、余に忠誠を誓えるか?」
「もちろんでございます」
言葉だけであれば、いくらでも言える。
しかし、驟雨様は
「そうか」
と満足気に頷いく。
そして、耳を疑うような事を語り始めた。
「余には野望がある。先の帝から聞かされた、人界のなんと素晴らしいことか。それをどうしても手中におさめたいのだ。これは余の宿願でもある。しかし、それには結界が邪魔なのだ」
「しかし、結界が無ければ、鬼界側の入口も開いてしまいます」
私の言葉に驟雨様は、頷いて見せる。
「実は先般、鬼界の使者殿が、綻びを通って秘密裏にやって来た」
「は、鬼、ですか?」
綻びが進んでいることは知っていたが、まさか、鬼がこちらに侵入してくるほどとは思わなかった。
しかし、使者とは。
鬼と言うものは、理性なく人や妖を喰う存在ではなかったか。
「それで、使者は何と?」
岳雷はなんの疑問も持っていないかのように先を促す。
「鬼どもは、鬼界に閉じ込められることを嫌い、開放されたがっておる。
結界を崩壊させ鬼どもの住処を提供しさえすれば、余に妖界を治めながら人界を手に入れる為の力を貸すと申した。
奴らは、我らとの共存を望んでおる。
鬼の力を借りられれば、人界を支配し、より豊かな御世が訪れるだろう」
そのような約束、いったい誰が守る。人界どころか妖界までも支配されて終いだ。そんな簡単な事にも頭が働かぬほど、己の野望と地位に目がくらんだか。
私は唖然として言葉もでない。
しかし、琥鳳は荒唐無稽なその話に目を輝かせる。
「その肝心の結界はどうされるので?」
何故、驟雨様の言葉通りに物事が進むと期待できるのか、理解ができない。これだから、璃鳳に当主の座を奪われるのだ。
驟雨様は大仰に頷く。
「このまま、結界に力を注がねば、結界が消えてなくなるだろう。しかし、それまで待つことはできぬ。
せっかく陽の気を持つ者がやってくるのであれば、あの忌々しい結界石を破壊してもらおう。
我らでは、あの石に近づくことすらできぬからな。その後で邪魔になるのならば、始末すればよかろう」
「それは、良いお考えですな。人界へ攻め入るのが楽しみでなりません」
岳雷は嗜虐心を刺激されたような何とも愉しそうな笑みを浮かべる。
……この者共に任せておけば、この世は直ぐにでも滅びる。
どうしてこうなった。
以前はここまで愚かでは無かったはずだ。
賢帝ではないにせよ、百年もの間、平らな世を維持できていたのだから。
三百年の期限がやってきて、帝位が惜しくなったのか。
それとも、鬼の甘言に惑わされて妙な希望を持たされたのがきっかけか。
大義を見失い、自らの権力欲に囚われて地位に固執するだけでは飽き足らず、抱えられもしないほどの大きな野望を本気で叶えようと考えるとは。
しかも、言うに事欠いて、結界石を破壊するなどと言い出すとは、気が振れたとしか思えない。
これを諌め説得すべきか。
いや、驟雨様が言うように、放っておいても結界は崩壊する。
平らな世を維持するならば、代替わりを急いだほうが確実だ。
ただ懸念もある。
こちらに遣わされる新たな帝が、これ以上の愚か者だった場合に、後戻り出来ない事態に陥る事は避けたい。
最悪の場合、脆くなった結界のまま、次の三百年を耐え忍ぶ覚悟が必要だ。
なるべく時間を稼ぎ、新たな帝の見極めをする時間がほしい。
それまでは、今まで通り忠実な臣下を装いこの愚帝に仕えておくのが良いだろう。
鬼との結託を止められなければ、翠雨様を帝に押し上げる必要も出てくるかもしれぬ。
いずれにせよ、時間は必要だ。
私がそう考えていると、その計画を真っ向から崩そうとする意見が上がった。
「結界石を破壊させるならば、直ぐにでも捕らえに向かった方が良いのでは?」
岳雷だ。
この阿呆に、私の計画を邪魔されては堪らぬ。
「陽の気を持つ者が来るのだとすれば、軍を大きく動かすことはお勧めしません。
宮中に広まれば、必ず、陽の気を持つものを帝にと言いだすものが出てくるはずです」
私の言葉に、驟雨様は頷く。
「余もそう思う。だからこそ、其方らだけをまず集めたのだ」
「では、私が行って捕らえて参りましょう。少数で行けば問題無いでしょう」
私はそれに首を振る。
「相手は陽の気の持ち主です。少人数で捕らえに行って返り討ちに合う可能性もあるでしょう。
岳雷殿の力は誰もが認めるところでしょうが、その後に起こる事への備えを優先させるべきです。
今、危険を侵してまで行うようなことではありません」
岳雷は顔をムッと顰める。
「私の力が、元人間ごときに敵わぬ可能性があると申すか」
「そうではない。他に力を使うべき場所があるということだ。人界攻めで、鬼に全ての功を持って行かせる気ではあるまい。
蒼穹を取り込み、軍を纏めておくくらいの準備は必要であろう」
「……うむ……そうか……」
この男は単純で助かる。
「翠雨様が京に導いてくださるなら、お任せすれば良いではありませんか。
京に来てしまえば、我らで捕らえることも容易になります。
それまでは、私の手の者に監視だけさせておきましょう」
「分かった。知略の部分においては其方が言うことに間違いは無かろう。任せるぞ」
「は。承知致しました」
ひとまず、時間稼ぎは叶いそうだ。
その場を後にすると、各々が直ぐに動き出した。
翠雨様は陽の山に旅立ち、私は部下にそれをこっそり追わせる。
岳雷は、私が言った通りに蒼穹を取り込みに向かったようだったが、どのような説得を試みたのか、時を置かずに、蒼穹は腹心一人と共に軍を去った。
あれは、蒼穹が纏め上げた軍団だ。それが抜けたとあっては、掌握には大層時間を要するだろう。都合が良い。
私の方はと言うと、部下は一度、翠雨様の姿を見失ったようだったが、陽の山から降りてきた一匹の兎が紅翅に接触したと報告を受けた。
妙な紙人形が一緒だと言う。それが翠雨様かどうかまでは判らぬが、陽の山から降りてきたのなら、その兎が新たに遣わされた帝で間違い無いだろう。
ただ、その兎を負うのは一筋縄ではいかなかった。
狩り尽くされたと思われていた羊と接触したかと思えば京を目指そうともしない。
グズグズしている間に大鳥に連れ去られ、その姿を見失った。
それから一月ほどして、ようやく見つけたかと思えば、その時には何故か璃鳳を連れていた。
分かったこともある。
兎は、良くも悪くも欲がない。
報告から察するに、恐らく兎は自分が帝位に就くために遣わされたことを知らない。
それなのに、道行く妖に妙な相談を持ち掛けられては一つ一つ解決して周り、人界への入口があいていれば閉めていった。
大した利もないのに良くやるものだ。
高尚な志があるわけではないが、少なくとも結界を壊すような愚は侵さぬだろう。
もう少し様子を見ていたかったのだが、雉のくせに鼻の効く璃鳳の目を掻い潜って様子を覗うのは至難の技だ。
しばらく追跡していたが、途中で見つかりそうになったため、打ち切りを余儀なくされた。
「璃鳳がかの者に接触し、目を光らせています。問題なく京には向かっていますので、追跡は一度打ち切り、このままこちらへやってくるのを待ちましょう」
わざわざ琥鳳のいる前で驟雨様にそう進言すると、琥鳳が申し訳無さそうな顔をしながら私に加勢した。
家の落ち度と捉えられぬようにするためだろう。
この男は、驟雨様の評価を殊の外気にするところがある。
私の進言は受け入れられ、京へかの者達が来た段階で検非違使が捕らえるように命じられた。
もちろん、そんな命に応じるわけがない。承諾の返事だけして、下への指示は通さぬまま放置した。
捕らえられずに責められたとしても、阿呆の振りをして、人の姿にいつの間にか変われるようになっていたので見落としたとでも言い訳すれば良い。
見極めは十分だ。このまま、彼の者達を見逃して、水面下で少しずつ、代替わりの為の準備を進めて行けば良い。
その後、翠雨様が、璃鳳の企みで、彼の者らと逸れてしまったと驟雨様に詫に帰った。
あの紙人形が翠雨様だったとすれば、それなりに楽しそうにやっていたのだ。璃鳳がわざわざそのような企みをするわけがない。
少し前、驟雨様の周りを嗅ぎ回っていた翠雨様の腹心に、敢えて驟雨様の企みを聞かせた事があったが、それが伝わったのだろう。
翠雨様も、一度彼の者らを逃がす事にしたらしい。
「また璃鳳か」
と呟く驟雨様に、琥鳳は顔を青くさせていた。
しかし、私の思惑も、翠雨様の思惑も、そう上手くはいかなかった。
しばらくして、京で俄に騒ぎが起きた。
原因は例の兎である。
京を管理する私のもとには、起きた騒ぎは必ず寄せられるのだが、頭を抱えたくなったのは今回が初めてだ。
彼の者らが京に来たら、何事もなかったかのように見逃す予定だったのに、何故自ら騒ぎを起こすような愚を犯すのか。
いったい、璃鳳は何をしている。
直ぐに騒ぎを握り潰し、部下にも口止めを命じたが、人の噂に戸はたてられぬ。
瞬く間に、歌上手の兎の話は暇な貴族共の間に広まった。
さらにそれが驟雨様の耳にも届き、蛍見の宴へ招待する旨の勅書をしたためさせるその男を、さした理由もなく止めることは出来なかった。
宴のあとの騒ぎは見ものだった。直接事の次第を驟雨様に問い詰めるような愚か者はいないが、少しでも情報をと求める者たちで宮中は溢れかえった。
一方で、驟雨様は彼の者を捕えようと必死になった。翠雨様が宴の直後に連れて行ったと聞いたが、その後の足取りが掴めず、我らに宮中の封鎖を命じた。
さっさと宮中を去っていれば良いと思ったが、そう都合良くはいかなかった。
夜中、不審な影が宮中をうろついていると報告を受けた。
彼の者達だろう。
宮中で起こることには岳雷も動く。京の市中で起こった事ならいざ知らず、宮中で起こった事を揉み消すことは難しい。
さて。どう収集をつけるべきか。
私は頭を悩ませながら、表門に向かおうとする岳雷を横目に、裏門へ急いだ。
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