第45話 あの時の裏側

 翌朝、紅翅の許可を得て外に出ると、凍りついたような空気の中で、カミちゃんと璃耀を遠巻きに囲む皆がいた。


 近くに困った顔をした蒼穹がいる。


「蒼穹」


 私が声をかけると、蒼穹は肩を震わす。

 それだけで、朝からその場で何が起こっていたのかが分かった。


「……またなの? 朝一からこんな野営地の真ん中で? あの二人の昨日の誓いはいったい何だったの?」

「……いえ、あの……朝からではありません……実は昨夜……」

「蒼穹!」


 蒼穹が言いかけたところで、こちらに気づいたカミちゃんが、鋭い声を飛ばした。


 ……え……昨夜からずっとやってたってこと?


「蒼穹、ごめん。軍の皆の迷惑になるから、早々に追い返すか、私が一緒に行くかしたほうがいいね。」

「いえ……ただ、口論の原因がそれなので……決着がつくかどうか……」


 蒼穹がそう言っている間に、カミちゃんはツカツカと私の前までやってくる。

 璃耀も同様だ。


「余計な事は言うな。蒼穹」

「は。申し訳ございません」


 カミちゃんの言葉に、蒼穹は一歩下がって場所を譲る。


「喧嘩の原因は何? 昨日の話、聞いてなかったの?」

「不毛でなければよろしいのでしょう? 建設的な話し合いです。」


 カミちゃんは悪びれるでもなくニコリと笑う。


 ……屁理屈を……!


 私は、カミちゃんを無視して後ろに控える者たちに目を向ける。


「誰か、事情を教えて」


 カミちゃんは、自分が私の目に入って無いことをに気づくと、慌てて私と後ろの者たちの間に割って入ろうとする。


「事情でしたら私が……!」

「喧嘩してた人が冷静に説明できるわけ無いでしょう。凪、カミちゃんの相手をお願い」

「はい。承知しました」


 凪は私の背後からさっとカミちゃんの側へ移動する。


「さあ、翠雨様。あちらへ参りましょう」

「凪、其方、私の腹心のハズだろう。何故私の味方をしない?」


 凪はニコリと笑う。


「私は白月様の味方ですよ。翠雨様もそうでしょう?」


 そう言うと、有無を言わさずに、チラチラ振り返るカミちゃんを連れて野営地の反対側へ移動していった。


「璃耀の方の説明は蒼穹ね。椎が璃耀の相手しててね。事情を聞いてる間に喧嘩しないように、二人を近づけないで」

「承知しました」


 蒼穹と椎は同時に返事をする。


「蒼穹、其方、わかっているだろうな」


 璃耀は蒼穹に鋭い視線を向ける。


「璃耀。公平に話を聞く場なのに、蒼穹に圧をかけるのは止めて。椎、連れてって。」

「は……はい……」


 椎はやや璃耀に苦手意識がついてしまっている気がするが、大丈夫だろうか。


 ひとまず、二組がしっかり距離を取ったことを確認して、私達はテントに入った。


「白月様。ご挨拶が遅れ、申し訳ございません。蝣仁ゆうじんと申します。こちらの二人はりつぎょう。私からご説明させていただきます」


 一番先頭にいた、黒髪の男性が進み出る。すごく真面目そうな雰囲気だ。


「あ、蝣仁。カミちゃんと一緒にあのとき助けてくれたんだよね。あの時は本当にありがとう」


 私がニコリと笑うと、蝣仁は驚いたように目を丸くする。


「どうかした?」

「い、いえ。御役に立てて光栄です。白月様」


 そう言うと、戸惑うように頭を下げた。


 蒼穹もテントに入ってくる。宇柳も道連れにされたようだ。


「それで、一晩もかけてあの二人は何を喧嘩してたの?」


 大の大人を複数巻き込んで、何と幼稚な質問だろうかと溜め息が漏れる。


「白月様を京へお連れするかどうかを、です」


 蒼穹の答えに私は首を傾げる。


「え? そもそも、璃耀が来たのって、烏天狗の対応とは別に、私を京に連れて行くためだったんじゃないの? それが遅いからカミちゃんが自分で迎えに来ちゃったんでしょう?」

「それはそうなのですが……」


 蒼穹が答えに窮していると、蝣仁が見兼ねたように口を開いた。


「そもそもの背景から、私が順を追ってご説明します」

「うん。お願いします」


 私が応えると、蝣仁は軽くうなずき、説明を始めた。


「もともと、翠雨様は新たな帝をお迎えし、京へお連れする御役目を担っていました。

 ただ、白月様が京にいらっしゃる直前に、現帝が帝位を譲るつもりが無い事、陽の気を持つお方を利用しようとされていること、鬼の甘言に惑わされて結界破壊しようとしている事などが明らかになり、このまま白月様を幻妖宮にお連れすべきでないと、一度白月様の元を離れて一人お戻りになりました」


 ああ、あの時、カミちゃんが突然居なくなったのにはそういう背景があったのか。


 それにしても、鬼の甘言……?

 あの時には既に鬼がこちらに入り込んでたってこと?


「……鬼に帝が惑わされてたっていうのは?」

「宮中で鬼による被害は起こっておらず目撃情報もない中で、どのような方法を使ったのかは判然としないのですが、鬼どもは鬼界から開放される事を望み、結界の崩壊後、鬼に住処を提供しさえすれば、妖界と人界を統べる力を貸すと、直接主上に申し入れて来たそうです。二つの世界の統治と引き換えに、自分達が鬼界から出られるように結界を放置しておけ、と。」


 なに、その怪しい提案!?


「えぇっと……まさか、帝はその提案に乗っちゃってるってこと……?」

「恐らくは……」


 蝣仁は神妙な顔で頷く。


「……誰も止めないの? 絶対に騙されてるじゃない」

「そもそもが、極限られた主上の腹心にしか伝えられていない情報です。そして、その腹心は揃って止めるつもりが無いようです」


 開いた口が塞がらない。

 揃いも揃って、この妖世界を滅ぼしたいのだろうか。これでは、龍神様が言っていたことが現実になってしまう。


「そんな中、思いがけず、白月様が蛍観の宴に招待されました」

「……ごめんなさい」


 そんな状況になっているなんて知る由もなかったわけだが、璃耀や桜凛があの時に言っていた以上に最悪な状況で宮中に赴くことになったわけだ。


「宴の後、白月様を璃耀様達に任せて逃がすのではなく、そのまま匿っていれば、あのような状況にならずに済んだのにと、翠雨様はとても後悔されていました。ただ、お迎えする状況が整っていなかったのも事実です」


 蝣仁は眉尻を下げた。カミちゃんを本当に心配していたのが伝わってくる。


「白月様が捕らえられたと知ったあと、翠雨様は、陽の気の危険性と、放っておいても結界はいずれ消失すること、白月様が生きていることで結界を強固にされる恐れを説き、一度白月様を処刑させることで、主上の目から隠そうとなさいました」


 それで、あの処刑劇が出来上がったわけか……


「でも、あの泉の事はなんで……」


 なんでカミちゃんしか知らなかったんだろう?と言おうとして、蝣仁の厳しい声音に遮られた。


「白月様。あの泉での処刑で、どのように白月様を救い出したのか、誰にも知らされていません。翠雨様も、誰に何を聞かれても口になさいません。恐らく、口にされない方がよろしいでしょう」

「……はい」


 確かに、あの泉が陽の泉だと知っている者が他にもいたら、私は別の方法で処刑されていたはずだ。不用意に広めて良い事はなさそうだ。


「璃耀は璃耀で、あの時は白月様を宮中から出すことに必死だったと聞いています」


 うん。それは良く知っている。結果的にああなってしまったけれど、璃耀も桜凛も、必死で私を助けようとしてくれていた。


「ただ、あの時、璃耀に任せず自分が、と翠雨様に言われてしまうと、璃耀は反論できません。自分の失態だったと思っているわけですから」

「もしかして、まだ気にしているの……?」

「白月様の無事を自分の目で確認してようやく少し落ち着いた様ですが、生涯を賭して尽くそうと心に決めた主を目の前で処刑されたのです。

 もともと、先の帝を看取ったのも璃耀でしたし、主を失うことに人一倍過敏になっているのだと思います」


 ……まさか、璃耀がそこまで思い詰めていたとは思わなかった。

 それに、先帝に親しいものだったとは聞いていたけど、看取ったのが璃耀だったとは思わなかった。

 もしかしたら、あの処刑劇が璃耀の傷口に塩を塗る結果になったのかもしれない。


「宴の後、宮中にいる間は、直ぐにでも白月様の元へ向かい無事を確認したいと常に翠雨様に掛け合い続けていましたし、烏天狗の時などは凄い剣幕でした」


 蒼穹の言葉に、宇柳がその時のことを思い出した様に青ざめる。


「ここに来てからも、できる限り白月様から離れないようにしたり、自分がついていられないときには代わりに目を離さないで居られる者をつけたり、それでも白月様のお帰りが遅いときには自ら迎えに赴いたり……

 とにかく、宴の前までと比較すると驚くくらい神経質になっています。

 それにも関わらず、こちらで幾度か危険な目に遭われているのです。気が気では無いはずです。

 私もそうですが、凪殿も宇柳も桔梗も、強く叱責されていますし……」


 蒼穹は気遣わしげに宇柳を見た。


「ごめん……気づかなかった……」

「いえ。璃耀様の御心配もごもっともだと思います。我らが危険からお守り出来なかったのが不甲斐ないのです」


 宇柳は俯き加減に小さくそう言った。


 私もまだ、あの時の事を思い出すと恐怖に体が竦むことがあるが、ある程度、終わった事だと心のなかで折り合いをつけていた。ただ、璃耀がそうでなかったのだとしたら、相当な重荷になっていそうだ。


 少し、璃耀の気持ちを汲んで、ケアしてあげた方が良いのかもしれない。


「宮中では、宴の直後から表立っては何も言いませんが、正統たる帝の訪れがまことしやかに広がり、真なる帝の御世を望む声が出てきました。

 更に、白月様の処刑が公になることで、主上が帝位にいる限り次の御世も正統たるお方がこの世を治めることはできないだろうという危惧から反発が生まれはじめました」


 烏天狗の山で、璃耀に少しだけ教えてもらった。

 宮中では、今、現帝派と新帝派で割れていて、水面下では争いが起こっているのだと。


「主上は当初、璃耀様を始め、不穏分子を処分することで事態を収めようとしましたが、それでは収まらないくらいに一気に火種が大きくなりました。

 翠雨様は、不穏分子を処分し続けると敵愾心が増していく恐れがあると説得し、不穏分子を洗い出して主上への敵対行為や思想を監視し取り締まる役目を買って出ました。

 そして、この立場を利用し、反現帝派を取りまとめをされ始めました」


 これも、璃耀から聞いていたとおりだ。だから、私を旗頭にしたいのだと言っていた。


「本来ならば、ゆっくりと体勢を整えていきたいところでした。

 ただ、結界の綻びが急速に進んでいる以上、あまり時間をかけることができません。

 翠雨様は白月様を宮中に正式にお迎えすることで、一気に帝位の交代を行いたいのです」


 私が行くことで、急速に争いが激化するだろう。でも、蒼穹達がいて、要請すれば烏天狗も協力してくれる。

 カミちゃんからすれば、今が丁度いいタイミングなのかもしれない。


「一方で、璃耀は白月様を真っ向から、血で血を洗うような権力争いの渦中に送り込むのを避けたいのです。先程言った通り、前回宮中で起こったことが相当響いているようで……」


 完全にトラウマになっているわけか……


「もう少し状況を整え、主上を排斥することが叶った状態で宮中に送りたいと。

 ただ、その状況を作るためにも、白月様のお力が必要だと翠雨様が仰って……

 時間があまり無いことも璃耀は頭ではきっと理解しているのです。ただ……」


 蒼穹はそこで口籠った。


 ……でも、状況はわかった。


 多分、私はカミちゃんの言うとおり、さっさと京に赴き、結界石を押さえて力を注いでしまったほうがいい。

 暗躍している鬼に何もさせないうちに。


 でも、璃耀の気持ちを蔑ろにはしたくない。

 トラウマを刺激しないように、説得しないと。



 テントから出ると、私達が出てきたことに気づいて歩み寄ろうとするカミちゃんを通り過ぎて、私はまっすぐに璃耀のところに向う。


 そして、目を丸くしている璃耀の正面に立ち、ギュッと両手を握った。


 あんな風に助けようとしてくれて、今もすごく気遣ってくれているのに、私は璃耀を傷つけたまま、気持ちを考えようともしなかったし、お説教から逃げ出す事ばかり考えていた。


「璃耀の気持ちも考えずに、勝手な事ばかりして、ごめんね」


 璃耀は私の顔をまじまじと見たあと、私が握った手に目を落とし、私の顔をもう一度戸惑った様に見た。


「どうされたのです、突然……」

「蒼穹に聞いたの」


 璃耀は眉を顰め、蒼穹を睨むように見る。


「……いったい何を?」


 しかし、続く私の言葉に一瞬で顔を強張らせた。


「宮中での処刑の後のこと……」


 璃耀がぐっと奥歯を噛み締めたのがわかった。

 やはり、蒼穹が言うとおり、心に凝りが残ったままになっていたようだ。


「ごめんなさい。そんな風に傷つけたままになっていたなんて思いもしなくて……でも、やっぱり京には行かなきゃ」


 璃耀はそのまま、キツく目を閉じて俯き、深く息を吐き出しす。


「……謝らないで下さい。白月様が悪いわけではありません」


 璃耀は一度、そこで口を噤む。そして、口に出すべきかどうか考えるように口を引き結んだ。


「……璃耀?」


 私が声をかけると、意を決したようにポツポツと絞り出すように言葉を発する。


「……できるだけ、白月様には御心のまま歩んで頂きたいと思っています。……烏天狗の山でのご決断もご立派だったと思います。目に映るもの達に心を寄せ、困っているものを救いあげようとされる御心は美点だとも思っています……」


 璃耀の手は、徐々に私の手をキツく握り返す。


「……ただ、そうは思っても、私の力では、貴方をお守りしきれないのです……どうか、危険を避け、御自身のことを大切になさってください。貴方のことを、何よりも大事に考える者がいることを、どうかご理解下さい」


 眉根ををきつく寄せ、その声はかすれている。


「……あのように主を失うのは、もうたくさんです……」


 璃耀は、消え入るような声でそう付け加えた。


 烏天狗の山で、璃耀は私を奮起させるために諭してしてくれていたのだと思っていた。それも間違いではないのだろう。でも、もしかしたら、あの時、心の中に不安を抱えていたのは璃耀の方だったのかもしれない。


「……心配かけてごめんね。いつも、迷惑ばっかりかけてごめん。

 でも、京には行かなきゃ。手遅れになる前に。烏天狗の山で諭してくれたのは璃耀じゃない」


 璃耀の手に、先程よりも強い力が込められる。


「未だに夢に見るのです。処刑台に登り、すべてを焼く泉に突き落とされる後ろ姿を……

 為す術もなく、泉に消えていく貴方の手をとることが出来なかった、あの時の事を……」

「……うん。気づいてあげられなくて、ごめんね」


 泣くに泣けない璃耀の悲痛さが嫌というほど伝わって来て、胸が痛い。


「もう、大丈夫だから。もう、迂闊なことはしないように気をつける。だから、力を貸して?」


 璃耀は俯き、私の手を握ったまま、口を噤んで答えない。


「璃耀が居てくれると心強いの。あの時も、その前も、それから、今も。璃耀がいつだって助けてくれたから、ここに居られるの。感謝してる。

 私一人じゃ何もできないから、側にいて支えてほしいの。一緒にいてくれるんでしょう?」


 私が璃耀の顔を覗き込むように言うと、璃耀は僅かに顔を上げて、悲痛さの交じる目で私をじっと見つめる。


「御自身のことを慮って、無茶をしないと約束していただけますか?」

「うん。ちゃんと気をつける」

「……もう、あの時のように、目の前から消えてしまわないと、約束していただけますか……?」

「うん。そうならないようにする」

「……必ず、生てくださいますか?」

「うん」


 璃耀は私の言葉に目を伏せて、深く息を吐き出した。

 それから、ゆっくり顔をあげると、仕方の無さそうな顔で、小さく微笑んだ。


 これで、少しは璃耀の気持ちが楽になればいいんだけど……


 私がそう思っていると、カミちゃんがつかつかと私達の側までやってくる。

 どうしたんだろうと見ていると、グイッと璃耀を押しのけて、私の前に立った。

 それから、ニコリと笑ってすっと手を差し出す。


「……うん?」


 私が首を傾げると、カミちゃんも同じように首を傾げた。


「私の事は労って下さらないのですか?」

「……はい?」


 まさかこの話の流れで、空気をぶち破ってそんな事を言って来る者がいるなど、誰が予想しただろう。


 確かにカミちゃんにも感謝はしているが、自分で言いに来る事ではない。

 割って入られた璃耀も呆れ顔だ。


 美麗な貴公子姿では忘れがちだが、そういえば、カミちゃんはこういう子どもっぽいところが前からあったんだった……

 更に、多分これを窘めると機嫌を損ねる。


 紙人形のときはそれでも良かったが、今それをすると、周りの者たちに八つ当たりしかねない。


 ……いや、あの時も、楠葉に八つ当たりはしていたが、被害があの時の比では無くなりそうだ。


 戸惑ったまま周囲を見回すと、誰もが、呆れつつも労えと目で訴えかけてくる。


 私はそっと息を吐き出した。


「……カミちゃんも、助けてくれて、ありがとう。いつも感謝してます。」


 カミちゃんの手を取り、笑みを貼り付けた私の言葉に、カミちゃんは満足そうに頷いた。

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