第38話 道の選択
宴が終わると、私は今までとは全く違う御簾のついた豪華な寝台のある部屋に通された。部屋を仕切る襖も綺麗な絵が描かれていてとても豪奢だ。
今までが無地の襖と畳に薄い掛布だけだった事を考えると、随分な差があり目を瞬く。
畳に直に寝るだけでも十分だったので、突然ここまで豪華になるとなんだか落ち着かない。
私の部屋のある窟の隣が璃耀の部屋で、私の部屋の見張りに女性の凪が、璃耀の部屋の見張りに椎がつくことになった。
当初、璃耀は私の部屋の見張りに二人をつけようとしていた。しかし、雉里の者の部屋に見張りをつけないわけにはいかないと、椎が譲らなかった。
夜が深まり周囲が寝静まった頃、不意に扉の向こうで物音がした。
部屋の前で凪が見張りをしてくれていた筈なので、さほど気にもしていなかったのだが、唐突に璃耀の声がして私はビクっと体を震わせる。
「白月様、起きていらっしゃいますか?」
私は恐る恐る襖に近づき、僅かに開けて璃耀の様子を伺う。璃耀は頭を下げて跪いていて、顔が全く見えない。
「あの……どこにも行ってないし、静かに大人しくしていましたが、何か御用でしょうか……」
おずおずと私が言うと、璃耀は呆れ顔で私を見上げる。
「……お話したいことがあると言ったでしょう。監視のいないところでお話しておきたかったのです」
「え、凪は?」
襖を大きく開けて部屋の外を見回すと、入口付近で壁に寄り掛かったまま意識を失っている凪が視界に入った。
「な……ぐムっ!」
私が声をあげながら凪に駆け寄ろうとすると、私を止めようと立ち上がった璃耀にぶつかり、そのまま口を塞がれた。
「静かに。大丈夫です。眠っているだけです」
「……眠ってるって……」
璃耀を押しのけて近くに寄ってみると、確かに凪は小さく寝息を立てている。
「この二人がいると都合が悪かったので」
「え、璃耀がやったの?」
背後から冷静に響いた声音に振り返り、私は目をみはる。
「ええ。あちら側で椎も眠っています。もともと薬売りですからね。警戒していない者によく効く眠り薬を盛るくらい、どうということもありません」
私は唖然として璃耀をまじまじと見つめる。
「そのような顔をされずとも、手荒な真似はしていませんよ」
璃耀は無実を証明するように私に向かって両の掌をパッと向けた。
「……でも、そんなものを持ってるなんて今まで一度も……」
「ここぞという時にしか使いませんからね。多用すれば警戒されて役に立ちませんし。」
それはそうかもしれないけど……
私がなんとも言えない顔で璃耀を見ていると、璃耀はニコリとこれみよがしに笑って見せた。
「白月様と共にいる時に使用したのは今回が初めてなのでご安心を」
一体何に安心すればいいのかわからないし、眠り薬以外にもいろいろ持っていそうなのがなんだか怖いが、私は璃耀の笑顔に口をつぐんだ。
「ところで璃耀はどうやってここに来たの? 飛ばないと部屋を渡れないでしょう?」
女の子の凪を入口すぐに寝かせておくのはなんだか心配で、璃耀に座敷まで運んでもらいながら問うと、璃耀は僅かに眉根を寄せた。
「私は雉ですよ。長く飛び続けることが出来ないだけで、短い距離を羽ばたくことくらい出来ます」
どうやら、翼を持つ者としての矜持に傷をつけたらしい。
「ごめんなさい」
私が素直に謝ると、璃耀は小さく息を吐き出した。
さて、せっかく璃耀と二人だけになれたのだ。今のうちに、いろいろな疑問を解決しておこう。
まずは、宇柳の安否からだ。
謹慎とは聞いたものの、酷い目に合わされていないかとても心配だ。
「あの、璃耀、それで、宇柳は……」
「ですから、謹慎です。まあ、あれでは座敷牢に軟禁と言った方が近いでしょうが」
璃耀は思い出すように言う。
「……軟禁……私、許してあげてってお手紙に書いたのに……」
「だから、謹慎で済んでいるのです。烏天狗の領空に侵入したばかりか、白月様を質に取られるなど、どんな処分を受けようと文句は言えません」
「でも、体の一部を差し出すか、嫁や婿に来いって言われて仕方なく……」
「白月様が嫁入りするのは論外ですが、宇柳が体の一部を差し出すか婿入りすれば良かったのです。まあ、あの調子では、それが意味を成したかは分かりませんが」
璃耀に軽く睨まれ、私は体を小さくする。嫁入り話は流れた筈なのに、まだ怒っていたようだ。
「それに、今回の処分を決めたのは翠雨様ですよ。これでもずいぶん譲歩したほうです。言って素直に聞くような方ではないでしょう」
確かに、カミちゃんが私の意見など素直に聞き入れるわけがない。
翠雨の姿では優しいイメージが強いが、そもそもがあの紙人形だ。
「ずいぶんお怒りでしたよ。役目を果たせなかったばかりか、自らの失態に白月様を巻き込み、無茶な条件をつけられ、烏天狗の山に質として白月様をおいたまま翠雨様に泣きつきに帰ったわけですから。しかも、それによって宮中に烏天狗を招くような目立つ真似を仕出かす有様です。
さらに、要請に応じたにも関わらず、書状を無視して烏天狗の首領から嫁入り話を打診されたとあっては、一体どうなっていたか分かりません」
……そのうちの半分くらいが私のせいな気がする……宇柳に申し訳ない。
しかも、話しながら璃耀の方がイライラしだしている。まるでカミちゃんの独断のような言い方をしていたが、もしや、カミちゃんと一緒に宇柳を責めていたのではなかろうか。
「り、璃耀は止めてくれたんだよね? カミちゃんのこと……」
「何故止める必要があるのです。他の者が白月様の書状を盾に説得しようとしなければ、両目を差し出して詫てこいと追い返していたところです。少なくとも、軟禁などという甘い処罰ではなく、石牢に放り込むくらいはすべきでした」
……片目じゃなく両目……?
「……宇柳は無事……なんだよね……?」
改めて確認すると、璃耀は腹立たしげに頷いた。
私はほっと息を吐く。しかし、それは束の間だった。
「しかし、白月様も白月様です。あれ程、騒ぎを起こさず、御身を大事にと言ってあったにもかかわらず、宇柳と共に烏天狗の山にのこのこ着いて来たばかりか……」
すぐに、璃耀がくどくどと説教をはじめる。随分久しぶりな気がするが、全く嬉しくない。
しかも、二人きりなので、誰も止めてくれる人がいない。
烏天狗を巻き込んだリバーシ大会の事まできっちり説教した後、璃耀は疲れたように、ハァと息を吐き出した。
ため息をつきたいのはこちらである。
ようやく落ち着きを取り戻した璃耀に私も小さく息を吐いていると、璃耀は姿勢を正してまじまじと私を見つめた。
「白月様はこれからどうなさるおつもりですか?」
突然の璃耀の言葉に私は小さく首を傾げる。
「……どうって……?」
「あのご様子では、意図したものでは無かったのでしょうが、烏天狗に協力を要請した形になったでしょう」
……あ……そうだった。
「そもそも、宇柳は、貴方の無事を確認した上で貴方の意思を問い、否とお返事されるようならば説得するのが役目でした。
翠雨様は、何が何でも貴方に帝位をとらせるおつもりです。今回の事は、さぞお喜びになるでしょう。あなたが自ら烏天狗の協力を取り付けたのですから。
恐らく椎か凪の何れかから貴方が帝位に前向きであると、既に報告が上がっているでしょう。
今後、ますます動きが勢い付くはずです」
私が大して考えもせずに発した言葉がそんな風に事態を動かすことになるとは思わなかった。
体中から血の気が引いたような心地になる。
私の様子を見かねたように、璃耀は小さく息を吐いた。
「ただ、私は、貴方が望まぬのならば、無理に帝位になどつかなくても良いと考えています。
このまま、翠雨様から逃げるという選択肢もあります」
……カミちゃんから逃げる?
璃耀は真剣な眼差しで私を見つめる。
「貴方にだって選ぶ権利はあっていいのです。ただし、それを選ぶのなら水面下の動きである今のうちに手を打たねばなりません。」
「……今のうち?」
璃耀は厳しい顔つきでコクリと頷く。
「現帝の支配下にある以上、誰も表立っては言いませんが、宮中は既に水面下で現帝派と新帝派で割れています。
一方、死の泉での処刑が、貴方を貶めるような根も葉もない噂と共に表ざたになり、貴方の生存自体が疑問視され始めました。広めているのは現帝派です。
今、翠雨様は新帝派の者を纏め上げるために、旗頭を求めています。つまり、貴方を。
私は、貴方を秘密裏に京へお連れするよう命を受けてきました。
山羊七のところで安全に過ごしているのが貴方にとっては最善でしょう。しかし、それでは新帝派を纏めきれないのです。」
まさか、私が山羊七のところに避難している間に、そんな事になっているとは思いもしなかった。
璃耀が言うとおり、既に水面下では争いが始まっているということだ。
「貴方が帝位に着くために味方を増やすには、貴方が旗頭になることは必要な事でしょう。ただ、祀り上げられてしまったら最後、勝敗がつくまで引き返せません。貴方が矢面に立たされることにもなりましょう。選ぶなら今しかありません。」
ここで、自分の進む道を選べと……
「……私がやらないと言ったら、椎と凪はどうするの?」
「あの二人は監視とはいえ、翠雨様に使わされた飾りです。この烏天狗の山であれば、二人くらい撒くことはできます。現に今、私は二人を眠らせて抜け出して来ています」
「でも、私が結界石に力を注がないと、結界が崩れて鬼界も人界も妖界も全てが1つになっちゃうって……」
「そのようなこと、なるように任せれば良いのでは?」
「鬼や人間と戦争が起こるかも……」
「その対処は、その時に帝位にある者の責任です。」
それはそうなのかもしれないけど……
でもそれは、自分に課せられた役目を放棄するということだ。今の帝にはできない、この妖世界の誰にもできない役目を。
それを放棄して逃げ出すということは、私の行いによってこの世界に危険を招くことに繋がる。
……放ってはおいて良いことではない。
「……私、帝位に興味はないけど、結界石には力を注いでおきたい。あの時の鬼界の鬼のような妖がこちらにくるのは怖いし、皆が危険になるのは嫌なの。それに、人だって、大昔とは違う技術や武力がある。世界が混じって良い方向に向くとはどうしても思えない」
「その望みは、現帝と真っ向から対立することになりますが、それでも?」
私は、三ヶ月ほど前に自分の身に起きた事を思い出して、ギュっと膝の上で拳を握り締める。
「……私一人では……無理だと思う」
私が本音を漏らすと、璃耀は真剣な目でじっと私を見つめた。
「貴方一人で戦うことにはなりません。少なくとも、私はずっと御側に居ます。
それに、貴方に協力しようと思う者達は、朝廷にも多くいます。その一部の顔は貴方にも浮かぶでしょう。
ただ、それを成し遂げるのは並大抵のことではありません。間違いなく戦が起こります。お辛い思いも、苦しい思いもされるでしょう。痛みも伴うでしょう。
それでも戦に臨む覚悟が貴方になければなりません」
璃耀の視線は私を厳しく見定めるようなものだ。私が怯んでいるのを見透かすように、さらに言葉を続ける。
「貴方御自身の事だけではありません。周囲の者達を戦に向かわせる覚悟が必要です。
自分の身を犠牲にしてでも、周囲の者を救おうとされる貴方が、その覚悟をもって戦に臨むことができますか?」
……戦……
私がそのきっかけになるのだ。そして、私がそれを率いなければならない。
そんな覚悟を決められるだろうか。
璃耀が言うとおり、自分の事だけでは済まなくなる。
私に協力しようとする者達を、私自身が戦に送り出すことになる。
皆が危険に晒され、罪のない者達がたくさん巻き込まれる可能性もある。
想像しただけで胸が苦しくなる。
怖い。
握り締めた拳は、知らずの知らずのうちに爪痕が掌に残るほどに強く握られ、手足が冷たくなっていた。背筋が冷えて震えだしそうになる体を、ぐっと奥歯を噛み締めて圧し殺す。
そこに、璃耀の言葉が唆すように甘く響いた。
「そのような重荷、貴方が背負う必要はないのでは? 今であれば、選べます」
璃耀の言葉に心がぐらりと揺れる。
戦争は怖い。それを自分が先導するのは怖い。
……でも……
心の中に、龍神様の言葉が蘇える。
結界石に力を注いで強固にしなければ、人と妖の争いが絶えず、鬼に支配されるような世の中がやってくる……
それは、現帝との争い以上に最悪な未来だ。
恐らく、私が動いても動かなくても、争いはやってくる。しかも、私が動かなければ、一方的に妖達が虐げられる未来がやってくる可能性が高い。
……戦は怖い。でも……
カミちゃん、蓮花姫、羊家族、山羊七、楠葉、璃耀、桜凜、蒼穹、宇柳、幻妖京の賑わいや、狐の村の者達、烏天狗の山の者達、今まで関わってきた者達の顔が次々と思い浮かぶ。
私は、鼓動と胸の痛みを和らげたくて、ハァーと大きく息を吐き出す。
今逃げ出したら、きっと、鬼界も人界も混じり合った混沌の中で後悔する。
例え皆を帝との争いに巻き込む事になっても、私が動いて止められるなら、最悪の未来の訪れを止めなければ。
璃耀は私の返答をじっと待っている。
私はギュッと目を瞑ったあと、まっすぐに璃耀を見返した。
「結界石を押さえて力を注ぐ。例え、妖世界に戦を巻き起こすことになっても」
未だ小さく震える手をギュッと押さえつける。
璃耀は私の言葉の真偽を見定めるように、私の目をじっと見つめる。
「……よろしいのですね?」
私はそれにコクリと頷いた。
やるしかない。これは、私にしかできないことだ。
私が目をそらさずにまっすぐに璃耀の目を見ると、璃耀は小さく息を吐き出した。
「承知しました。御心のままに、私も力を尽くしてお支えしましょう」
璃耀は私の気持ちを受け止めるように、震えが止まらない私の手にそっと触れ、ようやく柔らかく微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます