第42話 猫又の依頼
野営地に戻ると、尻尾が二本ある猫の妖が、兵の一人と話をしていた。
もう夕暮れだというのにどうしたんだろう、と思っていると、宇柳がぼそっと呆れたような声を出した。
「ああ、また来てるのか……」
「またって?」
「いえ、どうやら、村の者や近くに住む者が近頃行方不明になることが相次いでいるようで、毎日助けを求めに来ているのです。軍が駐留していることを聞きつけたようで」
……毎日……
それは、随分困っているということではないだろうか。しかも、取り合わずに追い返しているってことだよね。
「助けてあげられないの?」
「それは……」
私の言葉に宇柳はそのまま口籠る。それを見兼ねて蒼穹が言葉を引き継いだ。
「我らは、ご命令なしに勝手に動くことが出来ないのです。兵士個々はもちろん、軍としての独断で勝手に動くことは、内部にも外部にも混乱をきたします」
ああ、そっか。一応、鬼界の入口で鬼と戦えってことで帝の命令で来てるんだっけ。
私が来て既にいろいろ動き回ってる現状を考えると今更な感じはするけど、一応鬼界絡みではあったし、変に命令から反れるようなことはできないのかもしれない。
融通が利かないな。
「じゃあ、私が聞いてくる。私なら、帝の命令は関係ないもんね」
「え!? あ、ちょっと……」
蒼穹が私を制止しようとしたが、毎日通って頼みに来るような者を追い返していたとしたら流石に可哀想だ。
「白月様」
意気揚々と飛び出そうとしたところで、先程から口数の少ない璃耀の冷とした声に、私はビクっと足を止める。
「何でも思い付きで行動されるものではありません」
「……でも、放っておけないでしょう?
前回、村の者が居なくなったって聞いたときは、楠葉の村の近くに人界への入口が開いたときだったし、この辺で既に鬼界への入口が二箇所開いてたんだよ? 何か起こってるかもしれないでしょう?」
私の言葉に、璃耀は眉根を寄せる。
「ならば、御自身が動くのではなく、兵をお使いください」
「え、でも、それが出来ないから、追い返してるんでしょ……?」
私は首を傾げて蒼穹を見る。
帝の命令で動いている軍なのに、突然やってきた私が勝手に兵を借りていいわけがない。
しかし、蒼穹は璃耀の言葉を否定するでもなく、僅かに眉を上げる。
「帝の命とはいえ、翠雨様から派遣され、蒼穹が指揮を取る以上、この軍は貴方のためのものです。貴方のご命令があれば動けます」
璃耀は至極当然のようにそう言った。
「……え……私の……?」
「こちらへ来てから、散々軍を動かしておいて、何を今更仰っているのです」
確かにそれはそうなのだが、あれは鬼界の穴を塞ぐためだったし、私の為の軍と言われると、何だか話が大きくなりすぎている気がする。
「我らは、貴方の回復を待っていたのです。ご命令とあらば、彼の者の話を聞いた上で偵察を出しましょう」
蒼穹はニコリと笑う。
「……じゃあ……お願いします」
「承知しました。宇柳」
蒼穹はその場で宇柳に指示を出す。宇柳もそれに応じてすぐに動き始めた。
何だか、すごくトントン拍子に物事が動いていく。
凄いと思うと同時に、軍が私の意思で動くと思うととても怖い。
「あの、蒼穹。一応、私も一緒に話を聞きたいんだけど……」
「白月様」
璃耀が咎めるような声を出したが、軍の動きが自分の判断に委ねられると思うと、きちんと自分の目で見て話を聞いておきたい。
「ちゃんと判断するために、任せきりにしたくないの。危険なことはしないようにするから」
璃耀は私の言葉に疑うような目線を向ける。
しかし、私がその目をじっと見返すと、仕方の無さそうな顔をした。
「では、思いつきで白月様自らが動き回ったりしないと約束してください」
「わかった、約束する」
私が素直に請け負うと、璃耀は小さく息を吐き出した。
蒼穹について、猫と兵が話している場所へ向かう。途中で指示を出しに行っていた宇柳も話を聞きに戻ってきて合流した。
蒼穹、宇柳、璃耀、椎、凪、栃に加えて、藤嵩、桔梗という男女も同行している。
二人の様子から、宇柳に次ぐ蒼穹の腹心なのだろうと勝手に判断している。宇柳が動けない時などは、だいたいこの二人の名前が出るので、多分間違いないと思う。
とにかく、ただ話を聞きに行くだけなのに、かなりの大所帯だ。
璃耀が私の動向を監視したがらなければ半分に減ったのではと思うのだが、言ったところで譲らないだろうし、余計な疑念を持たれるだけなので、気にしないことにした。
私達がぞろぞろと猫たちの所に向かうと、猫は大きな目を丸くして私達を見、応対をしていた兵はギョッと目を見開いて、慌てたようにその場に跪いた。
ほら。こんな大所帯でくるから仰々しくなっちゃうんだよね。
「邪魔してすまない。我らにも話を聞かせてくれ」
蒼穹が話しかけると、兵は緊張したように顔を上げた。
「しかし、皆様にお聞かせするようなお話では……」
「それはこちらで判断する。委細説明せよ」
璃耀が言うと、兵は顔を青くさせる。
「は、はい、失礼致しました」
璃耀はいちいち言い方が厳しい。蒼穹みたいに、もうちょっと柔らかくならないものだろうか……
そう思いながらも、顔を強張らせつつ猫の話を説明してくれる兵の声に耳を傾けた。
曰く、一、ニ週間くらい前から、村を出て採集に出かけて行った者が帰って来なかったり、定期的に物を売りに来る行商人がパタリと来なくなったりしているらしい。
探しに行った者も帰ってこなくなってしまい、皆怖がって村の外に出られない状態なのだと言う。
それだけ聞くと、楠葉の時と似ている気がするが、行商人もとなると、ちょっと様子が異なる。
「この一、二週間で、周囲で何か異変はありませんか? 大きな物音がする、とか、異臭がする、とか、何でもいいんですけど。」
私が猫に話しかけると、猫は少し怪訝な顔をする。
「お嬢ちゃんも兵なのかい? 見習いには用はないのだが」
瞬間、空気がピリっと張り詰めたのが肌で分かった。話を聞いていた兵の顔色が先程以上に真っ青になり、私と旅をしたことのない者達が剣呑な雰囲気を漂わせる。
「白月様に何という口の聞き方を……!」
「ちょ、ちょっと?」
「猫又風情が、白月様を見下すような真似をするなど、無礼が過ぎます!」
「凪も落ち着いて!」
今にも猫に詰め寄りそうな雰囲気の者たちを押し留めていると、兵が猫を無理やり座らせて、ガバっと地面に頭を擦りつけた。
「申し訳ございません!」
猫はまだよくわかっていないような顔をしているが、自分の応対をしていた兵の態度から、軍の上層部の者たちを怒らせたことだけは分かったようだ。
「白月様は口を開かれない方が良いのでは?」
璃耀が呆れたような声を出す。
「確かに、白月様は璃耀様と違って、威厳はあまりありませんからね」
宇柳がそれに応じると、蒼穹が笑いをこぼす。
「その白月様に陽の気で焼かれそうになり、心底怯えていたのは誰だ、宇柳」
蒼穹の言い草に私は眉を顰める。
「けしかけた本人が言う事じゃないよ、蒼穹。もっと反省して」
「ああ、これは失礼を」
全っ然、反省している様子が無さそうなんですけど。
はあ。
……まあいいや。蒼穹達の反応で空気が和らいだし。
「あの、怒ってないから話を聞かせてくれませんか?」
私が声をかけると、二人は恐る恐る顔を上げた。
もう一度、先程の続きからだ。今度は猫もしっかり答えてくれる。
「それで、何か変わった様子は?」
「変わった様子というのは、特には……」
「じゃあ、村の者が消えた場所に共通点はあります?」
「村の者が採集に向かうのは、村の近くにある森しかありません」
「行商人もその森は通りますか?」
「ええ。採集をしながら物を売りに来ているようなので」
じゃあ、場所はその森で決まりだ。きっとそこに何かあるのだろう。
そう思っていると、猫がふと思い出したようにポツリとこぼした。
「そういえば、そちらの方向から風が吹くと、時折、何かが腐ったような匂いがすると、村の者が言っていましたね」
猫の言葉に、背筋に悪寒が走った。
……いや、まさか……取り越し苦労であってほしいけど……
「蒼穹、直ぐにその方角に、腕の立つ兵を武装させて偵察に行かせて。何かあったときに逃げられるように飛べる者だけがいいと思う」
「白月様?」
「……ただの勘だけど、その付近に、鬼が潜んでるかもしれない。」
私の言葉に、周囲がザワっとする。
「同じ方角で村の者や行商人が消えて、そちらから腐敗臭。近辺で黒の渦が二箇所。嫌な予感がする」
「皆、喰われている可能性があると?」
璃耀の言葉に私はゆっくり頷いた。
何処からか息を呑むような声が聞こえる。
蒼穹は直ぐに、部下に指示をだし始めた。
「宇柳!」
「はい! 直ぐに編成を組み直して向かわせます!」
「藤嵩! 宇柳の組んだ編成に加わり、共に向かえ!」
「はっ!」
「桔梗! 念の為、周囲の警戒を。すぐに戦えるよう準備を整えておけ!」
「承知しました!」
私は口元でギュッと拳を強く握る。
あの時の兵に襲いかかった小鬼のようなことが起こっているのかもしれない。しかも、犠牲者が複数いる可能性がある。
「藤嵩、くれぐれも気をつけて。偵察に向かう者たちに犠牲が出ないように。皆にも注意させてね」
私が言うと、声をかけられると思っていなかったのか、藤嵩は驚いたように私を見たあと、表情を引き締める。
「必ず」
深々と礼をすると、背から翼を出し、宇柳について飛び立った。
程なくして、野営地から十名の兵が、藤嵩を先頭に猫の言う森へ向かった。
何事も無ければ良いと思ったが、夜間、彼らが戻ってきたような気配はなく、気を揉みながら迎えた明け方、藤嵩だけが傷つき疲れ果てた様子で戻ってきたと報告を受けた。
「……他の者達は?」
「闇夜に紛れ、一人、また一人と居なくなっていき、気づけば、私一人に……私も背後から何者かに襲われたのですが、何とか逃れることができ、そのまま……」
明るくなってから、蒼穹や璃耀と共に手当を受けた藤嵩がテントにやってきて、詳細を説明してくれた。
「白月様との御約束をきちんと守ることができずに申し訳ありません」
「ううん。藤嵩が無事で良かった。蒼穹、他の者の捜索はできそう?」
蒼穹に尋ねると、少し難しそうな顔をする。
「襲った何者かをこのまま放置することはできませんから、そちらの対応を優先させてください。十もの兵を失った今、生きているかどうか解らぬ者の捜索に人手は割けません」
「でも、まだ生きているかもしれないでしょう?手遅れになる前に……」
私がそう言いかけると、璃耀が私の言葉を静止するように一歩前に出た。
「お気持ちはわかりますが、被害をこれ以上広げない為には、元凶をおさえるのが優先です。感情に流され、貴方自身が目的を見失ってはなりません」
言っていることは理解できる。でも、十人もの兵が一気に居なくなったのだ。一人でも生きている可能性があるなら、探して助けたい。
こういう時に、自分が動けないのがもどかしい。
私が口を噤んで黙っていると、藤嵩が見兼ねたように口を開いた。
「では、私が探しに行ってまいります。翼を痛め、満足に飛べない状態では、鬼退治の足手纏になりましょう。ならば、私が率いていた者たちを探しに行きたく存じます」
「一人では危険なのでは?」
私の後ろで怪訝な声を出す凪に、藤嵩は首を振る。
「軍の本体が鬼の相手をしてくれるのであれば、一人でも問題無いでしょう。むしろ、自分の身を守れば良いだけなので、身軽に動けます」
璃耀は藤嵩を一瞥したあと、蒼穹に目を向ける。
「藤嵩が一人でも探すと言うならば、任せれば良いのではないか? 放っておいたら、また白月様が御一人で飛び出しかねぬ」
流石に私だってそこまで考えなしではない。それを証拠に、頭を過ぎっただけで口には出さなかった。
ただ、藤嵩が行ってくれるのは有難い。皆が居なくなった場所もある程度の見当はついているだろう。
一人だけ、というのが少し心配だが……
「本当に一人で大丈夫? 怪我もあるでしょう?」
「翼が使えぬだけで、それ以外の怪我自体は然程酷いものではございません。どうぞ、お任せください」
私は心配で蒼穹に目を向ける。蒼穹はそれに気づいて、藤嵩に声をかけた。
「白月様は、お主の身を案じていらっしゃるのだ。無理をせず、何か異変を感じ取ったらすぐに引き返してこい。深追いして、危険を犯すようなことのないようにせよ」
「はい」
「お願いね。藤嵩。くれぐれも気をつけて」
私が声をかけると、藤嵩はニコリと笑ってみせた。
「ええ。行ってまいります」
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