第40話 久々の再会

 璃耀達が飛び立って程なくした頃、蒼穹が軍の一部を率いて帰還した。


「例の鬼を始末しましたので、ご報告に上がりました」


 前線につれてこられていた軍医に手当され、凪に助け起こしてもらった私の前に、蒼穹が頭を垂れて跪く。同行していた十数名の他の者達も同様だ。


 璃耀達がちょこちょこ跪く動作をするので、一人ひとりであれば慣れてきたのだが、複数人に同時に跪かれると、落ち着かない。


「あ、あの、蒼穹? 落ち着いて話を聞きたいから、皆を解散させてくれない……?」


 私が戸惑いながら言うと、蒼穹は他の者に見えないように苦笑を漏らす。

 しかし、直ぐに背後に控える者たちに別の指示を与えて解散させてくれた。


「今のうちに慣れておいたほうが良いのでは?」


 皆を見送り、ほっとする私に、蒼穹がそっと囁く。


「そんな事を言われても……」

「この軍は、もともと私の部下だった者や、朝廷に疑念を持たれた者たちの集まりです。

 朝廷への忠誠を示せと危険な鬼退治の前線に向かわされ、朝廷の者では閉じることのできない鬼界の入口で死ぬまで戦わされるのだと皆が悲観していました。

 そんな中で、到着して真っ先に最前線へ駆け、神々しいまでの力で入口を塞いだあなたは、この短時間のうちに、既に皆の希望になりつつあります。

 皆のためにも、胸を張ってください」


 蒼穹の背後に目を向けると、目を輝かせてこちらを見ている者たちが多いことに気づいた。


 ……ものすごく見られている……慣れるのはちょっと時間がかかりそうだ……


 私は居心地の悪い思いで蒼穹だけが視界に入るように視線を逸らした。


「ねえ、蒼穹。さっき宇柳にお願いして、他にこの辺りに鬼界の入口が空いていないか調べてもらってるの。さっきの鬼がそんな事を言ってたから。協力してあげてくれない?」


 私の言葉に蒼穹は頷く。


「先程、宇柳から報告を受けて、既に部隊の一部を向かわせました」

「そう。良かった。栃さんは? 一緒に戦ってくれていたでしょう?」

「ああ、それですが……」


 蒼穹はそう言うと、自分の背後に目をむける。


 私が同じ方向をみると、栃が複数の者達とこちらへ向かって来るところだった。


 誰かを縛りあげて引き摺っている。


「あの、栃さん、その人は……?」

「コソコソと敵前逃亡を企てようとしていたので捕らえました」


 ……敵前逃亡……?


 よく見ると、捕らえられた者は手酷く傷ついている。

 私はそれに眉を顰める。

 自分が似たような状況に合わされた時のことを思い出してしまったからだ。


「誰だって、鬼の前では怖くなることくらいあるでしょう。放してあげ……」


 しかし、凪は私に全てを言わさず、首を振って遮った。


「白月様がお越しになったこの機での逃亡ともなれば、現帝側の諜報として紛れ込んでいた事を疑わなくてはなりません」

「我らの動きを監視する者を潜ませていた可能性があります。放置はできません」


 蒼穹も眉根を寄せて縛り上げられぐったりしている者を見下ろす。


「でも、本当にそうかはまだ分からないんでしょう?そんなに酷い扱いは……」


 しかし、凪の声は変わらず厳しいままだ。


「白月様。御自身のお立場をよくお考えください。現帝側の者に妙な動きでもされれば、貴方や貴方に味方する者達が危険に晒されるかも知れないのですよ」


 ……それはわかってるけど……


 でも、こんなことをせずに、もっと他に方法は無いのだろうかとどうしても思ってしまう。


「……この人はこれからどうするの?」

「このまま捕らえて、真実を口にするまで……」


 私の問に、凪は当たり前のような口調で言いかける。それを、蒼穹は手を上げて制した。


「凪殿、詳しいお話は白月様に知らせる必要はない」

「しかし……」

「味方だけでなく、誰にでも情けをかけるお方だ」


 それは、真実を話すまで手荒な扱いをすると言うことだろうか。

 指示に従えと暴行を受けたあの時のことを思い出して、背筋が寒くなる。


「ねえ、蒼穹、あんまり酷いことは……」

「仰りたいことはわかっています。ただ、事情は聞かねばなりません」


 いつもは優しい蒼穹の有無を言わさない声音に、私は反論できないまま唇を噛んで俯いた。



 結局、捕らえられた者はそのまま何処かに連れて行かれてしまった。


 危険な存在だった場合、野放しにはできない。それはわかってる。でも、だからといって、暴行を加えて良いわけではない。

 でも、この世界の者たちに、それをどう理解してもらえばいいのかが分からない。


 私が押し黙っていると、凪が気遣わしげに私を見た。


「白月様はお優しいのですね」

「……そうじゃなくて、多分、元々の常識が違うんだと思う」


 そうは言ってみたが、凪は困ったように首を傾げるだけだった。



 日が傾き始めた頃、上空からスイっと一羽の梟が下降してきた。


「白月様、鬼界への入口ですが、山1つ向こうに発見しました!」


 宇柳が梟の姿で声を張り上げる。そのまま私の目の前に着地すると、人の姿に変わった。


「入口の大きさは? 鬼は入り込んできている?」


 私が尋ねると、宇柳は小さく首をふる。


「周囲に鬼の姿は見られないということです。ただ、入口は先程とほぼ同等。小鬼が通り抜けるには十分な大きさだという報告でした」


 宇柳の姿を見て駆けつけた蒼穹が、その言葉に直ぐに行動を開始する。


「第一陣を早急に向かわせろ。何者かが侵入するようならば食い止め、二陣以降が到着するのを待て!」

「は!」


 宇柳は再び体を梟に変えて、指示を飛ばしに戻っていく。


「白月様、お体は大丈夫ですか?」


 蒼穹の言葉に、私は自分の手を握ったり閉じたりしながら自分の気の流れを確かめる。


 まだ、完全には回復していない。あんまりにも大きいと、閉じきれない気がする。


「白月様?」


 凪が心配そうに私を覗き込んだが、私はそれに微笑み返した。


「とりあえず、行ってみよう」


 例え閉じきれなかったとしても、小さく出来れば、危険な者は入ってこられなくなるだろう。

 そうすれば、力が回復するまでに、少しは時間が稼げる。


 一応、移動までの間にもう少し力が回復することを祈って、蓮華の花弁をもう一つ口に入れた。



 部隊がもう一つの入口へ移動する。璃耀達が戻ってくるので、案内の者だけ残してもらった。


 私は第二陣の兵たちと一緒に向かう事になった。大鷲の姿の凪に乗るのが早いのだが、傷に包帯を巻いただけの処置で体力も回復していないので、凪は人の姿で抱えて飛んでくれている。


「もう少ししっかりとした治療を受けられれればよかったのですが……」


 凪は眉尻を下げてそう言うが、私はこの世界に、そんな医療技術は期待していない。

 平安時代を模したようなこの世界には、消毒という概念すらないのだ。

 軍に無理やり同行させられた軍医さんも十分手当してくれたと思う。


 その代わり、この世界には、人間世界もびっくりの何でも治せる万能薬が存在する。

 痛みに耐えながら、それを待つのが一番いい。


 しばらく飛ぶと、岩場に複数の兵が待機している場所が見えた。

 周囲がゴツゴツした岩で囲まれていてわかりにくいが、近づくと、上空からは隠れて見えにくい場所に黒い渦があった。


 確かに宇柳が言うとおり、先程の場所とは違って周囲に鬼の姿は見えない。


 私達がまっすぐに渦の前まで飛んでいくと、周囲の者たちが降り立つ場所を開けてくれた。


 穴のすぐ近くまで行くと、先程と同じ位の大きさの穴がぽっかり開いている。

 見える景色も先程と同様に無機質なものだ。


 私は凪に支えられて立つと、すうっと息を吸い込んで凪から一歩離れる。傷は痛いが、立てない程ではない。一人で立たなければ、穴は塞げない。


 凪に離れるように言ってから、黒い渦に向き合うと、パチンと手を合わせて掌を向けた。


 最初のうちは先程までと同じように力を注いでいけた。

 でも、やっぱり力が足りない。ある程度まで小さくなると、徐々に掌から出てくる粒が少なくなってきた。


 こんな風になるのは初めてだ。

 でも、できる限り穴を小さくしておきたい。


 ……もうちょっと……もうちょっと……


 私は絞り出すように力を出していく。

 それに合わせ、穴もじりじりと小さくなっていく。


 ……もう……ちょっと……


 なんとか穴の向こう側の世界が見えなくなるくらいまで穴が小さくなると、突然ふっと体の力が抜けた。キーンという耳鳴りと共にグラっと視界が揺れ、そのまま電気が消えるようにパッと目の前が暗転した。


 どうやら限界を迎えたらしい。



 目を覚ますと、私は獣の姿に変わっていて、布を何枚も重ねたような場所に寝かされていた。

 首を僅かに動かすと、凪が私の傍らに座っている。


「……凪、鬼界の入口は?」


 私が口を開くと、凪はホッと顔をゆるませた。


「お気づきになられて良かったです。入口はまだ開いたままですが、とても小さなものですので、恐らく、何も通って来られないかと」

「……そっか。じゃあ、完全に閉じなきゃね。蒼穹か宇柳はいる?」


 私はそう言いながら起き上がろうと、ぐっと体に力を入れる。しかし、思うように体が動かない。二足歩行の姿にも変わることができない。


「……あれ?」


 私が何度か体を起こそうとしていると、不意に、凪とは別の方向から聞き慣れない女性の声が響いてきた。


「無茶をなさるから、体を動かすことさえできなくなるのです。御自分の限界くらい見定められなくてどうします」


 首だけ何とか動かして、声の主を見やる。


 そこには、いつか見た、薄紫色の髪の女性がこちらへ歩み寄ってくるところだった。


「……蓮華姫……?」

「お久しぶりですね。白月様」

「どうしてここに?」


 蓮華姫はハアと溜め息をつく。


「璃耀様が貴方の為に蓮華を取りに来られて、お怪我をなさったと伺ったからです。蓮華は怪我には効かないと言ったでしょう。……失礼しますね」


 蓮華姫はそう言うと、私の体を丁寧に持ち上げ、瓶を取り出した。


「薬湯をかけたので、傷はきれいに治っていますが、眠ったままでは飲むことはできませんからね。ゆっくり飲んでください」


 そう言いながら、私の口元に瓶を軽く押し当てる。私はそれをゆっくりちびちび、喉に流しこんでいった。


「ずっと探していた薬湯を、まさか璃耀様がお持ちとは思いませんでした」


 蓮華姫はしみじみと言う。

 そういえば、羊夫婦は温泉の話を蓮華姫から聞いたと言っていた。


「羊の子は、きちんと元気になりましたよ」


 出し抜けにそう言うと、蓮華姫は目を丸くしたあと、柔らかく笑った。


「それは良うございました。ただ、薬に頼りすぎると効かなくなりますから、使い所を誤らないようにしなければなりません。今後は、白月様のお薬は、私が管理いたしますからね」


 ……今後は……?


「あの、蓮華の園はいいんですか?」

「ええ。弟子に任せてきました」

「弟子?」


 そんな者が居たなんて知らなかった。ずっと一人で暮らしていると思いこんでいたが、あの時、たまたま弟子は出掛けていたのだろうか。


 首を傾げていると、蓮華姫はクスッと笑う。


「あの時の河童ですよ」


 ……はい?


「あの時のって……あの蓮華泥棒……?」

「ええ。あの時、貴方にお会いしてから、いつかこのような日が来ると思って鍛え上げて来たのです。もともと、蓮華を育てる気はあったようですし」


 ……それは、任せて本当に大丈夫なのだろうか……

 蓮華を育てる気があったとはいえ、盗んだもので金儲けをしようとしていた者だ。

 碌でもない事にならないといいけど……


 そう思っていると、蓮華姫はにっと唇の端を引き上げた。


「大君の所有物である蓮華に悪さをして、時の大君を敵に回すような真似をしたらどのような事になるかを、来る日も来る日も例を交えてこんこんと言い聞かせて来たので大丈夫でしょう。

 それに、璃耀様達が駄目押しとばかりに散々脅してくださいましたから。」

「……そ……そうなんだ……」


 それは、その河童は今頃大層震えていることだろう。私は少しだけ河童に同情した。



 薬湯を飲んだあと、私は再び布の上に寝かされた。しばらくじっとしていると、体力がある程度まで回復してきて、ようやく周囲を見回す余裕がでてきた。


 そこで初めて、自分が寝かされていたところが、周囲を布で囲まれたテントのような場所だということに気づいた。

 いつの間にこんな物を用意したんだろう。


「璃耀や他の皆は?」


 このテントの中には私と凪と蓮華姫しかいない。

 でも、蓮華姫がここにいるということは、璃耀も戻ってきているということだ。いつもなら、直ぐ側に控えて私の様子を看ているのに、どうしたんだろう。


 そう思っていると、蓮華姫がおもむろに着物の準備を始めた。


「殿方には出ていっていただきました。お声をかけるのであれば、人の姿になって着替えねばなりませんよ。」


 蓮華姫の言葉に私は首を傾げる。


「璃耀や蒼穹はこの姿を知ってるんだけど……」


 しかし、蓮華姫は首を振った。


「立場のお有りの方が、そのような端ない姿で外に出るものではありません。」


 凪も蓮華姫の言葉に頷いている。


 京では人の姿があたり前と聞いていたが、端ない姿と言われるとは思わなかった。


 私は仕方なく、凪に支えられながら体を起こし、自分の中にある程度の力が戻ってきていることを確認してから、いつもの兎の姿になり、さらに人の姿に変わった。


 そして、蓮華姫が用意した着物に二人がかりで着替えさせられる。慣れてきたとはいえ、やっぱり着物は窮屈だ。

 着るにしても、いつもの貫頭衣がいい。


 着替えが終わると、


「お声をかけて参ります」


と凪が外に出ていく。


 すると、外で待ち構えていたのか、直ぐに璃耀がテントの中に入ってきた。

 私の姿を見て、ほっと胸を撫で下ろす。


「璃耀、薬をありがとう。」

「戻ったら倒れて意識を失っていると聞いて、血の気が引きました。」

「……ごめんなさい。」


 私が謝ると、璃耀は仕方がなさそうに息を小さく吐いた。


「意識が戻られて本当に良かった。いつも申し上げていることですが、あまり無茶をなさらないでください」

「はい……」


 私が頷いていると、璃耀の後ろから、蒼穹、宇柳、栃も入ってくる。

 皆、私を見て一様にほっとした表情を浮かべた。


「ねえ、蒼穹。近くに二つも鬼界の入口が開いてたんだし、念の為、他にもないか探してほしいんだけど……」


 私が言うと、蒼穹は頷いて見せる。


「白月様が眠られている間に周囲を隈無く探させましたが、白月様が最後に閉じようとされた穴以外には見つかりませんでした」

「そう。良かった。じゃあ、後はあの穴だけだね」


 私はよいしょと立ち上がりかける。

 しかし直ぐに、蓮華姫に後ろから肩をぐっと抑えられた。


「……あの、蓮華姫? 私、穴を塞ぎに行かないといけないんですけど……」


 私がそう言うと、蓮華姫の厳しい声が頭上から降ってきた。


「先程まで自分の意思で動けもしなかった御方が何をおっしゃいます。今日はこのままゆっくりお休みください」

「え、でも……」

「でもではありません。

 それから、私の事は紅翅こうしとお呼びください。

 さあほら、お顔を拝見して安心されたなら、殿方は出ていってください。さあ、さあ。」


 紅翅はパッパッと男性陣に向かって手を振る。


「いや、しかし、まだ……」


 璃耀が何か言いかけたが、紅翅はそのまま男性陣を追い払うように入口の方へ追いやっていく。


女子おなごの寝所に何時までも殿方が居るものではありません。お話ならば、白月様が回復されてからになさいませ」


 なんだか、璃耀が紅翅の勢いに押されている気がする。こんな姿を見る機会はほとんどないので、少しだけ愉快だ。


 蓮華姫は、初めて合ったあの時と全然変わらない。久々に見たその姿に、私は小さく笑いをこぼした。

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