第39話 綻びの拡大

 翌朝、私は凪に深々と頭を下げられた。


「見張り役が眠りこけるなど、誠に申し訳御座いません!」


 原因は璃耀であって、凪にはなんの罪もないのに、青ざめて小さく震えているのがなんだか可哀想だ。


 でも、璃耀のせいだなんて言える訳がない。


「きっと、長旅で疲れてたんだよ。私は大丈夫だし、次から気をつけてくれたらいいから」


 ……璃耀にね……


 私はそう心の中で付け加えつつ、凪を宥める。

 しばらく言葉を重ねて、ようやく落ち着きを取り戻した頃、璃耀が椎を連れて何食わぬ顔でやってきた。


 椎も真っ青な顔をしている。しかも、凪よりも憔悴しているように見える。


 ……まさか、自分で薬を盛っておいて、眠っていた事を責めたりしてないよね……?


「……大丈夫? 椎。顔色が悪いようだけど……」


 私が声をかけると、椎はビクっと体を震わせた。


 璃耀にしこたま怒られた時の宇柳や楠葉と同じ反応だ。

 これは多分、朝一で叱責をしている。


 私が璃耀を睨むと、璃耀は何も言わずにニコリと私に笑いかけた。

 何も言うなとその顔が物語っている。


 不意に、外からバサバサっと翼を羽ばたく音が聞こえてきた。


「ああ、皆様お揃いで。御一緒に朝食を如何かと首領が仰せです。是非、広間へお越しください」


 烏天狗の一人が中に入ってくると、異様な雰囲気を感じ取ったのか、戸惑うように私達の顔を見回した。


「何か御座いましたか?」


 烏天狗の言葉に、璃耀はキレイな笑みを作って進み出る。


「何も御座いません。是非御一緒させてください」


 これ以上話を蒸し返したくない璃耀の一存で、私達は広間へ案内されることになった。



 朝食の席は和やかに進んだ。

 ただその席に、何故か栃が居心地悪そうに控えているのがすごく気になる。

 首領が触れないので、私もあえて話題に出さないが、肩身が狭そうなので、早く解放してあげてほしい。


 そんな事を考えているうちに、不意にガタっと襖を開ける音が聞こえてきた。


「失礼します。朝廷の使いの鳥のようです。」


 警備の者の言葉と共に、脚に金属の輪と手紙を括り付けられた水色の小鳥が襖の隙間をすり抜けて入ってきて、少し離れたところで警護していた凪のもとに一直線に飛んでいく。


 凪がふっと手を差し出すと、それが手の甲にとまった。

 なんとも可愛らしい姿だな、と思っていると、手紙に目を通した凪が、血相を変えて私に駆け寄り跪いた。


「凪?」

「翠雨様から至急の連絡です! 北で、鬼界への入口が大きく開き、鬼どもが侵入してきていると。白月様に向かって頂けないかとのことです」

「はぁ!?」


 その場にいる全員が声を上げた。


「鬼どもが侵入してきているだと!? どこだ、北のどこに口が開いた!?」


 首領が怒鳴るように凪に問いかける。


「ここより北方、鵺の潜む山と呼ばれる雪山の麓です。」

「存外に近いな……夜凌やりょう、領地の守りを固めよ!

 白月、我等は領地を守らねばならぬ。

 行くのであれば、念の為、栃を連れて行け。何かあれば、こちらに使わせろ。余力があれば助けてやろう」


 首領の言葉に栃が進み出る。そして、そのまま跪いて頭を垂れた。


「首領の命に従い、お供いたします。改めて、よろしくお願い致します。白月様」


 なるほど。首領は最初から栃さんを私につけてくれるつもりでここに同席させていたのか。

 ずっと小娘扱いされていたので、こんな風に対応されるのはすごく落ち着かないが、今はそれどころではない。


「はい。よろしくお願いします。栃さん」


 私も栃に挨拶をすると、首領にすぐに向き直る。


「首領、私は穴を塞がなくてはなりません。このまま失礼します」

「ああ。気をつけよ」


 私達は首領への別れの挨拶も早々に、踵を返して入口へ向かう。


「私にお乗りください」


 私の後に着いていた凪が前に進み出ると、ふっとその姿を大鷲に変えた。

 人の姿の私が余裕で上に乗れるくらいの大きさだ。とても大きい。そして怖い。


 私が躊躇っていると、璃耀にそっと背を押された。確かに、こんな事で躊躇っている場合ではない。


 私が翼を伝って背によじ登ると、


「しっかり捕まってください!」


という声とともに凪が羽ばたいた。


 私は背に生える羽を必死につかむ。凪が飛び立つと共に、物凄い強風が私に吹き付けた。油断すると、吹き飛ばされそうだ。


「大丈夫ですか? 白月様!」


 凪がハラハラしたような声を出す。

 正直、全然大丈夫ではないが、必死にしがみつくしか方法がない。


「椎、凪の少し後方下を飛べ! 白月様に何かあれば、助けに行ける場所に!」

「はっ!」


 椎に乗って飛び立った璃耀の声が周囲に響く。


 昨夜あんな風に啖呵をきったのに、出だしからこれでは先が思いやられる。そして情けない。


 私が、うぅと声を漏らしていると、同じように飛び立った栃が、私の隣まで来た。


「まだ幼い身では恐ろしいしょうが、私が側で飛びます。ご安心を。」


 キリッとした烏天狗はとても凛々しくて心強い。が、そういうことではない。

 完全に子ども扱いされて、情けなさに拍車がかかるだけだ。


「……大丈夫です。ありがとうございます。」


 私はようやく、それだけを呟いた。



 私達は山を飛び越え、風を切る。空を凄いスピードでグングン進んでいくのだから、空を飛べるって、本当に凄いと思う。


 しばらく飛ぶと、だんだん空を飛ぶことにも慣れてきた。


「ねえ、凪。こんな風に飛んだら、京から烏天狗の山まで、どれ位で着けるの?」

「急いで飛べば、半日程度でしょうか。余裕を持って飛んでも一日もあれば着けますよ」


 私にようやく余裕ができた事に安心したのか、凪がほっと息をつきながら答える。


「え、半日で着けるの!?」


 私は目を瞬く。京から山羊七のところまで走り抜けて、あれ程の時間がかかったのに、然程離れていないこの場所に、空を飛べばそれ程早く着けるとは……


「あれ、でも、宇柳を使いに出してから凪たちが来るまでに結構な時間があったよね?」


 私が首を傾げると、


「烏天狗の使者殿に合わせて飛んだので……」


と凪は苦笑交じりに言った。それに栃が反論するように口を開く。


「我等は遠くまで飛ぶようなことはありませんからね。」


 聞くと遠くまで長く早く飛べる凪達と違い、烏天狗は、身体の作りがそこまで飛ぶようにはできていないらしい。

 それでも、領地の周囲を警備する程度に飛べれば良いので、そこまで不便はないそうだ。


「それに、宇柳殿も道中にいろいろあったようですね。白月様の書状に書かれた日付から既に何日か経っていたので、翠雨様の怒りに油を注ぐ結果になったのですが……」


 なんと。

 宇柳は、本当に可哀想なくらいの不幸体質ではなかろうか。

 いつか、労いくらいはしてあげた方が良いのかもしれない。


「宇柳は大丈夫かな……」


 私が呟くと、凪はコクリと頷いた。


「白月様の書状がありましたし、今は蒼穹殿と共に、鬼界の穴の前線へ向かっている筈です」


 烏天狗の件で厳しく責められた後に前線へ向かわされる事を大丈夫というのかどうかはわからないが、怒れるカミちゃんから解放されたこと自体はもしかしたらホッとしているのかもしれない。


 話をしているうちに、前方に騒々しくたくさんの鳥が飛び交う場所が見えてきた。

 さらに近づくに連れて、その姿がハッキリしてくる。


 飛び交う鳥たち一羽一羽が凪たちと同じくらいに大きく、背に武装した者達をのせていたり、周囲を旋回しながら地上の警戒をしている。


 その下を見ると、周囲の茂みにオレンジ色の鬼灯が生い茂り、いつか見た黒い渦が、あの時の数倍大きく渦巻いていた。

 恐らく、大人一人が余裕で通り抜けられるくらいの大きさだ。

 そこから、次々と赤や緑の身体をした異形の者達がこちらにやってきている。


 武装したこちらの手勢と比較すると、それ程身体は大きくはなさそうだが、なんと表現するのが正しいだろうか、西洋風に言えばゴブリンに似た風体の者たちだ。上空から目を凝らしてよく見ると頭に角が生えている。


「随分、小鬼共の侵入を許してしまっているようですね」


 凪が緊迫したような声をだす。

 見た感じ、それ程強そうには見えない。ただ、すでに十数がこちらに入り込み、兵たちと揉み合っている。


「凪はあれを知ってるの?」

「稀に、何処からか迷い込むような種があるのです。私も長く生きていますが、一度しか見たことがありません。それが、あれ程の数とは……」


 小鬼達は、どんどん侵入してきている。

 そこへ、穴から侵入しようとしてきた小鬼を止めようと兵が近づいた。一瞬、二者が重なって見えたが、その途端、何かがキラリと光ってその場に血しぶきが飛び散った。

 それと同時に小鬼は倒れかかる兵に覆いかぶさり、頭をぐっと近づける。

 それを見た小鬼達が戦っていた兵たちを放置して、傷つき倒れ込んだ兵に駆け寄ってどんどん群がっていく。


「喰っているようですね」


 栃の言葉に、背筋がゾッとし総毛立つ。


「鬼界はそもそも、朝廷の者たちが犯罪者を追放するようになる前までは、人や妖を喰う種を閉じ込めるためにあったといいます。そういった種があちらで増えて繁栄していたとしてもおかしくありません」


 あんなのがたくさんこっちに来ているなんて……


「早く穴を閉じなきゃ」


 私が言うと、凪がコクリと頷く。


「まずは蒼穹どの達のところに参りましょう。軍を指揮している筈です」


 私は椎と璃耀の方を振り返る。

 すると、すぐに椎が気づいたのか、凪に並ぶように飛んできた。


「璃耀は椎とここで待機してて。私は凪と蒼穹達のところに行ってくる!」


 私の言葉に、璃耀は眉を顰める。


「いえ、私も参ります!」


 璃耀はそう言うが、こういう場合、戦場に慣れた者と共にさっと行った方が機動力の意味で良いような気がする。

 私はいくら弱くても足手纏でも行かなくてはならないが、どう見ても文官肌の璃耀はそうではない。一度鬼に捕らえられたことを考えても、あまり下へは連れて行きたくない。


「下に蒼穹達がいるんでしょう。私は大丈夫。」

「しかし……」

「危険だから待ってて。椎、璃耀に何を言われても絶対にここから動かないで。璃耀はここで待機。これは命令だから。いい?」


 璃耀はぐっと奥歯を噛み締める。

 璃耀のこんな顔は珍しい。行きたいが、邪魔になる可能性があるという自覚があるのだろう。


「……畏まりました」


 璃耀が絞り出すようにそう言うと、私はそれに頷いた。

 それから、私の隣をずっと飛んでいた栃にも目を向ける。


「栃さんもここにいてください」

「……助力が必要では?」


 そう問われて、私は小さく首を振る。


「ひとまずここで待機していてください。手に負えないようであれば烏天狗に助けを求めます。その時に、栃さんに何かがあった後では困ります」

「では、仰せの通りにこちらで待機いたします。何かあれば直ぐにお声がけを」


 栃に頷くと、私と凪は、そのまま戦場へ降下する。

 これ以上、誰かが鬼に喰われるようなことがあってはならない。


 ある程度高度を下げると、全体の後方で指揮をとっている蒼穹が目に入った。凪が一直線に向かってくれたらしい。

 宇柳もその周りを飛び交い、蒼穹の指示を伝えながら周囲からの情報を集めているようだ。


「蒼穹! 宇柳!」

「白月様!?」


 二人は驚いたような顔で私を見上げる。再開を喜びたいところだが、そんな余裕はない。

 私はそのまま、凪の背中を飛び降りる。


「穴を塞ぎたいの! 兵たちを穴から離して!」

「しかし、奴らを抑えていないと、次々に侵入されてしまいます!」


 宇柳は悲鳴のような声を出す。


「全員が退かないと、穴を塞げないの。また陽の気に晒されたいの?」


 私が問うと、宇柳は顔を青くして口籠る。


「後方で待機して、入ってきた奴らを足止めして」

「それでは、白月様が最前線に立つことになるではありませんか! 危険過ぎます!」


 凪が人の姿に変わって私に駆け寄る。ただ、気持ちは有り難いが、そんな問答をしている余裕はない。


「蒼穹!」


 私が蒼穹を見ると、蒼穹はコクリと頷き、了承の意を示した。


「全軍、後方へ退避! 入口を開けよ! 陽の気に巻き込まれるぞ!」


 蒼穹が命令を下すと、周囲が一瞬ざわめく。しかし、すぐに気を取り直した様に、全員がザッと行動を開始し始めた。

 空を飛び回っていた者たちも、前線の者たちに蒼穹の号令を伝えに飛んでいく。


 戸惑ったのは小鬼たちだ。目の前で自分達を食い止めていた兵たちが一気に引き始めたのだから。


 私は兵達が退避する流れに逆らい、穴に向かって駆け出す。


桔梗ききょう藤嵩ふじたか! 背後を守れ!」


 鋭い声が響いたかと思うと、私の隣に蒼穹が並んだ。


「あちらの指揮は宇柳に任せました。お供します」


 私が眉根を寄せて蒼穹を見ると、蒼穹は苦笑する。


「引き際くらい心得ているつもりです。陽の気が危険と思えば、すぐに離れます。露払いが必要でしょう?

 それに、一人で行動したとあっては、後で何を言われるかわかりませんよ」


 蒼穹はそう言いながら上空にいる椎と璃耀を指差す。

 さらに、それを追いかけるように凪も私の隣に並んだ。


「蒼穹殿達だけ同行を許すおつもりですか? 私もお供します!」


 私は、絶対についてくると決意を顕にする二人に目を向けて、ハアと息を吐き出す。


「私からちゃんと距離を取って、絶対に巻き込まれないで」

「承知しました」


 二人は揃って頷いた。


 小鬼達が戸惑っていたのは一瞬だ。直ぐに、背を向けて退避しようとする兵たちを後方から襲撃しようとする。

 逆走する私達に向かってこようとする者もいる。


 蒼穹と凪は、腰に下げていた刀を引き抜き、それを片端から切り捨てていった。

 周囲に血が飛び散る。むせ返るような血生臭い空気が周囲に満ちる。


 吐き気を催すようなその光景に、私はぐっと奥歯を噛んで視線を黒の渦から動かさず、なるべく息を止めて必死に足を動かした。


 蒼穹は大将を務めるだけあってとても強いのだが、凪がそれに並ぶくらい強い。線の細い女の子だし、人食い小鬼の中に連れて行くのを躊躇ったのだが、そんな必要など無いくらいに強い。


 二人が私の道を切り開いてくれるので、私はただただ、胸の奥から湧き上がってくる吐き気を噛み殺しながら、小鬼に足を止めることなく、戦場を駆け抜けた。


 穴に近づくと、上から見ていた通りに大きな黒い渦が地面から僅か上に浮かんでいる。

 その中央に少しだけ、枯れた木に薄茶色の砂に覆われた土地が見えた。

 そして、そこから次から次へと穴を乗り越え、小鬼達がこちらへ入ってきている。


 穴に十分届く距離まで走ると、私は足を止めて蒼穹と凪を押し留めた。


「下がって!」


 叫びながら、パンと手を合わせて黒い渦に向き合う。

 小鬼達が好都合とばかりに渦の前で足を止めた私に駆け寄ろうとする。


 ごめんなさい!


 心の中でそう詫びながら、私は頭に響く祝詞に合わせて言葉を紡いだ。

 いつものように、白と黒の光りが溢れる。

 小鬼たちはそれに晒されると、ギャッと悲鳴を上げながらその場に蹲り、その身体が赤く焼かれるように光を帯びる。


 私はそれを見て居られなくて、ギュッと目を閉じた。

 妖を喰らう鬼だとしても、先程まで駆けまわっていた生き物だ。

 それが私の陽の気で生きたまま焼かれていく。

 気を張っていないと、うっと吐き戻してしまいそうだ。


 いつもより、陽と陰の気を放出している時間が長い気がする。それだけ開いた穴が大きいということだ。


 頭の中の祝詞が途切れると、身体の力がふっと抜け、私はその場にへたり込んだ。

 目を開けると、黒い渦も、焼かれた筈の子鬼たちも跡形もなく消えていた。


 私はホッと息を吐く。

 しかし、それは束の間だった。


「白月様!」


 凪の鋭い叫び声と共に、私の体がふわっと浮いた。


 この感じは知っている。だいぶ前、大鳥に連れ去られた時と同じだ。

 違ったのは、真上から声が聞こえてきたことだった。


「小鬼どもを陽動にして剞狢きがく様の探していた陽の気の使い手を捕らえたが、存外に楽であったな。」


 ……きがく……?


「腕を失った怒りが、これで少しは和らげば良いが、その前にこの者の四肢をもいで声を潰しておかねばならぬな。入口を塞がれては堪らぬ。」


 突然物騒な言葉が聞こえてきて、背筋が凍る。

 上を見上げると、蝙蝠の様ななめし革に似た翼を広げた一本角の鬼が私を捕らえたまま飛んでいた。


 ……腕を失った鬼が私を探してる……?まさか、あの時の……?


 そう思い青ざめた瞬間、突然ガクンという強い衝撃が私を襲た。さらに、鬼に勢いに任せて振り回されて、うめき声をあげる。


 ようやく揺れが落ち着くと、鬼に片手で服の襟ぐりを掴まれて宙釣り状態のまま、衝撃の原因が目に入った。


「我が領地の大事な同盟相手だ。返してもらおう。」


 そこには、薙刀を構えた栃が、烏の翼を羽ばたかせて向き合っていた。


「栃さん!」


 なんというタイミングだろう。リバーシに勤しむ烏天狗のイメージが染み付いた今、こんな風にカッコよく駆けつけてくれるとは思いもしなかった。


 さらに後ろから、凪と椎が追ってきている。背に璃耀が居ないところを見ると、置いてきたのだろうか。人の姿のまま、背に羽をはやした姿に変わり、刀を構えている。


「凪! まだ何処かに鬼界の穴が開いてるかも! 蒼穹に伝えて!」


 私が叫ぶと、鬼が手に持っていた刺股の様な武器を私に向かって思い切り振り下ろしてくるのが目に入った。


 鋭い痛みが体に走る。

 あまりの衝撃に、息ができない。

 固いもので殴られただけではない、刺すような強い痛みだ。


「白月様!」


 皆の動揺する声が周囲に響く。

 しかし、鬼はそんなこともお構いなしに、冷たい目で私を見下ろした。


「獲物が勝手に喋るな。」


 ……あぁ、もう……


 この鬼が言うとおり、私はこの鬼にとってただの獲物だ。でも、皆から見ると、守らなければならない保護対象でもある。私が近くにいる限り、皆は不用意に攻撃することができない。

 こんな風に人質の如く私自身が攻撃されれば尚更だ。


 穴を塞ぐのでなければ、さっさと戦線を離脱したほうがいい。幸いなことに、今は飛べる味方たくさんいる。


 私は一度大きく息を吸い込む。


「誰か、私を受け止めて!」


 叫ぶように言いながら、私は直ぐに手をパチンと合わせて手を上にあげ、私の着物を掴む鬼の手をギュッと握る。放出できる気力は僅かだが、鬼が手を離す隙くらい作れるだろう。

 死にかけた璃耀を助けた時と同じだ。


 そのまま手に力を込めて祝詞を唱える。


「糞が!」


 鬼が悪態をついたのが分かった。

 その瞬間、ふわっと体が浮遊感に襲われ、直ぐに重力に従って落下し始める。


 これも初めての経験ではないが、何度も味わいたいものではない。


 ただ、今回は直ぐに、私の体が柔らかい何かに受け止められたのが分かった。


 見ると、凪が焦ったような顔で私を見つめていた。


「白月様は直ぐに無茶をなさるとは聞いていましたが、翼もないのに、まさかあのような事をされるとは思いませんでした」

「でも、凪が受け止めてくれたじゃない」


 私がニコリと笑うと、凪は困ったような表情を浮かべる。


「毎回うまく行くとは限りません。どうか、このような無茶は、今回限りでお辞めください。心臓がいくつあっても足りません」

「……はい、ごめんなさい」


 私が素直に謝ると、凪はそっと息を吐き出した。


「かの鬼は、飛べる者共に任せ、一度戻りましょう」


 凪が上空を指し示すと、そこでは既に戦闘が始まっていて、さらに他の兵も集まって来ているところだった。

 蒼穹も、大鷲の背に乗り指揮をとっている。


 凪に運ばれ空を飛んでいると、凪は一度私の体に目線を向けたあと、悲痛な表情で目を伏せた。


「申し訳御座いません。護衛を任されておきながら、白月様を鬼に連れ去られ、あまつさえこのようなお怪我まで……どのような処分でもお受けいたします。なんなりとお申し付けください」


 凪の声は深い後悔と悲壮に満ちている。


 でも、これは誰のせいでもない。あの時、周囲にはまだ小鬼がいて、皆はその対処をしなくてはならなかったし、私が陽の気を使うからと皆を側から離していたのだ。

 あの鬼は、その隙をついて私を連れ去った。

 あの時あの場には、即座に反応して防げるような者は居なかったのだ。

 だから、一番に駆けつけたのが、上空で様子を伺っていた栃だった。


 私は凪に微笑んで見せる。


「あの時はあれが最善の行動だったし、そう思って私が皆を側から離す指示をしたの。だから、凪達のせいじゃないよ。それに、直ぐに助けに来てくれたじゃない」

「……しかし……」


 凪は全く納得してくれない。随分責任を感じているようだ。でも、私は凪を責めるつもりも罰するつもりも、これっぽっちもないのだ。


 しかたない。少々強引に飲み込ませよう。


「私が指示を出したと言ったでしょう。それに異議を唱えるの?」


 私は璃耀を思い出して、有無を言わさないようにニコリと笑う。すると、凪は一瞬、ぐっと口を噤み、絞り出すように


「……いえ、滅相もございません」


と言った。


「なら、いつまでもくよくよしないで。凪達は悪くない。いい?」


 私が念を押すと、ようやく凪は小さく頷いた。


「寛大なお心に、感謝いたします」



 先程まで黒い渦があった場所まで移動すると、そこには、半数ほどの兵たちが残され、周囲の警戒を行っている。蒼穹があちらに向かったためか、宇柳も残されていた。


 もう、小鬼の姿はどこにも見えない。


 私が凪に抱えられたまま地上に降り立つと、すぐさま璃耀が駆け寄ってきた。でも、それよりも優先したいことがある。

 もの言いたげな璃耀を押し留め、私は宇柳に目を向ける。


「宇柳!」

「はい!」


 私が呼びかけると、宇柳は飛び上がるように返事をして駆け寄ってくる。


「さっきの鬼が飛んでいった方角に、もう一つ穴が開いてるかも。飛べる者に周囲を探らせてほしいの」

「もう一つですか!?」


 宇柳は素っ頓狂な声を上げた。確実なことは言えないが、あの鬼の様子では、恐らく開いているだろう。念には念を入れたほうがいい。


「どんな鬼がいるかわからないから、必ず複数で探させて」


 私が言うと、宇柳は


「わかりました」


と返事をし、直ぐに数名を呼び出し始める。


 不幸体質で情けない印象の強い宇柳だが、軍の参謀をするだけあってやはり有能なのだろう。あっという間に編成を組み、何組かの兵が飛び立っていった。


 これで、開いた穴がそのまま見過ごされることはなくなるだろう。

 見つかり次第、穴を閉じに向かわなければ。


 私がほっと息を吐いて目を瞑ると、不意に上から声が降ってきた。


「また無茶をなさったのですか?」


 璃耀が眉間に皺を寄せ、凪に抱えられた私を見下ろす。いつもとは違い、心配の色のほうが濃い。


「傷だらけではありませんか」


 璃耀の言葉に自分の体を見下ろすと、体の中心にボタンのように一直線に並んだ血がポツポツと滲んでいた。


 あの武器がどのような造りだったのかはわからないが、刺すような痛みの正体はわかった。これは痛いはずだ。


 助けを求めるように凪を見ると、凪は眉尻を下げた。


「白月様が声を上げた際に、口を開くなと一方的に……」


 私の視線の意味に気づいた凪がそう答えると、璃耀は更に表情を厳しくさせた後、不意に、私の前に跪いた。


「私と椎を山羊七のところへ向かわせてください。薬が必要でしょう。ここから然程遠くありません。椎と共に向かわせて頂ければ、半日ほどで戻って来られます」


 確かに、山羊七のところの薬湯があるのは有り難い。


「ありがとう。お願い」


 私が言うと、璃耀は頷いて立ち上がる。


「先程の宇柳への指示を聞くに、もう一つの穴が見つかれば、そのままそちらへ向かわれるのでしょう。それまでは決して無理を為さらず、蓮華の花弁を食み、体を休めてください。花弁はまだ残っていますか?」


 私はそう問われ、胸の巾着を取り出す。肩からかけていた方は、京でのゴタゴタで何処かに置いてきてしまっている。

 胸の巾着の中の花弁は、だいぶ少ない。


 私はそれを一枚取り出して口にする。


「もう、残りがあまり無いの。節約しないと」


 私がそう言うと、璃耀は首を振った。


「では、そちらも取りに行ってまいります。薬は必要な時に、きちんと飲まなければなりません」

「蓮華姫の園に行ったことがあるの?」


 私が尋ねると、璃耀は小さく笑う。


紅翅こうしとは面識があります。旅をしていた時にも訪れたことはあるので大丈夫ですよ。」


 そういえば、先の帝に仕えていた者同士だった。


「そっか。じゃあ、お願い」


 璃耀は私の言葉に頷くと、今度は凪に目を向ける。璃耀にじっと見据えられ、凪が姿勢を正したのがわかった。


「白月様は、周囲が危険に晒されるようなことがあれば、後先考えずに直ぐに飛び出して行ってしまわれる。決して目を離さず、無理をさせることのないよう、気をつけよ」

「承知しました」


 ……相変わらず、信用がない。


 私は璃耀に気づかれないように、ふう、と息を小さく吐きだした。


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