第37話 友好の証

 リバーシ大会が終了し、上機嫌の首領に練習相手をせよと迫られて何戦かしていた頃、慌てたように、一人の烏天狗が目の前の首領に駆け寄ってくるのが目に入った。

 それと同時に、周りで練習を重ねる烏天狗達も、ピタリと動きを止めて入口付近に目を向ける。


「これは何事ですか?」


 唐突に聞き慣れた呆れ声が響いてきて、私はビクっと体を震わせた。

 顔をあげると、入口近くに立派な着物姿の瑠璃色の髪の男が烏天狗に案内されて立っていた。


「……り……璃耀? なんでここに……宇柳は……?」

「宇柳は、翠雨様のお叱りを受けて謹慎中です。しばらく出てこられません。代わりに私がお迎えに上がりました」


 そう言うと、璃耀は先程までリバーシに打ち込んでいた首領の前に歩み寄り、スッと跪く。

 首領も姿勢を正し、厳しい顔付きになった。こうしていると威厳があるのに、横に置かれているのがテーブルゲームというのが、なんとも様にならない。


「烏天狗の首領、玄嘴げんし様。雉里家次子、璃鳳と申します。この度は、朝廷の臣下が領空へ侵入したとのこと、深くお詫び申し上げます。皇弟殿下の使者として、書状をお持ちいたしました。」


 璃耀が慇懃に書状を差し出し、それを従者の一人が預かって首領に手渡す。

 首領はハラリと書状を広げてざっと目を通すと、璃耀に目を向けた。


「ふむ。雉里の者を使わしたか。まさか、本当に上位の者を使わして来ようとは、少し目論見が反れたな……

 まあ良かろう。謝罪を受け入れる。以後、このようなことのないよう、朝廷内に徹底して周知させよ」

「承知いたしました。寛大な御裁断、感謝いたします」


 こうやって見ていると、璃耀は本当に権威のある家柄の者なのだと改めて思う。

 私と宇柳だけでは全然話が進まなかったのに、雉里の名前とカミちゃんの書状で、あっさり解放されることが決まってしまった。


 少しだけ恨めしい思いでそのやり取りを見つめていると、璃耀は今度は私に向き直る。


「白月様。まずは、貴方がご無事で何よりでした」


 璃耀の表情は柔らかい。きっと、すごく心配をかけたのだと思う。


「うん、璃耀も無事で良かった」


 私もそれにニコリと笑顔で返した。

 無事だとは聞いていたが、実際に元気な姿を見ることができて、ホッとした。

 宇柳も璃耀も元気ならば、きっと他のみんなも大丈夫だろう。


「ひとまず、こちらを御暇しましょう。お話したいこともあります。話を聞くに、何故宇柳が使わされたのかもお聞きになっていないのでしょう?」


 璃耀にそう言われ、私ははたと気が付いた。

 そういえば、宇柳が来た理由を聞く前に烏天狗に捕らえられたんだった。


 私は頷いて首領に向き直る。


「首領、迎えが来ましたので、私はこちらで失礼しますね。また、勝負しましょう」


 私がニコッと笑うと、首領が獲物を狙うようなキラリと光る目で私を見据えた。


「いや、待て。まだ話は終わっていない」


 ……なんだか嫌な予感がする。


「朝廷の使者殿、今回の件は別として、白月をこちらへ嫁入りさせる気はないか? もちろん、そちらの利になるような条件をつけてもらって構わぬ」

「……は?」


 璃耀が首領の言葉に、怪訝そうに眉根を寄せる。しかし、首領はお構いなしだ。


「白月は、随分実務能力に長けておるようだな。先程までここで行っていた、りばーし大会の運営も、ただの三日で随分手際良く進めておった。小さな体で大したものだ」


 や、やめて! 余計なことを言わないで!


 しかし、私の心の叫びを他所に、璃耀はリバーシの残骸が散乱する室内と、居心地悪そうにする烏天狗達に視線を巡らせる。


「……まさか、この部屋の有様は白月様が?」


 璃耀は怪訝な顔を一層険しくして、今度は私に目を向ける。


「……白月様が烏天狗の領地で一体何をなさったのかは存じませんが、よもや、烏天狗の首領から直々に嫁入りを打診されることになろうとは。白月様ご自身がそれをお望みで?」

「め……めめ滅相もない!」


 私はブンブンと頭を横に振って、力の限り否定する。璃耀のこの感じは良くない徴候だ。


「では、一体何があってそのようなお話に? りばーし大会とは何です? 今回の事態を丸く収めるために来たというのに、何故そのような打診をされるのです? 何故このような僅かな隙に事態が急転するような事が起こるのです? 翠雨様の書状は一体何のためにあるとお思いなのですか?」


 璃耀は片手で目頭を抑えてグリグリしながら、もう片方の手指で軽く畳をトントンと叩く。


「わざわざ私が使わされた意味合いも、持たされたのが宇柳の為の書状では無いことも、白月様ならばお分かりでしょう」


 駄目だ。完全に璃耀はお説教モードに入ってしまっている。感動の再会だったはずなのに、どうしてこうなってしまうのか。


 しかし、こちらの事情を全く知らない首領は、当たり前だが空気を読んではくれない。


「だから、梟の領空侵犯とは別件だと言っているだろう。この短期間で見張りを巧く取り込み、我等の間に流行を広げ、大会運営を一手に担える手腕を買っての申し出だ。こちらは対等な取り引きで話をつけたい」


 もう、お願いだから黙って!


「随分お気に召されたようですね」


 璃耀が首領の言葉にピタっと動きを止めて、首領にむけてニコリと微笑むと、首領は大きく頷く。

 私にはその笑みが不吉そのものに見えて仕方がないのだが、首領は話が前に進みそうだと思ったのか、表情を緩める。


「兎の身でこの領地へ一人来るのは肩身が狭かろうと思ってのことだったが、懸念があるならば別に嫁入りでなくても良い。

 どうだ、白月。

 それとも、翠雨とやらの了承が必要か? こちらから交渉を直接持ちかけても良いが」


 璃耀は笑みを浮かべたまま、今度は私に目を向ける。


「宇柳への罰は謹慎処分では甘すぎたようですね。烏天狗の首領から翠雨様への直接交渉など、どのような事態を引き起こすか分かったものではありません。白月様を巻き込んでそもそものきっかけを作り出した宇柳は、命を取られないだけマシだと思わなくてはならないでしょうね」


 ヒィィィ。


「しゅ、首領! 私は何度もお断りしたではありませんか! こんなところで蒸し返さないでください!」

「このような場だからこそ、上役に直接交渉を持ち掛けるのではないか。翠雨とやらが了承すれば、其方も断れぬであろう」


 璃耀は首領の言葉に仕方がなさそうに小さく首を振ると、表情を引き締めて首領を見る。


「翠雨様の了承など、どうあってもとれません。それに、例え翠雨様が了承の意を示したとしても、翠雨様が白月様の身の上を自由にすることもできません」


 首領は片方の眉を上げて璃耀を見る。


「どういうことだ? 翠雨とやらが白月の上役ではないのか? 帝の弟であれば、如何様にもできよう」

「ですから、翠雨様のお立場では如何様にもできないと申し上げているのです」


 明言を避けようとする璃耀に、首領は怪訝な表情を浮かべる。それを見かねた烏天狗の一人が後ろから何やら耳打ちをしはじめた。

 先程まで、璃耀を案内していた者だ。


 様子を伺っていると、首領の目がみるみるうちに大きく見開かれ、私をまじまじと見つめ出す。

 それだけで、一体何を言われたのかが大体分かった気がした。


「其方、妙な問題を抱えているどころでは無いではないか!」


 耳打ちが終わるや否や、首領が唾を飛ばしながら声を荒げる。

 でも、そんな事を言われたって、ここに連れて来られたのは私の意思ではないし、嫁入りなどと言い出したのも私ではない。


 ただ、この展開は好都合だ。これ以上、話が拗れる前にさっさと御暇してしまおう。


「では、私がここに居てはご迷惑なようですし、すぐに御暇したほうが良さそうですね」


 しかし、私がそう言いながら立ち上がろうとすると、首領は慌てたように手で制す。


「い、いやいや、待て待て。少し考える時間をくれ。賓客としてもてなすから、せめて一晩泊まっていけ」

「え、でもご迷惑なのですよね?」

「迷惑などではない。少々驚いただけだ。それに、大会の労いくらいさせてくれても良かろう」

「いや、でも……」

「それに、このまま勝ち逃げするような卑怯な真似をする気ではあるまい?」


 どうやら先程までのリバーシの事を言っているらしい。


「勝ち逃げではありませんよ。先程、一敗したではありませんか」

「その後、また一勝したであろう。それに、勝ち数で言えば、其方が圧倒的であろうが」


 いやいや、そんなことを言い出したら、私が勝った分負けないと帰れないのでは……


「とにかく、一晩泊まっていけ。もうすぐ夕暮れだ。どちらにせよ、夜になれば動けぬであろう」


 ……まあ、そうだけど……


 私はチラッと璃耀を見る。

 璃耀は私の視線に気づくと、フゥと息を一つ吐いた。


「これ以上余計なことはしないと約束頂いた上で、私にお供をさせていただけるならば構いません」


 ……いや、ちょっと、その言い方はどうかと思う……


「ただその場合、下で待機している者達を説得せねばなりませんね」


 璃耀の言葉に、首領はシッシと手を振る。


「ならば、其方は他の者らを説得してくるが良い。それから、其方らは白月らの部屋を用意せよ。賓客にこのままというわけには行くまい。その間、我等はもう一戦だ」


 首領が自分の部下に指示すると、周囲がすぐに動き始める。一方、当の首領は既に盤に向き合っていた。


 どうやら、泊まって行くことは、既に決定事項になったらしい。


 璃耀はそれに、小さく溜息を漏らした。


「では白月様、私は下で待機している者達に知らせてまいります。翠雨様に報告もせねばならないでしょうし。

 白月様はこの場から動かず、決して騒ぎを起こさず、大人しく静かに待っていてると約束してください。よろしいですね?」


 璃耀は真剣そのものといった様子で私をじっと見つめる。


 ただ少し席を外すだけなのに、大袈裟では無かろうか。小さな子どもじゃあるまいし……

 周囲の視線がなんとなく痛い。


「……ただ少し外へ出るだけだろう?」


 首領の言葉に私も頷く。しかし、璃耀は首を横に振る。


「その少しが油断ならないのです。今まで起こした騒ぎの数々を忘れたとは言わせません」


 えぇ……


「其方、信用が無いのだな。」


 首領が憐れむような呆れたような声を出した。


「これに関しては信用などありません。さあ、約束してください。白月様」


 ……他人様の領地で、そんなにハッキリ言わなくても良いのに……私が俯きながらチラッと璃耀を見ると、璃耀は私の返答をじっと待っている。


「……はい。動かないし騒ぎも起こしません。大人しくしています……」

「必ずですよ。」


 私が呟くように約束すると、璃耀はようやく頷き立ち上がった。


 璃耀が部屋を出ていくと、私はフウと息を吐き出す。


「帝に使える雉里の者は厳しいと聞いたことがあったが、あれは厳しいというよりも、過保護が過ぎるな。」


 首領が扉の方を見ながら呆然とした様子で呟く。


「……いろいろ仕出かした自覚があるので、私からは何も言えません……」


 首領は意味ありげに周囲の者たちに視線を巡らせたあと、小さく息をはいた。


「まあ、あの手の者には逆らわぬ方が良いのだろうな」


 同情めいた視線に、首領にも同じような人物に心当たりがあるのだろうと察して、私は小さく頷いた。



 その後、もう一戦と言いつつ、首領と私は結局日が暮れるまで何戦かすることになってしまった。

 いろいろ用事を済ませて戻ってきた璃耀が未だ勝負をしている私達に目を丸くし、さらにもう一戦、と言い出した首領を周囲が何とか止めたことで、私達はようやく別の部屋に案内された。


 賓客と言っていた通り、今までは自分の部屋に閉じ込められたまま、特に食事の用意なども無いままだったが、今は物凄い宴席が用意されている。


 たくさんの者が集まり、食べ物がこれでもかというほど並んでいる。飲食の必要のないこの世界で、贅を尽くしたと言えるくらい豪勢な食卓だ。最大限の持て成しなのだろう。


 私は首領と並ぶ最奥に膳を用意された。斜め前に璃耀、その隣にニ名、先程まで外で待たされていた者たちが並んでいる。


 宴が始まる前、二人は私の前に並んで跪いて挨拶をしてくれた。

 二人は椎と凪という男女で、カミちゃんの腹心なのだという。

 椎は細身だが背が高く頼り甲斐のありそうな風体で、凪の方は可愛らしい雰囲気が残っている。

 ただし、何故か二人ともとても緊張している。


 そんなに畏まらなくて良いのに、とは思ったが、当然のような顔で私の隣に控える璃耀の手前何も言えず、


「よろしくお願いします」


と微笑むくらいしかできなかった。


 後でこっそり璃耀が教えてくれたのだが、璃耀だけで宮中を出るわけにはいかず、皇弟からの監視役としてつけられた、という体なのだそうだ。


 宴が始まると、着飾った女性が酌をしてまわり、音楽が鳴り響き、舞が披露される。

 始終、首領はご機嫌だ。


 ただ、リバーシ大会について話を聞きたがる璃耀を抑え、首領に余計なことを言わせない事に、私は最大の注意を払う必要があった。

 これ以上説教をされてはたまらない。


 自分がリバーシを始めたことをできる限り押し隠し、大会をやりたいと言い出したのは首領だということを精一杯アピールする。

 さらに首領を褒め称え、首領に話を向けることで、自分の影を薄くしていく。


 せっかくの宴なのに……


 私は小さく息を吐き出した。


 大会の話にひとしきり花を咲かせた首領は、ふと思い出したように手を打った。


「りばーし大会に協力すれば褒美をとらせるといったであろう。何が良いか考えたのか?」


 そういえば、確かにそんな話をしていた気がする。大忙しの大会準備と璃耀が来た衝撃ですっかり忘れていた。


 ただ、褒美と言われても難しい。万が一、カミちゃんが協力してくれなかった時の保険だったが、それももう必要ない。


 ……うーん……まあ、保険は保険として取っておこうかな。今回の宇柳のような事が今後ないとも言えないし……


「では、何もいりませんから、今後何かあった時には手助けをしてください」


 私がニコリと笑うと、突然、周囲がざわめき立った。


「我等に其方の味方をしろと?」

「……え、味方? ……うーん、まあ、そうですかね。」


 味方という程広義のつもりではなかったが、確かに何かあった時に手助けしてくれる場所になってくれるのは有り難い。この世界で知り合いが少なすぎる私には、頼れる場所はいくつあってもいい。


 首領はそれにニヤリと笑う。


「ふむ。それは大会準備の功労だけでは、ちと足らんな。時々ここに来てりばーしの相手になり、新しい遊びも教えに来るのであれば、考えてやっても良い。」

「え、ええ。それは全然いいですけど……」


 私がそれに応じると、首領の周囲にいた者たちが俄に騒ぎ出す。


「首領!」

「そのように安易に決めて良い事では御座いません!」


 私は、周囲の反応に首を傾げる。


 何か困った事があったときに、口添えするなり、手助けするなりしてくれればそれで良いのだが、私はそんなに変な事を言っただろうか?


 戸惑っていると、璃耀も私の反応を探る様に口を開く。


「よろしいのですか? 白月様」

「……よろしいって……ねえ、璃耀、一体何が……」


 しかし、私が言いかけたところで、首領が


「静まれ!」


と周囲を一喝した。


 私もそれに口を噤んで、視線だけを璃耀達に向ける。璃耀は私が意味を理解していない事に気づいたのか、額に手を当てて息を吐き出し、椎は戸惑うように私と周囲を見比べ、凪は何故か私にキラキラした尊敬の眼差しを向けていた。


 ……何なに? どういうこと?


 私が戸惑っていると、首領は動揺する周囲を見回し声を張り上げる。


「そもそも、この地への領土野心を隠そうともしない現帝にはほとほと愛想を尽かしていたではないか。新たな帝の擁立に協力することに一体なんの異存がある」


 ……え……あ……そういうこと……?


「幸運にも、我等は新たな帝となる者と既知を得た。しかも、どのような者かを理解するに十分な時間であったはずだ」


 首領の言葉に、先程まで反論を口にしていた者たちが次々と静かになっていく。

 首領はそれを確認すると、私をじっと見据えた。


「我等が領地を脅かさず、友好を維持すると誓えるか? 白月」

「え、ええ……それはもちろん」


 私はこの領地をどうにかしようなんて気は全く無いし、この気のいい烏天狗達と、できるだけ仲良くしていきたいと思っている。

 ただ、私は今、一人だけ完全にこの場の雰囲気においていかれている。


そんな事には気づいていない様子の首領は、私の返答にニッと笑った。


「ならば、其方に我等の力を貸そう。白月」


 首領はそう言うと、手付かずだった私の盃に酒を入れ、自分の盃にも酒を入れてそれをかざす。

 私がそれを呆然と眺めていると、首領は私の盃を手にとって、こちらに付き出した。


「何だ、誓いのやり方も分からぬのか? 盃をとれ、白月。其方が望んだことだぞ」


 私は何がなんだかわからないまま、言われた通りに盃を受け取る。


「我等の友好の証に。」


 そう言うと、首領はぐっと酒を飲み干した。

 私もそれにつられて、盃に口をつける。


 熱い酒の感覚が喉をぐっと通っていく。それと同時に、頭がふわっと浮かされるように熱が巡っていく。


 ……お酒、苦手だった……


 ギュッと目を瞑ってから周囲を見渡すと、首領は愉快そうに大きく笑い、烏天狗達は熱気に満ちた声を上げ、璃耀は額に手を当てたまま固まってしまっていた。

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