第41話 謎の毛玉
紅翅の監視のもと、きっちり三日、テントから出ることを許されず、私は寝所で暇を持て余して過ごすことになった。
山羊七のところの薬湯を飲んだので、その夜には体力もしっかり回復してたのだが、紅翅は体調が回復してから少なくとも二日は様子を看なければ安心できないと譲らなかった。
暇に耐えきれずに紅翅の不在を狙って、テントの外で警備をしていた栃をこっそり呼んで、リバーシでもしようかと企んだが、リバーシの紙を広げたところで紅翅が帰ってきてしまった。
「女子が寝所に男を連れ込むとは何事です!!」
それはもう、外にもしっかり響く大声でどやされた。
凪も一緒に居たのだから、別に二人きりになったわけでもないのに大袈裟だし、私に呼ばれたから中に入ってきた栃に申し訳ない。
フォローをしようと思って、
「栃さんとは、烏天狗の山にいたときも、こうやってずっとリバーシをしてたから、大丈……」
と言いかけると、紅翅はさらに眦を吊り上げた。
「そのような環境に白月様を置くなど、烏天狗の領地に徹底抗議します!」
もう、話を聞いてくれる雰囲気ではない。
栃は私と紅翅を交互に見ながら眉を下げてオロオロし、凪もどうして良いかわからないようで右往左往していた。
結局、騒ぎを聞きつけた璃耀が私達と紅翅の間に入ってなだめてくれて落ち着いたが、以降、監視は強化され、紅翅は一切私の側を離れなくなってしまった。
烏天狗の山で軟禁されていたとき以上の厳しさだ。療養の筈なのに、全く心が休まらない。
ようやく紅翅から外出許可をもぎ取り外に出ると、開放感から叫び出したくなった。
「外だーーー!!」
私が思わず声をあげると、周囲がビクっと顔を上げ、かなり遠くの兵たちまでが騒然となったのがわかった。
「白月様」
璃耀の声に、私はバッと口を塞ぐ。
「感情に任せて気を発するのはお止め下さい。」
「……出てた……?」
「歌をうたっていたときと同じように」
璃耀はコクリと頷いた。
私はどうやら随分と浮かれていたらしい。
「……気をつけます」
私がシュンとして頷くと、璃耀は小さく溜め息ついた。
さて、外に出られるようになったら、真っ先にやらなければならないことがある。
閉じきれなかった黒い渦を消し去らなければ。
私が数日テントに閉じこもってこの場を動けなかったせいで、この場所は完全に数十人規模の大きな野営地となっていた。
黒の渦はすぐそこだと言うので、璃耀や紅翅は野営地でお留守番していてもらうことにする。
決して口うるさい者たちから離れたかったわけではない。戦闘員以外は不要という判断だ。
「ようやく息がつけますね、白月様」
私の本音が口から洩れ出たのかと思うような、苦笑交じりの宇柳の言葉に、思わず、パシッと宇柳の口を塞いで周囲を伺う。
「不用意なことを言わないで。この数日、どんな思いだったと思ってるの?」
私が言うと、凪も苦笑を漏らす。
「厳しい方だと伺ったことはありましたが、紅翅様は想像以上でしたね」
「烏天狗の女子も気が強い者が多いですが、あれほどの者はなかなか居ません」
「栃さんも凪もシーーッ!」
私は口の前に指を一本立てる。
余計なことを聞かれて、これ以上怒りを買うわけにはいかない。
「流石にもう聞こえませんよ。ただ、これで白月様も無茶をしなくなるだろうと璃耀は言っていましたよ。寝込むようなことがあれば、今回のようにしばらく外に出てこられなくなるでしょう?」
小さく笑いながら言う蒼穹の言葉に、スッと背筋が寒くなる。
凪は他人事のように笑っているが、自分の立場をわかっているのだろうか。
「その時は凪も道連れだからね」
というと、ハッとしたように私をまじまじと見つめた。
「必ず御守りしますから、絶対に無茶はなさらないでください!」
懇願するような目に、私はハハっと笑いをこぼした。
黒い渦は、最後に見たときと変わらずぽっかり岩場に浮かんでいた。
ただ、なんか様子がおかしい。
最初は気づかなかったのだが、よく見ると、穴の中心部に黒いふさふさした何かが嵌っている。
しかも、ぐぐぐっとこちらに向かって少しずつ出てきているような気がする。
「何だろう……あれ……」
どうなっているのかが気になって、一歩踏み出すと、凪にすっと手で制される。
「近づいてはなりません!」
「様子を見に行かせましょう。藤嵩!」
蒼穹はそう言うと、部下の一人を呼び寄せて指示を出す。
しかし、藤嵩と呼ばれた兵が穴に近づいた瞬間、その黒いふさふさは、ポーンと勢いよく穴を抜けて飛び出した。よく見たわけではないので分からないが、何となく丸いフォルムをしていたように見えた。そして、その勢いのまま、ササッと素早く動いて姿を消してしまった。
「藤嵩! 何名か連れて探させろ! 危険な者かもしれん!」
蒼穹が指示を出すと、藤嵩は即座に動き始める。
私はそれを横目に見ながら、再び黒い渦に向き直った。
「じゃあ、とりあえず、こっちは穴を閉じちゃおうか」
「ええ。お願いします」
私の言葉に蒼穹が頷く。
いつものように掌をむけて力を注いでいくが、前回ぎりぎりまで力を注いだおかげで、そこまで力を使わずに黒い渦を消滅させることができた。
とはいえ、いつもの如く、どっと疲れが押し寄せてきて、私はペタリとその場に座り込んだ。
前回が前回だったからだろう。凪が血相を変えて私に走り寄る。
私はそれにニコリと笑ってみせた。
「大丈夫。今日はこの前みたいに限界まで力を使ったわけじゃないから、すぐに回復するよ」
私が言うと、凪はホッと胸を撫で下ろした。
私はしばらくの間、体力を回復させるために近くの岩に寄りかかって休憩をする。
その間に蒼穹達は、先程見失った黒のふわふわを見つけるのに躍起になっていた。
「先に戻りますか?」
しばらく経った頃、凪が私に声をかけた。もう力は完全に戻っているので、野営地に戻ろうと思えば戻れるのだが、どうにも気が進まない。
久々に外に出られてこんなに気持ちがいいのだから、しばらくここにいたい。
紅翅の監視の目から離れていたい。
「ううん。もうちょっとここに居よう」
「そうですね。」
私がぼんやり、兵たちを眺めながら言うと、凪もクスッと笑った。
それからどれ位経っただろうか。日が傾き始め、兵たちの間にも諦めの空気が漂い始めた頃、蒼穹が私の元に戻ってきた。
「周囲を隈無く捜査しましたが、見つかりません。既に遠くへ逃げおおせている可能性が高いです」
「そっか。ちょっと心配だけど、見つからないものは仕方がないね。もう少しだけ探したら戻ろう」
私はよっこらせ、と立ち上がる。
「は、白月様!」
突然、凪の叫ぶ声が響いた。驚いて凪に目を向けると、私が先程まで座っていた場所を凝視し、刀に手をかけている。
そちらに視線を移動させると、そこには、まん丸ふわふわの黒い毛玉が転がっていた。
よく見ると、とてつもなく短い手足に小さな耳が生えていて、つぶらな瞳でじっとこちらを見つめている。
犬や猫とは違う、とにかくまるっとしたフォルムで、まるでぬいぐるみだ。
「何これ、かわいい!」
私がすっと手をのばすと、黒い毛玉はトテトテと寄ってくる。
「お止め下さい!」
凪はすごく警戒しているが、これの何処に危険な要素があるのだろうか。
触れてみると、毛並みは柔らかでフワフワだ。
反応を伺いながらギューっとしてみると、特に暴れる素振りもなく、私の腕の中に収まった。
はぁ、なんかすごく落ち着く。
しかし、他の者達は気味悪そうに武器を片手にこちらを取り囲んでいる。感性の違いだろうか。
「ねえ、凪。すごくフワフワでかわいいよ!」
女の子なら共感してくれるだろうと、近くに控えていた凪に差し出してみたが、
「すぐに放してください! 白月様!」
と顔を引きつらせたままだ。全然共感してくれそうにない。
ムゥ、と膨れていると、近くまで来た宇柳がおずおずと私と毛玉を見比べながら、口を開いた。
「あの、白月様? その奇妙な物をどうなさるおつもりですか?」
……どうなさるも何も……
「これ、蒼穹達が探してた生き物だと思う?」
「え……ええ……恐らくは……」
そうだよね。
私が見たのも、これに近い生き物だった。
もしこれが鬼界から来たのだとしたら、閉じてしまった向こう側にはもう戻せない。
「入口を閉じちゃったし、向こうに帰してあげられないってことだよね……野放しにはできないし、責任持って連れて行くしか……」
私が毛玉を抱きしめながら言うと、凪はギョッと目を見開いた。
「このような訳のわからぬものを連れ歩くなど絶対にいけません!」
えぇ……
「でも、ここに置いては行けないでしょう? 周囲の妖に悪さしても困るし」
私の言葉に、蒼穹が反応する。
「放置などしません。始末すればそれで済みます」
始末!?
こんなに可愛いのに!?
いつもは味方になってくれる蒼穹が、今回は完全に反対の姿勢だ。
私は周囲の顔を見回す。皆、獲物を見るような目でこの子を見ている。誰も味方してくれそうにない。
「ちょ、ちょっと待って! 何か方法を考えるから!」
私はそう言いながら黒い毛玉を取られないようにギュッとする。簡単に始末されてはたまらない。
ひとまず、連れて行くことも放置することも許されないなら、この子だけでも向こうに帰せないだろうか……
偶然入口が開いているのを見つけるのは容易じゃない。多分、見つけるまでの間に連れ歩くのを禁止される。
……結界を閉じるときには陽の気と陰の気を注ぐんだから、うまく吸い取ったりできたら開くのかな……
私はそんな事をぼんやり考えながら、指先を空に向けてくるくる回す。
でも、吸い取るっていったって、難しいよね。手の中を逆流するようなイメージを持てばいいのかな。それとも、綿飴作るときのように絡め取るみたいな?
ああ、いっそのこと両方イメージしてみても良いのかも。
そのうちに、頭の中にいつもと違う祝詞がふわっと浮かび上がってくる。
私は指をくるくるさせながら、それをほとんど無意識に口ずさんだ。
「……様!白月様!お止め下さい!」
すぐ近くで凪が叫ぶ声が聞こえて、私はふっと我に返る。
「ああ、ごめん、考え事してた。どうしたの?」
私が凪を振り返ると、凪は血の気をなくした顔で、前方を指さした。
首を傾げてその指の先に目を向けて、私はギョッと目を見開いた。
そこには、小さな黒い渦がぽかんと浮いている。
「え、うそ!」
私は慌てて、掌を小さな黒い渦に向けて力を注ぐ。本当に小さな穴だし、吸い取った力を戻しただけなので、対して力は使っていない。
ただ、あまりの驚きに、心臓がドキドキしている。
まさか、こんなことが出来るとは思わなかった。
黒い渦が完全に消滅していることを確認して、私はホッと息を吐いた。
しかし、すぐにそんな安堵は吹き飛ぶことになった。
「このようなところで何をしている?」
唐突に前方から響く訝しげな声に、私はギクゥっと肩を震わせる。心臓が飛び出るかと思うほどの衝撃だ。
何というタイミングだろうか。
今一番来ちゃダメなタイミングだよ、璃耀!
璃耀が兵たちの向こう側からこちらに来る前に、私はぐっと毛玉を背後に押し隠す。
「ど、どうしたの? 璃耀。」
「どうしたの、ではありません。なかなか戻っていらっしゃらぬので、様子を見に来たのです。」
璃耀の背後には、椎がしっかりついている。
「それから、今隠したものをこちらに出してください。」
……バレてる!
見られてしまったなら仕方ない。私がそろそろと毛玉を出すと、璃耀はあからさまに眉を顰めた。
「……なんです、それは?」
「さ……さぁ……」
どう答えたら角が立たないかを考えながら答えると、璃耀は早々に私から答えを引き出すことを諦めて、蒼穹に目を向けた。
蒼穹は困ったように、チラッと私を見たが、璃耀の視線に耐えきれず、詳細を一から話し始めた。
「……それで、白月様が連れて行くと言い出したと」
璃耀に呆れたような目で見られ、うっと怯む。
しかし、続けられた言葉は思いがけないものだった。
「白月様がそれをお持ちになりたいならば良いのではありませんか?」
「璃耀!」
「璃耀様!」
私は期待の声で、他の皆は驚きの声を上げる。
まさか、璃耀がそんな風に言ってくれるとは思わなかった。
「お主、正気か?」
蒼穹が唖然とした顔で璃耀を見つめる。璃耀はそれに平然と頷き返した。
「話しを聞く限り、白月様はそれの感触がお気に召したのだろう? 毛皮を剥いで、中に詰め物でもすれば良い」
璃耀の発言に、今度は私が愕然とする番だった。
……毛皮を剥いで……?
期待した私が馬鹿だった。璃耀がまさかそんな優しいことを言うわけがなかった。
私はギュッと毛玉を抱きしめる。
このままでは、始末されるのが決定してしまう。
「この子は、鬼界に返します。絶対に始末なんてさせません。」
私が周囲を睨みつけるように見ると、璃耀はハアと溜め息をついた。
「鬼界へ帰すとおっしゃいますが、いったいどうされるおつもりです? そのような形でも鬼界の者なのでしょう。生かしたまま連れ歩いたりすれば、周囲を危険に晒す事になりかねません。」
「だから、今、この場で帰せば良いんでしょう。」
あまり、璃耀の説教のネタになるようなことはしたくないが、致し方ない。
このままこの子をこの世界に留めれば、十中八九始末されてしまう。
私の言葉の意図を図りかねたように怪訝な表情を浮かべる璃耀を無視して、私は先程やったのと同じように指をくるくると回して、頭に浮かぶ呪文を唱えつつ結界にはられた気を絡め取っていく。
私の指の先から黒い渦が生まれていく様を、皆が息を呑んで見つめていた。
ある程度の穴が空くと、私はそこに、黒い毛玉を押し込んだ。
若干穴が小さかったようで、ぐぐぐっと力いっぱい押すことになってしまったが、無事、スポンと穴を通り抜ける。
それからすぐに、力を戻して穴を塞いでいく。
万が一にもあの子が戻ってきたりしたら大変だ。
無事に黒い渦が消滅したことを確認して、私はほっと息を吐いた。
直後、璃耀の鋭い声が周囲に響きわたった。
「蒼穹! 今、此処に居る者全てに箝口令を敷け!」
「はっ!」
いつもの二人とは雰囲気の違うやり取りに、空気がピリっとする。
蒼穹が兵たちに指示を飛ばすのを確認すると、璃耀はいつにもまして厳しい表情で私を見据えた。
「白月様」
璃耀は、すごく静かで重々しい口調で私に語りかける。
「あなたがこの世界で成すとお決めになったことはなんです?」
「……結界を強固に封じることです。」
「では、貴方が捕らえられたあの日、現帝が貴方に望んだことはなんです?」
「……それは結界を……」
……破壊することだ。
つまり、私は今、現帝の宿願をいとも簡単に成し遂げた事になる。
璃耀はきっとカミちゃんに、あの日璃耀達と別れている間に私が帝に何を望まれ、どのような目に合ったのかを聞いたのだろう。
璃耀の視線に、私は口を噤んだ。
「金輪際、そのお力を他に見せるような事をしてはなりません」
「……はい……」
璃耀は私に意図がきちんと伝わっているかを確認するように、じっと私を見つめた。
それ以降、璃耀は一切今回の事を口にしなかった。いつもなら長々とした説教がセットなのに、それがないというのが、事態の深刻さを物語っているようだった。
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