第43話 騒動の原因

 藤嵩を送り出し、蒼穹や璃耀が一度退席すると、すれ違いざまに紅翅が入ってきた。


 紅翅は相変わらず、テントの中で私や凪と過ごす時間が多い。ただ、明け方頃に軍医と共に呼び出されて出ていっていた。


 どうやら、報告の時間は外で待機してくれていたようだ。


「報告はしてもらったけど、藤嵩の怪我は大丈夫だった?」

「ええ。傷はいくつかありましたが小さなものばかりで大事はありません」


 一人で送り出してしまったが、傷の様子は問題ないと聞いて、ほっと息を吐く。


「そう。背後から襲われたって聞いていたから、強がって痛みを我慢しているだけだったらどうしようかと思ったけど、大丈夫そうで良かった」


 私が言うと、紅翅は僅かに首を傾げる。


「背後から襲われたのですか?」

「そう聞いたけど、どうかした?」

「いえ。ただ、特に背に傷のようなものはなかったので」

「翼を痛めたって聞いたけど。」

「見た目にはそのようなことは無さそうでしたが……」


 私達が互いに首を捻っていると、凪が見兼ねたように口を開いた。


「藤嵩殿は腕がたつと聞きます。背後から襲われ、何とか避けて傷は負わなかったものの、避ける際に妙な捻り方をしたのかもしれませんね」


 捻挫のようなものだろうか。翼がどうかは知らないが、足でも変な動き方をすれば筋を痛めたりする。凪が言うならそういうこともあるのだろう。


「そうですか。その場ではわかりませんでしたが、一度翼も診てみた方が良いかもしれませんね」


 紅翅は少し考えるようにそう言った。


 しばらくして、蒼穹が武装を整えて戻ってきた。


「兵の半数を連れて、元凶を探しに行ってまいります。宇柳と桔梗を残しますが、こちらは手薄になります。何かあれば、すぐに使いを出してください」

「うん。わかった。蒼穹達も気をつけて」


 私の言葉に、蒼穹は一礼する。

 そのまま顔をあげると、蒼穹は私を見て目を丸くしたあと、小さく笑った。


「そのように不安そうな顔をされないでください。この場を離れ難くなります」

「えっ!?」


 そんな自覚が無かったので、私は慌てて自分の顔を触る。


「こちらに留まって居てくだされば、大丈夫です。宇柳も桔梗も、ああ見えて、優秀ですから」

「……ううん、こっちの心配というよりは、蒼穹達が……十人も一度に居なくなったばかりだし……」

「それも大丈夫です。引き際は心得ていると言ったでしょう。日が暮れる前に戻って参ります」

「うん。無事に全員で帰ってきて」

「はい」


 蒼穹は、今度は私を安心させるように、いつものように頷いて返事をした。


 蒼穹達を見送る為に外に出ると、たくさんの兵が武装した状態で跪き、待機していた。


「では、行ってまいります」


 蒼穹は一度私を振り返り、跪いて頭を垂れると、すぐに立ち上がる。


「行くぞ!」


 蒼穹の掛け声に、一部の者は翼のある者に乗り、ある者は自分の身一つで、一斉に飛び立っていった。


「それほど心配されずとも、大丈夫ですよ」


 空を見上げて見送っていると、璃耀が私と同じように空を見上げてそう言った。



 蒼穹達が飛び立つと、野営地は一気に人気がなくなる。


 宇柳は周囲を飛び回って警戒にあたる者達に指示を出し、私のそばには桔梗をつけてくれた。


 さらに、テントの中に居たほうが安全だと言われ、中に閉じこもる。


 でも、どうしても落ち着かない。


 大して時間もおかずにチラチラ外を見に行く私に、凪が苦笑を漏らした。


「それほど気になるならば、外にいましょう。皆で固まっていれば、大丈夫でしょう。栃殿も外にいますし、私に、りばーしとやらを教えてください」


 栃は、一度テントの中に入って紅翅にどやされて以降、滅多なことでは中まで入って来なくなっていた。

 確かに、リバーシでもしていたほうが気が紛れるかもしれない。


 私は凪の言葉にうなずいて、外に出ることにした。


 栃が持っているリバーシを借りてばかりでは申し訳ないので、紙版をもう一式つくる。凪に覚えてもらったら、テントの中にいても気晴らしができるかもしれない。


 凪にやり方を教えながら栃と勝負していると、璃耀も気になったようで盤を覗き込む。


「なるほど。このように遊ぶものだったのですか。烏天狗達は木を使っていたようですが、同じものですか?」

「本来は、木のような固いもので作るの。最初は本当に暇つぶしだったから紙で作ったけど」


 勝負が進むと、周囲の目も盤上に集まっていく。皆、興味津々だ。

 栃もコツをつかんだようで、随分いい勝負になっている。


 しかし、勝負が拮抗したまま、あと数手、といったところで、ヒュウっと風が吹いた。盤上にあった駒が、ちりぢりに空に舞う。


「あぁ! 今回は勝てそうだったのに!」


 栃が悔しそうな声を出した。確かに、あのまま戦っていたら、私の負けだったと思う。


 私は、フフっと笑いながら立ち上がり、駒を拾い集めに行く。


「そのようなこと、私どもがやります!」


 桔梗が言ったが、飛び散った駒は結構な数がある。裏返せない分、通常の倍あるのだから当たり前だ。


「大丈夫。皆で集めたほうが早いでしょ?」

「それはそうですが……」

「桔梗も集めてくれる?」


 私が止めるつもりが無いことを悟ると、桔梗が困ったような顔をした。

 私はそれを無視して、テントの裏側に回ってしまった駒を探しにいく。少し離れた藪の近くに一つ見つけて拾いに行くと、藪の向こうに誰かがいるのに気づいた。


「……藤嵩……? 戻っていたの?」


 私が声をかけると、藤嵩はバッとこちらを振り返る。暗がりで見えにくいが、よく見ると、手や服、顔に赤い血糊がついている。


「怪我をしたの!? すぐに手当を……」


 紅翅を探して駆け出そうとしたところで、腕をぐっと掴まれた。

 ものすごい力に、目を見開いて藤嵩を見る。


「大丈夫です。返り血ですから」


 ニコリと笑うその顔が、何だか不気味に見えて、思わず私は一歩後に下がろうとした。しかし、藤嵩はそれを許さない。


「白月様?」


 不意に、桔梗が私を呼ぶ声が聞こえ、返事をしようとしたところで、グイっと藪に引き込まれた。


 バランスを崩して倒れ込むと、目の前にあったのは、血まみれになった狸の死体だった。

 着ているものや周囲に散らばる装備品から、兵の一人だったことがわかる。

 それが、腹のあたりを無惨にもグチャグチャにされている。


 うっと吐き出しそうになるのを両手で抑えてぐっと堪える。


「……藤嵩……これはいったい……」

「藤嵩ではありませんよ。その男は、今頃森の中で震えています。今の貴方と同じように、自分の死を覚悟してね。」


 藤嵩の姿をした何者かは、ずっとニコニコしていて、それが凄く気味が悪い。


「……じゃあ、貴方……誰……?」

「名乗りが必要ですか? すぐに死ぬのに?」


 まるで確定したことのように言い放たれたその言葉に、寒気が走る。


「姿を借りたこの男が、しきりに白月様と約束したのだと騒ぐから、どのような大妖かと期待していたのですが、ただの餓鬼とは残念でなりませんね。

 死骸を見せてやるくらいの楽しみはあっても良いかもしれません」


 しかし、鬼がそう言ったとき、俄にテントの周りが騒がしくなってきた。

 私が居なくなった事に気づいたのだろう。


 鬼はすっと真顔になり、小さく舌打ちをする。


「この場を一度離れないと面倒な事になりそうですね」


 鬼はそう言うと、今までどうやって隠していたのか、鋭い爪を振り上げ、こちらに向ける。

 きっとその爪で、倒れている兵の腹を割いたのだろう。


 恐怖で体がすくむ。

 このままでは殺される。


 でも、こういうピンチは今まで結構あった。

 自分の身を守るために、どうすれば良いかはわかっている。


 私は閉じたくなる目をキッと見開き、鬼が爪を振り下ろす前に手を一つ打ち鳴らして流れる祝詞に言葉を這わせ、そのまま掌を鬼に向けた。


 鬼は一瞬、嘲笑うような笑みを見せた。しかし、次の瞬間、その顔は、怒りと苦痛に歪んだ。


「グッ! 何だ、これは!?」


 白と黒の光に包まれながら、鬼は、怒りに任せて、爪を振り下ろそうとする。

 しかし、私には届かない。


「止めろ! 貴様!」


 鬼は叫ぶが、体はどんどん赤く発光し始める。

 ここでやめられない。このまま放置したら、きっと他にも犠牲者が出てしまう。


「白月様!」


 鬼の声を聞きつけた者達が、こちらへ駆け寄ろうとする音が聞こえた。


 ダメ、こっちに来たら!


 私は祝詞を口にしながら、心のなかで必死に叫ぶ。


 不意に、上空でバサバサと羽ばたく音が聞こえた。


「止まれ! 近づくな! 陽の気に焼かれるぞ!」


 宇柳だ。


 私は心のなかで、ほっと息を吐く。

 宇柳が私を見つけて、皆を止めてくれたのだ。


 私は周囲の懸念がなくなり、そのまま目の前の鬼に真っ直ぐ向き合う。


 鬼の体がぐらっと揺れて、地面に倒れ込んだところで、私は気の放出をようやく止めた。


 力が抜けて、ペタンとその場に座り込む。

 目の前には、藤嵩の姿だった筈の鬼が本性を現し、角の生えた姿で黒く焦げて倒れ込んでいた。


「白月様!」


 様子を伺っていた宇柳が、すぐに私のもとに降り立つ。


「ご無事ですか?」

「私は大丈夫。」


 私の返答に、宇柳はほっと息を吐く。


「鬼が藤嵩に化けていたの。本物は、森の中で震えてるって。もしかしたら、藤嵩も他の者達も生きているかも。助けに行ってあげて」

「わかりました。一度、蒼穹さん達を呼び戻しましょう。桔梗!」


 宇柳が藪の外に向かって桔梗に呼びかけると、すぐに複数の足音がこちらに向ってくる。


「使いを蒼穹さんのところに向かわせる。白月様のことを頼む。絶対に目を離すな」

「はい。申し訳ございません」


 絶対に目を離すな、だって。宇柳のくせに、璃耀みたいな言い草だ。

 ちょっと皆から離れた隙に妙なことに巻き込まれる自覚は出てきたから、何も言わないけど……

 不幸体質は、宇柳じゃなくて、私の方なのかもしれない。


 桔梗と凪に助け起こしてもらって、藪を出ると、皆が集まって来ていた。


 璃耀が眉を顰めて、


「どうしてこのような短時間に……」


と言ったが、そんな事、私が知るわけがない。


 私は、自分を取り囲む者達の顔を見回す。


 怖いのは、信頼している者に鬼が化けていたということだ。

 あの鬼だけの能力であればいい。

 でも、もし違ったら……?


 あの鬼は、いつから藤嵩に成り代わっていたのだろう。あの場に遭遇しなければ、私は気づけただろうか。他に同じような事になっている者は居ないだろうか。


「白月様?」


 考えても疑心暗鬼になるだけだ。

 璃耀の声に、私は小さく首を振った。



 藤嵩達は、軍の捜索によって、程なく発見された。

 飛んで逃げられないように翼を折られ、仲間を3名目の前で惨殺され、随分衰弱した様子で戻ってきた。


「御約束を守れず申し訳ありません。我らを探してくださり、ありがとうございます」


 そう言って膝をつく藤嵩があまりにも痛ましくて、


「貴方達だけでも、無事に帰って来られて良かった」


と言う事しか出来なかった。

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